サイトウさん
浅野川沿いの散歩から帰ってくると、写真部の先輩のサイトウさんからメールが入っていた。
「これから、片町で飲もう。」
僕は、財布とケータイを持って片町行きのバスに乗った。
片町行きのバスは、カナザワ城と兼六園の間を走りぬけ、カナザワ市役所の脇に停まった。
カナザワの中心部にある片町は有名な飲み屋街で、火曜日の夕方だったが、街はにぎわっている。
待ち合わせ場所のミスドの前に、サイトウさんは立っていた。
ジーンズに白シャツ、その上にコートを羽織っており、いつものニット帽と黒縁メガネをかけている。
「ごめん。急に呼び出して。」
「いや、僕もちょうど飲みたい気分だったんです。梅酒以外のお酒を。」
「なんで梅酒は駄目なん?」
「その話は飲みながらしましょう」
僕とサイトウさんは並んで、3月の片町を歩き始めた。
スクランブル交差点を渡って、せせらぎ通りに入る。
街行く人々の顔は明るい。みんな春の訪れを感じ、喜んでいるのだ。北陸の冬は厳しい。1ヶ月に1度晴れるかどうかの日々が続き、毎日が曇りか雪で、鉛色のどんよりした空が広がる。大学の構内には『冬季鬱病に注意』という張り紙があるほどだ。特に、大学生になって初めてカナザワにきたという学生は必ず最初の冬で気が滅入るという。だからこそ、春の訪れはカナザワの人々にとって、一段と深い喜びを与えるのだ。
僕らは、太鼓が有名な焼き鳥屋に入った。店内に入ると同時に店長が軽快に太鼓を叩く。
「2名さま、いらっしゃい!どうぞ、こちらの席へ!」
まだ夕方の6時過ぎだったが、店内は座席が8割ほど埋まっていた。
僕らは、生ビールと適当に焼き鳥を2本ずつ頼んだ。
「どう、最近写真撮ってる?」
店内には、鳥肉が焼けるいいにおいとうっすらとした煙が立ち込めていた。
「冬の間はあんまり撮れてなかったですね。どこか旅に出たらフィルム1本分ぐらいは撮れたかもしれないですけど。」
「そっか。冬のカナザワも撮った方がいいと思うよ。」
「そんなこと言って、サイトウさんは人物写真ばっかじゃないですか。」
サイトウさんは人物写真を多く撮る人で、僕はサイトウさんが取る優しい写真が好きだった。
「そういえば、梅酒は駄目になったん?あっ、マスター生2つおかわり!」
店主がおかわりの生ビールをもってきて、空いたグラスを回収してくれた。
「実は、去年の春からずっと片思いしていた女の子にふられたんですよ。昨日。それで、チューリップでチョーヤ梅酒のパックのやつ買ってきて、ロックで延々と飲んでたら、人生で始めて酒飲んで吐いちゃったんですよ。もうめちゃくちゃ気持ち悪くて、二度と梅酒は飲めなくなったんです。」
僕は生ビールを一気にあおった。
「そうか。大変だったな。ちなみに、ふられた女の子って、あの北海道から来た吹奏楽部の子?」
「そうです。」
僕はネギマの串を手に取り、串刺しになった鳥肉とネギを同時に食べる。
「花火大会に行った子でしょ?」
サイトウさんは少しニヤニヤしている。
「そうです。」
「エッチした?」
「してないです。」
「キスはした?」
「してないです。」
「それは、残念だったな。今日はおごってやるから、好きなだけ飲め」
それから、僕たちは店にある日本酒を片っ端から熱燗で飲んでいった。もう意識は朦朧としている。
「もうすぐ春だ。春になれば新入生が入ってくる。写真部にもかわいい女の子が入ってくるかもしんないぞ」
と言って、励ましてくれた。
「だといいですね。」
「だから、お前がおれの跡を継げ。」
「え?」
「来年度の写真部の幹事をやってくれ。」
サイトウさんは写真部の幹事だった。僕たちの写真部では、毎年2年生が幹事を務めて、新入生歓迎行事や夏の合宿、折々の飲み会を企画していた。
「いやいや、僕なんかじゃ無理ですよ。小川とか、もっと向いているやつがいるじゃないですか」
学部同級生の小川は、一緒に写真部に入った僕の親友だった。小川は常に明るくて、写真部の中でも人気があった。
「いや、おれは小川よりもお前が幹事をした方がまとまると思うんだ。それに、お前、変わりたいんだろ。これはチャンスだ。やってみな。お前ならできるから。」
サイトウさんにそこまで言ってもらえて、僕はうれしかった。
「わかりました。できる限りがんばってみます。」
「じゃあ、乾杯だ」
そういうと、サイトウさんはとっくりに残っていた手取川の熱燗を2人のおちょこに入れた。
そして、僕たちは、おちょこを合わせ、酒を飲み干した。
会計を終えて、店を出ると、いつもどおり店主が軽快に太鼓を叩いてくれた。
もう時刻は12時を回っていて、最終バスはなくなっていた。
僕たちは夜のカナザワを陽気に歩いて帰った。




