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5月の大型連休が終わり、多くの人がなんだかやる気が出ない五月病を患う季節、僕も憂鬱さを引きずって歩くような気分で、編入手続きを受けていた。
とある事情で、僕は当初通っていた高校から数県離れた別の高校に転校していた。都心から少し離れたその地域は、決して都会とは言えないが、それなりに発展した都市で、昨年から3校が合併して大きなマンモス高校が新しく建てられた事で有名だった。
今日から僕もそこに通わなくてはならない。
僕はまだ着慣れない真新しい制服に袖を通し、溜め息を吐いた。憂鬱だ、と。新しい環境もそうだが、人が多いというのが、僕にとっては一番の憂鬱の種となっていた。
衣替え前なのでネクタイとブレザーを着けるが、5月にしては気温が高い晴天の中、僕は気乗りしない気分のまま、のんびりと新しい高校へと向かった。
正門前に来ると、明らかに学校関係者ではない人達で人集りが出来ていた。何の集まりかと遠目から観察してみると、多くの人達が野次馬の様に集う中には、テレビの記者の様な人とカメラマンもいた。
登校初日からストレスの溜まる、面倒な集団だなと思いながら、関わらない様に急ぎ足で門を通り抜けようとすると
「あっ、ちょっとそこの眼鏡の君! 質問に答えてくれないかな?」
と呼びかけられてしまった。僕は今すぐその場から走って逃げ出したかったが、威圧的な女性記者と体格の良いカメラマンに既に進行方向を防がれており、逃げ出せそうな状況ではなかった。
「……質問って何ですか?」
仕方がないと諦めて、僕は切り返した。本当ならこの場で溜め息を吐きたい程だった。女性記者は意気揚々とマイク片手に質問してくる。
「最近、ここの生徒が何人も行方不明になっている事についてなんだけれど、貴方は行方不明になった子とか、その子の知り合いとか知らない?」
「すみません、知らないです」
女性記者が何を言ったのかしっかりと聞いて、脳内で整理するよりも早くに、僕は若干食い気味で早口にそう答えて、そのまま記者とカメラマンの二人の間を強引にくぐって抜けた。
朝早くから面倒事に絡まれるのは勘弁して欲しかったため、僕は事前に用意していた答えをそのまま吐き捨てるように答えた。
正門をくぐると、僕の目にはマンモス校と言うだけのことはある、大きな校舎が何棟も乱立しているのが写った。
広い校内に若干迷い、用務員や校内案内に従いながらも、僕は無事に職員室へと辿り着き、今日から自分の在籍するクラスの担任に初めて会った。
「初めまして、そしてこれからよろしくね。今日から担任の斑鳩です。よろしくね」
よろしくね、を2回言ったなと思いながらも、僕は自分の名前を述べた。斑鳩先生は20代後半といった若く快活な女性の先生で、机の上に積み重なったプリントや教材から、英語を担当しているらしかった。
朝のホームルーム開始のチャイムが鳴り、僕は斑鳩先生と一緒に教室へと向かう事になった。
出来たばかりの校舎とあって、広々としており、それでいて綺麗な廊下を歩いていると、斑鳩先生はそうだと思い出したように
「あっそうそう、正門前に記者がいたでしょう? 何か聞かれても適当にスルーしておいてね。ここ最近、ずっと居座っててしつこいのよ」
と僕に助言した。
知らないとだけしか答えていないし、特に大丈夫だろうと僕は思い、頷いておいた。
それじゃあ後で呼ぶからここで待っててね、と教室前の廊下で僕は一度待つことになった。暇になったので改めて辺りを見回しても、壁や廊下はどこもかしこも綺麗で広々としており、汚れひとつない様が真新しさを引き立たせた。おそらく生徒が掃除するのではなく、用務員や清掃員を雇って清潔な空間を保っているのだろうと考えさせられた。
それじゃあ入ってと言われて僕は扉を開けて教室へと入る。多数の期待の視線を浴びる中、僕は黒板に自分の名前を書いて、他の生徒達を見渡した。教室内には40人程度のクラスメイト達がおり、全員が僕の方を向いているのが居心地悪かった。
斑鳩先生に紹介される形で、僕は事前に練習した簡単な自己紹介を述べる事になった。
軽く頭を下げて挨拶をし、頭を上げてもう一度よく見渡すと、見た目が運動部らしい日焼けた肌が特徴的な男子生徒から、眼鏡と三つ編みの本が好きそうな女子生徒までいて、クラス全体の雰囲気は派手過ぎず、暗過ぎず、至って普通のクラスといった印象を感じさせた。
ささやかな歓迎の拍手を受けた後、僕は空席だった場所に座る様に指示された。廊下側の反対、窓際の一番後ろの席へと僕は腰掛ける。隣の生徒は三つ編みの文学少女だった。
さて、と時間割を見ると、どうやら1限は英語らしく、そのまま斑鳩先生が担当するようだった。僕は隣の文学少女に軽く挨拶すると、向こうは人見知りなのか少しオドオドとしながらも、僕に教科書を見せてくれた。1限を終えて、その後の2限以降の科目も隣の彼女に見せてもらいながら、その日の午前の授業を平穏に過ごしていった。
「なぁ、また記者の人来てたな」
「あぁ、やっぱりあの噂本当なのかもな」
4限が終わり、1時間の昼休憩の時にそんな会話がふと聞こえた。
記者……そういえばあの記者は行方不明がどうたらこうたらとか言ってたなと思い出していると
「よう、転校生。 お前さん、朝から人気者だな」
と日焼けした褐色肌の男子生徒が明るく声をかけて来た。
転校生だからか、何かと午前の授業中は教師陣から指されて、何度も質問責めにあったという意味での人気者だろうかと、僕は皮肉気味に、苦笑いを浮かべて褐色肌の彼に聞くと
「あっいや、それもあるけどな。これ見てみ」
と彼は自身の白いスマートフォンを横向きにして僕にその画面を見せた。どうやら動画のようだと見ていると、先程校舎前で呼び止めて来た記者が映っており、そしてインタビューを受ける僕自身の姿もまた映っていた。
「ビックリしたか?あの記者さんしつこいもんな。実は俺ら生徒は普段から、正門じゃなくて裏門から入るように言われてたんだよ」
それは転校生じゃ知らなかったよな、と彼は白い歯を見せて笑った。全くである。そして僕はずっと疑問に思っていた事を聞いた。
「行方不明って何かあったのか?」
「あぁ……行方不明の件か……」
彼の笑っていた口角がゆっくりと下に下がっていく。その後、彼の重たい口からポツリポツリと事件についての話を聞いた。簡潔に纏めると、今年度に入ってから、既に女子生徒3人と男子生徒1人が行方不明になっているとの事だった。しかもその唯一の男子生徒はこのクラスの生徒だったらしい。
「今年度って事は、まだ5月半ばだから……」
「あぁ……。僅か1ヶ月で4人も行方不明だぜ?」
彼は心底不安といった表情を浮かべていた。どうやら居なくなった男子生徒とは、仲が良かったらしい。
「早く見つかるといいな、その友達」
「だよな。ったく、どこほっつき歩いてんだか」
昼休憩終了のチャイムが鳴り、彼は僕に礼を言って自分の席へと戻っていった。
1ヶ月で行方不明の生徒が4人か……と僕は行方不明事件について考え始め、5限の現代文の内容が頭に入って来なかった。
午後の授業が終わり、帰りのホームルームも終えると、僕は斑鳩先生に残るように指示された。
教室に僕と斑鳩先生だけになったところで、まず最初にと、記者からの取材の件でと先生から謝罪を受けた。裏門から入るようにと伝え忘れていたとの事で、僕は特に気にしていないですとだけ述べた。斑鳩先生は申し訳ないと両手を合わせて謝っていて、その様子は美人教師というより、可愛らしさの残る年の近い姉のようで、男子生徒や女子生徒に分け隔てなく人気があるのも頷けた。
先生から謝罪の気持ちだと、クッキーを頂きながら、もう一つのお願いを受けた。
「図書委員……ですか?」
「うん、そう。飯泉君っていう子が図書委員だったんだけれど」
「? 何て名前の子ですか?」
『い』がやけに多く聞き取れなかった。
「『飯泉』ね。『い』が3つあるのよ。だから、イーズミ君って略して呼ばれてたわ。ともかく、彼も今、行方不明でね。来週からこのクラスが図書館の担当順になるから、代理でもいいから任せたいんだけれど……」
「えぇ、別に大丈夫ですよ」
「ありがとう、それじゃあ御手洗さんが女子の図書委員だから、お互い協力し合って担当してね」
最後にまたよろしくねと頼まれて、僕は一礼して教室を出た。