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第1話

 人が行き交う大通りの雑踏の中を、小さな少年がぶつからぬよう器用に、するり、するりと人を躱しながら駆け抜けていく。それを警備兵の制服に身を包んだ中背の男が呼び止めた。


「ランセル!」


 男に名を呼ばれた少年は、くるりと振り返ると、はにかんだ笑顔を向けた。


「あ、ザインさん、こんにちは!」

「おう、元気そうだな。今日は、スリなんかしてないだろうな?」

「してないよ!」


 やめてよ、こんな往来で!冗談混じりに親しげに話しかけてきた男に、ランセルは思い切り顔を顰めて見せた。

 ランセルを呼び止めたこのザインという男、東西横長に広がる王都の東地区を担当する警備隊の隊長を務めている。むろん、会話からも知れるように、彼はランセルがジョエル率いる子どもスリ団の一員であることも知っていた。

 貴族と名乗ってはいても底辺に近い下級貴族の出で、上級貴族の横暴と民衆の要望とに日々右往左往させられている苦労人でもある彼は、この世知辛い都会で、貧しい子どもたちが生き抜いていくことの大変さを十分すぎるほどに理解しており、彼らのやることに多少の目こぼしをし、時には親身になって、相談にも乗ってやっていた。

 ジョエルのような、まだ年若い者が率いているスリ団に、大人の癖の悪い連中が表立って手出ししてこないのは、彼の助力が結構効いていた。

 早くに愛妻に死に別れ、いつの間にか気づけば四十近くに差し掛かった彼にとって、ランセルたち、東地区の子どもらは自らの子どものごとくであり、彼の生き甲斐でもあった。


「もう、そろそろ、親父さんも帰って来る頃だろ?これを機にジョエルたちから抜けろよ。言いづらかったら、俺が話をつけてやるから」


 ランセルにはちゃんと二親がいる。出来れば、スリなどという後ろ暗い道から抜け出して欲しかった。そんな彼の思惑とは裏腹に、少年はしょぼんと肩を落とした。


「……父さん、死んだよ」


 しまった。ザインは心の中で舌打ちする。肩を落とした少年に、いったい、どんな言葉をかけてやったらいいものか。おろおろと思案げにする人の良い警備隊長に、気を取り直したランセルから話しかける。


「ザインさん、母さんには父さんのこと知らせてないんだ。だから、母さんには話さないで欲しいんだけど」


 自分の悲しみを飲み込んで、病に臥せっている母親のことを優先する少年のいじらしさに、ザインは力強く頷いて約束する。


「……わかった。でも、お前も母親を心配させるようなことするなよ?」

「うん、わかってる。地下水路を通るのも止めたし、今はスリもしてないよ。ラウルさんが嫌がるから」

「ラウル?」


 仕事柄、この地区の住人の顔と名前はたいてい把握している彼だが、ランセルの言う「ラウル」に当てはまるような人物の見当がつかない。


「僕らの客人なんだ。とっても強い人で、ジョエルがすごい気に入っちゃって、頭領になってくれなんて言ってるんだ」


 ザインはますます首を傾げた。子どもたちの頭領格のジョエルは、物騒な界隈で生きている分、賢く用心深い。その彼がどこの者かも知れぬよそ者にそんなに心酔するとは、にわかには信じがたい。

 こりゃあ、近いうちに連中の様子見をしがてら、そいつの顔を拝んでみなければなるまい。しかし、ランセルの話が本当だとすると……。


「……そりゃあ、随分と、奇特な御仁らしいな」

「うん!とっても良い人なんだ。……じゃあ、またね、ザインさん」


 ザインの皮肉をさらりと流して、人混みにあっという間に消えていく小さな姿を笑顔で見送ったザインは、少年に向けていた表情とは打って変わって険しい表情を作り、貴族の屋敷がある地区へと足を踏み入れた。

 店舗や集合住宅が雑多に重なり合う、ごみごみとして無秩序な感がする平民たちの居住区と比べると、貴族の邸宅が立ち並ぶこの地区は、美しい針葉樹の街路樹が立ち並び、各屋敷に広がる庭園の奥には、贅を凝らした建物が整然と建っている。

 この閑静で美しい屋敷街を歩くたびに、ザインは苦々しい思いを抱かざるを得ない。歴史の古い国にはありがちなことだが、庶民と特権階級の貧富の差は広がっていく一方である。鉱山や山林資源を独占し、民に重税を強いて貴族たちは肥え太り、庶民は日々の生活に窮々とし瘦せ細る。

 ただでさえ低い賃金にかかる税に耐えかねて、ランセルの父親のように、豊かなジャドレック領に出稼ぎに出る者も年々増えている。ランセルのような、貧しくて不幸な子どもも増える一方だ。

 若い王は、そんな国内情勢に見切りをつけ、軍備に力を入れ、他国を侵略し、そこから得る富で先細る現状を回復しようとしている。が、国という幹に吸い付く害虫である貴族たちや官僚たちをこそなんとかしなければ、民の喘ぎと嘆きは静まらない。

 そんなことを考えながら歩く彼の足は、訪問予定の屋敷の前で歩みを止めた。馬車から馬を外していた馴染みの御者が、そんな彼を見つけて声をかけてきた。


「ザイン隊長、最近、ちょくちょくいらっしゃるね。ご苦労様」

「フォレス様はお帰りかな?」

「ああ、ちょうど今、お戻りになったところさ」


 御者に礼を言うと、ザインは宰相の筆頭補佐官を務めるフォレス伯爵の屋敷へと入っていく。


「また来たのか」


 ザインの顔を見た途端、フォレスはうんざりした顔をした。その様子が、国の現状など見向きもしない貴族連中の有り様そのままに、ザインには思えた。やるせない憤懣の炎に油が注がれるようにして彼は怒鳴る。


「当たり前だ!見ろ、これを。事は急を要するというのに、いったい、いつになったら対応してくれると言うんだ!」


 ザインがフォレスの足元に、何十枚にもなる書類をぶちまけた。そこにはここ三か月ほどの間に行方不明になり、未だ遺体すら見つからない人々の名前が書き連ねてあった。その中には、ザインの部下やジョエルの仲間の子どもらの名前も含まれている。


「……また、増えたのか」


 床に散らばった書類にちらと目をやりながら、フォレスは困った顔でため息をついた。

 庶民を取るに足らぬ者と言って憚らない高位貴族の中にあって、このフォレスという青年伯爵は下々の生活の実情を知り、働きかけをしてくれる稀有な存在である。

 高位貴族絡みの案件で手助けしてもらったことがきっかけとなり、高位貴族と下位貴族、二十近い年の差という垣根を越えて友情を育んできたザインとフォレスであるが、如何せん、彼はやはり高位貴族である。ザインの、庶民の怒りと不安を、本当の意味で理解していない。


「浮浪者や旅の流れ者などの把握できない連中まで含めたら、この倍以上になるかもしれん。地下水路で魔獣らしきものを見たと言う者まで出てきている。一応、口止めはさせたが、口に戸は立てられん。もし、このまま行方不明者が増え続けた挙句、不穏な噂が流れでもしたら、暴動が起きるぞ!」


「そう喚くな、ザイン。私だとて、宰相に働きかけているのだ。宰相も事の重大さを理解しておられる。……が、王がそのような些細なことに、時間を割く必要はないと仰せられてな」


 バカな!ザインは吐き捨てるようにして喚く。


「これは、東地区に限ったことではないんだぞ!西地区にもそれとなく当たってみたが、同じことが王都のあちこちで起こっているんだ。それが、些細なことだと?いったい、王は何を考えておられる。下手をすれば、王都が、いや、国が滅ぶというのに、他国を侵略している暇があるか‼」


「……王は、焦っておられるのだ」


 高らかに王の糾弾をするザインを制して、フォレスが人目を憚るようにして呟いた。剣呑な顔のまま、ザインの視線が、フォレスの若いに似合わぬ苦渋に満ちた顔に向かう。


「強国ジャドレックに現れた、自分よりも年下の英雄にな。ジャドレックの王太子リュシオンは、狂王子などという悪名とは裏腹に、かの国の民草に、剣帝の再来とまで言われて、熱狂的に慕われているらしいからな。今は病床の王の代理を務めているが、そう遠くない将来、彼が国王の座に就けば、ジャドレックはますます強国になるだろう」


「狂王子が国王になる前に、ジャドレックを叩きたい、ということか」


 ザインの顔がますます曇る。領土をいくら広げようと、本国の国民が疲弊しているようでは話にならない。他国の王と張り合う前に、自国の国民と向き合うことの方が、よほど大事ではないのか。

 心の内の不満をありありと示すザインの気持ちを読み取ったフォレスは、年上の友人をあやすようにして言う。


「ザイン、気持ちはわかる。が、頼むから、短慮はしないでくれ。私も宰相に働きかけてみるから」

「……頼む」


 一介の警備隊長でしかない彼には、フォレスだけが王へと繋がる頼みの綱だった。











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