第7話
風邪を引いてしまいました。少しの間、途切れ途切れの投稿になりますが、ご容赦ください。
カイルのやけくその叫びに重なるように、笑いを含んだ大きな影が、彼の脇を疾風のようにすり抜け、迫りくる触手に鋭い斬撃を放った。
大剣の凄まじい一閃に触手が吹き飛ばされるように寸断され、執拗にカイルを追いかけていた触手の勢いが鈍る。
「兄貴!」
「そのまま、出口まで走れ!いいな、カイル!」
喜色振り撒くカイルの声に対して、労いの言葉一つかけるでもないラウルは、疲労困憊の彼の尻を叩くように、簡潔な命令を下す。つれないラウルに情けない顔をしたカイルだが、それでも命令に従って、必死に出口に向かって走る。
「カイル、こっちだ!」
開かれた戸口からジョエルが顔を覗かせて叫ぶ。最後の力を振り絞るようにして、子どもをジョエルに託したカイルは、地下水路の通路にぺたんとへたり込んだ。
「なにしてんだ、カイル!早く上がって来い!」
ジョエルの緊迫した声に、しかし、カイルは首を振った。意地と信念の半々だ。兄貴がまだ戦ってるっていうのに、一番弟子の俺が安全なところで、のうのうとしていられるかってんだ!はあはあと荒い息がだんだんと収まっていくのを待ちながら、彼はしっかと立って腕を組み、ラウルのいる水路の奥を睨みつけた。
「何だ、これは?」
一人残り、触手と対峙したラウルは、次々と襲い掛かる触手を切断し続けているうちに、奇妙なことに気がついた。
「……糸?」
切るたびにキラキラと舞うそれは、細い糸のように見えた。まるで蜘蛛の糸のような細い細い糸である。それに気づいて注意して見れば、太い触手と見えていたものも、この細い糸が縒り合わさるように太く形成されているものだということがわかってきた。
魔獣の種類は多種多様だが、こんな器官を持つ魔獣など、彼は今まで見たことも聞いたこともなかった。
「……とりあえずは、この場を切り抜ける方が先か」
懲りずに襲い掛かる触手を軽く切り飛ばすと、ラウルはくるりと向きを変え、その身を出口へと走らせた。やがて、薄暗い水路の先に、出口の明るい光が差し込んでいるのが見え、その光を背負うようにして、彼の自称弟子を名乗る少年がすっくと立っていた。
疲れ切った顔をしていた少年の顔が、ラウルの姿を認めた途端、ぱあっと明るい笑みに満ちた。
「兄貴!」
「カイル、なにしてる!さっさと上に上がれ!上がったら、蓋を閉めろ!」
「いやだ!そんなことしたら、兄貴が上がって来られねえじゃねえか!」
「早くしろ‼」
切迫した状況にあって意地と矜持を優先させるカイルに、苛立ちを煮え立たせたラウルが怒声を上げる。彼の本気の怒気を察したカイルは、それでも渋々と上に上がると、名残惜し気に蓋を閉めた。
ラウルは蓋が閉まったのを確認すると、後ろを振り返る。触手は、もう、すぐそこまで迫っていた。
「糸、か。糸なら燃えるか。……しかし、この姿で使えるかなあ。ま、やってみるか」
窮地にも関わらず、のんびりと構えてブツブツと何やら呟いていた彼は、手にしていた大剣を背中の鞘へと戻す。そうして、拳を握り込んだ両手をゆっくりと腰の辺りに下ろして、大きく深呼吸をする。大量に吸い込んだ空気を肺に留め、意識を肺と口元とに集中させつつ、ラウルは瞳をカッと見開いた。
見開かれた瞳は、地下の暗闇をも貫く黄金の輝きを放つ。それは、人外のものを思わせる色をしていた。同時に、彼の身体を黄金色の霊気が包み込んだ。
肺に溜め込んだ空気が、別種のものへと変化していくのを感じる。それに伴って、彼の口元に急速に炎の精霊が集い来る。高密度に集った炎の精霊力の熱気で、ゆらゆらと空気が揺らめき出す。
触手が後一歩で彼に襲い掛かるという瞬間を狙い澄まして、ラウルは肺の中で変化した可燃性の気体と口元に集った炎の精霊との力を解放させた。
彼の開いた口から、まるで竜が吐き出す炎のような真っ赤な炎の塊が、ゴウッと轟音を立てて吹き出し、瞬く間に触手を消し炭へと変えていった。
「兄貴……」
「大丈夫よ。ラウルは強いんだから、そんなに心配するんじゃないわよ、カイル」
閉じられた地下水路への扉の蓋の前で、心細げに膝を抱えるカイルを、メイメイが力づける。ほんの数瞬が何刻にも感じられ、地上に残された彼らはいらいらしながら、地下に残ったラウルの身を案じて待ちわびていた。
「ああっ、もう、待ってなんかいられねえっ!」
気の短いカイルが、とうとう待ちきれなくなって、蓋の取っ手に手をかけた。それとほぼ同時に、ゴゥン、と鈍く大きな音がして、地面が一瞬揺れ、戸口の蓋がばくん、と開いて閉じた。
「な、なんだ?」
音と同時に危険を察して手を離し、床に尻もちをついたカイルの目の前で、蓋の合わせ目から、何かが焦げる臭いと黒い煙とがもくもくと立ち昇り始めた。そして、それはだんだんと勢いを増していく。
「うわあああっ!兄貴っ‼」
慌てて蓋に取り縋り、カイルは蓋が壊れんばかりの勢いで開け放った。出口を求めていた黒い煙が、ぶわりと一気に地上を目指す。
「兄貴っ!」
煙をかき分けるようにして、カイルは必死に叫ぶ。それに応じて、ぬっと無骨な手が地下から這い出して手を振り、続いて、煤塗れになったラウルがようやく姿を現した。ゴホゴホと咳き込みながら地上へと戻って来た彼に、カイルが飛びついた。
「ああっ、よかったあっ!やっぱ、兄貴は凄えや!」
「……離れろ、カイル。暑苦しい」
「あっ、冷てえなあ。俺、凄え心配したんだぜ」
安堵してじゃれる二人は、改めてお互いを見て、ぷっと吹き出した。二人とも顔も体も煤だらけの酷い有様である。それがおかしくてケラケラと笑う。
「……あんた、本当に凄え人だな。どうやって、あいつを倒したんだ?」
「倒しちゃいない。火で脅かしたら逃げたから、まあ、一時しのぎってとこだな。あれの正体ははっきりしないが、火に弱いようだから、ガキどもがまた出くわしたら松明でも投げつければ、逃げる時間くらいは稼げるだろう。……ジョエル、あれはいつから出るようになった?」
ラウルの問いに、ジョエルの顔が険しくなる。
「三か月ほど前だ。俺たちは隠れ家や逃げ道として、この水路を使ってる。ところが、三か月ほど前から、仲間がポツリポツリといなくなった。最初はしくじって水路にでも落ちちまったかと思ってたんだ」
「そんなに何人も溺れるような深さでもないだろ」
「俺たちだって、そう思ったさ。そんなに何人も落ちて死ぬような間抜けばかりが揃ってねえよ。どうも様子がおかしいと思った矢先に、あいつから逃げてきた奴がいて、あいつが水路に棲みついてることがわかった。だけど、わかったところで、俺たちにゃ他に行くところがねえし、こいつらがいるから逃げ出すわけにもいかねえ」
貧民の彼らは、都市に寄生するようにして暮らしている。ここ以外に生きていく場所などないのだ。終始強気な態度だったジョエルが、この時ばかりは暗く沈んだ表情を見せた。
ラウルはその話を聞いて厳しい顔つきで、眉間に皴寄せた。
国の要となる王都ほどの大都市の地下に潜み、人間に気づかれぬ程度に獲物を捕食する。
普通の魔獣ならそんなまどろっこしいことはしない。奴らは獰猛で刹那的だ。いったん獲物と見定めたら、そこを一気に叩き潰す。そうしなければ、人間に報復の機会を与えることになるのを、奴らは本能で知っている。その本能を抑え込み、理知的に計画的に行動する魔獣らしきものの存在に、彼は今後さらなる犠牲が続くことを想像し、戦慄を覚えた。
「……こりゃあ、俺一人の手には負えないか。専門家を呼ぶかなあ。ん?」
ふっと考え事をしていた顔を上げると、ラウルはジョエルを中心とした子どもスリ団に囲まれていた。じいっと彼を見つめるキラキラした瞳に映るのは、彼に対する羨望と憧れである。
ラウルは、ぎくり、として、数歩後退去った。いやあな予感がした。
彼は、つい先だって、これと同じ眼差しに出くわして、厄介なことになっている。そして、嫌な予感というのは、往々にして当たるものである。じっとりと背中に汗を感じるラウルに、ついに意を決したジョエルが叫んだ。
「ラウル!いや、ラウルさん!お願いだ、俺たちの頭領になってくれ!」
「…………は?」
ちょっと、待て。魔獣にも動じなかった偉丈夫が、顔を引きつらせて硬直した。呆然とする彼をよそに、ジョエルは身を投げ出すようにして、土下座すると必死で頭を下げる。
「あんた凄え強いし、男気もある。俺なんか、とても足元にも及ばねえ!あんたになら安心して頼める。頼むよ、俺たちの頭領になって、あいつを倒してくれよ!」
「…………おい」
だから、ちょっと、待て、と……。どんどん破竹の勢いで進む予期せぬ展開に、ラウルの思考が追いつかない。
「だっ、だめだぁっっ‼」
同じくこの展開に呆然としていたカイルが、はっと我に返って喚いた。
「だめだ!だめだ!絶対に、だめだーっ‼兄貴は俺が最初に目をつけたんだ。俺の師匠なんだからなっ!」
ジョエルの野望を阻止すべく、カイルがラウルの逞しい右腕にがしっとしがみついた。
「何、抜かしてやがる!どうせ、人の良いラウルさんが断れないのをいいことに、無理矢理ついてきた押しかけ弟子のくせしやがって!」
図星を指されて、ぐう、と呻いたカイルの隙をついて、ジョエルがラウルの左腕に飛びついた。そこからは、ラウルを挟んでの口汚い舌戦の応酬である。
「おい、こら、放せ!このバカどもが、いい加減に……」
「ほら、見ろ!兄貴が嫌だって言ってるぜ!」
「へっ、バカ抜かせ!兄貴は、お前に向かって言ってるんだよ!」
「人のことをバカバカ言うんじゃねえよっ!」
「バカをバカと言って、何が悪いってんだよ!」
「てめえ……!」
「おう、やるってのか……?」
とうとうラウルそっちのけで、殴り合いの喧嘩を始めた二人から、這う這うの体で逃げ出してきたラウルが、助けを求めるようにして、よろよろとメイメイに近寄ってきた。
「さあ、どうすんの、頭領?」
からかいを多分に含んだ彼女の言葉に、ラウルは苦虫を十匹も口の中に放り込まれたような酷い顔をした。
「……お前なあ。くそぉっ!もう、俺は知らん!知らないからな!勝手にやらせとけ!」
自棄になって髪を掻きむしり、大声で言い放ったラウルは、大剣を鞘ごと背から外すと壁に立てかけ、自身はごろりと床に転がって、外套の頭巾を深く被り、ふて寝を決め込んだ。
「……まったく、もぉ」
まったく、もう、この男どもときたら!三人の男たちを呆れるように見ていたメイメイは、カイルとジョエルの喧嘩を輪になって観戦している子どもらに混じって、二人の決着もつきそうにない争いを囃し始めた。
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