第6話
「止めねえかッ‼」
ラウルの怒声とそれ以上に凄まじい破壊音とがその場を支配し、それに薙ぎ倒されるようにして子どもらは一様に尻もちをついたり、頭を抱えて地べたに突っ伏した。喧嘩の興奮から恐怖へと色を変えた彼らの目に、折れ曲がり床に転がった錆びた鉄扉が映る。
錆びているとはいえ、分厚い鉄扉をこれほど凹ませる凄まじい膂力に、その場にいた誰もが蒼白になって、魔獣でも見るように金髪の傭兵をを凝視した。
そんな怯えた視線を知ってか知らずか、ラウルは呆然としたジョエルにつかつかと近寄ると、彼をもののようにランセルから引っぺがして放り投げた。ドサッと床に転げた彼を、金髪の傭兵はぎろりと見下ろす。
「どこの王都でも、お前らみたいな子どもの盗人なんぞいくらでもいる。いまさら、驚くことでもねえ。お前らが言うように、盗まれる間抜けが悪いんだ。……だがな、仲間を信じることぐらいはしろ」
ラウルは、仰向けに転がったままのランセルの腫れ上がった顔を拭ってやると、そっと助け起こした。
「俺は、こいつに会ってから、まだ数刻も経ってない。が、こいつが小さいなりに必死で、出稼ぎの父親の代わりをし、病気の母親の守ろうとしてる優しい良い奴だってことぐらいはわかったぞ。お前らは、俺より長い付き合いのはずだ。こいつがどんな奴か知ってるはずだろう?それなのに、どうして、お前らを、仲間を裏切るなんて思える?」
ラウルの強い視線に射すくめられて、何人かは気まずそうに下を向き、また、何人かは不満そうに口を尖らせながら視線を逸らした。
「俺から盗んだ金はただの金じゃない。ランセルの父親が死ぬ間際まで、家族を心配して、妻に、息子に渡してやってくれと頼んだ金だ。そういう気持ちも鼻でせせら笑うような性悪なガキなら、こんなチビどもを引き連れて、頭なんぞと偉そうにしてる資格はねえ。俺が腐った性根を叩き直してやるから覚悟しろ」
凄みの利いたラウルの言葉に、しどもどしながら、ジョエルはランセルを見やった。
「ほ、本当なのかよ、ランセル」
殴られて切った口を痛そうに歪ませながら、ランセルは無言で頷いた。ますます気まずい顔になったジョエルは、くそっ、と誰に向けるともなく呟くと、懐から小さい袋を取り出し、ランセルの手の中に放り込んだ。
少年の手の中にようやく戻って来たそれは、実際には大した重さではないのに、父の気持ちを思うと、やけに重たくずっしりと感じられた。ランセルは、ぐすっと鼻をすする。
「ラウル、さん。ありがとうございます。父さん、きっと喜んでると思います」
父の留守中に逼迫していく生活費を、スリの一味に加担することで賄っていた幼い少年。その心の内を思うと、ラウルは妙に切なかった。そのやり切れない思いを、カイルの物怖じしない明るい声が、からりと吹き飛ばす。
「ふえええ……。やっぱ、兄貴を怒らすと、超怖えなあ」
吹き飛んだ鉄扉をコンコンと叩くカイルの様子に、ラウルは救われたような気持ちになって苦笑した。
「バカだな。錆びてボロボロだったに決まってんだろ」
「あっ!また、バカって言ったな!バカバカ言うなよ、兄貴。本当にバカになったらどうするんだよ」
「それ以上悪くなりようがないから、安心だわ」
さっそく始まった三人のじゃれあいに、気まずい思いをしていたジョエルたちもつられて笑い出した。
「すまねえ。街の者を狙うと、警備兵や本職のスリ連中がうるせえからよ、足のつきにくい旅人を狙ってたんだが、迷惑かけちまったな。俺はジョエル。この辺りのガキどもを束ねてる」
先ほどラウルに痛いところを説教されたためか、照れくさい表情を隠せないジョエルが、意外にも素直に謝ってきた。
実際、まともではない親や見放された子どもらが、自分たちの力だけで日々を生き抜いてきたため、大人にまともなことを諭された経験などないのだろう。
それにしても、とラウルは思う。たいした逞しい子どもらもいたもんだ、と。そうして、同じように、ラウルを悩ませる逞しい子どもの一人であるカイルが胸を張る。
「兄貴の凄さに恐れ入ったか!兄貴の名は、ラウル。魔獣なんかあっという間に切り伏せちまう凄腕の傭兵で、この国に仕官しに来たんだ。で、俺はカイル。兄貴の一番弟子で、そっちが踊り子のメイメイさ!」
「……おい、ちゃっかり、一番弟子に格上げするな」
カイルの自己紹介に、ラウルは半眼になってぼそりと呟いた。
「あんた、王の犬になりにきたのかよ?」
ジョエルの皮肉げな物言いに、ラウルは悠然と切り返す。
「悪いか?お前らは盗みをして食っている。俺だって、この腕を商売にして食ってるんだ、なんの問題がある?」
「別に悪かないさ。けど、ここの王は、貴族ばっかり優遇して、俺たちみたいな下層の民のことなんか、これっぽっちも考えちゃいない。魔獣が出たって見て見ぬふりさ。あんたみたいな良い人、この国の兵隊にゃ向いてないね」
メイメイが驚きに目を丸くする。
「魔獣⁉こんな大きな街に?そんな話、聞いたこともないよ」
魔獣は主な生息域とされる樹海はもとより、世界の至るところに出没し、生息する。が、さすがにこれほどの大都市に棲みつくことはない。
いくら魔獣が人間以上の生態と攻撃力を備えているとはいえ、不死ではない。大勢の人間が、それこそ死に物狂いで倒そうとしてくるだろう危険のある場所で、わざわざ生息しようとするのは無謀に過ぎる。ましてや、硬い岩盤を持つ天然の要害ホルス山脈と人工の巨大城壁に守られた王都グレイスタに魔獣が出没するなど、にわかには信じ難い話であった。
しかし、そのとんでもない話は、彼らの足元から真実を告げに現れた。
「うおあっ⁉」
突然、素っ頓狂な声を上げて、カイルが勢いよく床に転がった。見れば、彼の足元の床にあった地下倉庫の入り口らしき扉がぱくりと開いて、続いて、そこから二人の子どもが勢い良く飛び出してきた。
「ジョエル、大変だよ!また、あいつが出た!」
ジョエルと仲間たちの顔に緊張が走った。
「何だと⁉みんな、ちゃんと逃げて来たか?」
「わかんないよう、いきなり出たから。ルイスとアルが途中ではぐれちゃった」
べそをかき出した子どもらに、チッと舌打ちすると、ジョエルは間髪入れずに、子どもたちが出てきた地下への入り口に飛び込んだ。それを見たラウルも、躊躇することなく後を追う。
「あっ、兄貴!一番弟子を置いていくなよ!」
急展開に一歩出遅れたカイルが、慌てて彼らに続いて地下へと滑り込んだ。
「……水路?」
てっきり地下倉庫かと思っていたが、カイルの目の前にはぽっかりと真っ黒な口を開けた地下水路が広がっていた。天井は意外と高く、造りも城壁のように頑丈な石造りでしっかりとしている。空気の抜ける穴でもあるのか、ところどころぼんやりと日が差し込んでいる。
王都グレイスタは八百年以上の歴史を持つとされる古都である。長い歴史の中、町は古い街並を土台として、それに重ねるように新しい街を築いてきた。この水路もかつての都市の名残なのであろう。王都の地下には、王都全体にこのような地下水路や遺構が数多く広がり眠っていた。
「兄貴ーっ!ジョエルーっ!」
姿の見えない二人の名を呼ぶも、返って来るのは自らの声の反響のみ。しょうがなく、見当をつけた方角へと走り始めたカイルは、たいして行かないうちに、その足を止めた。
山脈からの冷たい地下水のせいか、地下は妙にひんやりとして冷たくジメジメしており、そこに、魔獣かもしれないという得体の知れぬものが潜んでいるかと思うと、彼の気持ちが萎えるのは無理もなかった。
「……おーい。兄貴ーっ、ジョエルーっ」
さっきより大分小さく彼らの名を呼ぶも、返って来るのはやはり空しい反響のみ。カイルは目の前に広がる暗闇の不気味さに、その身を抱えてぶるりと震えた。
暗闇に一人ぼっちでますます心細さを覚え始めたカイルの耳に、何かの音が届いた。
「やだなあ。子どもの泣き声とか、なんの幻聴だよ……?」
それは幻聴などではなかった。確かに、子どもの泣き声だ。カイルは夢中で声のする方へと走った。地下の暗がりに慣れた目でも、わずかな明かりしかない薄暗闇を見通すのは大変だったが、水路の窪みに、二人の小さな子どもがべそべそと抱き合いながら泣いているのを見つけた。
「おーい。お前ら、ひょっとして、ルイスとアルか?」
二人の子どもが、涙と鼻水とでぐしょぐしょになった顔を、こちらに向かって跳ね上げた。カイルはなるたけ優しい顔になるよう心掛けながら、二人に近づいた。
「俺さ、ジョエルの知り合いなんだ。お前らを探しに来たんだ」
「本当?」
「うん。本当に、本当さ。早く出ようぜ、こんな陰気臭いとこ」
窪みから出るのを渋る二人を連れ出そうとした時、カイルは水音とともに現れた何かに足をつかまれて引っ張られ、思い切り転倒した。
「兄ちゃん!」
「俺のことはいいから、早く逃げろっ!」
子どもらに怒鳴りつつ、カイルは足に絡みついた白い触手のようなものを振り払おうと足を振り続ける。しかし、それを振り払うことはできず、彼の身体はずるずると引きずられていく。
彼は腰にある剣を抜こうとまさぐるが、気が動転しているのと怯えからくる手の震えとでなかなか抜くことができない。
悪戦苦闘するうちに、暗闇にも白く光って見える触手が何十本も水路の水の中から、ザバアッと派手な水しぶきを上げて姿を現し、カイルに向かって鎌首をもたげた。
「うわわわっ!来るな、来るなってばぁああっ!」
やっとこさ抜けてくれた剣を、カイルは無茶苦茶に振り回して足首の触手を断ち切り、何とか触手の群れをかいくぐって逃げ出した。その彼の後を、バシャバシャと水しぶきの音が追ってくる。
ゾッとした彼は死に物狂いで駆け続け、気がつくと、先に逃げたはずの子どもたちに追いついてしまった。
「お前ら、何とろとろしてるんだよっ!走れ、走れ‼」
間に合わない。背後に覆い被さるようにして迫る水しぶきの音に、咄嗟に判断を下した彼は、手にしていた剣を触手に向かって放り投げた。そのまま、後ろも見ずに子どもらを小脇に抱えると、無我夢中で走る。
剣を投げられて、一瞬、追跡を躊躇したかに見えた触手だったが、再び始まった追撃は、彼自身が焦っているせいか、先ほどよりどんどん早くなってきているような気がする。
全力で駆け続けているというのに、一向に振り切れない。心臓と肺とが持ち主に向かって悲鳴を上げ始めていた。二人もの子どもを抱えた腕だって、すでに感覚がない。
「ちくしょおおおっ!兄貴たちはなにしてるんだよおおおっっ‼」