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第5話

 ランセルは、下町の狭い路地をひた走る。紙袋の中のパンやリンゴが、抱えた腕の中でカサカサとせわしない音を立てた。

 辺りには下町特有とも言える雑多な臭いが混じりあい、すえた臭いを放っているが、ランセルには気にもならない。ここは生まれてからずっと暮らしてきたところだ。どんなに汚くとも臭くとも、苦になどならない。

 彼は走る。脇目も振らずに。路地はさらに細く薄暗くなる。下町でも奥まった、貧民街への入り口ぎりぎりの場所にある朽ちかけの集合住宅の一室が、少年のささやかな我が家だ。

 片手に荷物を持ち替えて、ギシギシと音のする扉の取っ手に手を掛けたランセルは、家の中に母親以外の人がいる気配を感じた。


 父さん……!


 病に倒れた母親の治療費を稼ぐためにと、ラドリアスよりも賃金の良いジャドレック領に出稼ぎに出たままの父。とうとう帰ってきたのだろうか。ドキドキする鼓動とともに、彼は思いっきり扉を開け放った。


「父さん、お帰り!」


 しかし、彼の楽しい予想は裏切られる。その瞳に飛び込んできたのは、彼の父親とはまったく違う二人の人物だった。明るくふわふわした蜜柑色の髪を頭の左右二つに結んだ少女と、狭い家がますます狭く見える大柄な傭兵風の男が、ランセルを見つめていた。

 唖然とした少年に、床に伏していた母親が、粗末な寝台からゆっくりと身を起こす。


「お帰り、ランセル。この人たちはね、お父さんの知り合いで、伝言を頼まれたんだって。お父さん、仕事の都合で、もう少し帰るのが遅くなるそうだよ」

「……そうなんだ。どうも、ありがとうございました」


 礼を言いつつも、がっかりした表情を隠せない少年の様子に、少女メイメイと傭兵ラウルが、なんとも言えぬ複雑な顔をして視線を交わした。ラウルはおもむろに椅子から立ち上がると、少年の小さな肩に、それとは対照的な大きく無骨な手を乗せる。


「なあ、坊主。ちょっと、外へ出ないか」


 病人である母を気遣ってか、と思ったが、そんなこと以上に深刻そうな二人の表情に、少年は不安を覚えた。


「……これが、なんだかわかるな?」


 家の勝手口の裏で、ランセルはラウルと名乗る傭兵から木の札を渡された。木で作られたそれは、鑑札だ。鑑札は、国内外で旅行や出稼ぎに行く者にとって、命と金に次ぐ大切なものである。国が発行してくれる一種の身元保証書のようなもので、これを提示することにより、取引相手や雇用側も安心するし、なにか変事があった際には、身内に知らせることもできる。 

 そんな大切なものが、父ではなく、別の人間から届けられる。その意味を、小さいながらも病気の母親の面倒を見てきた、しっかり者の少年は即座に理解した。不安は悲しい現実となってしまったことを。


「……父さん、死んだんだね」


 血と思われる黒ずみがついた木製の小さな鑑札に、父を失ってしまった少年の涙が、ぽつりと落ちる。


「おそらく、ここに戻ってくる途中だったと思う。魔獣に襲われた。俺たちが通りかかった時には、もう、手の施しようがなかった」

「……そう」

「……それと、言いにくいことなんだが、お前の父さんから預かった金を、この街に入ってすぐにスラれちまってな。今、仲間がそのスリの子どもを追いかけてるんだが、うまく取り戻せるかなあ?」


 台詞の後半は、ランセルではなくメイメイに向けられたものだ。さあ、どうかしら?大分経つのに音沙汰のないカイルに、メイメイも小首を傾げるくらいしかすることがない。


「子どものスリ……?」

「心当たりがあるのか?」


 微かに動いた少年の表情に気づいたラウルが、彼に問おうとした時、誰かが路地の先からゆらりと現れ、ラウルの足元にドサッと身を投げ出した。


「……兄貴ぃぃぃ…………」

「うぅわあああああっっ⁉」


 ボコボコにされて面相の変わったカイルの恨めし気な声と顔に、魔獣二頭を屠った凄腕の傭兵とは思えぬ、情けなくも不釣り合いな甲高い悲鳴が、すえた臭い漂う路地裏に響き渡った。


「ラウルでも、あんな声上げるのねえ」

「……うるせえ」


 カイルを介抱しつつ、ニヤニヤ笑いでラウルを見るメイメイに、路地の片隅に積み上げられた石材に腰を下ろしたラウルは、憮然としてそっぽを向いた。悲鳴を上げたのは、彼にとってもよほど不覚だったらしい。平静を装おうとしているが、耳の先まで赤くなっている。

 まあ、驚いたのは、メイメイだとて同じである。ただ、単に、ラウルがあんまりにも見かけの雰囲気に似合わない悲鳴を上げたものだから、それに呆気に取られて悲鳴を出す機会を失っただけに過ぎない。

 ラウルを揶揄いつつも、内心ではカイルの傷が思ったより軽いことに、彼女はほっとしていた。このくらいの打撲なら、数日もすれば、傷跡も残さずに消えてくれるだろう。


「……ったく、脅かすな。あんな小さいの相手に、いったい、どうしたらそんなにやられるんだよ」


「あんなチビに負けたんじゃねえよ!いきなり大勢の悪ガキどもに取り囲まれたかと思ったら、よってたかって容赦なく殴りやがるんだぜ?逃げるしかねえじゃんか。まったく、酷え連中だぜ、ここのガキのスリ団はよ」


 大きな街には、悪ガキどもが集い集って、こういった悪さをすることが多々ある。かつては、カイルだって生きていくための糧を得るために、似たようなことをせざるを得なかった。

 が、しかし、それにしても!カイルの憤りは収まるどころか、火に油を注ぐがごとく燃え上がる。


「特に、ジョエルって名の頭が酷え。チビどもを顎で使っておいて、俺が取り返した金を、口笛拭きながら搔っ攫ってさっさと逃げやがった!」 


 その途端に、今まで三人の様子を窺がって静かにしていたランセルが、弾かれたように走り出した。


「メイメイ、行くぞ。カイルも走れるようならついて来い」


 すでに何事かを悟っていたラウルとメイメイは、ランセルの突然の行動に慌てず、少年の追跡を開始した。入り組んだ狭い路地を何度も曲がり、辿り着いた先に、カイルが目を瞬かせる。


「あれっ?ここって、さっき俺が殴られた場所じゃん」


 先ほどチビガキどもに散々な目に遭わされた場所に、カイルはキョロキョロと辺りを窺った。先を走るランセルの足はそこでは止まらず、さらに奥へと姿を消した。


「カイル、とろとろするな!」


 三人は、放棄されてかなり経つと見られる、廃墟と化した倉庫が立ち並ぶ一画へと足を踏み入れていた。このどこかに入り込まれれば、探し当てるのは容易ではない。が、すでにランセルはどこかの廃倉庫に入ってしまった後のようだった。


「カイル!お前がとろとろしてるから、あの坊主を見失っちまったじゃないか!」


 半ば八つ当たり気味に、ラウルの拳骨がカイルの頭に落ちた。痛え!と頭を抱えたカイルの耳に、少年の甲高い声が飛び込んでくる。


「それは、僕のだ!返せ!」


 倉庫内の声は反響する。そのせいで、場所の特定に苦労した三人は、何軒目かの倉庫でようやく少年の姿を見つけることが出来た。

 天井に所々空いた穴から差し込む陽射しで、朽ちた倉庫内は意外に明るい。その一画で、ランセルが二十人ぐらいの子どもらに囲まれ、十五、六くらいの生意気そうな顔をした少年と揉めていた。

 おそらく、あの年かさの少年が子どもらの頭目のジョエルなのだろう。ラウルたちは、彼らに気づかれぬよう、息を潜めて傾いた鉄扉の側へと移動した。


「お前の?どういうことだよ、ランセル」

「さっき、金髪で大柄な傭兵から、それをスッただろう。あれは、僕の知り合いで、それは僕に届くはずのものだったんだ。だから、返せ!」

「おいおい、そんな都合の良い話があるかよ。冗談もいい加減にしろよ」


 ランセルの言い分を鼻で笑い、金の入った袋を玩んでいるジョエルに、ランセルは悔しげに唇を噛む。


「僕は、往来で間抜け面をして突っ立ってた旅の傭兵から盗ったんだ。お前の知り合いだか何だか知らないけど、盗ったもんは俺たちのもんだろ!」


 盗んだ子どもからの言葉に、そうだそうだ、と周りの子どもらが加わって、ランセルを責め立てる一方で、間抜けと言われてなんとも言えぬ渋い顔をするラウルに、潜んでいることも忘れて、メイメイとカイルが堪らず吹き出してしまった。


「誰だ!」


 漏れ聞こえた笑いに鋭い声を飛ばしたジョエルは、すぐに三人の姿を見出して激怒した。


「てめえ、ランセル!この裏切り者が!よくもアジトをバラしやがったな‼」


 あっという間に、積み上げてあった木箱の上から飛び降りたジョエルが、ランセルに向かって飛び掛かり、馬乗りになってその顔を殴りつけた。慌てて飛び出したラウルたちを、行かせまいと子どもらが立ち塞がった。

 十六の少年と十歳の少年とでは、体格差があり過ぎた。一方的に殴られるランセルに向かって、裏切り者なんか、殺しちまえ!と幼い子どもたちからとは思えない物騒な叫びが飛び出した時、手出しを躊躇していたラウルの表情が一変した。

 すうっと細められた目と、その顔に浮かんだ凶悪な形相とに、カイルとメイメイが思わず怯えて後退去ったことも気づかず、彼は傍らの鉄扉に思い切り拳を叩きつけた。










 

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