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ノルティンハーンにて

最終話です。

 陽射しが柔らかく差し込む磨り硝子に囲われたサンルームの窓辺に座り込んで、漆黒の髪の青年が、古い竪琴の弦をキリキリと手慣れた様子で調律していた。

 その弦が、突然、鋭い音を立てて切れ飛ぶ。古く擦り切れていた弦は、切れ飛んだ瞬間、青年の手を掠める。


「痛っ!」


 慌てて引っ込めた手の甲に、一筋の赤い線状の傷が浮かび、うっすらと血が滲み出した。彼の小さな叫びに、傍らに寝そべっていた白地に黒い虎模様の大山猫が、もそりと身を起こし、心配そうに微かに喉を鳴らす。


「大丈夫だよ、ギー」


 大山猫の頭を軽く撫でてやったラグは、静かに微笑んだ。大山猫が安心して再び寝そべったのを見つつ、弦の切れた竪琴を脇に立て掛けて、彼は膝を抱え込むと小さく身を丸くした。深く重いため息が、その口から漏れる。

 あのラドリアスの出来事から一ヶ月以上が過ぎようとしているのに、彼は未だに立ち直れずにいた。それほどに、ラドリアスの八千人とメイメイの死は、彼の心に深い傷を残していた。

 あれから、気付くと、ほとんどの時間をここで過ごし、竪琴の弦が擦り切れるほどに弾き鳴らして、彼はぼんやりと日々を送っている。

 ロセッタをはじめとする城仕えの獣人たちは、優しすぎるほどに優しく接してくれるが、それさえも今は辛かった。

 シェリルとディセルバも、そんな彼のことを心配していたが、彼らも暇ではない。今頃は、再び、世界のどこかで、それぞれの使命を果たしていることだろう。

 再び、彼の口から大きなため息が漏れ出しそうになった時、部屋の扉が勢い良く、パンッと開いた。


「陛下!」

「ロセッタ?どうした……、わ、わ、わあっ!?」


 ラグの問いも終わらぬうちに、ロセッタは強引に彼の手首をむんずとつかむと、部屋から引きずり出した。


「ロ、ロセッタ、ちょ、ちょっと待って……!」


 ラグの慌てる様子など眼中にないかのように、えらい早足で彼を引きずる獣人族の美女は、抑揚のない声で言う。


「陛下に、面白い見世物をご覧に入れましょう」

「…………は?」


 さらに困惑したラグを、強引に引っ張りながら、彼女はずんずん城の中を進んでいった。







「え?あ!お、おおおっっ!?」


 奇声を次から次へと発するラグの目線の先には、若い二人の男女の姿が、茂みの向こうに垣間見えていた。

 聖天の城ノルティンハーンの西に位置する大門の近くにある庭園に佇む二人は、間違いなくシェリルとシオンであった。何事かを語り合う二人の様子は、まるで恋人同士であるかのようないい雰囲気である。


「お気に召しましたか?」


 ロセッタの問いに、ラグは視線の照準を二人にピタリと当てたまま、頬を上気させて、コクコクと頭を大きく上下させた。

 シェリルとシオンの結婚は、ラグが雛だった頃からずっと夢みていたことだったが、主にシオンの無類の不器用さと奥手さが障害となって、二人の仲はなかなか進展しなかったのだ。だが、しかし、今、目の前に展開されている光景は、まさしく、ラグが待ちに待っていた場面だった。

 涼しいというよりは、少々肌を刺すような寒さを時折感じる秋の風が、ジャドレックよりやや北方に浮かんでいる聖天の城にそよぐ。庭園というより、遺跡と呼んだ方が相応しい、荒れ果てたかつての東屋の土台石に並んで座り込んだ二人は、しばし無言のまま、遥か彼方まで広がる地上世界の景色を眺め続けた。


「……半年後に即位することが、正式に決まった」


 ややあって、ようやくシオンが話を切り出した。今回の北方動乱を上手く収めたことを評価した、現国王ヴィルカノン三世が、自らの病を理由に、退位と王太子リュシオンの即位を望んだのである。


「それは、おめでとうございます、殿下……って、そんなこと、わざわざ伝えにここまで来たの?」


「……この際、祝い事、もう一つ増やそうかと思ったんだよ…………」


 ぼそりと呟いたシオンは、頭を抱えて盛大なため息をついた。今日こそは、その先を言おうと決心して出てきたものの、いざとなると、やはり、決心が鈍る。こんなことで悩むくらいなら、三国の同盟軍やシグムントともう一度、剣を交える方が何倍もマシだった。


「くううっっ、ああ、もう、シオンのバカぁ。なんで、そこで、もう一押しができないんだよぉぉぉっ!」


 茂みに身を隠しながら、もっとよく話を聞こうと、コソコソと二人の近くまで這いずってきていたラグは、シオンのあまりの奥手っぷりに、身悶えせんばかりに気を揉まされていた。


「婚約ならいいわよ」


「「は?」」


 別々の場所で、それぞれに苦悩していた二人の男は、しゃらりと答えた乙女の言葉に、阿呆のように、ぽかんとだらしなく口を開け、そのまま、身動きすら出来ずに固まった。


「あと、二、三年は、ラグを助けてあげなくちゃならないでしょうからね。それでもいいなら、構わないけど?」


 固まっていたシオンが、彼女の言葉に、実に情けない顔をした。


「……先に言うなよ。ますます、あのガキに揶揄われるじゃねえか」


 彼は薄い色合いの白金の髪に手をやり、高く澄んだ秋の虚空を振り仰いだ。しばしの思案の後、彼は意を決して彼女を見据えた。


「……よし、それでいい。婚約してくれ、シェリル」


 まるで決闘の申し込みのようだ。最後の最後までシオンらしい不器用さを貫く求婚の言葉に、シェリルは困ったように苦笑した。


「謹んで御受けしますわ、殿下。……いえ、次期国王陛下、でしたかしら?」


「そんなもん、どっちだっていいさ」


「シオンは、シオンだものね」


 シェリルの差し出した手を、シオンが受ける。そうして、二人は徐々に体を寄り添わせ、互いを見つめ合う。


「……っくしゅ!」 


 空の高みに浮かぶノルティンハーンは、精霊の保護壁に守られているとはいえ、意外と寒い。ロセッタに強引に連れ出され、部屋着のままで出てきていたラグは、しまったと思いながらも、くしゃみを堪えきれなかった。

 茂みの陰から、ちらほらと見え隠れする黒髪を目にしたシオンのこめかみに、瞬時に青筋が浮いた。


「……ラグ!てめえっ、盗み見してやがったな‼」


「た、たまたま、通りかかって、二人の姿を見かけてさ。挨拶でもしようかなあ、なぁんて……ね?」


 人を魅了させずにはおかない見目麗しい容姿を最大限に利用して、にっこりと微笑みながら小首を傾げ、両手を組んでもじもじしながら、言い訳にならない言い訳をもぐもぐ口にしつつ、茂みから出てきたラグに、普段は、彼に甘すぎるほどに甘いシェリルが、珍しく気分を害した厳しい目を向けた。


「無粋なことをしておいて、下手な言い訳をする子は嫌いよ、ラグ」


 ぷんっ、とむくれる素振りを見せるシェリルに、ラグの顔から、ざあっと一気に血の気が引いた。


「き、嫌いって、そんな。だ、だって、心配だったんだもん!シオンから言い出すの待ってたら、シェル、お嫁さんになる前にお婆ちゃんになっちゃうよ!……シオンなんて、超奥手で、意地っ張りで、どうしようもなく不器用で!だいたい、こんな乱暴者の、どこがいい……のぁっ!?」


 涙ぐんでおたおたと必死の弁解を試みていたラグは、傍らから立ち昇る尋常でない怒気に気づき、慌てて身を捻った。


「避けるな、このクソガキっ!」


 怒り心頭のシオンの拳の一撃を奇跡的に躱したものの、もう後がないと悟ったラグは、いきなり術をかまして、逃げを決め込んだ。彼の術による影響で巻き起こった猛烈な突風に煽られつつ、獲物を捕らえ損ねたシオンが、空に向かって吼える。


「覚えてろよ、ラグ!今度会ったら、ただじゃおかねえからなっ!」


 風の精霊に助けられ、見えない階段を駆け上がるように、あたふたと空を駆け登っていくラグの後ろ姿を睨み据え、歯軋りして唸るシオンに、シェリルはとうとう堪えきれなくなって、思い切り笑い出した。


「笑うな!」


 怒りと恥辱とで真っ赤になった顔で怒鳴るシオンに、シェリルは笑いながら近寄ると、彼の首元に手を伸ばし、照れ屋で不器用な愛しい人を、きゅっと抱きしめた。



 この半年後、西方にその名を轟かせる軍事大国ジャドレックに新国王リュシオン一世が誕生する。また、この即位と同時に、彼と聖女シェリルの婚約の儀が厳かに執り行われた。

 西方諸国は、「狂王子」の悪名を持つ彼の即位と、光皇に影響力を持つ聖女との婚約に、多大な懸念を抱いた。しかし、自国への侵略に対しては、苛烈かつ辛辣な態度を貫き、自国領内に敵の侵入を一歩たりとて許さなかった反面、彼が率先して他国を侵略することは、その生涯に一度もなかった。

 後の世に、彼は盾帝じゅんていと称され、剣帝に並ぶ英雄として、長くその名を歴史に刻むこととなる。











小さき花は古都に舞い[ラグナノール戦記2]・終











最後までおつきあいくださりありがとうございました。次回作に、「聖なる城は歌を歌う(仮)[ラグナノール戦記3]」を予定しておりますが、書き溜めたものの整理や、他の作品も考えており、再開に、少々時間がかかるかと思います。ラグと仲間たちの物語を、また、楽しんでくださるとうれしいです。

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