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第8話 そして、小さき花は舞い踊る

本編、最終話となります。あと、一話ありますので、もう少しお付き合いください。

「いつまで、そこに隠れているつもりだい?……お前が騙していた契約者は死んだ。次は、お前の番だ」


 巨大な棺に手を置いたラグが、蓋越しに話しかけると、もそり、と返答したかのように得体の知れぬ中身が蠢いた。

 それは、嗤う。事を成し得た、愉悦に浸った嗤いを。

 地の底から響いてくるようなくぐもった嗤いは、それを聞く人間の心を凍えさせるに十分過ぎるものだった。遠巻きにして様子を見ていた、選りすぐられたはずのジャドレックの精鋭、ラドリアス本陣詰めの将兵らが、額に汗を滲ませて、じりじりと後退去る。



『今頃、ソレニ気ヅイテモ遅イ。モウ、我ガ子ラハ、アノ都ノ人間ドモヲ喰ライ尽クシテ、天ニ舞ッテイル頃ダロウヨ』



 「……残念だけど、すべて滅ぼさせてもらったよ。お前の妻も、子どもたちも」


 怒り、憎悪、殺意。そういった魔獣のどす黒い感情が急激に膨れ上がったかと思った瞬間、木製の棺がメリメリと音を立てて弾け飛んだ。怯えながらも武器を構えていた兵らが、恐怖の叫びを上げて飛び退くように退避する。

 棺からは粘液の糸で形成された無数にも見える触手たちが、生き物のように這いずり回り、その中心から巨大な揚羽蝶にも似た魔獣が空高く舞い上がった。

 魔獣の正体を目の当たりにしたラドリアスの兵たちは、一様に、ああっと驚愕の声を上げる。自分たちの国の王家の紋章、瑠璃揚羽に針葉樹の紋章の真の意味に、彼らは今やっと気づいたのだ。


 それは、戒め。


 過去にかの地で起きた忌まわしい悲劇を忘れぬための、光皇と悲劇の地に再び住まうことを決めた人間たちとの間に交わされた約束の証。しかし、長い歳月の間に、人間は忘れてしまった。そうして、悲劇は繰り返された。


「……もう、こんな悲劇は終わりにしよう」


 中空に羽根を揺らめかせて浮かぶ魔蝶を睨み据えた光皇が、誰に言うともなく呟き、風の精霊を供として、ふわりと空の高みへ、魔蝶の許へと浮かび上がった。

 地上に残された人々の目には、巨大な魔蝶に対して、それに対峙する青年はあまりにも儚くか弱い存在に見えた。しかし、彼こそが、あれほどの強大な魔獣を倒すことの出来る唯一の存在なのだ。見守ることしかできない人々は、国の違い、利害の別を越えて、一心に、彼の、光皇の勝利を祈った。

 その情景を嘲笑うかのように、魔蝶の金属を擦る音にも似た不快感を煽る、高らかな嗤いが空に響き渡る。



『古キ盟約ニ縛ラレシ愚カナル者、忌々シキ光皇ヨ。我ヲ滅ボスコトナド出来ハセヌ。今度コソ、オ前ヲ返リ討チニシテクレヨウゾ』



「侮るな。兄様の時とは違う。兄様は、お前たちの種族保持のために、封印という手段を取らざるを得なかった。だが、あの都市を滅ぼした時、生まれた子らが順調に息づいている今、僕が手加減する理由など、どこにもない」


 魔獣もまた、ルオンノータルを形成する生命の輪の中に存在している。それ故、絶滅寸前の種である彼らを殺すことを、先の光皇は躊躇った。そうして、あれだけの都市を壊滅させ、大勢の命が失われたにも関わらず、彼らは生き残ることを許され、地中深くに封印された。


「……お前は、本当に愚かだ。兄様は、お前たちにこの世界の理を理解する時間を与えてやったというのに、お前は千年近くもかけて、何も学ばなかった。ただ貪欲に、自分の子孫を増やすことしか考えなかった!」


 ラグの激しい糾弾の叫びが、魔蝶を打つ。



『コノ世界ノ理ダト……?』



 不可解な光皇の言葉に、魔獣は不快げに身を捩じらせ、ゆらゆらと瑠璃色の巨大な羽根を揺らめかせた。


「まだ、わからないのか。……僕は、何でできている?」


 この期に及んで、この若き光皇は、なんと簡単で愚かな質問をするのか。魔獣は勝ち誇ったように、その身を更なる空の高みへと運び、光皇を見下ろした。



『オ前ハ、「創造」ノ化身。愚カデ小賢シイ、矮小ナ人間ドモガ創リ出シタ、奴ラノ下僕!』



 そこまで言い放った魔蝶は、自らの言葉に愕然とする。その驚きを受け止めた黒髪の青年は、皮肉めいた冷ややかな笑いを浮かべた。


「……ようやく、理解したか。そう、この世界の真の支配者は、僕たち光皇でも、お前たち魔獣でもない。人間なんだ。神々が消え去った後、この美しい世界を保っているのは、人の祈りや願いから発する「創造」の精霊力。その力場である「たゆたう創造の海」より、すべての精霊は分化し、世界を形作る。……お前ほどの力と年齢を経た魔獣ならば理解していなければならないことだ。それを理解できない奴らを、僕らは何千年にも渡って葬ってきた。……そして、お前もそのうちの一頭となった」


 驚愕すべき世界の真実に、魔蝶は己の存在が根底から打ち壊されたような気がした。先程の威勢の良さはどこかに吹き飛び、呆然自失の態で、辛うじて宙に浮いている。そんな魔獣の様子を見つめるラグの翡翠の瞳が、悲哀の色に満ち満ちた。


「お前は、人間を殺し過ぎた。……わかるか?もう、この世界に、お前の居場所などないことが。見てごらん、彼らを」


 おどおどするしかなくなった魔蝶は、光皇に言われるままに血色をした大きな硝子玉のような瞳をぎょろりと地上へと向けた。

 戦をするために集った多くの将兵たちが、敵味方の別なく、こちらを見上げて一心に祈りを捧げている姿が映り込む。

 彼らの祈りが大気に溶け、この空の高みにまで満ちてくるのを感じる。彼らは祈る。光皇の勝利を、魔獣の滅びを。それにつれて、目の前の光皇たる青年の身体が、白銀に眩ゆく輝ける宝玉を宿した王冠のごとき額の紋章を中心にして、ほのかに輝き始めているのに気づいた。体中にじわじわと広がっていく恐怖に耐え切れず、魔蝶はついに絶叫した。



『バカナ……!ソンナバカナコトガ…………‼』



 絶叫する魔獣に向かって、今や全身を祈りの光で輝かせる光皇のしなやかな腕が、すうっと伸ばされる。


「……さよなら。お前の魂が、砕け散る前に黒き月に至らんことを」


 光皇の額を中心にして発した、爆発的で純粋な真白の光が、魔蝶の巨体をあっという間に包み込んだ。

 魔蝶が音もなく光の粒子となって消えていく奇跡の光景を目の当たりにした地上の人々は、もはや、敵味方構わず抱きつき、空に浮かぶ光皇に向かって、嵐のような歓声を捧げた。

 光皇ラグナノールは、その様子に優しく微笑む。この奇跡を生んだのは、他でもない彼ら人間自身であることを、彼らは知らない。……いや、悟らせてはならない。



 二つの月巡る人の地ルゥォン・ノール・タールは、人という存在が、強く望みさえすれば、願いが実現される世界なのだということを。



 その真実を人が知った時、この世界は崩壊の危機を迎えるだろう。彼の光皇としての知識が、それを告げていた。

 しかし、それでも、彼を含めた光皇たちは信じているのだ。いつか、人間たちが自力でこの事実に気づき、この世界を更なる高みへと導いてくれることを。


 人間は、何度でもやり直すことができる。


 真摯な紫の瞳を持つ赤毛の少年に、ラグは想いを馳せる。どこにいるかも知れぬ少年に、今、無性に会いたかった。会って、あの元気で屈託のない声を聞きたかった。

 でも、それは叶わないだろう。それは、おそらく、もっと、未来での話になるはずだ。

 北の冷たい秋風が、寂しく憂いを浮かべる光皇の顔を弄り、艶やかな闇色の髪が表情をしばし覆い隠す。そんな彼の許に、地上から吹き上げられた蜜柑色の小さな花びらがひらりと舞い込んだ。花びらの微かな香りに慰められ、少女と少年の面影を愛しげに胸に抱きつつ、彼は地上で待つ愛しい人々の許へとゆっくりと降りていった。







 戦の喧騒と土埃とに塗れていたレインカーナ平原から、四つの国の軍隊がそれぞれの故国に向けて軍を引き上げ始めた。その中から、全身を黄金色に纏った魔竜が現れ、天に向かって優雅に翼をはためかせて飛翔していく。その目指す先には、聖天の城ノルティンハーンがあった。

 その様子を、戦場からやや離れた小高い丘から眺めていた少年が、ノルティンハーンと黄金の翼竜に向けて、秋の野原に咲き乱れる蜜柑色の小さな花を捧げるかのように、空へと掲げた。

 だいぶ冷たくなってきた北の風が、少年の燃えるような赤毛を撫ぜていく。その瞳は、遥か上空に浮かぶ浮き島を飽くことなく見つめ続けていた。

 行きたいと言えば、連れて行ってもらえたことだろう。優しい彼らは、少女を失った彼を、きっと温かく迎え入れてくれることだろう。でも、それに甘えてはならない。

 両手を広げた彼は、視線をノルティンハーンに定めたまま、どさりと仰向けに寝転んだ。この方が、ノルティンハーンがよく見える。

 そうして、愛おしげにかの城に手を伸ばす。今は遠すぎる場所。飛んで行けはしないところ。最も大切だった片翼を、彼は失ってしまったから。

 でも、いつか。

 いつか、絶対、辿り着いてみせる。片翼だった少女の眠る場所へ、彼女が命を賭して守り抜いた命の許へ。それが彼女の願いであり、彼の夢なのだから。

 強い決意を秘めた少年の紫の瞳が太陽の光を受けて、燃え立つように煌めいた。やがて、彼は野原に仰向けになったまま、静かに目を閉じる。彼の周りで、蜜柑色の小さな秋の花が優しく揺れる。


「……ごめん、メイメイ。もう少ししたら、走り出すからさ」


 だから、もう少しだけ、このままで。少女の髪の色と同じ小さな花に囲まれて、少年は低く小さく嗚咽を漏らした。

 花の古語を、メイアといい、古来より、これを娘に名付ける親は多い。そうして、親は小さな娘を抱きしめ、愛情を込めて、こう言うのだ。健やかに大きく美しくおなり、私たちの「小さなかわいい花メイメイ」と。

 親に愛され、一座に愛され、たった一人の少年を一途に愛した少女によく似た小さく可憐な花たちは、少女に代わって、少年を優しく慰めるかのように、ひらひらと花びらを舞い踊らせた。 











世界の真実が、明かされました。カイルについては、後々、再登場する予定……です。 

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