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第6話

「お怒りを鎮められよ!御身の力は、世のために振るわれるべきもの。人の戦は、人間同士で決着をつける!余計な手出しは、無用に願いたい‼」


「シオン……?」


 ギリギリと絞めつけられていた辺りの気配がふっと緩む。シオンの叫びによって心の平静を取り戻したラグは、彼の揺るがぬ視線に出会って、その意を汲み取った。


「……わかった。君に任せよう」


 ため息混じりの返答と同時に、天地を揺るがせていた鳴動がピタリと止む。ラグの怒りを収めたシオンは、馬上から降りると、シグムントを見やる。


「……やっとお会いできたな、ラドリアス王」


 やや細身の身体を黄金の派手な鎧に固めた淡い白金の髪の青年を、シグムントはひたりと見据えた。西方の王族や貴族に多い金髪に青い目のせいか、品の良い、いかにも貴族の子弟といった外見は、とても諸国に狂王子と恐れられるような男には見えない。が、氷のように凍てついた、何度も死地を潜り抜け生き抜いてきた歴戦の士だけが持つ、凄みある青灰色の揺るぎない眼差しは、紛れもなく、彼が、シグムントがずっと待ち焦がれてきた人物なのだと告げていた。


「……ああ。やっと、な」


 シグムントは、ここにきて、ようやく無上の喜びを露わにした。嫉んで憎んで待ち焦がれたあの青年が、今、ついに、彼の目の前にいるのだ。


「王都の件は、もう、光皇陛下から聞き及んでいるのだろう?……どうする、一時、撤退するか?それとも、ここで、決着を着けるか?」


 シオンの言葉に、シグムントの目が剣呑な光を帯びた。これは言下に、今、撤退するのなら見逃してやると言われたに等しい。こんな十近くも年下の小僧に、そんな憐みをかけられる謂れはない。ましてや、民を犠牲にしてまで始めた戦を戦果を上げることもなく切り上げたと知れば、民は決して彼を許しはしないだろう。彼の進む道は、もはや一つしかなかった。


「……おのれ、私を愚弄するか、狂王子……!」


 シオンの眼も、シグムントの返答を聞いて、すうっと険しく細まった。別に、彼を愚弄する意図などシオンにはない。これほどの犠牲を出しているシグムントが引き下がれないだろうことも十分に承知している。

 それでも、彼は知りたかったのだ。最後の最後で、シグムントが自尊心と国民、どちらを取るかを。……そして、彼はシオンとの対決を選んだ。

 シオンは深いため息をついた。ラドリアスは、いろんな意味で王を失ったな。彼は感慨深げにそう思った。


「……では、決着をつけようか。魔獣も戦も、そんな野暮なものは一切なしで、俺とあなたとで、サシで勝負をつけるというのはどうだろう?」


「シオン!?」「殿下!?」


 思わぬシオンの提案に、ラグとジャドレックの騎兵らが驚愕の声を上げた。しかし、シェリルだけは何も言わない。ラドリアスの王に会うと言い切った、あの底冷えするような眼は、最初からこの勝負を望んでいた。

 王であるシグムント。王になるシオン。同じ立場にありながら、その考え方はあまりにも隔たっている。おそらく、彼らはこんな方法でしか、わかり合うことができないのだ。


「預かっててくれ。傷でもつけたら、フィルダートがうるせえからな」

 

 神剣を彼女に放り投げたシオンに、シェリルがぽつりと呟く。


「……怪我したら、承知しないわよ」


「はいよ。……ベセルド、お前の剣、貸せ」


「殿下、おやめください。もう、勝敗は決しているではありませんか。何も、殿下がそこまでなさらなくとも…………!」


 必死にシオンを説得しようと食い下がるベセルドから剣を奪い取ると、彼はシグムントに向かい合った。


「では、始めようか、ラドリアス王。……最初から、これが望みだったんだろう?」


「……ああ」


 二人は両軍の兵たちから距離を取ると、しばし、剣を下ろして佇んだ。


「では、俺が見届け人になろうか」


 いつの間にか、人型に戻ったディセルバが、兵たちを押し退けて現れた。


「聖天騎士が見届け人か。いいだろう」


 シグムントが、薄く笑った。

 陽射しは中空から徐々に傾きつつあり、二人の構える刀身が、それを映し込んで眩く輝いていた。遠巻きにして見つめる双方の将兵たちは、誰一人、ひそ、とも声を発することなく、その様子を見守った。


 カシャン。


 吐息のような小さく澄んだ音が、重ね合わされた二人の剣から漏れる。そうして、ゆっくりと聖天騎士の手が重なった剣から離された。

 手が離れたと同時に、間合いを取るため、二人はお互いを見つめたまま、後方へと大きく飛び退いた。そのまま、お互いの力量を測ろうとするかのように、円を描き、構えの姿勢を取ったまま、じりじりと足を配る。


「やっぱり、こんなのだめだ!ディセルバ、二人を、シオンを止めて!」


 緊迫感に耐え切れなくなったラグがディセルバに縋って、一騎打ちを止めさせようと懇願するが、ディセルバは戦いの場を凝視したまま、頑として彼の願いを聞き届けようとはしなかった。


「ラグ、お前も王だ。彼らの戦いを黙って見てろ」


「ディセルバ?」


「お前も見てきただろう、ラドリアスの民の苦しみを。もう、彼らにとって、あの王は憎むべき者でしかない。もう、あの王に帰る国なんかないんだ。……そのことを、あの王も、シオンも知っている。知っていて、なお、彼らは戦ってるんだ」


 人間のいないルオンノータルなど、光皇たるラグが考えられないように、領土があっても民の心が離れてしまった王など王ではない。シグムントは、もはや、王ではなくなってしまったのだ。

 しかし、と、ラグはシオンと剣を交わらせるシグムントを見やる。民を富ませようと悩み、豊かなジャドレックに嫉妬して道を踏み外してしまった彼の心は、まさしく王たる者の心だ。そして、王たる心を持つが故に、彼は道を誤った。


「……シオンは、王様に、死に場所を作ってあげようとしてるんだね」


 ラグの寂しい声に、激しい剣戟の音が重なる。自らの民を魔獣に差し出してまで事を成そうとした王と、他国の民を滅ぼした罪の意識に耐え切れず、四年も流離った王太子。あまりにも考え方の違う対照的な二人であった。

 シオンの素早い一閃が、シグムントの額を掠める。白皙の額に鮮やかな赤い線を残したものの、辛うじて躱した王は、シオンの左腕目掛けて剣を振るう。それを防具によって弾いたものの、一瞬歪んだ彼の表情から、その下はきっと酷い打撲の痕ができていることだろう。そんな細やかな傷が、剣を交わすごとに、確実に彼らの身体に刻まれていく。

 民のために尽くして、見放されれば死んでいくしかない王という位の重さと虚しさに、ラグは泣きたくなった。あまりにも不毛で悲しい戦い。それでも、彼は最後まで目を逸らすわけにはいかなかった。

 長い、いつ果てるとも知れぬ剣戟が繰り返される中、ついに、シオンが気合を込めた一声を張り上げた。気迫に満ちた声とともに、彼はシグムントの懐深くに飛び込んで、王の首筋を捉えた。ベセルドから借り受けた良剣は、元の主の願いと持ち手の意を汲んで、正確に頸動脈を切り裂く。それとほぼ同時に、シグムントの剣もまた、シオンの脇腹を捉えて、鎧の合わせ目から滑り込んで肉を抉る。


 相打ちか。


 どっと地面に倒れ込んだ二人の姿に、両軍から悲鳴が上がった。


「シオンっ‼」


 慌てて二人に駆け寄ろうとするラグや将兵らを制して、ディセルバが彼らに近づいた。


「立てるか?」

「……無理、って、ちょ、引っ張るんじゃねえよ!痛えっ!」

「恰好つかねえだろうが!さっさと起き上がれ、このバカ!」


 中身出たら、どうしてくれる!怪我の場所が場所なだけに、馬鹿力で引きずり起こされたシオンは、脇腹を押えて荒い息を吐きながら、脳筋の大男を睨みつけた。


「そちらさんに比べりゃ、お前の傷なんか大したことねえよ」


 ディセルバに言われて、シオンは改めて傍らに倒れたシグムントに目を向けた。


「……あんた、魔獣に頼んなくたって、十分強いじゃないか」


 頸動脈と一緒に声帯をも傷つけられたシグムントには、もう言葉を発することはできなかった。シオンの言葉に、血塗れの彼の顔が微かに微笑んだ。満足げにも見える笑みを浮かべた両眼は、急速に生の力を失って暗く陰り、やがて、静かに閉じられた。

 ジャドレックが、シオンが、魔獣がいなければ、こんな悲劇は起こらなかったかもしれない。しかし、その悔やみ事が彼の口から語られることは、もう、永遠になかった。


「……本当に、因果な商売だよなあ、ラグ」


 いつの間にか、彼の後ろで佇み、死したシグムントを見つめているラグに、シオンは冗談めかせて、空虚に笑う。


「でも、僕も、シオンも、王に生まれてしまった。これは、もう、変えられない」

 

「……ああ」


 後に残された二人の王は、死んでいった王に、静かな哀悼の眼差しを送った。その二人の様子を黙って見つめていた聖天騎士は、厳かに宣言する。


「此度の戦の勝敗を見定める、この一騎打ちの勝利は、ジャドレック王太子リュシオンのものとなった。異議のある者は名乗り出よ。我、光皇が一の騎士、聖天騎士ディセルバが相手になろうぞ!」


 待ちかねていた言葉に、ラドリアス本陣に乗り込んだジャドレックの精鋭たちは、歓喜の雄叫びとシオンを讃える言葉を連呼しながら、王太子の許へと雪崩込んだ。











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