第4話
「……お前、もう、俺の側仕えじゃないんだぞ?それとも、ここについてくるほど、俺は信用がないのか?」
布陣を終え、王太子の許に集ったラドリアス切込み部隊の精鋭五百人の中に、いるはずのない男の姿を見つけたシオンは、盛大にため息をついた。
「いえ、そういうつもりでは……」
エイルリーフを足止めする軍を率いているはずのベセルドが、困ったように頭を掻いた。言い澱むベセルドの横から、平素の所属はベセルドの部下であるウルガスが、シオンにこそりと耳打ちする。
「フィルダート将軍は、ヴァンネル副将軍に追い出されたんですよ。エイルリーフは俺で事足りるが、うちで一番の精鋭は将軍なんだから、殿下についてろ、ってね」
「ウルガス!」
エイルリーフの連中が聞いたら激怒しそうな台詞をさも楽しそうに王太子に話す部下を、ベセルドが嗜める。なるほど、とシオンは得心した。ベセルドの副官を務める、あの豪胆な男だったら、そんなことを言いそうだ。しかし、それにしたって……。
「そう言われて、はいそうですか、とここに来たのか?貫禄のねえ将軍だなあ」
「……殿下。もう少しましな言い方はないものですかね」
ジャドレックの剣鬼と、その昔、近隣諸国を震え上がらせたフィルダート公爵の甥にして後継者であり、勇猛果敢さでも名を知られる男を捕まえて、散々なことを言う主君に、ベセルドは非常に情けない顔をした。
一方、ベセルドと同じように、与えられた任務に困惑している猛者がもう一人存在した。アフレックという名の騎兵である。鎧を身に着けていなければ、どこかの農村の朴訥な農耕青年に見えなくもない、ごく平凡な容姿をした彼は、その風貌通り、ジャドレック北東部の平原に住まう遊牧民の村の出で、今回は、その操馬技術を買われて精鋭部隊の仲間入りを果たした。しかし、である。
「よろしくお願いいたします」
彼を困惑させる人物が、彼に向かってぺこり、と丁寧に頭を下げた。目立たぬように少年兵の軍衣に身を包んでいるのは、鳶色の長い髪を束ねた美しい乙女、聖女シェリルその人だった。
「は、はあ、こちらこそ……」
もぐもぐと呟くように挨拶し、二人は馬上の人となったわけだが、抱え込んだ聖女の身体は思っていた以上に華奢で柔らかく、しかも、時折、ふわりと香る良い匂いも相まって、ガチガチに固まった彼は、これで戦えなんて、いったい、どんな拷問だ、と半ば泣きそうになった。
聖女の後ろで、顔を赤く青くさせている純情な青年を、同じように聖女の護衛を任された同僚ゾフェンとカイウスがニヤニヤと揶揄う。
「よう、そんな顔してて、落とすんじゃないぞ、アフレック。怪我でもさせたら、殿下に切り殺されるぞ」
「殿下だけじゃないぞ、フィルダート公爵も丁寧に引導渡してくれるぜ」
質の悪い冗談を言ってカラカラと笑う二人に合わせるようにして、シェリルがコロコロと笑う。アフレックだけが笑えない。洒落にならない冗談を言うな、と切実に思う。聖女シェリルは、目下、王太子の婚約者最有力候補であり、あの鬼そのもの、と恐れられるフィルダート公爵にも実の娘のように可愛がられている人物である。その他に、光皇や聖天騎士など、絶対に目をつけられたくない面々が彼女の背後には控えている。彼女に何かあったら、彼の命がいくらあっても足りないだろう。
「……お前ら…………」
後で覚えておけよ。他人事のように揶揄う同僚らに心底恨みがましい目をしたアフレックを見て、選りすぐられた猛者たちが、どっと笑い声を上げた。
『身分の如何を問わず、実力を重んぜよ』
歴史長い大国だが、ジャドレック軍部に身分差は存在しない。七百年前の中興の祖「剣帝」の御言葉を忠実に守り、実力主義を貫いてきた故だ。たとえ、大貴族の子弟であっても、実力のない者は軍の上層には食い込めないし、部下も従わない。実力のみがものを言う非情な組織である。そして、それこそがジャドレックを大国成らしめ、戦乱の中、七百年もの間、国土を揺るがせなかった真の要因なのだった。だからこそ、戦の前でも彼らは明るい。負ける気がしない。
「シオン!」
突如、シェリルが鋭い声で、王太子の名を呼ばう。
「……来たか!」
かつて、共に戦った彼女の声の意味を、シオンは素早く察する。空を振り仰いだ二人に導かれるようにして、将兵たちの目が一斉にラドリアス軍の上空へと注がれた。
その視線に遅れること僅か。ラドリアス軍の遥か上空から、金属の擦れあうようなキシキシという耳障りな音とともに、金色の光が走り、大小様々な曲線、直線を交わらせて巨大な円形の紋章陣を、空を画布と成して描き出す。
この頃になると、もはや彼らだけでなく、レインカーナ平原に集った全ての人々が、この超常現象に目を奪われていた。金属音は次第に音量を増し、辺りの雲や風をも巻き込んで、轟々と唸りを上げ始めた。それとともに円陣の輝きも、さらに増していく。膨大な精霊力に歪められた空間から、やがて、ゆっくりと何かが姿を現し始めた。
天空の輝く円陣から現れ出づるは、黄金の巨大な翼竜の勇壮なる姿。豪奢に輝く金色の輝きを惜しげもなくギラギラと太陽に閃かせ、その朱金の瞳は地上の矮小な人間どもを卑下するかのように睥睨する。
この魔竜の正体が、聖天騎士ディセルバのもう一つの姿であることを知らない北方三国の軍勢は、突然の魔獣の乱入にたちまち恐慌状態に陥った。
思った以上の演出で出現した光皇たちに、シオンはひゅうっと口笛を吹く。
「……凄え派手な登場の仕方だなあ、こっちが霞んじまうぜ。……よし、光皇に後れを取るな、乗り込むぞ‼」
馬首を返しざま、シオンが進軍の号令を発する。それに呼応して、精鋭を含めた千五百の騎兵は鬨の声を上げ、混乱の只中にあるラドリアスに挑みかかった。
この突然の開戦に、魔獣に気を取られていた同盟二国の軍は、自分たちもジャドレックの布陣に阻まれて戦線を分断され、完全に身動きが取れなくなったことを悟った。
ワイメル、エイルリーフの戦線が膠着する中、怒涛の勢いで、王太子率いるジャドレックの騎兵がラドリアス軍に迫る。
「狂王子だ、迎え討て‼」
将兵の叫びに、騒乱状態から醒めたラドリアスの兵が、遅まきながら武器を構え防戦の体勢を取る。最前線に突っ込む直前に速度を緩めたシオンは、抜き放った神剣を構え、距離を測るように目を細め、紫の霊気を纏った白銀の刀身の輝きを、敵の足許目掛けて振り抜いた。
白銀の一閃は、銀色の軌跡を描いて凄まじい風の衝撃波を巻き起こし、彼が意図した通りに敵兵眼前の地面の表面を削り取り、戦場に砂嵐のごとき濛々たる土煙を舞い上がらせた。
シオンが衝撃波を叩き込む直前、まるで呼吸を測ったかのような正確さで、シェリルが精霊を呼び込み、術力の結界を築き上げる。
「緩風の守界」とも言うべき、柔らかい風が駆け抜ける一行を包み込んで砂塵から守り、一直線にラドリアス本陣への道を指し示す。精霊からの祝福を受けたかのような光景に、騎兵隊は歓声を上げつつ、敵兵が砂塵に翻弄されて右往左往する戦場を駆け抜けた。
「ナイエル!ここまででいい、撤退しろ!」
シオンが、支援部隊を率いる将軍に指示を出す。
「承知!各自、敵兵を撹乱しつつ、砦を目指し撤退しろ!……殿下、聖女様、ご武運を!」
「お前たちもな!」「皆様も、御無事で!」
二人の同時に発した言葉に、千の騎兵は各々の剣を掲げて応じると、踵を返して再び土煙収まらぬ戦場へと消えていった。
「行くぞ!一気にあそこまで駆け抜けろ!」
シオンが馬を急き立てながら神剣で指し示す先に、黄金の魔竜が、今まさに静かに降り行こうとしていた。