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第3話

 シェリルは、こくりと息を飲んだ。こんなにも静かに、こんなにも苛烈に怒りを燃やす彼を、彼女は見たことがなかった。見たことがないからこそ、彼女は悟り、そして、自らも決意する。止められない、それならば。


「あたしも、行くわ」


 ぎょっとしたのは、シオンである。彼は仰け反らんばかりに驚いて、ガタンと椅子から立ち上がった。


「バ、バカなこと抜かすな‼ガーバ(足の長い鳥型の騎獣)にも乗れねえ奴が、軍馬に乗って敵陣のど真ん中を駆け抜けられるわけねえだろが!」


「バカで考えなしなのはどっち!?敵は正面切ってくるだけじゃないのよ!弓矢や術力から、誰があなたを守るって言うの!?喧嘩を売られて頭に血が昇るのは構わないけど、何の考えもなしに敵の的になりに行く気だったら、殴ってでも止めるわよ!」


 光皇の育ての親たる慈愛深き聖女像を覆すような聖女の言動に将兵たちが目を丸くする中、シオンが顔を真っ赤にして怒鳴り声を張り上げる。


「術士だったら、お前以上に戦に慣れた連中がうちには大勢いる!お前の出る幕なんかねえっ!」


「それは、確かにね。でも、幾人も連れて行くんじゃ、その分、機動力ってものが削がれるんじゃないの?あたしだったら、一人でもこなせるわ」


 ふふん、と自慢げな目を向けるシェリルに、シオンは、くう、と小さく呻いて唇を噛んだ。以前の彼女は、ごく普通の才を持つ程度の術士だった。が、新たなる光皇を導く者が必要であるとして、過去の光皇らが、特例として彼女に光皇の知識を授けたのだった。ここに、彼女が聖女と呼ばれるに足る、もう一つの意味がある。

 まったくもって、余計なことを、と、シオンは、心底、過去の光皇たちを恨みたくなった。実際にこの場にいたのなら、胸倉つかんで怒鳴ってやりたいところだ。こんな撥ねっ返りに、そんな力を渡したら、碌なことにならねえと予想も出来ないのか、あの究極のお人好しどもは!


「とっ、とにかく、だめなものはだめだ!」


「じゃあ、どんな良い方法で身を守るのかしら?どうせ、敵陣に突っ込むことばかり考えてて、そんなこと、ちっとも考えてないんじゃない?」


「う…………!」


 将兵たちをそっちのけにした痴話喧嘩にも似た舌戦は、確実にシェリルの方に軍配が上がりつつあった。ああ言えばこう、どころではなく、倍に返してくる彼女に、浮いた汗を拭うこともできずに、シオンはついに言葉に詰まって固まってしまった。こうなってはもう、勝ち目はないことを、シオンは一年前に嫌になるくらい学んでいる。キリキリと歯を軋らせて、それでも、まだ、足掻こうとしている王太子に、ベセルドが降伏を勧めた。


「……諦めなさい、殿下。あなたの負けですよ」


「ちくしょおおおっっ!ベセルドっ、お前、こいつに味方してんじゃねえよっ!」


 居並ぶ将兵たちに凛とした態度を見せていた先ほどの姿とは、まるで別人と言っても過言ではない、子ども染みた悔しがり方で、シオンは卓上に突っ伏した。


「……殿下」

「なんだッ‼」


 将兵らの前で、シェリルに完全にやり込められるという、この上ない屈辱的な目に遭わされているシオンが、口出ししてきたルシャインにやり場のない怒りを向け、思い切り睨みつけた。


「聖女様のご出陣はともかくとして、騎兵五百で、混乱の極みとはいえ、三千以上もの兵がいる敵陣に乗り込むのは、やはり、承服いたしかねますな」


 最年長のルシャインの物言いに、他の将兵も同じことを思っていたと見え、揃って相槌を打つ。


「……では、他に良い方法があるのか?」


 シオンは、ラドリアス王シグムントと会いまみえるためだけに、わざわざここまで来たのだ。誰が何と言おうと、これだけは絶対に譲れない。彼の頑固な眼差しに、老将は深いため息をついた。


「……砦に二千もの兵は、不要にございます。また、ワイメル、エイルリーフをただ足止めするだけならば、機動力を誇る騎兵は無駄。砦の守備は千とし、浮いた兵で騎兵千の後方支援部隊を編成し、ラドリアスに挑み、殿下率いる精鋭五百を、中程まで送り届けた後、敵兵を撹乱しつつ撤退するのがよろしいかと」


 おそらく、シオンがラドリアス王にまみえたいと言った頃から作戦を練っていたのであろう、澱みない老将の進言に、シオンは会心の笑みを浮かべた。


「よし、それで行こう。総指揮は、立案したルシャインに任せる。皆、よろしく頼む」


「……は」


 王太子から任を任された歴戦の将たちは、背筋を伸ばして右手を胸に乗せると、深々と頭を下げた。そのままの姿勢で、王太子と聖女とが退出したのを確認すると、彼らはもどかしげに卓を退け、くっつかんばかりに頭を寄せ合って、王太子の身辺を死守する精鋭を選抜するべく、その全精力を傾けて苦心し合うこととなった。







 ジャドレック北方レインカーナ平原に本陣を構える北方三国の同盟軍に相対すべく、ケレイエン砦から出陣してきたジャドレックの軍勢が、厳かに布陣を始めた。

 平原を吹き渡る寂寥感をも漂わせる冷気を含んだ秋風に、黒のジャドレック王国の紋章旗に混じり、一際鮮やかな王家の紋章を宿した王家の真紅の紋章旗が、華やかに翻る。

 その光景を、ラドリアス王シグムントは、口の端を微かに歪めて笑い、飽くことなく眺め続けた。 


 剣帝と神剣を奉ずる剣の王国ジャドレック。


 ルオンノータル西方を統べる王で、かの国に憧れを抱かぬ王がいるだろうか。剣帝の血を継ぐ王家のためならば、死をも厭わぬ忠誠厚き国民たち。北部に広がる豊かな穀倉地帯と勇猛な軍馬を育む平原。中央辺境諸国や西南の海と繋がる、尽きることのない金を生み出す交易路。国を統べる者にとっての理想郷とも呼べる国、それがシグムントにとってのジャドレックだった。

 やがて、彼の顔から笑みは消え、遥か彼方に小さく見える真紅の旗地に描かれた隻眼の魔龍と神剣の紋章が、剣呑な色にとって変わった瞳に映り込む。


 リュシオン。


 大国ジャドレックの王位と神剣とを手に入れたジャドレックの幸運なる王太子。ただでさえ恵まれた存在だというのに、さらに、彼は偶然にも光皇と出会い、英雄となった。

 剣帝の申し子。そう呼ばれるに相応しい栄光をジャドレックにもたらした彼ならば、かの古の英雄と同じように、この西の地に覇権を唱える覇王となることが可能だろう。

 自分より若く、すべてに恵まれた幸運な青年。それに比べて、小さな北の小国に生まれたがゆえに、己が才を生かせず、貴族と民衆の確執に悩まされ、資源の枯渇に苦慮しつつ、古城の中で生を擦り減らしていく我が身が哀れでならなかった。

 隣に富める大国を有する国の王ならば、誰もが一度は思う、ないものねだり。

 しかし、彼はそれに諦めることなく、却って、敵愾心を募らせた。いつか、あの幸運なだけの若造から、国土をもぎ取ってやろう。小国の王である自分の方が、大国に生まれたあの男より上の存在なのだと、世に知らしめてやろう、と。

 そんな野望を支えにしてきた彼は、それを叶えることの出来る存在、……魔獣と出会った。封印に囚われていた彼らは、封印からの解放と糧としての贄を求め、礼として、力を貸そうと申し出た。齢を経た魔獣の力は、密かに憧れる神剣の力にも似たものに思えた。

 彼は、承諾する。魔獣と人間の考え方が、根本的に違うことなど気づかずに。

 多少の贄が何だというのだ。薄汚い貧民や浮浪者などいらぬ。むしろ、国家の重荷が、魔獣に喰われることで、初めて国の役に立つのだ。何の問題があるというのだ。

 やがて、被害は下層の市民にも及び出したが、彼は黙殺した。あと少しなのだ。戦に勝ち領土を広げれば、多少の被害も移り気な民は忘れ、彼の戦果を讃えるだろう。そうして、王である彼の苦労など知らずに、彼らはさらに貪欲に望むのだ。さらに広い領土を、さらに豊かな生活を。

 まあ、いい。その苦労も、一息つけるだろう。様々な画策の末に、とうとうリュシオンを王都から引きずり出した。後は会いまみえ、叩き潰すだけだ。

 臣の呼ぶ声に、彼は名残惜し気にジャドレックの真紅の旗をちらりと振り返りつつ、本陣へと引き上げた。

 北の短い夏の終わりを告げるように、王の足元にはたくさんの小さく可憐な秋の野花が風に揺らめいていた。彼に踏みしだかれて空に飛んでいく花弁は、まるで舞いを舞っているかのように見えた。











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