第2話
あけましておめでとうございます。ストックギリギリのため、改稿増えるかもしれません。
会議室に着いた彼らを、主だった将兵たちが目線でもって出迎える。ルシャインに促されて、シオンは上座に腰を下ろし、卓に肘をついて手を組んだ。ぐるりと将兵らを見回した後、彼は隣に座したシェリルを見つめた。
「……シェリル。グレイスタの現状を彼らに説明してやってくれ」
救世の聖女として知られる乙女は、十八というごく若い年齢に似合わぬ落ち着きと、それ以上の憂いに満ちた顔でとつとつと語り出した。
「……ラドリアス王は、この戦に魔獣を使うつもりです。それも、過去の光皇が、地中深くに封印していた齢千年近い大物の魔獣を」
居並ぶ歴戦の将兵らの顔が、一気に緊迫した表情に変わる。
「先を進めてくれ」
ざわ、とざわめき出した彼らを手で制して、シオンはシェリルに先を促す。
「ここからは、まだラドリアス王もご存じないことなのですが、復活した魔獣の策謀で、王都グレイスタは多大なる被害を被りました。人の身体に浸食し孵化する魔獣の卵が原因で、王都の民人およそ四千人ほどが亡くなりました。光皇陛下が手を尽くしておりますが、未だ、同じくらいの人々の容体が危険な状態で、おそらく被害は今後さらに増えるでしょう」
ざわついていた室内が、しん、と水を打ったように静まり返った。歴史上、魔獣に滅ぼされた国や都市は数え切れない。そんな驚異的な破壊力を持つ魔獣を戦に投入できるとすれば、その国は、確かにルオンノータルの覇権を握ることができるだろう。しかし、その大いなる魅力と同じくらい、支払わねばならぬ代償もまた、あまりに大きいことを彼らは今更ながらに痛感させられていた。
「……ラドリアス王は、高すぎる買い物をしましたな」
老将ルシャインは、それ以上何も言えず深いため息をついた。ラドリアスは王都に、人口、政治、経済のほぼすべてを集中させている国家である。その要たる王都で、これほど多くの死者を出す大惨事を招いたとあれば、復興にどれくらいの月日と労力を要するのか、想像すらつかない。
「魔獣のことは、心配なさらないで。光皇陛下が王都の収拾が着き次第、こちらに駆け付けることになっています。……皆様には、その間、三国の牽制をしていただきたいのです」
シェリルの言葉に、ベセルドが首を振り、気ぜわしげにシオンを見やった。
「いや、魔獣を倒すだけでは済まなくなりました。……殿下」
「……ああ、ラドリアスは滅ぶ。北方は荒れるだろうな」
シオンの冷徹な言葉に、シェリルは大きく目を見開いた。
「多くの死者を出すとはいえ、王都は持ちこたえているのよ⁉王だって、軍だって、魔獣を倒せば、諦めて引き上げざるを得ないんじゃないの⁉」
「悪いが、お前が考えてるほど、戦ってのは綺麗なもんじゃないんだ。……ベセルド、説明してやれ」
「この戦の後が問題なのですよ、聖女様。ジャドレックと敵対し、国力の衰えたラドリアスを、周りの国々が指をくわえて黙って見ていると思いますか?」
ようやく彼らの危惧するところを悟ったシェリルが蒼白になる。
「今日の友が、明日は敵になるってこと……⁉」
相も変わらず、人が良過ぎる。苦いものを見るようにシェリルに不機嫌な表情を向けたシオンが頷く。
「そうだ。同盟を組んでる西のワイメル公国、東のエイルリーフ。これ幸いと両側から攻め上げてくれば、いくらあの堅固な城壁を持つグレイスタだろうと、中がそんな状態じゃ一月と保たないだろうよ。奴らの尻が軽けりゃあ、今度のことは水に流して、うちと新三国同盟でも組んで、ラドリアスを割譲しませんかって言ってくるかもな」
「それどころか、さらに色気を出して、こちらの領土にまで土足で踏み込んできかねませんな」
いかつい髭面の将軍マズールが顎髭を撫でつつ、意見を述べる。辺境の小さな村で育ったシェリルには、予測もつかない国家間の争乱の行方を見通していく彼らに、ただただ驚くだけだった彼女は、やがて、我知らず切ないため息をついた。
「……そうして、また、あの子が泣くのね」
彼女の小さい呟きは、その場に重い沈黙を生み出した。将兵たちは一様に気まずげな顔をし、シオンが無言で彼女の肩に手を置いた。
光皇ラグナノールは、王太子やその異母弟、ジルナーシュ王子に会うために、よく王宮を訪れている。そのため、ここにいる将兵の多くも彼を見知っており、その優しい心根と無邪気な人柄に好感を抱いている。その彼が嘆くような真似をするのは、彼らとしても心が痛む。
シェリルの気持ちが落ち着くのを待って、シオンが彼女の肩に置いた手を、ぽん、と軽く叩いた。
「とりあえず、魔獣の方は、ラグがなんとかしてくれるんだな?」
シェリルが頷くと、シオンは卓上を指でこつこつ叩きながら、天井を見上げて、しばし考え込む。
「現在の兵数は?」
王太子の言葉を受けて、ルシャインが居ずまいを正す。
「かき集めて、一万いくかどうか、といったところですな」
「敵兵の数は?」
斥候部隊を配下に置くマズールが即答する。
「ワイメル、エイルリーフが共に三千ずつ。ラドリアスが三千をやや上回るかと」
「ラドリアスは隠し玉の魔獣があるとして、ワイメル、エイルリーフは、うちに仕掛けるにしては少ないな。……様子見、ってとこか」
「この度は、ラドリアスのシグムント王が首魁となって仕組んだ戦です。ラドリアスの攻勢次第で、兵を更に投入するか判断する心づもりなのでしょう」
美味しいところを楽して啜ろうとする二国の腹黒い魂胆を、猛禽類を思わせる獰猛で冷酷な目つきで語るベセルドを横目に、こつ、とシオンの卓上を叩く指が止まった。
「では、砦に弓兵を中心に二千残そう。指揮はルシャインが執れ。残り八千を東西に分ける。西のワイメルはマズールに、東のエイルリーフはベセルド、お前に任そう。両軍を足止めして時間を稼げ」
「殿下、正面のラドリアスはどうなさいます。砦に籠って出方待ちですか?」
「東西に分けた二軍の中から、足の早い騎兵を千、いや、五百選べ。人選は各将軍に任せる。……ラドリアスには、そいつらと俺が行く」
「シオン⁉」
シオンの無謀としか言えない作戦に、シェリルだけでなく、将兵たちもどよめいた。
「……別に無謀じゃないだろ。ラグは魔獣を倒しにラドリアス本陣に向かう。魔獣を倒しちまえば、それを頼りにしてる連中の士気はガタガタになる。王都の急変もそろそろ知れる頃だ。そんなこんなで混乱してるとこを、一気に駆け抜けちまえば、後はラドリアス王とご対面って寸法だ。少数精鋭の方が動きやすい」
「それにしても、殿下を敵陣に乗り込ませるというのは…………」
「そうよ、危険すぎるわ!やめて、シオン!」
渋るルシャインの台詞に、シェリルの悲鳴めいた声が被さる。そんな彼女に、シオンは先ほどとは打って変わった底冷えのする視線を送った。その目に彼女はぎくりと身を強張らせる。
それは一年前、己の腕だけを信じて生き抜いていた、あの荒んだ傭兵の眼だった。口の端が微かに引き上げられ、凄みの利いた笑いを浮かべた彼は言う。
「止めるなよ、シェリル。自分とこの民を魔獣の生贄にしてまで、俺に喧嘩を売ろうって奴の顔を拝んでみたいんだからよ」
シェリルの求婚から端を発したラドリアス王の数々の策謀は、明らかに最初からシオンを戦場に誘い出すためのものだった。シェリルやラグ、果ては己の民を使ってまで、自分を引っ張り出そうと画策するラドリアス王のやり口に、彼は一見何でもないように振る舞ってはいたが、その実、己が身を焦がさんばかりに怒っていたのだ。
その性状、苛烈にして猛き炎のごとし。
シオンの実の父親である剣帝も、史実に残されるほど短気な人物であったらしい。どうやら彼はその血を確実に色濃く継いだようだった。