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第3話

 振り仰ぐほどに高い石造りの天井には、技巧を凝らした壁画が優雅に描かれ、床には毛足の長い青色の絨毯が敷き詰められている。重々しく開かれた扉の中に広がる光景に、目をそよがせた彼は、柔らかな絨毯の上に一歩を踏み出した。

 謁見の間。その上座に位置する深い色合いの木製の玉座に座した主君の左右には、十人ほどの屈強な近衛騎士が控え、白銀に磨き上げられた甲冑が灯火で照らし出されるやや薄暗い室内に、やけに眩しく輝いている。騎士たちは微動だにしないが、その油断なき視線は、玉座に歩を進める彼の一挙手一投足に注がれていた。

 極寒のこの北の地に、可憐に舞い、春の到来を告げる瑠璃揚羽蝶と北国特産の針葉樹が意匠化された王家の紋章を、彩色鮮やかに刺繍した王家の旗が大きく掲げられた壇上の玉座に座す主君を前に、彼は膝をついて首を垂れた。主君が彼の到着を待ちかねたかのように、その敬礼に深く頷いた。


「ただいま戻りましてございます」


 任務を終えた男は、主君であるラドリアス国王シグムントに、緊張した面持ちを向け、帰国の報を述べた。


「役目、大儀であった。……して、光皇陛下の返答は、如何なものであったか」


 今年、二十八を迎える王の使者を労う顔は、若者に特有のやや才気走ったところが見受けられるものの、王としての自信と威厳とに満ちていた。容姿に優れることはもちろん、文武にも長け、王家の後見役たる御三家にも受けが良い。臣下として、実に申し分のない王である。それなのに。平伏する男は、不愉快な思いを抱きつつ、持ち帰った報を王に伝える。


「……大変にもったいなき申し出なれど、光皇陛下におかれましては、聖女様御本人の意向を尊重したいとのこと。それ故、返答には、しばし猶予を頂きたいとのことでございました」

「……なるほど」


 憤怒を多に含み、それを隠そうともせぬ使者の男。同じように憤り、ざわざわとざわめく周囲を、シグムントは薄く笑った。ラドリアスの歴史は、西方諸国の中でも一、二を争うほどに古い。その古き尊い血筋を引くこの国の王の結婚が、聖女と称されるようになったとはいえ、元はどこかの田舎の村の小娘ごときの意思に左右されるなど、同じく古き血を引く貴族たちの自尊心を大いに傷つける、我慢のならぬものであるから、当然の反応と言えた。


「騒ぐな。このようなこと、大事の前の前戯にすぎぬ」


 ひらり、と優雅に手を振ると、王は一同を黙らせ、退出を命じた。無言の壁と化している近衛騎士以外の人々が謁見の間を出、しんとした静寂に包まれた中、未だ玉座に身を沈めていたシグムントは、誰に言うともなく呟いた。


「さて、この話は、もう、ジャドレックの狂王子に届いたかな?……どう出るかな、彼は」


 ジャドレックの狂王子。五年前、初陣にして、海商都市グロイアルを、立てこもった民人もろとも壊滅させるという、正気の沙汰とは思えぬ惨劇を引き起こした、ジャドレック王太子リュシオンについた悪名である。西方諸国を一様に震撼させたその名は、しかし、それ以後の歴史の表舞台に一切姿を現さなくなる。その間、様々な噂や憶測が飛んだが、どれも狂王子に繋がる手掛かりとはなり得ず、各国が必死になって探り続けたにもかかわらず、狂王子の動向は一向につかめなかった。

 一年前、その狂王子が、再び、表舞台に姿を現す。それも、なんと、光皇復活に助力した救世の英雄として、である。西方諸国の王侯貴族たちは、グロイアル壊滅の時以上に震撼した。

 一国を壊滅させる狂気を孕んだ男が、神に等しき力を持つとされる光皇に、大きな貸しを作ったのだから、当然と言えば当然の反応であった。

 ジャドレック中興の祖、とされ、かつて、戦乱の只中にあった西方諸国を次々と侵略し、一つに纏め上げた剣帝と同じように侵略されては堪らぬと、戦々恐々とする各国は、ジャドレックをこれ以上強くしてはならないと、ジャドレック排斥の機運を高めていた。

 これを好機として、シグムントは左右の隣国エイルリーフとワイメルと密かに同盟を結んだ。シオンが睨んだ通り、聖女シェリルへの求婚は、ジャドレックに敵意があることを明確にするとともに、シオン個人に向けての当てつけの意味もあった。

 聖女シェリルとの婚姻によって、光皇と密な関係を築き、神のごとき力を支配下に置く。

 光皇復活後、それを考えなかった権力者は皆無、と言って良い。が、今まで、誰もそれをしなかったのは、大国ジャドレックと、聖女と恋仲と噂される狂王子の機嫌を損ねることを恐れるが故であった。


 俺は、狂王子など恐れない。


 玉座に頬杖を突きながら、シグムントは、口の端に不敵な笑いを浮かべた。ラドリアスは背後に険しいホルス山脈を控え、西方の人住まう地としては、事実上の最北端に位置する。北の寒さ厳しい気候は、わずかな収獲しか生まず、ホルス山脈から産出する鉱物資源、山々から採れる材木を輸出して、国内経済の大半を支えている。先細らぬためには、南に、ジャドレック領に国土を広げなければならない。彼の目は、王太子の頃から、外へ外へと向かっていた。


「……まあ、聖女様が色よい返事をしてくれれば、それはそれでいいのだがな」


 それはそれでまた、狂王子の悔しがる顔が見られようというものだ。楽しげに笑う若きラドリアス国王は、玉座から立ち上がると、ようやく、謁見の間を後にした。







「おい、カイル!どこへ行く!荷運びを手伝え!」


 翌朝、ラドリアス王都グレイスタの城門近くで、馬車は止まった。乗客もすべて降り、荷物の整理をしていた座頭は、麻袋を背負い込んだカイルの姿を見咎めて呼び止めた。それに対して、カイルは珍しく改まった顔をして、ぺこりと頭を下げた。


「座頭、長い間、お世話になりました。俺さ、ここで、別れることにしたから、元気でね!」

「なんだって⁉どういうつもりだ、おい、カイル!」


 座頭の喚き声なんぞ聞いてはいない少年は、勢いのままに、とっとと道を駆け去っていく。


「まったく、何、考えてやがるんだ、あいつは!」

「座頭」

「何だ、メイアか。……って、おい、その恰好、まさか、お前まで出て行くなんて言うんじゃないだろうな⁉」

「うん、ごめんね。実は、そうなの。だって、カイルを一人じゃ、危なっかしくてほっとけないじゃない?」 


 長い間、お世話になりました。驚きで二の句も継げない座頭に、ぺこりとお辞儀をしたメイメイは、ウフフと笑うと、カイルの後を追って走る。

 やがて、驚きから覚めた座頭が、あの恩知らずたちめ!と地団太踏んで毒づく頃には、二人の姿はとうに雑踏の中に見えなくなっていた。


「やっぱり……」


 追いついた彼女の睨んだ通り、カイルは馬車で一緒だったあの金髪の傭兵と一緒だった。そして、これも彼女が睨んだ通り、揉めている。


「帰れ!今なら、まだ、一座に帰れるだろう?」

「やだね!俺は、兄ちゃんに弟子入りするって出てきたんだから、今更、戻れるかよ、みっともねえ。責任取ってくれよな!」

「バカ言うな!これから職を探そうって奴が、弟子なんざ取れるか!」

「そこをなんとか!」

「なんとかなるわけないだろうが!」


 一向に引き下がらないカイルと、集まりだした野次馬とに、傭兵は辟易し出したようだ。メイメイは笑う。ほぉら、カイル。やっぱり、あたしが必要でしょ?


「ねえ、弟子にしてやってよ、傭兵さん。大丈夫、カイルはある程度は鍛えてるから、下地はあるよ」

「メイメイ⁉」


 意外な味方の登場に、カイルが大きく目を丸くする。メイメイはいつだってカイルを見ていた。だから、知っている。カイルが剣士に憧れて、道中一緒になった傭兵などに教えを請うたり、密かに剣術の訓練をしていたことに。しかし、一座を離れてまでついて行こうとした傭兵は、この金髪の大男が初めてだった。そこまでしたカイルの想いを、彼女はなんとしても叶えてやりたかった。

 少女はカイルの腕を引っつかんで、ここぞとばかりに金髪の傭兵に捲し立てる。


「こっちはこっちで仕事を探すから、あんたに迷惑はかけないよ!暇な時にでも指南してくれりゃあいいんだからさ!ね、ね、カイル?」

「あ、ああ。それでいいよ!それでいいからさ、弟子にしてくれよ、兄貴!」


 食いついて離れない、ある意味、昨日の魔獣よりも手強い二人に、傭兵はなんとも言えぬ顔で空を仰ぐと、くしゃくしゃと金色の髪を掻きむしった。


「……くそ、こんなとこまで来て、ガキのお守りって、いったい、なんの冗談だ」


 ブツブツと情けない声でぼやいた彼は、二人をぎろりと睨んだ。


「勝手にしろ!ただし、俺はお前らの面倒なんか、絶対にみないからな!」


「「やったあっっ‼」」


 勝利をもぎ取った二人は、手に手を取って喜び合った。二人はさらに勢い込んで、金髪の傭兵に飛びついた。


「あたし、メイア!メイメイって呼んで!こっちは、カイル!傭兵さん、あんたは?」


 金髪の傭兵は、深い深いため息とともに、己の名前を吐き出した。


「……ラウルだ」











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