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第1話

今年の投稿はこれで最後になります。次回は、年明けになります。来年も皆様にとって良い年でありますように。それでは、第六章、本編の最終章が開幕いたします。最後までお付き合いくださるとうれしいです。

 未だ衰えを見せない苛烈な残暑の陽射しと、刻一刻と肌寒さを増す北国の足の早い秋風が混じり合う中、ジャドレック最北方に位置するケレイエンの砦に、一際大きく真紅に染め抜かれた軍旗が高々と掲げられる。その軍旗を見咎めたラドリアスを中心とする北方三国の同盟軍の斥候隊は、一様に目を剥いた。

 真紅に染め抜かれた旗地から射抜くようにして彼らを見据えるのは、黒い光沢ある刺繡糸で意匠された隻眼の魔龍ガルガンデュア。そして、その身を貫くは、白銀の銀糸でもってキラキラしく輝く神剣ガンダルヴァであった。

 ルオンノータル西方で、良くも悪くもこの紋章を知らぬ者などいはしない。それは彼らがこれから挑もうとしている大国ジャドレックの統治者、ジャドレック王家の紋章であった。


「王家の者がいるというのか……!」


 現在、ジャドレック王祖の血を継ぐ男子は、現国王ヴィルカノン三世以外に、狂王子として畏怖される王太子リュシオン。今年、十三歳になる第二王子ジルナーシュの三人だけである。現国王ヴィルカノンは病床に臥せっていることから、二人の王子のどちらかということになる。


「術士を手配せよ!どちらの王子が来ているのか、確かめねばならん!」


 斥候隊の隊長が、後方に控える部下に慌てて合図を送る。早すぎる……!隊長は思わず舌打ちした。王族なぞが出しゃばって来るのは、砦を落とした後だと踏んでいた。この上、来ているのが、悪名高きリュシオンだったとしたら、戦況の予測も兵士の士気も大幅に変わることは間違いない。隊長が顔を青くするのも無理はなかった。


「隊長、あれを!」


 部下の声に、隊長は目を凝らす。遥か遠くの砦の頂、その最上階に、何人かがこちらを窺うようにして城壁から身を乗り出すのが辛うじて見える。そのうちの一人の纏う色彩に、彼は愕然とした。


「ひ、緋色……だと⁉」


 ジャドレックを大国と成したとされる英雄、中興の祖・剣帝を崇拝するかの国では、剣帝が魔龍ガルガンデュアを屠った際、かの魔獣の血を浴びて強大な力を得たとの故事から、緋色を神聖な色と定めている。それ故、ジャドレックにおいて、緋色の衣を纏える者は二人しかいない。国王と国王に認められた次代国王たる王太子の二人しか。


「狂王子……か‼」


 斥候部隊の誰もが息を飲んだ。神剣に認められた剣帝の申し子にして、光皇復活を成した四英雄の一人。そして、海商都市グロイアルの民を滅ぼし尽した狂気の王子。十九歳という若輩にも関わらず、様々な悪名と名声とを世界中に知らしめた男が、再び、戦場を駆けようとしている。


「各国の方々に、このことを伝えよ!……急げ‼」


 慌てふためいて敵陣へと走り去る斥候の小さな馬影を見やって、ジャドレック王太子リュシオンは、冷めた目で呟いた。


「……種蒔きは終わったな。まあ、これで、三国間に亀裂でも入って、内部崩壊でもしてくれれば、手間が省けてありがたいんだがなあ」

「まったくです」

 

 王太子の後ろに付き添う将軍ベセルドが、生真面目に相槌を打った。







「……まったく、どういうおつもりですか。糧食を積んだ荷馬車から飛び出してくる王太子なんぞ、見たことも聞いたこともございませんぞ!」


「お前も、飽きないな。一昨日から、数えて何度目だ、その小言」


 急遽、私室に当てがわれた砦の一室で、少年兵に軍装を解かせていたシオンは、北の砦を十年以上守り続けてきた老将ルシャインのくどくどしい説教に、いい加減うんざりした顔をした。


「敵を脅かしてやるには、一番手っ取り早い方法だろうが。それより、輜重部隊の兵に説教しろ。なんだ、あの隙だらけの警備は。俺が簡単に忍び込めるようじゃ、いったい、何人、密偵が潜り込んでるかわかりゃしない」


「……殿下っ!」


 まったく悪びれる様子のない王太子の態度に、御守り役のフィルダート公は、いったい何を教えてこられたのかと、熟れたリンゴのように顔面を怒りで真っ赤に紅潮させる将軍に、少年兵らが笑いを必死に堪えて、顔をひくひくと引き攣らせる。それもまた、老将には小面憎い。


「良いですかな、殿下……」


 止めるどころか、加熱するかに見えた舌戦の最中に、まだ若い伝令の兵士がおずおずと入ってきた。


「あの、王太子殿下。殿下にお目に掛かりたいとおっしゃる方が見えておられるのですが……」

「後にしろ!殿下は今、儂と話をしておられるッ!」


 老将の一喝に、うひっ、と短い悲鳴を上げて慄きつつも、彼は射殺しかねないようなルシャインの睨みに耐え、何とか言葉を紡いだ。


「……でも、あの、聖女様、なのですが…………」

「シェリルが?ルシャイン、小言は後にしよう。至急、会議室に主だった者を集めておいてくれ。他の者も席を外せ」


 まだ二言も三言もありそうなルシャインではあったが、即座に王太子の意を汲み取り、愚図愚図している少年兵らを追い立てる。それと入れ替わりにシェリルが姿を現した。


「よお、ラドリアスに行ったんだろ?求婚者とはご対面できたか?」


 冗談とも、皮肉とも取れる言い方だが、彼の口の悪さは以前からの事だから、旧知のシェリルは、この程度、軽く言い返せばいいことを心得ている。が、今日の彼女の機嫌は、さすがに最悪だった。


「そんな話、こっちから願い下げよ!ラドリアス王は、あたしと結婚するに当たって最も守ってもらわなくちゃいけないことが出来ない奴なんだから!」


 一国の王も彼女にかかっては形無しである。ふん、と鼻息荒く、そっぽを向いた彼女の様子は、姿が多少大人びようとも以前のままであった。


「……結婚条件なんてあったのか?」

「ラグを泣かすような奴は、こっちから願い下げってことよ!まず、ろくな男じゃないわ!」

「……なんつう、親バカ。あんまり甘やかすなっての」

「なんか言った⁉」

「……いや、別に」


 シェリルの剣幕にタジタジとなっているシオンに、彼女はじろりと半眼を向けた。


「言っとくけど、シオンも不合格よ」

「おい、ちょっと待て。俺がいつラグを泣かしたってんだよ⁉」


 いきなり対岸の火事が飛び火したかのような状況に、シオンはぎょっとなった。さらには、彼女の焦げ茶色の瞳がうるうると潤み始めたのを見て取って、彼の焦りは倍増の一途を辿る。


「なっ、なんで、泣くんだよ。お、俺は、本当にあいつに何もしてないぞ!」

「シオンは、そういう場を読まない、無神経なところがだめなのよっ!」

「はあ……⁉」


 完全な八つ当たりである。無神経で悪かったな!と怒鳴り返そうとした彼の懐に、シェリルがぽすん、と頭を乗せてきた。そのまま彼女は下を向き、声を堪えて泣いている。


「……シェリル、ラドリアスで、ラグに何があったんだ?」


「人間って、本当にバカね。尽くしても尽くしても裏切られて泣くあの子を見てると、ゼフィアスが狂いたくなる気持ちがよくわかるわ」


「シェリル……」


「あたし、あの子を幸せにしたかった。……でも、光皇になってからのあの子は、言いたいこともやりたいことも我慢して、挙句に辛い目に遭ってる。本当にあの子を光皇にしたのは正しかったのかしら。……シオン、あたしには、もう、何が正しいのかわからなくなってしまったわ」


 強く正しい、聖女シェリル。気がつけば、心の迷いを吐露できるのは、ラグを光皇にしようと旅路の苦楽を共にした彼しかいなかった。ようやく落ち着きを取り戻し、体を離そうとした彼女の細い肩を、シオンはぎこちなく引き寄せる。


「……幸せなだけの人間なんていやしねえよ。もし、いたとしても、そんな奴はきっとつまんねえ奴だと思うぜ?ましてや、王様なんて因果な商売についてて、良い王様になってやろうなんて考えたら、辛いことなんて人の何倍も背負い込まなきゃならなくなる。ラグは覚悟がねえくせに、良い王様になろうと躍起になってるから大変なんだ。見ろ、俺なんか、良い王様なんか端からやる気がなくて、普通の王様やるつもりだから、気負うこともねえ。臣下の連中も、そろそろ諦めた頃じゃねえの?」


 自分をこき下ろすシオンらしい慰め方に、シェリルはとうとう吹き出した。そうして、ふと気づいて、彼のいでたちを上から下までなぞるように見て、目を丸くする。


「なあに、この格好?」


 軍装を外す途中だった彼は、まだほぼ甲冑を纏った状態で、かなり派手なものだった。彼の白金の髪の色よりも濃い、黄金色の甲冑と緋色の外套の組み合わせは、どこぞの吟遊詩人の歌や歌劇の主人公の英雄のように非現実めいていた。


「……あのなあ、お前がラドリアスの連中を足止めしとけっつうから、わざわざこんなド派手なもの着てるんだよ。俺だって嫌だよ、こんな役者みてえな格好はよ!」


 大国の王子だが、無骨なフィルダートに育てられたせいか、彼はあまり華美なものを好まない、実用面を重視する合理的な性格だ。その性格に反して、わざわざ式典用にも転用可能な派手な鎧を身に着けているというのに、肝心なお願いをしたシェリルが気付いてくれないでは話にならない。ぶすっとむくれるシオンにシェリルは、どうにもわからない、というふうに首を傾げた。


「足止めと、この派手な鎧がどう関係するの?」


「おいおい、五年ぶりの「狂王子」の出陣だぜ?相手がどんだけビビってくれるかわかんねえけど、せいぜい派手に動き回って敵の注意を引き付けてやるよ」


 皮肉げに薄笑いを浮かべるシオンに、シェリルは心底驚いた。「狂王子」の名を、シオンがどれほど嫌っていたかを彼女は誰よりも知っている。その名を呼ばれるようになった悲惨な出来事のせいで、心に深い傷を負った彼は、逃げるようにして故国を飛び出し、四年もの間、各地を転々と放浪して、己の罪から目を背け続けた。

 一年前、シェリルと出会った頃の彼は、猜疑心ばかりの強い孤独な青年だった。それなのに、敢えて「狂王子」の名を利用しようとする彼の心の内の葛藤はいかばかりか。

 彼女の願いが、彼に無理を強いている。シェリルは思わず目を伏せた。そして、そんな彼女の胸中を察したのか、あるいは、彼女の肩を引き寄せた、己の手のやり場に困ってのものかは定かではないが、彼は照れくさそうに視線を泳がせた。


「……俺だって、これでもお前らのことは心配してるんだぜ?少しはわかってくれよな」


 確かに、こんな後方支援のような、まだるっこしいやり方は、彼の性に合わない。ジャドレックの王太子という立場でなく、以前の一介のはぐれ傭兵の彼だったら、一も二もなくグレイスタに乗り込んで、彼女らと行動を共にしていたことだろう。

 かつての仲間に除け者にされてむくれる子どもみたいな彼の様子に、シェリルは再度吹き出しそうになった。

 頑なだった毒舌家の傭兵は、相変わらず不器用で人を思いやる感情を上手く表現することが苦手なようだった。ラドリアスでの悲劇を目の当たりにしてきた彼女にとって、それはとても大切で、愛おしく思えた。

 シオンの落ち着きなく彷徨っていた視線と、シェリルの笑みを含んだ慈愛の眼差しが、一瞬交錯した。

 一年前、一人の小さな少年を救うため、命を懸けた戦友の青年と娘とは、そうやってしばしお互いを見つめ合うと、どちらからともなく、静かに唇を重ね合わせた。










 

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