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第6話

 横たわったメイメイの姿に驚愕したラグは、飛びつくようにして寝台に駆け寄った。青褪めた顔で瞳を閉じた少女の顔を見、真実を理解せよと告げる非情な現実を逃避したくて、彼は震える手で胸に組まれた少女の手に己の手を乗せる。

 普段着でも、踊り子の衣装でもない、真っ白な長衣を纏った彼女の手は、凍てついた氷のように冷たく、その元気で優しい瞳が、もう二度と彼を映すことも、微笑むことのないことも、彼に悟らせるには十分すぎるものであった。


「……ど……うして…………?」


「……あなたを守ろうとして、兵士に斬られたの。あたしが駆けつけた時には、もう…………」


 言葉を途切れさせるシェリルの声をぼんやりと聞きながら、ラグは泣くことすら出来ずに、ふらふらとその場に座り込んだ。


「……たゆたう、海」

「え?」


 掠れた彼の呟きに対して、シェリルが問うた声に答えず、ラグはぼうっとメイメイの眠る寝台を見上げていた。

 肝心な時に力を使い果たして眠り込み、自分の身すら守れない。そんな不甲斐ない自分に、彼女は命を捧げた上に、人がその死の最期の瞬間に使うことの出来るたったひとつの奇跡の力、「たゆたう海」を渡る力を使って、彼に会いに来たのだ。


 すべては、愛する少年カイルのために。


 ラグはぎり、と唇を嚙みしめた。少女が命を懸けて愛した赤毛の少年に、いったい、なんて詫びればいいのか。その途端、彼はハッとなって立ち上がった。


「カイル‼カイルはどこ‼彼は、無事なの⁉」


 遅まきながら、カイルの不在に気づいたラグは、半狂乱になって叫んだ。


「……カイルは、もう、ここには、いない」

「ディセルバ⁉」


 ずっと沈黙を保っていたディセルバが、重い口を開く。そうして、彼は椅子の傍らに置かれていた古い竪琴をラグへと差し出した。


「これをお前に渡してほしいと頼まれた。……彼女をノルティンハーンで一番見晴らしの良い所に葬ってほしいともな。メイメイの夢は、世界中を旅して、いろんな人に踊りを見てもらうことだったそうだ。あそこなら世界中を巡っている。お前が良ければ、これを時々弾いて、彼女を慰めてくれと、そう言って出て行った」


 ラグは震える手で竪琴を受け取った。おそらく、ディセルバは必死でカイルを引き止めたのだ。しかし、一人で去って行こうとする、あの意思の強い少年の決意は変えることはできなかったのだ。ディセルバの言葉を聞きつつ、ラグはゆっくりと、そして、強く、手琴を抱きしめた。しばし俯いていた彼は、ギュッと唇を噛みしめ、鋭く叫んだ。


「……嘘つき!」


 泣くことすら忘れていたラグの瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちた。


「カイルの嘘つき!カイルなら知ってるはずじゃないか!メイメイの夢はそんなんじゃない。メイメイの夢は……!」


 あの蜜柑色の髪の少女の本当の夢は、カイルといつまでも一緒にいること。そこが、たとえ世界の果てであったとしても、ずっと一緒に愛する少年と歩んでいくことだったはずだ。

 そうだろう、メイメイ。ラグは、胸の奥で呟く。君も僕に嘘をついた。もう、カイルにはついて行けないことを知って、心の無念を押し隠して、彼の未来を僕に託した。

 カイルは、少女がそう望むだろうことを知って、彼女の願いを果たすために、僕の前からいなくなった。やるせない思いばかりが募る。自分よりも、ラグの悲しみを、立場を思いやる心根が、いっそう辛い。


 どうして、君たちは、こんなに…………!


「カイルもっ、メイメイもっ、どうして、こんなに優しくて悲しい嘘をつくんだよ‼」

「ラグ……」

「僕が光皇だから……?僕が子どもだから……?」

「ラグ……!」


 半狂乱で泣き喚くラグを静めようと、シェリルは彼に手を伸ばす。が、彼は後退去って、それを拒否した。シェリルは目を見開いた。彼に拒絶されるなど初めてのことだ。


「初めて、なんだ」

「ラグ?」

「僕を、初めて、仲間って言ってくれた……」


 庇護者でもなく、臣下でもなく。肩書も一切無視して、仲間と呼んでくれた人。ラグはギュッと目を瞑った。嫌だ。このまま、カイルと別れてしまうなんて、絶対に嫌だ!彼は夢中で精霊を呼んだ。


ウィンよ、遍く大気に満ちるものよ、

我は求める、彼の少年の行方を

ラーグよ、我が前に。我を彼の者の許へと……


「だめよ!」


 カイルの許へ向かおうとするラグに、シェリルの厳しい叱責の声が飛んだ。


「だめよ、ラグ!行ってはだめ。あなたにはやるべきことがたくさんあるはずよ。それを忘れてはいけないわ」


「シェル……」


「何のために、メイメイは命を捨てたの?何のために、カイルは優しい嘘をついたと思うの?あなたならわかるはずよ、二人の想いが」


 幼い心ゆえに翻弄されている彼にきついことを言っていることは、彼女も十分にわかっていた。しかし、彼を嗜めることができるのは、彼女しかいないということも、シェリルにはわかっていた。

 ラグにも彼女の心の中が痛いほどにわかる。彼の感情の根源は、形成主たる彼女を模したものだ。わからないはずがなかった。

 彼の呼びかけに応え、集い来た精霊が力が緩んだ瞬間に、ぱっと四散する。取り残されたラグは、俯いたまま、ぽつ、と呟いた。


「……僕は、ラグナノールなんだ」


 黄昏に立ち向かう者ラーグナル・ノール。荒廃と戦乱に満ちた黄昏のごときこの世界を希望の暁へと導く者。そうなって欲しいと彼女を通じて世界が願い、雛だった彼はそれを受け入れた。その想いを裏切るような真似は出来ない。自分の名を再認識することで、彼は悲しみを飲み込んで、光皇である自分の使命を果たそうと心に決めた。


「……ごめんね、メイメイ。僕、使命を果たしてくる。ディセルバは、メイメイについていてあげて。一人だときっと寂しがるから」


 竪琴をメイメイの脇にそっと置くと、光皇ラグナノールは、後ろを振り向かずに部屋を後にした。ため息のような静かな音を立てて扉が閉まる。それを黙って見守っていたシェリルの頬を、音もなくつうっと一筋の涙が伝う。


「あたしって、酷い女ね。そう思わない?」

「……いや、お前は正しいよ」


 そう、いつだって、彼女は正しく真っ直ぐだ。……悲しいくらいに。相変わらず暗い表情のままのディセルバの答えに、彼女は薄く笑う。


「そう言ってくれるのは、あなたぐらいだわ」


 やがて、扉の向こうから、割れんばかりの光皇を讃える歓呼の声が、空気を震わせるほどに響き渡った。聖女でも、聖天騎士でもない、名もなき少年と少女に命を救われた光皇は、嘆き続ける心の痛みを押し殺して、彼に救いと希望を求める人々に、慈愛の微笑みを与え続けた。










 

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