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第8話

 その日、ラドリアス王国王城南門に詰めていた衛兵たちは大いなる災厄に見舞われていた。

 突然現れた、金髪の戦士が、信じられない身のこなしと膂力でもって、同僚らを素手で・・・次々と沈めていくのだ。何より彼らが戦慄したのは、この大男には武器が通用しないということだった。剣で切りかかろうと、槍で突こうと、得物は皆玩具のようにぽきりと折れ、ぐにゃりと曲がり、瞬く間に無用の長物と化した。

 男が一歩踏み出せば、為す術もない彼らもまた一歩下がる。

 気がつけば、辺りは男の打ちのめされた兵たちが、累々と転がり、苦痛の呻きを上げていた。そうして、睨み合っている間にも、兵は一人、また、一人、と男によって地面に転がされる。

 衛兵を恐怖にどん底に叩き込んでいるのは、むろん、ディセルバである。大分脅かせただろうと踏んだ彼は、辛うじて剣を構える忠義者たちに、ややうんざりした声を上げた。


「もう、降参しろ。勝負はついただろ?」


 それを嘲りと受け取った兵の一人が、頭に血を昇らせて、無謀な突撃をかける。


「ふざけるなぁっ!」


 聖天騎士は、光皇と契約した魔獣と人間との融合体である。そのため、彼の反射神経、瞬発力、膂力は、人間の比ではない。ディセルバは軽くため息をつくと、怒り狂った鋭い斬撃をするりと躱し、無鉄砲な兵士の腹に痛烈な蹴りをくれてやる。一瞬で兵は昏倒し、地面に崩れ落ちた。

 忠義というより、処罰されることの恐怖と目の前の怪物の恐怖との狭間で、ガチガチに動きが取れなくなっている衛兵に、とうとう埒が明かねえと業を煮やしたディセルバが、怒りの咆哮を上げた。


「てめえら、怪我ぁしたくなかったら、とっととそこを退きやがれッ‼」


 怒りの咆哮とともに、ディセルバの両眼が黄金の輝きに満たされる。その途端、にわかに空がかき曇ったかと思うと、一筋の稲妻の柱が白銀の輝きを伴って、ぶ厚い木製の城門に襲い掛かった。凄まじい破壊音と立ち込める焦げ臭い煙の中、稲妻に慄き、小さく身を丸めた衛兵たちは、頑丈な門扉が粗方吹き飛ばされていることに、ぎょっとなった。


「なあ、降参するか?」


 何気ない声音だが、挑むように爛と輝く黄金の瞳のディセルバは、腰を抜かした兵たちにとって、まさしく魔獣そのものだった。兵士の一人が、震える声で問う。


「あ、あんた、いったい、何なんだ」

「聖天騎士」


 簡潔な答えに、ひいっ、と短い悲鳴を上げた彼らは、一斉に武器を地面に放り出した。


「よし、これで、南門開放、武器の確保も成功ってとこか」


 完全に降伏した兵士たちを満足そうに眺めて、ディセルバは勝利宣言をした。その姿に、物陰から助太刀の機会を窺っていたザインたちはあんぐりと口を開け、間抜け面を並べているしかなかった。

 目の前にガラガラと山に積まれていく武具や防具の音に、ようやくザインは我に返った。


「ディ、ディセルバ殿……」

「ああ、面倒臭えなあ。殿はやめにないか、ザイン」

「は?」


 畏敬と、そして、恐怖と。信じがたい光景を目の当たりにし、おずおずとディセルバに声をかけたザインに、彼は不機嫌そうな、困ったような顔をして振り向いた。


「そういう畏まった言い方は嫌なんだよ。どうも、ラグと一緒にいるようになってから、様だの、殿だの、こそばゆくって敵わない」


 元々が、荒くれ者ばかりの傭兵団で、その人生の大半を過ごし、揉まれてきた男である。こういった礼儀だの、礼節だのといったものは体質的に合わない。

 聖天騎士の凄まじい戦闘能力に恐れをなしていたザインたちも、この言葉になんだかほっとして、顔を緩めた。


「……では、ディセルバ。病人を助けに行こうか」


 苦笑するザインに、金髪の偉丈夫は人懐っこい笑みを浮かべて頷いた。






 王都グレイスタの唯一の玄関口である巨大な石門の前は、異様な熱気と喧騒に溢れていた。いきなり原因不明の熱病によって、バタバタと倒れ始めた病人たちに恐れをなした民衆が、感染を恐れて都から逃れようと門に押し寄せる。が、それを押し止めようとする門兵たちに阻まれ、両者の間には、暴動手前の危険な雰囲気が充満していた。


「門を開けろ!」


 何度となく繰り返される民衆の要求に、門兵たち自身も大いに困惑していた。いきなり起こった疫病に対し、上からの指示が何もない。指示がない以上、彼らとしては、民衆の言に従って、無闇と王都の門を開くわけにはいかなかった。そんな時、王城の一角に一筋の落雷が落ちた。それもまた、民衆の混乱に拍車をかける。押し寄せる民衆に、門兵はやむなく棒杖を突き付け脅しつけた。


「いったい、何が起きているんだ」


 悪化する一方の状況に、門兵自身も苛々と苛立ちを募らせる。民衆を傷つけるわけにもいかず、均衡は徐々に崩れ、門兵たちが数に圧倒的に勝る民衆に押されて、じりじりと後退を余儀なくされつつあった。

 すわ、暴動か、と門兵たちが冷やりとした瞬間を狙ったかのように、突如として、幾筋もの稲妻が、まるで流星群のように雷鳴を伴って城壁外に並んで落ちた。

 青かった空が美しい夕日によって紫色に染まり、太陽がホルス山脈にかかろうとする中での、起こり得ない自然現象の閃光と轟音とに、狂乱状態だった人々の心に空白の隙が生まれた。


「落ち着け!逃げ出したって、この病からは逃れられんぞ!冷静になれ!」


 民衆の意識が自分に向くのを待って、ディセルバは彼らに訴える。


「この病は数日で止む。病状の重い者は祭殿に連れて行くんだ!こんなとこで騒いでいる暇があったら、行動に移せ。でないと、助かる者も助からなくなるぞ!」


 突然現れた青年の言葉に、民衆はざわざわとざわめいて、今度は彼の許へと押し寄せた。


「本当に数日で収まるのか?いったい、この病はなんなんだ?」


 彼の胸倉を掴みかねない勢いで、民衆は次々と問うて来る。不安は不安を呼んで辺りに伝播し、誰もが非難とも救済ともつかぬ叫びを上げ始めた。

 ディセルバは、ち、と舌打ちする。こんな時こそ、ラグが必要なのに、彼はいない。ラグなら、あの目立つ容姿で民衆を惹きつけ、その不安を抑え込めるだろうに。


「王が都の地下に封印されていた魔獣を、戦に使うために復活させた。この街の人間は、その魔獣が撒いた毒に冒された。それを口にした者、吸った者に熱病のような症状が出て始めている」


「ザイン⁉」


 包むところは包んでいるが、ほぼ真実の内容を語るザインに、ディセルバが目を剥いた。しかし、彼はそれを強く制する。


「病はこれからどんどん拡大する。下手な嘘で取り繕っては、様々な憶測を呼んで、却って不安に駆られるだけだ。できるだけ真実に近く、そして、理解しやすいように伝えなければ、被害が増すことになる」


 ザインは、民衆が騒ぎ始める前に、堂々とした声で言葉を続ける。


「落ち着け、救いはあるのだ!この地に、光皇陛下が慈悲の手を差し伸べて下さった。毒の源である魔獣を封じて下さっただけでなく、祭殿にて、術士らとともに病の平癒に当たっておられる。ここで、我らが己が身の保身ばかりを考え、あまつさえ、暴動など起こせば、いかにお嘆きになられることか!」



 光皇が、王都を、我らを救おうとしている。



 希望の光を見た民衆のそここから、悲鳴のような喜色に満ちた声が上がる。光皇に対する信仰が未だ厚いこの北の地の人々にとって、それは最高の福音だった。

 真実を語ったうえで、光皇信仰に厚い北方民族の心に訴えるという巧みな演説をするザインに、ディセルバが感心してニヤリと笑う。


「警備隊長より、祭殿勤めの導師とかの方がよっぽど向いてるぜ、あんた」


 ザインの名演説のよって、民衆は徐々に落ち着きを取り戻し始めた。中には、空に浮かぶ聖なる城ノルティンハーンに向かって、祈りを捧げるように手を合わせる者さえいた。


「協力してくれ!俺たちのグレイスタを、魔獣の企み通りにさせてなるものか!動ける者は手分けして、病状の重い者を祭殿へと運んでくれ。警備隊の連中とも協力して、街の治安悪化も防ぐぞ!」


 民の心をつかんだザインの説得に呼応して、民衆は、一人、また、一人と己の持ち場へと戻り始めた。


「その話、本当に信じられるのか、ザイン」


 ザインとディセルバの耳朶を野太い声が打つ。民衆を荒々しく掻き分けて、灰色の髪をした大男が現れた。


「……随分とでかい男だな。誰だ?」


 ディセルバ自身もかなりの長身で大男の部類に入るが、この男はさらに大きい。胸回りや胴回りは、ひょっとすると彼の倍くらいはあるかもしれない。


「西地区の警備隊を任されているグラッドって者だ」


 ザインが答えるのを待たず、グラッドはディセルバに答えると、厳しい目でザインを見やる。


「お前は反逆罪で投獄されたと聞いた。そのお前がこの病を王のせいだと抜かす。そんな手前に都合の良い話を信じろと?ちょいと、虫が良すぎやしないか?」

「それは……」


 グラッドの疑いはもっともだ。が、民衆が集まったこの只中で、どう残酷な真実を説明すればいい。彼の協力は必須だが、暴動のきっかけを与えるわけにはいかない。考えあぐねて言葉を飲み込むザインに、ディセルバが助け舟を出す。


「本当だとも。それを知らせるために、牢を脱け出して来たんだからな」

「そういや、誰だ、お前は?」


 横槍を入れてきた若造を、新兵をいなす眼でぎろりとグラッドが睨む。今度は、ディセルバがどう説明しようかと、言葉を途切れさせた。すかさず、ザインがグラッドに囁く。


「光皇陛下とともに、この地にいらして下さった聖天騎士のディセルバ殿だ」

「聖天騎士⁉この若造がか⁉」


 聖天騎士。光皇の祝福を受けし、最強の戦士。魔獣に近しい力と肉体を持ち、光皇を守護するとされる伝説の存在が、目の前にいる若者だと言われ、グラッドと、彼の良く響く声によって知った民衆の目が丸くなる。

 この好奇心に満ちた眼差しが、ディセルバはへりくだった態度以上に苦手だった。早速こそばゆくなってきた彼は、ザインの背中の方へと後退去った。


「……頼む。その、珍獣を見るような目はやめてくれ。陛下は確かに祭殿にいらしてる。だから……」

「お前が聖天騎士だという証拠は、どこにある?」

「……なんだと?」


 一瞬、ディセルバにはグラッドが何故、こんな因縁のようなものをつけてくるかがわからなかった。確かに証拠を示せと言われれば、そんなものあるわけがない。聖天騎士には、光皇のように顕著な特徴があるわけではないのだ。

 しかし、グラッドの好戦的な目と目が合った途端、彼はこの男が何を望んでいるのかを理解した。グラッドはザインの言葉の真実など、もう、どうでもいいのだ。彼の頭の中は、ルオンノータル最強と言われる聖天騎士とただただ戦り合ってみたい、それだけを望んでいる。

 ったく、このおっさん。戦闘狂の脳筋か。

 聖天騎士になった当初、この手の輩に大分辟易させられたことを思い出す。むろん、自分だとて逆の立場だったら、手合わせしてみたいと思ったことだろう。それだけ、聖天騎士の称号は、ルオンノータルの男たちにとって燦然と輝く星なのだ。

 だが、彼らは、人間以上の力を得るということが、それ以上に何かを失うのだということを知らない。そのことにディセルバは軽く憤りを覚え、空を仰いでため息をついた。

 ディセルバは、近くでポカンとした顔で見ている門兵から、するりと棒杖を奪うと、一本をグラッドに向けて放り投げた。


「……やれやれ、血の気の多いおっさんだ。手合わせしなけりゃあ、相手を信用できないってか?」

「うむ、まあ、そういうことだな」


 ニマリと満足げに笑うグラッドに、ディセルバは苦笑するしかない。


「よし、なら、こうしよう。俺が勝ったら、おっさんは警備兵を指揮して街の治安維持に尽力してくれ。あんたが勝ったら……、さて、どうするかな?まあ、俺は所詮、似非騎士だったってことにしといてもらうか」


 すっ呆けたディセルバの台詞に、グラッドは爆笑で応じた。


「面白い若造だなあ。いいだろう、いくぞ!」


 言葉と同時に、ディセルバを凌ぐ巨体が放たれた矢のごとく、跳躍した。











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