第7話
全身からピリピリしたものを発散させるディセルバに、半ばびくびくしながらカイルとメイメイは早足の彼の後を追いかけるようにしてついて行く。時々、弱々しくも必死に抗議するラグの声が、ディセルバの大きな背中越しに聞こえるも黙殺されているようだ。
程なくして、彼らは祭殿と棟続きの建物に入った。どうやら、貴族など裕福層のための宿坊のような施設らしく、カイルなどお目にかかったこともない上等な寝台や家具が一つ一つの個室に完備されていた。数ある個室のうちの一つの扉をディセルバは乱暴に開けると、ラグを無理矢理寝台に押し込んだ。
「後は俺たちでやる!お前は大人しく寝てろ、この馬鹿ガキが!」
「……だめだ。だめだよ、ディセルバ。寝てる暇なんか…………」
頭痛とそれに勝る眠気とで朦朧とする頭で、ラグは必死に抵抗していた。押し込まれた毛布の中から伸ばされた手が、懇願するようにふらふらと空を泳ぐ。それを無骨で大きい手ががしりとつかみ取った。
「こんな状態のお前に何ができる?却って足手まといなだけだ。素直に寝、て、ろ!」
きつい言葉と冷たい目で睨みつけられて、うく、と言葉に詰まったラグの顔に、毛布が再度ばさりと被せられる。しかし、それを取り払う力すらラグには残っていなかった。もそもそと、それでも、なお、抗議をするように動く毛布の中身は、徐々に静かになっていき、やがて、すう、と微かな寝息が聞こえ始める。
ラグが寝入ったと見て取ったディセルバは、ようやくピリピリした空気を脱ぎ捨てて、ほっと息をついた。
「なあ、兄貴。ラグって体弱いのか?」
「いや、そんなことはないが……」
「じゃあ、なんでいきなりぶっ倒れたりするんだよ!兄貴の心配の仕方だって、普通じゃなかったぜ!」
カイルの言葉に、ディセルバは驚きにまじまじと眼を見開いて二人を見た。
「……俺、そんなに慌ててたか?」
「完全に血相変えてたくせに、何言ってるのよ」
メイメイにも非難の目で睨まれて、十も年上の大男は、居心地悪そうに、ぼりぼりと頭を掻いた。
「……悪い。心配かけたな。……ラグなら大丈夫だ。こいつ、力を使い過ぎて疲れちまっただけだから、ゆっくり休ませりゃあ、元に戻る」
「光皇なのに、力の使い過ぎで倒れるなんてことあるのかよ」
「そりゃあ、あるに決まってるだろ。お前、全力で一日中走り回り続けてみろ。へとへとに疲れて動けなくなるだろうが。それと同じだ。お前らにはもうわかっちまってると思うが、こいつは見た目は大人でも、中身はガキだ。限度ってものを知らない。こうと決めたら、たとえ体が動かなくなろうと、後先考えずに、際限なく力を、体を酷使する。今までにも、何度か、こういうことがあったんだ」
後先考えずに、際限なく力を酷使する。ピクリとも身動きせずに寝入ったラグを気遣わしげに見つめるディセルバの言葉が、頭に浸透するにつれ、メイメイはぞっと肌を粟立たせた。それは、命を削っているのに等しい行為なのではないのか?
「……何度も倒れた、って、で、でも、それは、寝れば回復するんでしょ?」
メイメイの縋るような目に、ディセルバにしては珍しく気弱な表情が、そこに浮かんだ。
「……それで済んでるうちはいいけどな。……こいつの前の光皇は、力を限度以上に使ったことが原因で、体を壊して死んでいるんだ。こいつが倒れる度に、俺たちは、つい、それを思い出してひやひやしちまう。本当に人騒がせなガキだ。いくら無茶をしようと、六百年もの失皇期の空白を一気に埋めるなんてこと、出来やしないのに……!」
言葉を続けるうちに、ラグの無茶ぶりに対する憤りが再燃したのか、台詞も最後の方は、唸り声に近いものとなった。なんの恐れも知らぬ最強の男だと思ってきた、聖天騎士のディセルバにも、どうにもならないものがあるのだということを、カイルは知った。
「……カイル、メイメイ。この騒動が終わったら、お前らノルティンハーンに来い。俺は忙しくて、始終ラグにくっついているわけにはいかない。お前らが側にいて、無茶をしないように見張っててくれると助かる。こいつの孤独も少しは癒されるだろう。……考えておいてくれないか」
すぐには答えられない頼みをしたディセルバは、寂しげな笑みを残して、部屋を後にした。取り残されたカイルとメイメイは、眠りについた青年の、彫像のように美しい寝顔をぼんやりと眺め続けた。
「ディセルバ様。陛下の御加減はいかがなのですか?」
部屋を出てすぐに、ディセルバは、心配そうな王女の声に出くわした。声と同じく心配そうに眉根を寄せる美女に、参ったなあ、と彼はぼりぼりと頭を掻いた。こんな顔をされるほど、俺は慌てた顔をしていたんだろうか、と。
「……少々、疲れたようなので、大事を取って奥で休ませました。御心配には及びませんよ」
「左様ですか。私たちのことで、大分、御心痛をおかけした様子。そのせいかと」
ああ、そういうことか。ディセルバは合点した。彼女はどういう事情でか、ラグの中身が幼い子どもであることに感づいているのだ。子どもの心の傷は、大人のそれより深くて大きくなることがある。彼女はそれを心配しているのだろう。
母性ってのは、すげえなあ。彼は仲間の一人であり、ラグの育ての親でもあるシェリルと王女に共通のものを見て、感心と、そして、畏れを覚えた。男はいくつになっても、母親には勝てないなあ、と思いつつ。
「ご安心下さい。あいつはそんなに弱くありませんよ。後で見舞ってやって下さい。喜びますから」
「はい」
王女は素直に微笑んだ。その細い双肩に、信じられないくらい重いものを背負わされた彼女は、聖天騎士の優しい言葉に、少し重いものが降りたような気がした。彼女は、祭殿へと歩み去る聖天騎士の、大きくて逞しい背中に、深々と頭を下げた。
「ディセルバ殿、陛下の具合はよろしいのか?」
祭殿で忙しく指示を出していたフォレスが、ディセルバの姿を見止めた途端、そう声をかけた。思わずディセルバは苦笑を返す。
「ああ、心配ない。それより、南門はどうなってる?あそこを開放しないことには、病人を運び込むこともできないだろう?」
「随分と簡単に言ってくれるな。こちらには武器すらないんだ。それで五十人近くの衛兵を相手にせねばならんのだぞ」
「……たった五十人か。なら、俺一人でいい。門はぶち壊しても、文句は言うなよ?」
事もなく言ってのけたディセルバに、フォレスをはじめ、皆が目を丸くする。彼は、聖天騎士だ。しかし、いくら、聖天騎士と言ったって……。半信半疑の視線を送る面々に、ディセルバは悪戯坊主のような琥珀の瞳に、ニヤリと不敵な笑いを浮かべた。
「伊達で聖天騎士なんて名乗らねえよ。ま、今回、二回も捕まってるしな。名誉挽回と行くか。まかしとけって」
大層な大言を吐く青年を、揃ってポカンと阿呆のように眺める彼らは、ほんの一刻の後、信じられないものを目の当たりにすることになった。