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第2話

「兄さん、凄腕だねえ。ひょっとして、二つ名持ちの傭兵かい?」


 怯えたカイルの悲鳴をきっかけに、止まっていた時間が動き出したかのように、馬車に逃げ込んでいた人々が、恐る恐るとではあるが馬車から身を乗り出し始めた。

 真っ先に馬車から飛び降りてきたのは座頭で、ふやけたような笑顔と揉み手をしながら、彼は大剣を持った男を褒めちぎった。下手をすれば、前の馬車同様の運命を辿るところだったのだ。礼ぐらいいくら言っても足りるものではなかった。それを皮切りに、他の人々も、次々と礼を言い始めたのを、男は苦笑で返した。


「こいつが囮になってくれたから、不意をつけただけだ。たいしたことじゃない」


 わずかに頭巾から見え隠れする口の端から微かな笑みを見せて、男はカイルを労うように、その背中についた砂埃を払った。バンバンはたかれるその力は結構強くて、カイルは何度もよろけそうになったが、嫌な気にはならず、むしろ、なんだか、くすぐったいような心地良ささえ感じた。


 この兄ちゃん、凄え……!


 方々を旅してきて、いろんな傭兵や戦士に出会ったことのあるカイルだが、魔獣を軽く屠っておいて、大したことじゃないなどと言う、凄い男に会ったのは初めてだ。最底辺の存在である彼ら芸人に、傲慢な態度をとることなく気さくに接するところも良い。少年の瞳に、男に対する尊敬の念が浮かんだ。

 

「どうした?」


 男の外套をギュッと握ったまま、頬を染めてもじもじと俯く少年に、男の不思議そうな声がかかる。カイルとしては、話しかけたくてうずうずしているのだが、物怖じしない彼には珍しく、嫌われたら、と思う気持ちが邪魔をして、なかなか最初の一言に踏み出せない。

 心の葛藤でますますもじもじするカイルの目線の片隅で、その時、何かがちらりと動いた。横倒しになった馬車の後ろに、何かがいる。しかし、それが何かなど確認する暇などなかった。


「兄ちゃん!後ろおっっ‼」


 カイルの絶叫より、それの跳躍の方が早かったに違いない。けれども、男もまた、カイルの叫びに素早く反応し、座頭を突き飛ばして大剣を突き出した。


 ガキンッ!


 金属と硬いものとがぶつかり合う、硬質の音が響く。濃紺の毛並みの獅子にも似た魔獣の頑丈な顎が、男の大剣をがっちりと噛みしめていた。剣を取り返そうとする男とそうはさせじとする魔獣の力が拮抗し、しばし、時間が停止したように動きを止める。


「もう一頭いやがったか!」


 大きく舌打ちした男に、身動きすら取れないでいる人々も慄きながら、己らの不運を呪った。比較的安全と言われる街道で、一日に二頭もの魔獣に遭遇するなど、運が悪いにもほどがある。誰もが人間を見捨てて去った白き月の神々に恨み節を唱える中、ガリガリと金属を擦る嫌な音を立てて、鋼以上の硬度を持つと噂される魔獣の牙が、男の大剣をへし折ろうとしていた。


「兄ちゃん!」


 じりじりと押し負けそうな男に向かって、カイルが悲鳴混じりの声を上げた。その声に励まされたかのように、男は軽く息を吸うと、一歩踏み出してきた青獅子をゆっくりと元の位置へと押し戻した。


 グルルルル。


 魔獣が不満そうな唸りを上げ、それに合わせて、男の目も覚悟を決めたかのように光る。下半身にググッと力がこもり、厚い外套の下で、逞しい筋肉が筋を浮かべて盛り上がった。

 ぎろ、と今一度、青獅子を睨みつけた男は、次の瞬間、獣のごとき咆哮を上げた。


「うおおおおおおっっ‼」


 男の咆哮とともに、子牛ほどもある青獅子の身体が、咥えていた大剣ごと持ち上げられ、後脚で立ち上がる格好となった。それは、魔獣自身にとっても信じがたいことだったらしく、慌てて宙に浮いた前脚をばたつかせて、噛みついていた大剣から顎を放した。青獅子の前脚が再び地に戻ろうとする、そのわずかな一瞬、剣を奪い返した男は、すかさず無防備に晒されていた腹に白刃を叩き込んだ。

 翻った白刃の一閃が、太い丸太のような胴を薙ぐ。勢いに乗った剣撃に、魔獣は血と臓物を撒き散らして、街道の乾ききった地面の上に、どうっと倒れ込んだ。

 大剣を振り抜いた勢いで、男の顔を覆い隠していた外套の頭巾が外れ、豪奢な濃い金髪のまだ年若い男の顔が、強い陽射しの下に露わになった。

 一陣の風が砂埃とともに吹きすぎる中、眩しいほどに光る大剣の刃が、魔獣の首筋に、ザクリ、と止めの一撃を加えた音のみが、顔色を失った人々の耳に余韻として残った。


 たった数瞬の出来事。


 それなのに、この物凄い感動と体の奥底からくる震えは、いったい、なんなんだろう。湧き上がる感情を持て余し、汗ばむ手のひらをぎゅうっと握りしめ体を震わせるカイルに、額に汗光らせた金髪の剣士が、にっ、と人懐こい笑みを浮かべた。


「助かったぜ、坊主。お前のおかげで、殺られずに済んだ」


 男の笑みは、恐怖に凍りついた人々の心をも溶かした。目前に迫っていた死の恐怖から解放された反動のように、歓声を爆発させて彼らは剣士を取り囲み、我先にと礼や賛辞を伸べまくる。あっという間に、人垣の外へと追い出されてしまったカイルは、出遅れた!と憤然として群れの中に突っ込もうとした。


「おい!まだ、生きてる奴がいるぞ!」


 横倒しの馬車を指差して老曲芸師が助けを呼ばう。慌てて集まった人々が、馬車の下敷きになっていた男を助け出した。


「……この中に、術士はいるか?」


 金髪の剣士が、屈み込んで怪我の様子を確かめたが、それは誰の目にも助からないとわかる酷いものだった。それでも、と問うた剣士の問いに、皆は一様に首を振った。


「あの気位の高い連中は、皆、王と祭殿のお抱えだ。こんなとこにいるわきゃねえ」


 炎を操る手品師が憤りを込めて、唾を吐く。ルオンノータルには、目に見えぬ精霊という存在がいる。精霊は自然のあらゆるものに宿り、その事象を司る。その精霊の声を聞き、語る素養を持つ者を「語る者」といい、「語る者」の中で精霊を使役する術力を持つ者を「術士」と呼ぶ。彼らは精霊を使役して様々な術を使うことができた。治癒の術もその一つである。しかし、術士は貴重で、その数は少なく、ほとんどが国や大祭殿の管理下にある。こんな旅芸人の馬車になどに乗り合わせているはずもなかった。


「……誰か、これを、……ラドリアスへ…………」


 重い沈黙に包まれる中、瀕死の男が最期の力を振り絞って、小さな袋を差し出した。金髪の剣士が大きな手で包み込むようにしてそれを受け取り、男を安堵させる。程なくして、瀕死の男は、さほど苦しむ様子もなく、眠るようにして息を引き取った。同じ災厄に直面し、運良くも命を拾った人々は、亡くなった者たちに深く瞑目した。

 死者たちの埋葬と壊れた馬車の始末を簡単に済ませ、芸人の馬車は再び動き出した。残暑の暑さは相変わらずだが、馬車の中は、冷水を打ったように冷え冷えとして、誰もが無言だった。


「嫌な話だね。出稼ぎに行った父親は、魔獣に殺されて死にました、なんてさ」


 踊り子メイメイが、顔を顰めて言う。傭兵の左手の中にある袋の中には、銅貨と銀貨が、そして、右手には遺体の衣服の中から見つけた身元を証明するラドリアスの鑑札が収まっていた。金貨なんて一つもない。それでも銀貨が多少でも多いのは、わずかな賃金を家族のためにとコツコツ貯めていたからであろう。家族思いの良き父親像が、そこから透けて見えた。


「なあ、兄ちゃん、それ、どうするんだよ」


 ちゃっかり剣士の隣に陣取ったカイルの問いに、剣士は袋を軽く放って受け止めた。


「ああ、どうせ、ラドリアスに行くつもりだったんだ。ついでに届けてやるさ」

「ラドリアスに、何しに行くんだよ」


 彼のことを根掘り葉掘り熱心に聞き出そうとする少年に、剣士は苦笑した。


「……お前は衛兵か?まあ、いいか。最近、ラドリアスの辺りがきな臭いってんで、うまい士官の口はねえものかと、な。そう思ったのさ」


 要するに、彼は職にあぶれた傭兵らしい。ジャドレックの北の要塞が近頃騒がしいことから、どうもきな臭いことになりそうだという噂がそここでされているので、馬車の誰もが剣士の言葉に素直に納得した。


「あんたは、俺たちにとっちゃ、「大当たり」だ。あんたほどの腕だったら、いくらでもいいところに士官できるだろうよ」


 御者台から話を伺っていた老曲芸師が口を挟む。剣士のように、国にも、どこかの騎士団にも属さず、一人で行動する傭兵を「はぐれ傭兵」と人は呼ぶ。だが、その生活は厳しいため、荒んだ者も多く、陰で彼らを「外れ傭兵」などと呼ぶ者もいた。

 社会的に褒められた地位にいない剣士は、「大当たり」と褒められたことに照れたのか、その琥珀色の瞳に面映ゆい色を映した。恥ずかしそうに金髪をぼりぼりと掻く、そんな剣士の様子を、カイルは熱に浮かされたかのように、頬を染めて、いつまでもじっと見つめ続けていた。










 

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