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第5話

 不思議ね。


 エメイアは、光皇だという青年に向かって、一歩一歩と近づきながら、そう思った。この方は、大人の姿をしてはいるけれど、その中身は、小さな、そう、十歳、いえ、もしかしたら、もっと幼い子なのかもしれないわ。信じがたい現実を、エメイアは自分の培ってきた感覚に従って素直に受け止めた。

 何故なら、彼女は母であったから。むろん、彼女自身の子ではない。彼女は、この数年、たくさんの孤児たちの支援者として、母親代わりとして過ごしてきたのだった。

 懐かしいわ。当時を思い出した彼女の顔が綻ぶ。孤児院。フォレスとの交際のきっかけになった場所。

 何もしなくていいと兄は言う。でも、それでも、エメイアは何かをしたかった。姫様と慕ってくれる国民に、ただ笑顔振り撒くだけのお人形のような日々は、息が詰まりそうだった。


 孤児院の支援などはいかがでしょうか?


 思い詰めた顔ばかりをしていた彼女に、そう提案してくれたのが大臣の補佐官に就任したばかりのフォレスだった。

 孤児院の支援は楽しいことばかりではなかったが、硬い蕾がいつかは花開くように、頑なに心を閉ざした子どもらが、ようやく笑顔を見せてくれた時の感動に比べれば、そんなものはたいしたことではなかった。

 そして、フォレスとの恋。

 最初は王族の小娘の気まぐれだとばかり思っていた。後に、彼は正直にそう語った。しかし、同時に、目が離せなかった、とも彼は言った。あなたの孤児に対する態度はとても真摯で、彼らを見る目は愛情に溢れていたから、と。彼女は初めて、人を恋する喜びを知った。

 孤児院は、子どもたちは、今や、彼女の生き甲斐であった。だからこそ、彼女は、目の前で泣きじゃくる小さな子どもを放ってはおけない。黒髪の青年の傍らに立った彼女は、そっと優しくその背中を撫でた。


「愚かな私たちのために泣いて下さるのですね。もう、これ以上、お嘆き下さいますな。魔獣を目覚めさせたは、我が兄の罪。しかし、それを止められなかった私たちもまた同罪にございます。……どうぞ、お教え下さい、すべてのことを。私はもう、報いを受ける覚悟をいたしました」


「王女……」


 母のような深い慈愛の微笑みを向ける王女に、ラグはようやく己が何者であるのか、今、何をせねばならないのかを思い出した。頬に残る涙の痕を、ぐいっと乱暴に袖で拭った彼は、幼子のラグから光皇ラグナノールへと気持ちを切り替え、一つ、ため息をつくと、静かに語りだした。


「……魔獣はつがいだったんだ」

「つがい⁉だ、だって、さっき俺たちが倒したのは、一頭だけじゃねえか!」


 カイルの裏返った声に、ラグが頷く。


「そう、地下にいたのは、あの雌一頭だけだった。雄の方は、おそらく王と一緒に戦場に向かってると思う。……魔獣たちが王に従う素振りを見せていたのは、封印を解いてもらったからじゃない。別の目的があったからなんだ」


 しんと静まり返った場。集中する皆の視線が痛い。出来ることなら、これから先の話はしたくなかった。しかし、彼らは、それを望まないだろう。

 人間はやり直す力を持っている。カイルが言ってくれた言葉を、ラグは今こそ信じたかった。軽く息を吸い込み、心を落ち着かせたラグは、再び言葉を紡ぎ始める。


「……奴らは子孫を残したかった。それを欺くために、王に従う振りをしたんだ」

「でも、あそこに卵ようなものなんてなかったわよ。それにあったとしても、ラグがみんな消しちゃったでしょう?」

「メイメイ。あの種族はあんなところに卵を産まない。それに、奴らは以前、光皇に封印されたことで、用心深さを身につけた。人間だけでなく、僕にも気づかれないよう、密かに事を進めたんだ」


 ラグの瞳が、苦しげにぎゅっと閉じられ、拳が白くなるほどに握りしめられる。


「……奴らの卵は、一見、胞子のような姿をしている。それは、空中を漂い、獣や人間の体内に入り込んで、彼らを苗床にする。やがて、数か月もすると、苗床の養分を吸い尽くし成長した卵は、蝶のような姿になって羽化するんだ」


 ラグがこの都に現れた最初の日に見た、干からびた死体と空に舞っていた蝶のことを、ディセルバは鮮明に思い出した。


「あの蝶…………!」

「そう、奴らの企みは、もう、すでに始まっていたんだ」


 王都の空を無数の美しい瑠璃色の蝶が乱舞する。その下では、数え切れぬ干からびた死体が折り重なるようにして倒れ伏す。そんなあまりに美しく凄惨な光景を脳裏に浮かべた人々は、さらなる戦慄に打ちのめされ顔の色を白くした。


「なんということ…………!」


 していた覚悟の何と甘かったことか。想像していた以上に残酷な事実を突き付けられたエメイアは絶句し、くらりとその身をよろめかせた。


「いったい、どれほどの人間に卵が産みつけられたのか、僕にもわからない。……もう、だめなんだ。この都は、地下にあった都市と同じ運命を辿ってしまう。せっかく兄様が奴らを地中深くに閉じ込めておいたというのに……!」


「違うっ!まだ、終わりなんかじゃねえっ‼」


 ラグの絶望の嘆きを、カイルの否定の叫びが打ち消した。


「カイル……?」


 ラグだけでなく、この場のすべての視線が芸人風の派手な色の胴衣を身に着けた赤毛の少年へと向かう。芸人の少年は、相手が光皇であることなどまったく念頭にない態度で、彼の胸板をバンと突いた。


「俺たちはまだ死んでなんかねえぞ、ラグ!魔獣の卵の苗床だかなんだか知らねえが、生きてるうちは、俺たちの身体は俺たちのもんだ。黙って喰われてたまるもんかよ。かっこ悪くたってなんだって、俺は最後まで足掻くぞ!なんで、最初っから諦めてんだよ!」


 あの坊主は……。ジョエルのところで見たカイルがいることに、ザインは改めて気づいた。そうして、絶望的な状況がますます悪くなっていくことに萎えていた心が、ゆっくりと上昇を始める。

 ジョエルとたいして変わらないガキが、なんて威勢のいいことを言いやがる。ザインの顔に笑みが戻った。


「その坊主の言う通りだ。俺も足掻くぞ、フォレス!俺はここで生まれ、ここで育った。魔獣になんぞくれてやれるか!」


 ザインの奮起した言葉に、フォレスとエメイアは顔を見合わせて強く頷いた。見れば、他の者たちも頬を紅潮させ、目に生気を蘇らせていた。


「見ろよ、ラグ。ラドリアスの人間も、まだまだ捨てたもんじゃないと思わないか?」

「ディセルバ……」


 ディセルバの言葉に、ラグは胸を詰まらせた。真実を知ったら絶望してしまうと思っていた。でも、実際はどうだろう。誰もが迫りくる絶望を跳ね返そうと、最後まで諦めることなく生きようとしている。


 人間は強い。ラグが考えているよりも、ずっと、ずっと強いのだ。


 彼らを救おう。この愛しくも勇敢な人間たちを死なせてはならない。俯けていた顔を上げたラグの瞳にも強い決意が生まれた。


「この都を救う方法が、ひとつだけあります」

「本当かよ、ラグ!」

「まことでございますか、光皇陛下!」


「火の高位精霊力「浄化」を人間の体内に発生させ、魔獣の卵を消し去る方法です。この術を行えば、魔獣が羽化するのを防ぎ、苗床になった人間を救うことができる」


 しかし、と、唯一の希望を口にしたはずのラグは、苦悶の表情を浮かべた。


「……この術は、その一方で、多くの命を奪うことになるでしょう。魔獣の卵の浸食具合にもよりますが、体内に火の高位精霊力が発現することによって、かなりの高熱が数日続きます。浸食末期の者はもちろん、病人、老人、子どもといった体力のない者たちの命が失われるでしょう。……それを承知したうえで、決めてください。魔獣の苗床となって滅びるか、術力による熱病で多くの民を失うことになっても生き延びるかを。僕はあなた方の選択に従います」


 光皇が提案した非情なる二択に、誰もが青褪める。どちらを選んでも王都グレイスタは、ラドリアスは甚大な被害を被ることを免れない。


「……他に方法はないのですか?」


 魔獣を復活させたとはいえ、あまりに大きい代償に、やるせない憤りを含んだ声で、フォレスが光皇に問う。その縋るような目に、ラグは希望を与えてやりたかった。が、現実は厳しい。それしか方法がないことを、彼は知識として知り過ぎるほどに知っている。


「……ありません」


 あまりに辛い現実に耐え兼ね座り込む者、壁に拳を打ち付けて怒りを露わにする者。様々な悲しみと憤りとが渦巻く場に、ラグはぎゅ、と胸元を押さえた。

 心が痛い。光皇と呼ばれ、人間の希望と期待を背負っているというのに、あまりにも自分は無力だ。何故、僕には、もっと力がないのか。こんなにも、求められているというのに。そんな彼に温かい手が触れた。


「メイメイ……?」


 ふわふわの蜜柑色の髪をした元気で優しい踊り子が笑う。その目尻には微かに涙が滲んでいた。


「自分を責めちゃだめ。辛いのはあなたも一緒なんだから、ね?」


 どちらを選択されたって、この優しすぎる青年は、後できっと大泣きするのだ。メイメイは、もうこれ以上、ラグが嘆くのを見るのは嫌だった。

 カイルもまたメイメイの気持ちが痛いほどわかった。少年は無言で少女の頭にポン、と手を乗せた。

 ラグの手がおずおずと伸ばされ、二人を抱き寄せる。カイルとメイメイの手も伸ばされ、三人はお互いにお互いを黙って強く抱きしめあった。


「……フォレス、私は決めました」


 エメイアは、華やかな笑みをフォレスに向けた。


「私もあなたと同じ選択を望みます。おそらく、大臣も他の方々も同じものを選択されたと思いますが」


 愛しい人の答えに満足した王女は、ドレスの裾を引き、恭しく光皇に頭を垂れた。


「光皇陛下、私は少しでも多くの民が生き残ることを望みます。どうか、我が民のために、その御力にて、火の浄化術をおかけ下さいますよう、お願い申し上げます」


 彼女に倣い、フォレスら一同も片膝をつき、深く首を垂れた。


「……わかりました。我が力の及ぶ限り、最善の努力をしましょう」


 王女の選択を受け取ったラグは、ふと、周りを見回すと苦笑した。


「でも、牢獄じゃ、話にならないな。王女、術士はどこです?彼らの協力が必要なのですが」

「この王城の隣、南東に位置する精霊祭殿です。でも、この警備の中、いったい、どうやって抜け出そうとおっしゃるの?」


 光皇たる青年は、不思議そうな顔をしている王女に微笑むと、一陣の風と眩い光とを呼び込んだ。











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