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第9話

 ぴとん、ぴとん、と天井から落ちてくる水滴の音だけが、足元さえも暗い闇の中に響き渡る。地下水路の中を、ラグに導かれる形で、カイルとメイメイは歩を進めていた。

 触手の攻撃は、あの後、数回ほど繰り返されたが、その都度、ラグの不可思議な力によって撃退されていた。


「……人間相手だと、ぴいぴい泣いてるくせに、魔獣が相手だと、なんでこうも強気なんだよ」


 ラグの人間と魔獣に対する態度の激しい落差に、カイルがぶちぶちと愚痴る。せっかくディセルバに頼まれた義務感からではなく、自発的にラグを守ってやろうという使命感に目覚めた矢先だというのに、出鼻を思いっきりくじかれた思いである。


「いいじゃないの。適材適所ってやつでしょ」

「でも、よお……」


 納得いかずにぶすくれるカイルの様子に、メイメイがくくっと笑いを零す。


「カイル、メイメイ、こっちだよ」


 少し先を歩いていたラグが、彼らを手招きする。ラグが示した水路の壁にぽっかりと大穴が開いていた。何かが力任せに無理矢理こじ開けたような大穴の奥は、水路内の空気穴のような光源がなく、濃く暗い闇が広がっている。


「暗くって、何も見えないぜ」


 カイルの言葉に、ラグは手のひらから造作もなく拳大の光源を創り出した。光球は音もなく、ふわりと舞い上がると彼らの頭上に留まり、辺りをぼんやりと照らし出した。

 じゃりっ、と音を立てて、最初にラグが、続いてカイルとメイメイが大穴を潜り、暗闇の中へと足を踏み入れる。光球の明かりがあるとはいえ、水路と違い、瓦礫の散乱する道を、早足のラグについていくのは結構大変だった。二人は何度も瓦礫に足を取られ転びそうになった。

 カイルがとうとうラグに文句を言おうとした時、青年の足が前触れもなくピタリと止まる。


「ラグ、お前、早ええよ。もうちっと、ゆっくり……」


 しかし、カイルはそれ以上言葉を続けられなかった。真っ暗な暗闇を抜け出た先に現れ出でた、都市の遺跡の威容に圧倒されてしまったのだ。

 彼らの足場となっている、崖から張り出すように突き出た踊り場のような場所から見下ろすそれは、倒壊し、流れ込む地下水に水没したものも多々あるが、この上に築かれているグレイスタに勝るとも劣らぬ都市に見えた。下の方に何か光源があるのか、ここはほのかに明るい。


「明かりがあるってことは、どこかに見張りがいるんじゃねえ?」


 油断なく辺りを見回すカイルに、ラグがさらりと答える。


「魔獣の気配が近い。居たがる人はいないと思うよ」

「「ええっっ⁉」」


 二人は、ずさっと、少なくとも五歩は後退去った。魔獣も怖いが、人間にとって最悪の天敵を、まるで犬猫のようにけろりと言ってのけるラグも怖い。全身の神経をピリピリと尖らせて、懸命に魔獣の気配を嗅ぎ取ろうとするが、彼らには何も感じられない。それが一層二人を不安にさせる。ついついどちらからともなく、ラグの胴衣の裾を握りしめ、ぴったりと彼の身体に寄り添った。


「……カイル、メイメイ、歩きにくいんだけど」

「だって……」「なあ……」


 今まで威勢の良かった二人の不安そうな顔に、大いに戸惑いの表情を浮かべたラグではあったが、それ以上は何も言わず、ずるずると二人を引きずる格好で、遺跡の方へと下り出した。


「こんな立派な都市だったら、新しいものを上にわざわざ作らなくてもよかったのに、なんで地下に押し込めたのかしら」

「そう言えば、そうだなあ」


 背中で二人の会話を聞きつつ、ラグは静かに目を閉じた。懐かしいと思ったホルス山脈の姿。ああ、そうか、やっぱり、兄様の……。彼の中に眠る過去の光皇の記憶が、ぼんやりと意識の表層に蘇りつつあった。


「……魔獣に滅ぼされたんだよ」

「…………!」


 沈痛な面持ちで瞳を閉じ、何かを思い出そうとしている青年の姿は、遠い昔に魔獣の犠牲になった者たちへの鎮魂の黙祷のようでもあった。

 恐るべき魔獣への恐怖。そんなものを復活させようとするバカな奴ら。緊張に次ぐ緊張に、神経を張り詰めさせていたカイルが、とうとう堪りかねて、感情を爆発させた。


「バカなのか、ここの王様は!こんなでかい街を滅ぼしちまう魔獣を起こそうってのかよ。いったい、何考えてやがるんだ!そうまでして、戦争に勝ちたいのかよっ、くそっ!」


 憤りはそのまま行動となって、カイルは近くにあった大岩を思い切り蹴った。


「カイル!それ……!」


 メイメイが、カイルが蹴り上げた大岩を指差して大きな声を上げた。彼女の指差す辺りをよくよく見てみると、なにか紋様のようなものが刻まれている。


「聖光の紋章……⁉」


 二人のやり取りを眺めていたラグが、突然、驚きの声を上げると二人を押し退け、大岩に飛びつくようにしてしゃがみ込んだ。その後に従って光球がふわりと彼の頭上を照らす。

 ラグの手が無意識に自分の額に座す紋章へと運ばれる。代々の光皇に認められた現光皇のみが、その額に戴くことを許される唯一無二の紋章が、そこには確かに刻まれていた。

 故意にか風化でかはわからないほどに崩れ、完全な形を保ってはいないが、光皇である彼がこれを見間違うはずはなかった。


「おい、ラグ。なんかわかったのか?」

「……なんてことを……っ!」


 ダンッと硬い音がして、ラグの拳が岩に叩きつけられる。


「愚かなことを!なんて、愚かなことを……っ!光皇の、兄様が施した封印を壊すなんて……!」


 カイルとメイメイの顔から一気に血の気が引いた。光皇が直接封じたほどの大物が、この場所にいる……⁉が、しかし、彼らはそれに怯えている暇などなかった。怒り狂ったラグが、荒れる感情のままに、何度も何度も己の拳を岩に叩きつけていたからだ。あっと思う間もなく、ラグの手は血で真っ赤に染まっていく。


「やめてっ!やめるのよっ、ラグ!」


 悲鳴を上げてメイメイがラグに飛びついた。慌てたカイルも後ろからラグに飛びついて血塗れになった右手を押さえつける。身動きが出来なくなった彼は、今にも泣き出しそうな、湿った声を絞り出した。


「……カイル、メイメイ。……心が痛いよ。僕の中で兄様たちが泣いてる。また、人間に裏切られたって、泣いてる。僕は、僕たちは、人間を信じてるのに、愛してるのに……。なのに、どうして、人間は…………」


 揺れる心と同様に、微かに震えるラグの体にしがみついたまま、メイメイは彼を慰める言葉も術も持たなかった。


「……信じろよ」

「カイル……?」


 涙を必死で堪えているラグの翡翠の瞳に、カイルの真剣な紫の瞳が映った。まだ、たった十四の、しかし、ラグには想像もできないような過酷な環境を懸命に生き抜いてきた少年が、しゃがみ込み打ちひしがれている光皇に静かに語りかける。


「人間ってさ、バカなんだよ。何度も何度も同じ間違いを繰り返しちまうんだ。魔獣を使って戦をしようなんてバカ、きっと、この王様が初めてなんかじゃない。戦争好きのバカだったら、きっと、みんな同じこと考える。……でもさ、そんな悪い奴の天下なんか続いたことあるか?」


 ないだろ?そう言って、カイルは照れくさそうに、へへっと笑う。


「だって、そんなバカがいたって、絶対どっかでそれを止めようって奴がいるんだ。俺たちみたいにさ!兄貴だって、やられてばっかで黙ってるような人じゃないだろ?フォレスさんだって、ザインさんだって、みんな必死になって止めようとしてる。何度失敗したって、俺たちは何度だってそれを正そうとする。……だから、魔獣がどんなに怖くたって、気候がどんなに厳しくたって、俺たちは滅びない。光皇だって、俺たちを見捨てないんだ。……そうだろ、ラグ?」



 そう。だからこそ、私たちは、何度裏切られようとも、人間という存在を愛して止まないのだ。



 ラグの胸の内で、過去の光皇たちの優しい囁きが聞こえた。血に塗れていたはずの彼の手は、いつの間にか元通りになっていた。

 カイルの言葉に泣き出してしまったメイメイを、ラグは優しく抱きしめ、愛すべき人間たる少年を見つめ返す。


「カイル、魔獣を倒そう。ラドリアス王の思い通りになんて、絶対させない。……手伝ってくれる?」

「ああ、いいとも、やったろうじゃねえか!でもさ、魔獣だけじゃなく、王様も懲らしめてやらねえとな。どう考えたって、不公平ってもんだろ?」


 いかにもカイルらしい台詞に、ラグとメイメイが揃って笑う。


「いいね、それ。カイルは説教上手だから、王様も、カイルにこってり説教してもらおうかな」


 ラグの言葉に、彼らは顔を見合わせて、ぷっと吹き出すとひとしきり笑った。気を取り直した三人は、力強く頷くとがっちりと手を組んで、遺跡の先、底なしの暗闇に息を潜めて待ち受けるものに、険しい視線を向けた。











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