第8話
内容にちょっと納得いかなかったので、少し、ディセルバの台詞を改変いたしました。ご了承ください。
「……そうか、取り逃がしたか。ドルツの奴め、大層な口を利いた割には不甲斐ない」
報告を受けたラドリアス王シグムントは、元からドルツに期待してはいなかったので、失敗についてもたいした感慨を持たなかった。部下を下がらせた彼の目は、冷徹な光を帯びて、眼前の牢に放り込まれた面々を見渡した。ドルツの密告や密偵によって捕らえた反逆者どもが、王の視線を受けて、ゆっくりと顔を上げる。
「陛下!今一度、御再考を!魔獣を使って戦を行うなど、太古の法に背く忌まわしき行為!光皇陛下を、世界を敵に回すおつもりか⁉」
まったくもって、煩い男だ。使命に燃える眼差しを彼に向け、檻に取り縋って直訴するフォレスに、シグムントは心底うんざりした視線を向けた。高位貴族に連なる者ながら、庶民に受けがいいとの評判を受け重用したが、こやつは民に心を添わせすぎる。
民など、飢えた狼と一緒だ。与えてやっても与えてやっても、その上を、さらに上をと望む。支配者の苦労も苦悩など知ろうともせずに。民の苦境、というが、義務を果たそうともせず、要求だけを突き付ける輩の機嫌取りを、いったい、いつまで、どこまで続ければいいというのだ。
この男もいい加減、割り切ればいいものを。シグムントは愚直に過ぎる男に、酷薄な笑みを向けた。
「光皇を敵に回す、だと?バカバカしい。聞けば、乙女のようにか弱く脆弱な若者だというではないか。そんな者に何が出来よう。彼の最高の持ち駒とて、すでに我が手にあるというのに。……なあ、聖天騎士殿?」
薄暗い牢の奥で、じゃらり、と重い鉄の音がする。
「……あんた、あいつを外見だけで判断してると、痛い目を見るぞ」
じゃらり、と重い鋼鉄の鎖の音を従えて、聖天騎士を名乗る大柄な男が王を見上げた。灰色の石壁に打ち込まれた楔に繋がる頑丈で太い鋼の鎖と枷とが四肢を戒め、その身体にも同じ鎖が、その姿が判然としなくなるほどに何重にも厳重に巻き付いて、最強を謳われる戦士の行動を幾重にも封じていた。完全に封じ込められた聖天騎士の負け惜しみにも似た言葉を、シグムントは無様と嘲笑う。
「もとより、光皇と争うつもりなどない。ジャドレックとの戦が終わるまで、大人しくしていてくれれば、それで良いのだ。さて、聖天騎士殿、このような無粋な待遇で申し訳ないが、しばし、この城にて滞在いただこうか。迷子の御主君も程なく案内して差し上げようほどに、な」
彼の挑発に、ギラリ、と剣呑な輝きを閃かせる聖天騎士の視線を背後に感じながら、王は牢を後にする。余裕の笑みを浮かべながらも、彼に油断はない。背後をついてくる近衛兵にすかさず指示を出す。
「居残る兵には、引き続き、光皇の捜索を続けるように伝えよ。脆弱とはいえ、世界最高の術士という触れ込みは伊達ではないとのことだ。ゆめゆめ油断するなよ。聖天騎士同様、この戦の間だけでも、拘束しておけば良いのだ。欲をかいてそれ以上のことはするな、良いな?」
兵士は命令を受諾し、速やかに持ち場へと散っていった。光皇を取り逃がした弁解とともに、ドルツが新たに提案してきた、光皇の力を独占し利用することに、まったく魅力を感じなかったわけではない。
しかし、彼はドルツほどに視野が狭くはない。そんなことをすれば、それこそ世界を敵に回すことになる。親しくしているというだけで、やっかみ混じりの逆風に晒されている今のジャドレックのように。
光皇を敵に回すことなどより、そちらの方が遥かに厄介で分が悪い。そんな危険を冒すくらいならば、多少、光皇の機嫌を損ねる結果になろうとも、今の間だけでも大人しくしていてもらう方が良い。
まあ、機嫌を損ねたとて、光皇にこちらのやることを止められる道理はないのだ。彼は自ら光皇の法を破ったのだから。
光皇は、地上の内政に干渉せず。
もはや、遥か古となった何千年も昔の光皇が、人と光皇とが互いに過剰な干渉をせぬよう戒め定めた法。それを支える柱の一つ。聖天騎士が反乱分子とともに捕らわれたことで、光皇ラグナノールの掟破りは動かしがたいものとなった。これで、こちらが魔獣を使用して、ジャドレックと戦をしようとも、口を出される心配はなくなった。彼は口の端を歪めて、にやりと笑う。
「……まことに、都合の良い時期に現れてくれたものよ」
それにしても、光皇とは、実に愚か者だ。シグムントは未だまみえていない光皇に呆れと侮蔑の感情を抱いた。世界を支配できるとドルツに野望抱かせるほどの力を持ちながら、わざわざ古き法という鎖で自らを縛る。己が才を、己が自身で潰すとは、何たる愚か者であることか。
まったく、精霊というものは、何を考えているのがさっぱりわからない。せっかく与えた宝を腐らせていくような輩に、何故、貴重な力を授けるのか。私に与え給うたならば、誰もが驚くような偉業を成し遂げようものを!
「……どいつも、こいつも、愚かに過ぎる」
シグムントは憎々しげに、ギリと唇を噛んだ。愚かしい連中のせいで、自分の思い通りに事を進めるのに、わざわざ遠廻りを強いられなくてならないのかと思うと、無性に腹立たしかった。
「バカな!出陣は、明後日のはずではないか!」
王が去りし後、一刻を置かずして、王城に隣接する祭殿の鐘が高らかに鳴り、出兵を告げる銅鑼の音と雄々しい兵士たちの歓声が響き渡る。フォレスをはじめとする牢の中の人々は仰天した。
粗末な寝台に腰を下ろし、王のいる間も沈黙を保っていた大臣バルストスが灰色の長い口髭の間から深くため息を漏らす。
「……我々は、最初から、陛下の手の内にて踊らされていたということか。申し訳ない、聖天騎士殿。あなたと光皇陛下を、とんだ面倒ごとに巻き込んでしまった」
「……で?やられたらやられっぱなしか?」
「…………は?いや、しかし……」
この状態は、完全に手詰まり、だと思うのだが。そう思い、首を傾げる老大臣の目には、しかし、かの騎士は彼自身の言葉通り、全く諦めたふうではなかった。ガチャリ、ガチャリと鎖を軽く揺すりつつ、拘束から抜け出そうと算段を始めているように見える。
「諦めるな。とにかく、ここを出る手を考えろ。でないと、犠牲者がさらに増えることになるぞ」
「な…………っ⁉」
諦め、意気消沈し、しゃがみ込んでいた人々が、一斉に立ち上がった。驚愕に見開かれた目に晒された聖天騎士は、一旦、鎖を持った手を放し、なんとも言いづらそうな顔を形作った。
「ディ、ディセルバ殿、どういうことだ!」
「あんたらの王、相当に性質が悪いな。良い様に出来上がっちまってる。……俺が、この世で一番賢いって面してたろ。ああいうのは、付け入られやすくて、騙されやすい。賢い自分が騙されるわけはねえって、はなから思い込んでるからな。それに、あの王は、魔獣がどういう存在か、まるでわかってない。言葉を操るちょっと小利口な獣だとでも思ってんだろ。魔獣ってのはな、千年近く生きるんだよ。……この意味がわかるか?」
千年……!
ルオンノータルの人間の寿命はせいぜい長くても七十年ほど。いくら賢者と讃えられようと、死んでしまえばそれまでだ。しかし、魔獣という存在は、千年もの長きに渡って知恵を、知識を高めていくことができる。牢内の人々が、そのことに思い至った途端、戦慄が全身を駆け抜け、ぞわりと肌を泡立たせた。
先を続けることに、なんとも複雑そうに、そして、皮肉げに口の端を歪ませた騎士に、この場の誰もが最悪の予感しか出来ず、どんどん顔を白ませる。
「王が相手にしてるのが、そんじょそこらの詐欺師とは格が違うとわかったか?それに、いくら年を経た魔獣だろうと、人間に懐柔されるなどあり得ない。人間は奴らにとっては、旨い餌。それ以上でもそれ以下でもない。これから食う獲物に、律儀に約束を守ってやる捕食者がどこにいる?しかも、あんなに騙しやすい奴が相手だぞ?ただ解放を望んでいるだけなわけがあるか。ついでに、戦場の兵士全部を喰い尽くしてやる気でもいるとしても、たいして驚かねえな」
予想していた以上の残酷な内容に、ひゅ、と息を詰めるような音がする。が、そこから先は圧倒的な沈黙が牢内を支配した。誰もが悲鳴すらも上げられない絶望的な現実を知ってしまい、身動ぎすらしようとしない。放心し絶望する彼らに、ディセルバはきついことを言いつつも、同情する。
領土をいくら増やそうと、名声がいくら高まろうと、民がなくては王は王たり得ない。そんなことは、あの幼いラグですら、受け継いだ知識ではなく、本能として感じ取っていることだ。魔獣の存在に後押しされたせいもあるだろうが、何故、あの青年王は、身の程を知ろうとせず、その丈以上のものを欲したのか。
やるせない思いは、重苦しいため息となって表に吐き出される。そのため息は、牢全体の人々の心に伝染するように、誰もが彼に続いて、辛く深いため息をそれぞれに吐き出した。




