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第7話

「いっ、いっ、痛っってぇぇぇっ‼ちょ、メイメイ、お前、いきなり何すんだよっ⁉」

「うっさい、ちょっと黙ってなさい、馬鹿カイル!」

「え?ええ??」


 脳天を突き抜けるような痛みとわけがわからないのとで混乱しているカイルを尻目に、メイメイは尻もちをついたまま座り込んでいるラグに飛びついて、ぎゅっとその体を抱きしめた。


「カイルが、バカなこと言ってごめんね。……とっても怖かったよね、ラグ。もう、安心していいのよ。大丈夫!後は、あたしとカイルが絶対に守ってあげるから」


 メイメイの優しい言葉と抱擁に、怯えて強張った表情をしていたラグの顔が急速にくしゃりと歪んだ。温かく柔らかい彼女の感触と、ふわりと香る優しい花の匂いは、彼を大切に守り育ててくれたシェリルを思い起こさせる。


 「…………う」

 「我慢しなくていいんだよ」


 優しく頭を撫でるメイメイの身体をしっかと抱きしめ返した十八、九に見える青年は、ぼろぼろと大粒の涙を零したかと思うと、まるで小さな子どもみたいにわんわんと辺り構わずに大声を放って泣き出し始めた。

 彼の大きな大きな泣き声は狭い水路に反響し、暗く静かな地下水路の静寂をしばしの間奪い取った。散々泣いて、彼の気持ちが落ち着いたのを見計らって、側をそっと離れたメイメイに、待ちかねたようにカイルが近付いた。しかし、その目は異様なものを見るような眼つきで、ラグを凝視している。


「な、なあ、メイメイ、なんなんだよ、あいつは。俺、もう、なんだかさっぱりわからねえよ」


 カイルが困惑するのも無理はない。普通、ルオンノータルの男児は、地域の差はあれ、だいたい、十四、五で成人、つまり、大人の男として見られるようになる。あの青年はどう考えたって、二十に近い。そんな大の男が、メイメイみたいな少女に小さい子どもみたいに慰められ、挙句にわあわあ号泣するなんて、絶対にあり得ない。この戦乱の世、男は強く逞しくあらねばならないのだ。こんなみっともない真似を晒すくらいなら死んだ方がましだ。カイルなら当然そう思うし、世の大多数の男がそれに賛同の意を示すだろう。


「……ラグが前に言ったことは、本当のことだったってことよ」


 カイルはますます首を傾げた。元々からして考えるのは苦手な性質である。メイメイの謎かけのような言葉に、彼はすぐに音を上げた。


「なあ、頼むよ。俺にもわかるように言ってくれ」


「まったく、もう、しょうがない人ね。忘れたの?ラグは、自分は生まれてから、まだ、一年も経ってないって言ってたでしょう?」


「え⁉じゃ、じゃあ、あいつ、本当に、一歳なのか⁉」


 ぎょっとして飛び上がったカイルは、驚きに丸くなった視界に映る青年を先ほど以上にまじまじと見つめる。穴が開くほどに見つめたって、あの青年は十八、九より下には見えない。……それが、一歳だって⁉


「こ、光皇って、人間じゃないってことか?」


「さあ?光皇が何者で、どうやって大きくなるのかなんて知らないけど、あたしたちと一緒の時のラグは、どう考えたって、小さな子どもにしか見えないことばかりやってたじゃない」


 他愛のない玩具を買ってもらって、大喜びしていたラグ。喜怒哀楽の激しい、いや、激しすぎるラグ。そうだ、確かに、ガキだ。


「考えてもみてよ、カイル。大切にされてきた、しかも、まだほんの小さな子どもが、自分を利用しようとする悪い奴らに誘拐されそうになったら、どんな気持ちになるかしらってね」


「そっ、そりゃあ……」


 泣くに決まってる。メイメイの言葉に、カイルはぐっと詰まった。そうして、ラグを見るたびに、胸の奥にわだかまっていたモヤモヤしたものが、やっと、すとん、と腹の中に納まるような感覚を覚えた。


 ああ、そうか。だから、こいつは綺麗なんだ。


 人は生きれば生きるほどに、誰かを傷つけ傷つけられ、大小の差はあれ罪を犯し、汚れていく。けれど、生まれたての赤ん坊のようなラグは、まっさらなままだ。だから、彼は羨ましいほどに美しくて眩しい。まだ、十四のこの澱んだ世間を泳ぎ始めたばかりのカイルでさえ、嫉妬と反感を覚えてしまうほどに。

 でも、と、ここでカイルは、未だに大泣きの余韻を引きずるように、水路の片隅でぐすぐすとしゃくり上げている、痛々しいラグの姿を見、ちくり、と心の痛みを感じた。


 でも、それじゃあ、あんまりにも悲しい存在すぎやしないか。


 ラグが一歳であるということが事実なら、彼はただ、失皇期によって乱れに乱れた世界の混乱を収拾するためだけに、人間を愛し守るためだけに生み出された存在だということになる。

 そんな、人間のために生きろと生まれた時から強制されている存在に、人々は勝手な期待をしては勝手に失望し、さらには、欲望に塗れた自分勝手な要求を突き付け、脅し、翻弄する。


 綺麗。けれど、なんて悲しい生き物であることか。


 カイルは、ラグを、光皇というものを、ようやく理解できたような気がした。打ち続く戦乱と増え過ぎた魔獣のせいで、荒廃してしまった人の心。

 生き残るために、少しでも優位に立つために、他者を騙し、脅し、傷つけ、そして、殺す。そんなことが当たり前になってしまった世の中には、ドルツのような悪党は、それこそ星の数ほどもいる。誘拐されかけたくらいでこの状態では、とても、この世知辛い世間を渡ってなど行けない。

 ディセルバがあんなにも心配するのも道理だ。ノルティンハーンは、牢獄なんかじゃない。人を愛し、信じることしか知らなかった、この無邪気で無垢な幼い光皇を、魔獣と大差なくなってしまった人間から守るための城塞だったんだ。

 カイルはぎりっと奥歯を強く噛みしめる。ちくしょう、俺だってドルツと変わりゃしないじゃないか。魔獣を根こそぎ退治してくれない光皇を恨み、努力もせずに、あわよくば聖天騎士にしてもらおうと思ってたじゃないか。一体、あの悪党とどう違うってんだよ。やるせない憤りが、彼の全身を駆け巡る。


「……わかった?相手は小さな子どもなの。優しくしてあげてね、カイル」


 そっと囁きかけるメイメイに答えず、カイルは無言のまま、力なく座り込んでいるラグに近づく。


「……カイル?」


 彼の前で止まったカイルに、ラグが泣き腫らした顔を上げた。すうっとカイルは、息を吸い込む。湿気た水路の空気は、ジメジメとして少しかび臭い気がした。


「泣くな!男がいつまでもうじうじ、めそめそと泣いてるんじゃねえよ!ほら、立て‼」

「ひぐうっ!」


 怯えるラグの胸倉を乱暴に引っつかんで引きずり起こそうとするカイルに、メイメイが仰天した。


「カっ、カイルっ⁉あんた、人の話……っ!」


「聞いてたさ!でもさ、メイメイ、こんなご時世だぜ。悪い奴なんて星の数ほどいるだろ。ドルツなんて小物に見えるくらいにさ。そんな奴に騙されたからって、いちいちこんなふうに泣いてたら、キリがないぜ。兄貴もメイメイも、ラグに甘すぎるんだよ!だから、こんなに泣き虫で弱っちい光皇になっちまうんじゃねえか!」


「よ、弱っちい……?」


 泣き腫らして充血した目をぱちくりさせているラグを、カイルはキッと睨みつけた。


「ラグ、お前もしっかりしろよ!脅されたぐらいでめそめそしてねえで、精霊様の力使ってぶっ飛ばすぐらいのことはしろ!」

「だ、だって、僕の力で、そんなことしたら、怪我させちゃう……、ひゃっ!」


 間髪入れずにぐいっと胸倉を引き寄せられ、耳元でバカ‼と大音声で怒鳴られたラグは首を竦めた。

 

「ったく、バカか、お前は!人が良いのも大概にしろ!悪党に遠慮なんかすんな!悪い奴らなんて魔獣と一緒だ。うんと懲らしめてやればいいんだよ。良い奴も悪い奴も、何でもかんでも救ってやらなくちゃならねえなんて、小難しいこと考えるから、そうやって、べそべそ泣きたくなるんだよ」


 ぽんぽんと勢いよく飛び出す赤毛の少年の台詞に、ポカンと口を開けたままのラグに、カイルは最後ににっと明るい笑みで締めくくる。


「ま、安心しろ。天罰下して、それでも、まだ、悪さするような奴は、俺がやっつけてやるからよ」


 ぐっと力強く拳を差し上げたカイルを、ラグは目を大きく開いたまま、じっと見つめていた。やがて、青年の顔が笑顔とも泣き顔とも言えぬ微妙な色を揺らめかせる。


「…………あ、はっ、……はは、ぶっ、はははっ!」


 胸倉をつかまれたままの青年は、呆けた表情から微かに口元を震わせたかと思うと、次の瞬間、高らかに笑いだした。むしろ、勢い余って吹き出したという方が近かった。カイルから解放された後も、彼は腹を抱えて身を屈め、しばらく、くつくつと笑い続けた。


「……カイルの言い方、シオンにそっくり」

「シオンって、ジャドレックのリュシオン王子?」

「うん。僕はいつも怒鳴られてばっかり。前にも、そうやって、シオンに怒られたの思い出した。……ありがと、カイル」


 英雄に似ているなぞと言われて、カイルは我知らず耳の先までぼっと真っ赤になって照れだした。その表情があまりにおかしいと、メイメイがケラケラと笑い転げる。

「笑うな、メイメイ!」

「……カイル!」


 メイメイを怒鳴るカイルを遮るようにして、ラグの緊張した声が飛ぶ。ラグの険しい視線の先には、ざわざわと不気味な音を立てて、暗闇の中から幽玄のようにぼおっと迫りくる白い触手の群れに向けられていた。触手の存在に気づいたカイルは、先日の恐怖を思い出して、短い悲鳴を上げた。


「前に見たのは、あれ?」


 幼子のような頼りなさをいつの間にか消し、薄暗闇の中ですら射貫くように輝く瞳の青年が凛とした声で問う。反対に、先ほどまでの勢いはどこへやらのカイルは、言葉も出せずにこくこくと頷くしかない。


「……とりあえず、本体のいる場所に行かないことには、話にならない、か」


 誰に言うともなくラグは呟くと同時に、すう、と右腕を差し上げる。彼の内側からキラキラとした光の粒が舞い上がり、その体を包む。薄暗い水路の中が、それに合わせて急速に光を帯びて明るくなり始めた。

 ざわざわとその数を増やし、水を蹴立てて迫り来ていた触手は、ふわりと舞う光の粒に触れた途端、怯えるように、びくり、と震えて止まった。

 ラグの漆黒の前髪が、風もないのにふわりと揺れ、髪の毛の下に隠されていた雪の結晶にも似た聖光の紋章とそれを縁取る曲線とを露わにする。王冠のごときそれは、聖なる白銀の光を強め、膨大な精霊力を誘引していく。

 あまりに幻想的な光景に、カイルとメイメイは目の前に迫る魔獣の恐怖も忘れて、その聖なる光に見入った。

 やがて、ラグの指先が触手に向かって伸ばされたかと思うと、目を射るような光の津波が触手を覆い尽くし、光の粒子へと変換していった。

 光は現れた時と同様に速やかに消えゆき、ラグの額に淡いほのかな銀の冠となって収まった。


「終わったよ。さあ、本体を倒しに行こうか。……どうしたの?」


 古の知恵長けた恐ろしい魔獣の、それはほんの一部ではあったが、人間の抗うことの出来ぬ天敵を、あっという間に倒し、けろりとした顔をしている青年は、零れ落ちそうなほどに目を見開き、愕然としている二人の少年と少女の様子に、不思議そうに首を傾げた。











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