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第5話

 ガタン。

 軽い軋みの音を上げて、馬車はゆっくりと動き出した。ドルツ司祭と一対一で向かい合う形で席に座ったラグは、司祭の視線になんとなく居心地の悪さを感じた。

 そうして、あることに気づき、あ、しまった、と額を押さえて顔を顰めた。


 額当てを忘れた。


 光皇は、その存在の性質上、人の目に好ましく、魅力的に映るように出来ている。それを軽減するのが、あの簡素で飾り気のない革の額当てだった。結構手間のかかる術式を施した素材と彼自身の精霊力を絡ませることによって、単に聖光の紋章を隠すだけでなく、彼の目立ちすぎる存在感を軽減できる代物なのだ。それを忘れた。……うっかりと。


 メイメイとカイル。あの二人のせいだ。


 原因はわかっていた。彼が光皇だと知る前も光皇だと知った後もへりくだった態度を取らない、自然体の少女と少年。あの二人のせいだと。あの二人の前では、額当てなど全く必要でなかったのだから。

 今まで、彼にそういう態度を取ってくれるのは、たった三人しかいなかった。だからこそ、あの二人の存在は、貴重で心地良い。


 うん。あの二人は、良い。見ていてとても微笑ましくて心地良い。


 まるでそれぞれが一つの翼しかない片翼の鳥。一人だと危なっかしいけれど、お互いがお互いを支え合って励まし合って、それが相乗効果となって生き生きと輝いている。あの二人は、そんな存在だ。彼らが来てくれれば、寂しいノルティンハーンもきっと賑やかになる。そして、時には、カイルの言うように、城から抜け出して旅に出る、なんてのも、面白いだろうな。

 楽しい想像についつい顔が綻ぶ。ただでさえ人ならぬ美しい顔が、ますます華麗に変化していくことに、ドルツは、ポカンと阿呆のように口を開けて見ていた。

 彼が驚愕しているのは、光皇の美貌のせいだけではなかった。彼は術士として、同時に、光皇の力の異様さにも気づいたのだ。

 この世界は様々な精霊によって生じる自然現象によって支えられている。この様々な精霊を系統立てていくと、光、闇、火、風、水、土と自然現象を生じる源となる六種の精霊「自然精霊」に分類することができる。

 この六種の精霊はさらに世界の理をも司っており、光は「空間」、闇は「時間」、火は「浄化」、風は「精神」、水は「封印」、土は「治癒」を司る。これを自然精霊と区別し「高位精霊」と称する。

 術士は精霊を象徴する紋章を描き、踊りにも似た動作を行うことで、自然精霊や高位精霊を使役することができる。


 が、しかし、この目の前の存在は。


 この光皇を名乗る青年は、紋章も描かず、手足の動作もせず、ただふわりと浮かべた微笑みだけで、風の自然精霊を、高位精霊「精神」へと変化させた。

 今、馬車の中の空気は、ただの見えない気体ではなくなっていた。術士である彼の心に、幸せを、楽しさをともに共有しようと誘惑する、風の高位精霊「精神」の力が働いていた。

 我知らず、ドルツの両手はぶるぶると震え始めていた。なんだ?なんなのだ、この存在は?ただ、感情のみで自然精霊を高位精霊に変えるなどという、人の身では到底成し得ぬ奇跡の御業を、これほどまでに容易く行うとは、なんという恐るべき存在であることか!

 世界最高の術士。伝説に謳われたそれは、単なる誇張ではなかったということか。


 ……ならば、なおのこと良い。


 ドルツは、にたり、と薄気味の悪い笑みを浮かべた。それは、こちらにとって、さらに好都合な材料が増えたということではないか。


「……ドルツ司祭?」


 司祭の、ねっとりとした執拗な視線となんとも表現しがたい薄気味の悪い笑いに、流石に人の感情の機微に慣れていないラグも、なんだか様子がおかしいと感じた。


「ドルツ司祭。フォレス殿はどこに?」

「……王城でお待ちでございます」

「王城⁉」


 ラグの目が驚愕に大きく見開かれた。バカな。魔獣復活を目論む王は、まだ戦場に出立していないはずだ。


「ドルツ!お前は、フォレス殿を王に売ったと言うのか⁉」

「……そうとも。そして、光皇陛下。あなたには、ラドリアスのために、魔獣を飼い馴らしていただくとしようか」

「な…………!」


 とんでもないドルツの言葉に、ラグは絶句して狭い車内の座席で、これ以上は下がれないというほどにぴったりと身を寄せ、少しでもこの醜悪な雰囲気を発散させ始めた男から逃れようと距離をとった。

 青褪めて震える彼に、もはや無用と偽りの同盟者の仮面を脱ぎ捨て、暗い野望の炎を瞳にちらつかせるドルツは、じりじりとにじり寄り、懐から鋭い輝きを放つ短剣を取り出し、その細い喉へと向けた。


「……っ!」

「実に面白い時に現れてくださいましたな。これほどの術力をお持ちのあなた様ならば、魔獣を飼い馴らすことだとて容易いことでございましょう?」


 短剣に晒されたラグの細い喉が、嚥下する唾でごくりと軽く上下する。怯える光皇をドルツは冷酷な目で見下し、せせら笑う。


「光皇は地上の内政に干渉しない、だと?あなたは、我らにはそう言いながら、狂王子に、ジャドレックに肩入れしているではないか。それならば、我らが光皇を利用して、何が悪いというのか!」


 ピタピタと彼の頬に短剣の平を当て、醜悪な顔つきで迫り、光皇を誘拐する己の正当性を主張するドルツに、ラグはただただ震えることしかできなかった。

 術力を使えば、この窮地から抜け出すことは簡単に出来る。しかし、そう頭の中ではわかっているのに、ドルツから発散される権力への野望や執着といった悪意ある感情に圧倒されて、体が竦んで動かない。


 恐ろしい。


 ラグは、初めて人間を恐ろしいと感じた。光皇たる自分が、愛しむべき守るべき人間であるはずの、目の前の男が無性に恐ろしくてならなかった。

 それもそのはずで、ラグはこの時混乱していたが、自らを形成するものと相反するものを直に叩きつけられた精霊であれば、当然するであろう反応を彼の身体はしたに過ぎなかった。

 カイルだけでなく、昨今の世界の多くの人間は、どういうわけか、光皇は精霊に愛された人間がなるものだと誤解している。

 が、その真実は全く違う。光皇は、精霊そのものが具現化し、人の姿を模した存在なのである。

 光皇とは、六種の精霊力、そのすべての源となる第七の精霊力である、この過酷な地で懸命に生きようと、明日を夢見る希望の活力が生み出す力「創造」が具現化した、人間とは似て非なる存在だった。

 そのため、光皇は自らを形成する要素と正反対の人間の負の感情に弱い。ましてや、彼は光皇として生を受けてから、まだ一年に満たぬ幼い光皇であり、こんなにも強い悪意に晒された経験がなかった。

 それ故に、彼はドルツを必要以上に恐れて怯え、光皇としての力も知識も恐怖のために委縮して使えなくなってしまった。

 だからこそ、こういった事態を恐れたディセルバたちは、負の感情に、欲望に満ちた人間に会わせぬために、彼をなるべく公の場に出さぬよう気を配り、ノルティンハーンに隔離したのだった。 


 これが、人間……?こんなものが、人間?

 こんな、邪悪で、恐ろしいものが…………? 


 自分の中に芽生えた人間に対する恐怖に戸惑い、涙すら浮かべて呆然と震えるラグの様子に、何と脆弱な青年よと嘲笑い、彼を完全に手中に収めたと見たドルツは、さらなる野望に満ちた未来を思い描く。


「ジャドレックの神剣のごとく、光皇をラドリアスの守護神と成し、魔獣の軍団を築き上げれば、ジャドレックなど恐るるに足りん。いや、かつて光皇を捕らえ跪かせたという、古の帝国のように、この恐るべき力を従えれば、世界を圧倒し、支配することだとてできよう!……協力していただきますぞ、光皇陛下!」


「いやだ…………っ‼」


 肩をつかんできた手に毒気のような嫌悪感を持ったラグは、反射的に振り払い、ドルツの内側から溢れるように湧き出す悪意の毒気を全身で拒むかのように頭を抱えて蹲る。そして、そのまま、ずるずると座席の下で小さくなった。

 不甲斐ない光皇の背に、勝ち誇ったドルツの甲高い嘲笑がますます高く、高慢な響きとともに降り注いだ。










 

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