第4話
「……あれ、兄貴たちは?」
「出かけたよ」
屋敷に戻ると、ラグが一人で彼らを出迎えてくれた。カイルがいつもの調子に戻ったのを見て、彼もほっとした笑顔を見せる。心配させたのが照れくさくて、ラグの顔をまともに見れず、彼はそっぽを向いた。もっとも、ラウル、こと、ディセルバには、まだ、どんな顔をして会ったらいいのかわからないので、いないのは好都合だった。
「そっか、で、どこ行ったんだよ?」
「さあ、どこかな?計画の打ち合わせとかで、フォレスさんと出かけて行ったよ。僕は留守番してろ、だってさ」
ラグはちょっとというか、かなり不服そうに言い、慣れない手つきでお茶の支度を始めた。
魔獣退治の実行は、王が軍とともに王都を出立する前夜と決まり、それを明後日に控えて、彼らは慌ただしく動き始めていた。唯一、ラグだけは、そのあまりに目立つ容貌と、周りの、特にディセルバの懇願に近い制止もあって、屋敷に一人留まっていた。
ラグが入れてくれたお茶に口をつけつつ、カイルはラグに気づかれぬようにしながら、改めて彼を見やる。正体を知ってからというもの、ディセルバはもちろんだが、ラグともまともに口をきいていない。
畏れ多いからというよりも、すべてに恵まれ、ディセルバにかしずかれている彼に、嫉妬を覚えたからに他ならなかった。
光皇は、精霊に愛され選ばれた人間がなるという。だったら、精霊様ってのは、不公平だ。なんで、こんな世間知らずで、苦労知らずの人間を光皇になんて選ぶんだ。世の中には、もっともっと苦労人で、俺たちの貧しい生活の大変さを知ってる人間が大勢いるってのに、どうして、そいつを選ばないんだ。
「カイル?お茶、美味しくなかった?」
八つ当たりみたいな嫉妬心に苛まれて悶々としているカイルの様子に、流石にラグも不審を感じたのだろうが、感じ取ったものがズレていた。どうにも彼は人の感情を読み取ることが下手らしい。
ただ、そのとぼけた態度が、ささくれ立っているカイルの心をますます苛つかせた。違えよ!お前のせいじゃねえか!とつい声を荒げそうになったところに、すかさずメイメイが割り込んで、いやに調子のいい声を出した。
「そっ、そう言えば、聞いてよ、カイル!この件が片付いたら、ラグがノルティンハーンに招待してくれるって!凄くない⁉」
歴代光皇の居城である虚空の浮き島、ノルティンハーン。ラグが即位するまでは伝説か、おとぎ話の中の存在でしかなかったが、現在は以前よりかなり高度を下げて浮かんでいるため、見ようと思えば、さほど難しくなく眺められる。
しかし、虚空に浮かぶかの城に至る手段はわずかで、人々にとって、それは未だに神秘の紗幕に閉ざされた遠い存在だった。
「うん。遊びにおいで。あんまり人がいないから寂しいんだ」
「寂しい?兄貴たちがいるだろ?」
ラグの側には、ディセルバや聖女シェリルを始めとする、たくさんの人たちが仕えているはずだ。明日の食べるものを心配することもない、何一つ不自由のない暮らしをしているはずなのに、寂しいなんて贅沢だ。こいつは、少し、苦労ってものを知らなくちゃだめだ。でなきゃ、世界はいつまで経ったって良くならない。
そんなカイルの気持ちも知らずに、ラグは言葉を続ける。
「ディセルバもシェルも、いつも世界中を回っているから、いないことの方が多いよ。僕も行きたいんだけど、みんな、心配だからって止めるからね。今回は、無理矢理抜け出して来ちゃったから、帰ったらきっと叱られるなあ」
肩を竦めて苦笑する青年を見ていて、カイルは、ふと思った。こいつ、光皇になる前は、一体、何やってたんだろ?術士だから、祭殿にでもいたのかな。いつの間にか、彼はラグの境遇を自分の身に置き換えて想像していた。
ある日、突然、お前は光皇だから世界を救えと言われて、空に浮かぶ孤島の城に押し込まれ、毎日、毎日、たった一人で、いつ帰って来るともしれないディセルバたちを待ち続ける。
だだっ広い城の中で、ぽつりと一人、肩を落として佇む孤独な青年の姿が、カイルの脳裏に鮮やかに浮かんだ。それは、人々に愛され慕われる幸せな光皇という印象には程遠い、冷たい牢獄の中にいる囚人のように感じられた。
嫌だ。
頭に浮かんだ光景を振り払うように、カイルはぶるっと頭を振った。俺なら、絶対に嫌だ。そんな窮屈で寂しい生活、俺ならきっと耐え切れない。
「そんなの、勝手に怒らせておけよ、遊んでるわけじゃねえんだし。それに、光皇ったって、息抜きぐらいしたっていいじゃんか、なあ?」
ディセルバ絡みでラグには絶対良い印象を抱いていないはずのカイルが、何があって、どう考えをひっくり返したのかはわからないが、とりあえずは良い兆候なので、メイメイは相槌を打って、こくこくと首を縦に振った。
彼女はいつものように茶々を入れることをせずに、二人の関係改善を願って様子を見守ることに徹した。
すると、脱走したことに対して、初めての賛同者を得て非常に感動したのか、ラグがキラキラと眼を輝かせた。
「ありがとう、カイル!そんなこと言ってくれたの、君が初めて!……そっか、そうだよねえ。光皇にも息抜きが必要だよねえ。……息抜き、かあ」
息抜き。新たに覚えた言葉の響きに、じぃんと感動しているらしいラグに、メイメイが引き攣った笑いをカイルに向けた。
「カイル、あんた、後で、ラウル、じゃなかった、ディセルバに怒鳴られても知らないわよ」
「いいだろ、そんぐらい。なあ、ラグ。そんなに城がつまんないんだったら、旅に行こうぜ」
「旅?」
「兄貴たちがやってるように、世界中を見て回るんだ、自分の足でさ。ラグと、俺と、メイメイと、当然、兄貴も一緒にさ」
そんなこと、許されるわけがないじゃない。本当にカイルってば考え無しなんだから!そうは思いながらも、メイメイは自分の顔が緩んでいくのがわかった。
このラドリアスの数日間のように、カイルとあたしと、そして、ラグと。みんなで楽しく旅をする姿を想像するのは、彼女も楽しかった。
「……旅」
続けてぽそりと呟いたラグに、カイルが残念そうな顔をした。
「やっぱ、無理だよな……」
「ううん、そんなことない。僕、行きたい!」
ラグは頬を紅潮させて、カイルの手を握った。光皇は皇位を継承する際、歴代光皇たちの記憶と知識を受け継ぐ。が、「知っている」ということと、「実際に体験する」ということは、やはり違うのだ。そして、シェリルたちの忠言に従うままに、城に籠り続けてきた結果の世俗との深い隔絶感。
ラグはラドリアスでの目まぐるしい数日間で、それを痛いほどに感じていた。もっともっと多くのことを体験し、世俗に馴染んでいきたい。人々の力になりたい。もっともっと光皇という名に相応しい存在になりたい。
黄昏のような、この荒廃した世界から、人々を希望の暁へと導くことこそが、彼の望む、唯一の願いだった。
ラグの強い同意を皮切りに、意気投合した二人は、困った顔を装うメイメイも最後には巻き込んで、ああでもないこうでもないと、楽しい未来の実現に向けた計画を練りつつ、話に花を咲かせた。
そうして、いつしか、お茶もお菓子も尽きた頃、部屋の扉が軽く叩かれた。
「ドルツ司祭?どうなさった?」
先夜の邂逅の場にもいた中年の司祭の予定にない登場に、ラグが小さく首を傾げた。ラグに深く敬礼したドルツはこう切り出した。
「この計画に新たに賛同してくれる者がおりましてな。フォレス殿が是非にも陛下に紹介したいと申しますので、お迎えに参りました。ああ、ディセルバ殿もご一緒ですよ」
「新たな賛同者ですか。それは願ってもないことですね。私も是非、お会いしたい。わかりました、参りましょう。……カイル、メイメイ、そう言うわけだから、ちょっと行って来るね」
時間がないから、と外套を身に着ける間もなく、ラグはドルツに急かされて、扉の外へと姿を消した。