第3話
「それは、いくら何でも……」
身勝手過ぎやしないか?実際、ラウルが考えても、もうそれしか取る方法がないだろう差し迫った状況だが、それでも彼の心は憤懣でやるかたなかった。
そんな時である。バルコニーに通じる窓が、窓枠ごと派手に粉砕され、顔を怒りで紅潮させた青年が飛び込んできた。
「勝手なことばかり言うな!何故、こうなる前に、いや、魔獣を蘇らせる前に王を止めようとしなかった!」
カイルとメイメイが止める間もなく、部屋の中に飛び込んだラグに、ラウルがぎょっとして目を瞠った。そして、その怒りの大きさにさらに驚く。
ラグは喜怒哀楽が激しいから良く怒るし、彼との怒鳴り合いもよくやる。が、ここまで激昂している姿を見るのは初めてのことだ。ラウルの困惑をよそに、怒りに頬を紅潮させたラグは、続けて叫ぶ。
「魔獣は退治でも、封印でもしてやるよ!……けど、自分たちの国だろ?自分の民だろ?それを壊すようなものを、分を越えたものを、何故、望むんだ。光皇は、僕は、全能じゃない!僕は、僕には……っ」
青年の激しい声は、次第に勢いを失くし、切ない感情を吐露させる。
「……もういい、ラグ。もう、何も言うな」
突然の乱入者に呆然としている兵士の槍をすり抜け、ラウルがラグに近づいて、その肩に手を置いた。
「……取り乱して、ごめん。もう、大丈夫だから」
彼を気遣う兄のような表情を見せるラウルに、怒りの熱を引かせたラグが照れくさそうに微かな笑みを向けた。そうして、彼は改めて室内の人物たちを見回す。
凛としたたたずまいを持つ美貌の青年は、黒髪碧眼の祝福の子たる容貌もさることながら、人の心を惹きつけずにはおかない鮮やかに過ぎる翡翠の瞳を持ち、それにじっと見つめられた彼らは我知らず、こくりと息を飲んだ。
人を見捨てて白き月に逃げ帰った神々のごとき美貌は、畏怖よりもむしろ親愛を覚え、精霊の恩寵の賜物のごとき輝きを放つ翡翠の瞳は、その奥に神秘的な何かが揺らいでいるようにも見える。
神々に、精霊に、真に愛された存在が人の姿がとるならば、こんな姿をしているだろうと、誰もが思う姿を青年はしていた。
既知であったザインをしてそう思わせるほど、浮世離れした麗人の感情を露わにしていた先ほどとは打って変わった意志の強い視線と毅然とした立ち姿に、辺りの空気がピンと張り詰めるのを、その場にいた誰もが感じ取った。
「……フォレス殿、魔獣の対処は引き受けよう。しかし、それ以上のことは出来ない。光皇は地上の内政に干渉しない。我が兄たるアードルフィの定めし法を、私自身が曲げるわけにはいかない」
「ラグナノール光皇陛下……!」
彼らの間から漏れ出た驚愕の叫びに、青年は静かに頷くと、額に着けていた幅広で革製の額当ての留め金をパチリと外す。
カイルらといる間もずっとつけっぱなしでいたそれの下、額の中央にまごうことなき光皇の証である、聖光の紋章が静かな白銀の光を放って姿を現した。
精緻な雪の結晶にも似た紋章と中央に座したそれを縁取るように額の左右に伸びた緩やかな曲線は、まるで精霊により与えられた光り輝く聖なる王冠のごとくであった。
恐れ多くも、気高く尊き御姿を目の当たりにし、周囲の人々は慌てて膝を折り、深く首を垂れる。が、そんな中、カイルだけはいつもの調子を崩さなかった。
「ええっ⁉やっぱ、そうだったのかよ!でも、そうすると、ええっ⁉兄貴って、まさか……!」
「やっぱり、お前らもついて来てたか」
ラウルはさも困ったというふうに、豪奢な金色の髪をがさがさと掻き上げて苦笑した。フォレスもまた納得したように苦笑する。
「道理で、フィルダート子爵と知り合いなわけだな。聖天騎士ディセルバ殿」
「……せ、聖天騎士、って、え?え?えええっっ⁉」
カイルの憧れ、世界最高の戦士「聖天騎士」。それが師と見定めたラウルだったと知ったカイルの素っ頓狂な悲鳴を上げる姿を横目で見つつ、メイメイはひどく不安だった。
カイル、カイル。カイルはカイルのままでいいんだよ。自分を見失っちゃだめだよ。
呆然と立ち尽くす愛しい少年の横顔を、彼女は祈るように、想いが通じてくれるように、ただただ見つめ続けた。
「カイル、お茶が入ったからおいでって、ラグが呼んでるよ」
二日前、ラウルの正体を知ってからというもの、カイルは妙に大人しくというか、おどおどしてしまって、ラウルからは隠れ、メイメイからも遠ざかって、一人でぼんやりと空を見上げてばかりいるようになった。
天衣無縫で何事も物怖じせずに突っ込んでいく、いつもの空元気な少年はどこかに行ってしまって、全く違う少年になってしまったカイルを、今日、メイメイは庭園の彫像の下で見つけることになった。
膝を抱えて背を丸め、ぼんやりと座り込んでいる彼の、生気のない青白い顔に、メイメイはため息をついた。こうなることこそが、彼女の不安だったというのに。
そんなに急にラウルみたくなれるわけないじゃないの。カイルは理想が高すぎるのよ。
ここ数日にしてみたって、ラウルに褒められようと、カイルは必要以上に、いや、無理して背伸びしていたように彼女は感じていた。
ラウルにだって、カイルみたいな子ども時代があって、様々な経験を経て、あれだけのものを得たのだということをカイルは全く理解していない。
カイルは、今すぐにでもラウルに認められるような、片腕として並び立てるような、そんな存在になりたいのだ。ラウルにあまりにも心酔したがゆえに。
しかし、それが戦士の頂点たる聖天騎士となれば、それはあまりに遠すぎる。厳しすぎる現実の壁に思い切りぶつかって打ちのめされてしまった少年は、将来に絶望して抜け殻のようになってしまった。
「いい加減にしなさいよ!いつまで腑抜けてる気なの!」
きつい言い方だが、長い付き合いのカイルには、彼を元気づけようと精一杯虚勢を張る彼女の優しさを誰よりもわかっていた。そんな彼女に、いや、彼女だからこそ、カイルは弱り切った情けない心の内を吐露することができる。
「なあ、メイメイ、俺、どんなに無理って言われても、兄貴みたいになりたい。けど、今の俺じゃあなあ……」
口では弱気なことを言いつつも、真剣な色を湛えた紫色の瞳に、ようやく、元来の彼が戻ってきてくれたことがわかったメイメイは、ほろりと涙が零れそうになったが、それをぐっと我慢した。
「あ、あんたねえ、気弱なこと言ってるんじゃないわよ!ここまで来て、今更、俺じゃあなあ……じゃ済まないのよ!私たちは、一座を抜けてもう後がないの!絶対、なるのよ!でなけりゃあ、このあたしがあんたの尻を蹴飛ばしてでも、あんたを聖天騎士にしてみせてやるわよ‼」
はあはあと荒く息継ぎをしながら、彼女は最後にびしり、と人指し指を彼の鼻先に突き付ける。
「ただし!ただし、途中であんたが音を上げたって、絶対に手を離してなんてやらないから覚悟しておきなさい‼」
必死の形相で啖呵を切る彼女に、元気をもらった少年は、ようやく立ち上がった。
「……ありがとな、メイメイ」
そう言って赤毛の少年は、蜜柑色の髪の少女をギュッと抱きしめた。そうだよな。俺、メイメイと一緒ならなんだってできるんだ。抱きしめた少女のふわふわした髪からはふわりと優しい花の香りがする。
あんた、お腹空いてんの?たらふくとは言えないけど、食べさせてあげるから来ない?
親を失って以来、いつも腹を空かせ、荒んだ目で路地の片隅に蹲っていた孤児の彼を拾ったのは、彼女だった。彼女もまた、芸人だった親を病のために失った直後だった。
それ以来、二人は互いを補い合うようにして、荒廃した世界を手を取り合って、支え合って生きてきた。
友人というには絆が深過ぎ、恋人というにはまだ二人は幼過ぎた。敢えて言うなら、最高の相棒。それが今の彼らを称するのに相応しかった。
はあ、ようやく、ラグナノール戦記になってまいりました。まあ、その前から、バレバレでしたけれども……、はい。次回もお楽しみください。感想、評価お待ちしてます。