第4話
「あたし、ますます、ラウルが何者なのか、わからなくなってきたわ」
「……俺もだよ」
壊れた噴水の縁で、またも暇そうに座っているメイメイとジョエルが、カイルを指導しているラウルと、子どもたちと一緒になって、それを見物しているラグと名乗った美青年とを見比べていた。
「まあ、考えられるのは、あの綺麗過ぎる兄ちゃんがどこかの貴族か王族で、兄貴が兄ちゃんの家に仕えていた元騎士ってとこかなあ」
「その辺りが妥当よね。だけど、それだと……ねえ」
一見、地味な色合いに見えて高級品を身に着けているラグは、やはり、どこぞの高位貴族か王族の深窓の御令息でもあるのか、彼らには当たり前の市井の生活のいろんなことを珍しがり、聞きたがる。カイルに教えるラウルの真似をするように、子どもらは俄か教師になって、ラグにあることないことを面白がって教えていた。そんな彼らに、ラグは美しい顔に笑みを浮かべ、時には笑い声を立てて、相槌を打ったりしている。
「……うん。あの兄ちゃん、貴族にしか見えねえのに、貴族にしちゃあ変なんだよなあ」
「そうなのよ、そこなのよ」
見目麗しい貴族の青年が、貧しい貧民の子どもらと笑い合い戯れる光景は、微笑ましくも美しい。だが、時には泥水をすするような経験をしてきたジョエルとメイメイにとって、それは現実にはあり得ない光景だった。
貴族は高位になればなるほど、平民や貧民から遠ざかり、卑下する者が多くなる。彼らの税を搾り取り、自らの贅に変えて生きているにも関わらず、だ。たいした理由もなく、貴族に痛めつけられ虐げられる人々の姿を、彼らは物心ついた頃から目の当たりにしてきた。
身に染みているからこそ、本能が訴えるのだ。あの青年はおかしいと。
貴族として生まれ育ったのであれば、貧民の子にあんな愛しいものを見るような視線は向けない。あんな汚い垢塗れの手で衣服を触ることを決して許しはしない。
それなのに、それを易々と覆す青年の行動の数々に、だから、彼らは困惑するのだ。一体、あれは、なんなのか、と。
「んんっ!もう、止め、止め!考えたってどうしようもないわよ。それに、下手に詮索してラウルに逃げられでもしたら、カイルがかわいそうだわ」
立ち上がって大きく伸びをしたメイメイに、ジョエルが呆れながらも羨望の眼差しを向ける。
「メイメイって、本当にカイルが好きなんだなぁ。あんなバカのどこがいい……痛っ!」
思いっきりメイメイに向う脛を蹴飛ばされたジョエルが悲鳴を上げた。
「うっさいわね!そんなことより、あんたもラウルに頼ってないで、自分の食い扶持ぐらい、自分で稼ぎなさいよ!この辺で、場所代なしで踊れそうなとこ、教えなさい!」
浮き沈みの激しい芸人として生きてきた彼女には、こんな暇で退屈な生活はかえって息苦しい。それに好きな踊りだって勘が鈍るというものだ。
「ラウル!ちょっと踊って来るわ!カイルを貸して!」
そう叫んだメイメイをラグが羨ましそうに見、ちらりとラウルを振り返って、甘えた声を出した。
「いいなあ、僕も行きたい……」
同じ年頃の男がやったら気色が悪く見えそうなのに、美麗に過ぎる青年の仕草は妙に人目を惹きつけた。現に、何人かの子どもらがぽうっとなって青年を見つめている。
「……容姿の無駄な使い方をしやがって…………。お前の兄貴たちが泣くぞ」
ラウルの反撃に、うっ、と一瞬詰まったラグだったが、眦を赤くして半べその態をしだした青年と、彼をそんな表情にさせたラウルに子どもらが冷ややかな非難の眼差しを向け始めたことで、結局はラウルから勝利をもぎ取ることとなった。しばしの睨み合いの後、ラウルは呻き声とため息とを同時に吐き出した。
「……行ってこい。ここで下手に止めて、俺に隠れて勝手なことをされるより、あいつらといた方が何倍もましだ」
「やったぁっ!やっぱ、ラウルってば話せるうっ!ロセッタはこういうこと言うと泣きそうな顔して止めるし、シオンなんか、あれはだめだ、これはだめだって、怒鳴ってばかりなんだよ!」
喜色満面で抱きついてきた青年に、ラウルは諦めたように遠くを見つめた。
「……俺はむしろ、あいつらの方にこそ同情するぜ」
そんな彼の言葉を聞いてはいない青年は、早速、メイメイに向かって駆け出して行った。その後ろ姿を見送りつつ、ラウルはカイルに声をかける。
「おい、カイル」
「なんだよ、まだ、素振り終わってないけど行けってのか?」
今朝からようやく木の棒ではあるが、素振りをさせてもらえることになったカイルは、不満そうにラウルを見た。
「今日はもう止めだ。それより頼みたいことがある」
素っ気なかったラウルが、カイルに改まってものを頼むだなんて初めてである。カイルは大喜びで、ラウルに近寄った。その彼に、ラウルは先日の地下水路の一件以来、取り上げられていた彼の剣を差し出す。
「それとなく、ラグのこと見守ってやってくれ。あいつ、時々、無茶するからな」
「……あいつ、兄貴のなんなんだよ」
自分よりラグの方が、ラウルとの付き合いが長いから大切で親しげなのはわかるが、ここまで特別扱いをされると、カイルには少々、というか、かなり不満である。嫉妬というやつかもしれなかった。
ラウルは、そんなカイルの膨れっ面を苦笑で躱すと、彼の頭をクシャリと撫でた。
「なあ、頼んだぞ」
「……わかったよ」
渋々と剣を受け取り、カイルはメイメイたちの後を追いかけた。
シャラン。
涼しいと言うより、肌寒く感じるようになってきた初秋の北国の空の下、軽やかな鈴の音に合わせて、色鮮やかな薄布の帯が、大きく輪を描いて舞い踊る踊り子の後ろを追いかける。無駄のない、しなやかで生命感に満ち溢れた肢体が美しく跳躍し、くるくると舞うたびに観客から歓声が上がった。
「メイメイ、綺麗だねえ」
目立ちすぎる容貌を隠すため、黒い外套の頭巾をすっぽりと目深く被ったラグが、舞い踊るメイメイをうっとりと眩しそうに見つめ、ほうっと感嘆のため息を漏らす。踊っている彼女は、普段よりも数段色っぽく大人びて見えた。
「当ったり前だろ!メイメイはうちの一座の中で、一番上手くて美人な踊り子だったんだからな!」
伴奏の笛を吹くのを止めて、カイルは鼻高々にメイメイを自慢した。ラウルに大切にされているラグは気に入らないが、メイメイを褒められれば悪い気はしない。ラグ自体、貴族然とした風情に似合わぬ、気さくな青年なので、結局は最初の意地も忘れて、ついつい、青年とのおしゃべりに夢中になっていく。
「どうした?」
ふと、ラグの視線が王都に覆い被さるようにして北面に聳えるホルス山脈の威容に留まった。そうして、青年は、遠い何かを思い出そうとするかのように、その目を細める。
「んー?この景色、どこかで……。誰の記憶かなあ」
意味不明なラグの呟きに、カイルが首を傾げていると、メイメイの声とともに、舞子の薄布の帯がピシャンと彼の頭を叩いた。
「こらっ!音楽がおろそかになってるわよ、カイル!」
踊りを中断したメイメイが、カイルを睨みつけていた。
「あっ、悪い、悪い!ったく、ラグのせいだぞ、仕事中に話しかけてくるから!」
カイルの八つ当たりに、ラグはくすくすと苦笑すると、素直に謝った。
「ごめんね。ねえ、僕も手伝っていい?」
「手伝うって、貴族の坊ちゃんに何ができるんだよ?」
「……竪琴と歌、かな。……兄様が教えてくれるから」
兄様、ときたか。やっぱり、こいつ、相当なとこのお坊ちゃんなんだなあ。ふんっ、と軽蔑したように鼻を鳴らしたカイルは、自らの背負い袋の中から古びた竪琴を取り出した。
一座の老曲芸師から押し付けられるようにして譲られたものだが、ついぞ使ったことのないそれを受け取ったラグは、慣れた手つきでキリキリと弦を調律する。
滑らかな象牙色の手で、ポロンと琴をひと鳴らしすると、青年はおもむろに立ち上がり、観客に向かって御辞儀をした。
「メイメイ、曲に合わせて踊ってね」
そう言うと、優美な琴の音と凛として涼やかな声とが、懐かしくも美しい歌物語を紡ぎ出した。
それは、始まりの歌。
もう、人が朧げにしか思い出せない遥かに遠く古い時代の、初代光皇ラグレインが現れ出でた頃に遡る創始の物語。
ただひたすらに明日を夢見、希望を捨てず、未来を切り開く。
光皇ラグレインは、そんな人々を愛し、ともに歩み、類稀な力を惜しみなく与え続けた。数々の苦難の果てに、偉業を成した初代光皇と人との慈愛と絆の物語が、聞き心地の良い青年の歌声を通して紡がれていく。
光皇と精霊に仕える聖女のごとく、踊り舞うメイメイもまた、歌声に合わせて気高く舞い上がった。
やがて、歌は天に、地に、人に捧げる祝福の祈りととともに終わりを告げ、竪琴の音がそれを追うようにして静かな余韻を残した。
光皇を失った六百年という長い絶望の失皇期を生き抜き、ようやく新たな光皇の出現の時代に立ち会うこととなった聴衆は、人と世界と光皇との絆に改めて感銘を受け、遥かな時代と同じ、始まりの時を迎えたことに感動して、弾けるような拍手を黒外套の吟遊詩人に贈った。
そうして、彼の足元に金や銀、銅といった色様々な硬貨が、次々に投げ落とされていく。
「凄い、凄いわ、ラグ!」
思いがけなく大成功を収めたラグに、メイメイが満面の笑みを浮かべて飛びついた。
「お前、凄えな!このまま、芸人か、吟遊詩人にでもなった方がいいんじゃねえか?」
「それ、いいね。……今の仕事より、よっぽど向いてるかも」
頭巾の奥深くに隠された顔が、興奮するカイルたちとは対照的に、暗く寂しげなものを浮かべたことに、彼らは気づかなかった。