1-5 「捜索開始」(リライト前)
ジリジリジリ
あーうるさい。
頭の横で鳴り続ける物体に脳天目掛けて渾身の裏拳を叩き込む。
アラームを越える大音量を発しながら床に落ちていったけど昨日見かけた説明書を読む限り頑丈さをウリにしているらしいから大丈夫だろう。たぶん。
しかし自分でもこんなに朝が弱かっただろうかと少々驚いている。
かろうじてセットした時間には起きたが、拳の痛みの伴う目覚めなんてもちろん初体験、のはずだ。
「2年、か」
時間というものは本当に曖昧だなとつくづく思う。目に見えやしないのに定義があって、実際に存在していたとしても感じ方に個人差がある。
そんなあやふやなものを2年と一言で片付けてしまうのは何かが違う気がした。
なら、私はどう感じたのだろう。なくした時間のことを。
・・・・。
分からない。いくら考えたところでその回答はあやふやなままだ。
リビングに向かう。
とにかく動き出さないといけない。
2年間の記憶のこと、イノハラと名乗る男のこと、そして「ツキミ」という名前のこと。
今わかっていることと言えば、今の自分が職を持たない100万人のうちの1人ということだけでこんなにも無知だ。
けど、もう焦ったりしない。
不思議なことに昨日の電話の後からいやに冷静だ。正確に言えば「ツキミ」という言葉を聞いてから。
初めて聞いた名前のはずなのに、妙に心にストンと落ちていく。
私の体がその名前を記憶しているみたいになんだか馴染んでしまう。
誰かが、世界のどこにいるともわからない誰かが、私のことを知っている。記憶してくれている。そんな思いに駆られたからかもしれない。
出かける支度をする。制服を着るだけだけど。
まずは昨日の電話の男を探すことにした。手がかりがあることはまず間違いない。
そうこうするうちに着替え終え、ふと机の上に置いてある鏡を見た。そこに映る茶髪の少女をまじまじと見つめる。
肩まで髪があって、高校生にしては童顔で、記憶喪失の少女。
これが今の私。
それ以上でも以下でもない、私自身だ。
髪を切ろうか迷ったけどそのままにした。きっと私を私と認識する上で必要なことだから。
使い慣れないヘアゴムを手にかけ、少し高いところで髪をまとめる。
「よし、いくよ。美月」
外はすでに日が昇りきっていた。
とりあえず大通りまで出て来てみたが人通りがまばらだ。確かに今の時間は仕事や学校に向かうのには遅く、ランチに出かけるにはやや早い。
いつもの調子で用事を済ませるなら好都合だが、今日の用事はそうもいかない。
イノハラと名乗る男の捜索。これが今日のメインだ。
手がかりはこの男が医者であり、どうやら私の家からそう遠くない場所にある病院にいるらしい、ということだ。
私の住むこの長宮という町はそれほど広い土地を持たないが、それほど過疎化が進んでいるというわけでもない、ごく平凡な地域だ。
そのため病院も町の土地面積に比例して決して多くない。だから、件の病院を見つけるのにたいして時間はかかるまいと踏んでいた。
そう、2年前なら。
私が知っているのは「2年前の長宮」であり、今、2014年9月時点での長宮が2年前からなんの変化もないなんてことはありえない。
例えば、長宮にある病院の数と位置、とか。
普通なら携帯とかパソコンとかで調べてしまうのが一番手っ取り早いのだが、生憎その両方ともが家から綺麗さっぱり紛失しているし、図書館や市役所に行って検索をかけるのも面倒だ。ならば道ゆく人に聞いてしまうのが時間を浪費せずに済むだろう、と思い立って今に至る。
では早速、聞き込み開始だ。
「ありがとうございましたー」
大して上手くもない愛想笑いとともに、去っていく通行人に軽く頭を下げる。
かれこれ聞き込みを始めてから1時間程が経過して得られた情報は、もともとあった大きな病院がここよりもずっと南に移転して、新しく病院がこの近くにできた、ということだった。
これで例の病院の目星はついた。今さっき聞き込みをした中年女性にその病院までの道すじを地図に書いてもらったので、あとは着いてから詳しく調べるとしよう。
はっきりいって地図が汚すぎて正しく進める自信はあまりないがいずれたどり着くだろう。うん。
甘かった。これは想定外だ。
地図を必死に解読しながら2時間近く走り回った結果、私が目にした標識にはこう書いてあった。
長宮南総合病院。
「こっちじゃないんだよ...」
まさかここまではっきりと道を間違えるとは夢にも思わなかった。
せっかくここまで来たがこちらに用事は何一つない。
意気消沈としたまま踵を返そうとした時、ドン、と何かにぶつかった。そして、その5秒後にぶつかったのではなく、抱きつかれていたと気が付いた。
自分の胸あたりの高さに黒髪の女の子の頭が居座っていたからだ。
「あのー...、どちら様?」
恐る恐る尋ねると、少女は潤んだ目をこちらに向けて嗚咽交じりに回答する。
「お兄ちゃん...。」
それ、答えになってないから。