1-3 「私のいた場所」(リライト前)
「なんだ、これまた懐かしい顔じゃないか。」
そう言って、菖蒲先生は職員室ではなく、隣の応接室へと私を招き入れた。
今はここから少し離れた所に新しく来客の相手をする部屋を設けたらしく、この部屋は完全に彼女のテリトリーとなったようだ。
けれど私はそうした変遷の過程を実感できない。できるはずがない。
そんな記憶、私の身体のどこを探したって見つけられないのだから。
「で、何の用件だ?山神美月。重っ苦しい相談事だったら他所を当たれ。私はただのしがない非常勤講師だからな。」
伸ばし放題の腰まであるなぜかしっかりストレートのかかった黒髪。鈴なりの声。疲れた白衣。
そして、前髪に隠れて右目は見えないが、鋭い視線を大きく切れ長の左目から放っている。
菖蒲先生は初めて会ったときからこうだった。
その声、容姿、立ち振る舞い、どこを取っても上品で、一言では表しきれない妖艶さを内包した雰囲気を漂わせていた。
が、しかし、この口調。
冷淡、淡々、淡白。
見事なまでに他人に重きを置いていないのだということを話相手に知らしめている。
まさに「喋ったら残念な美人」とはこのことだ。
「?何をニヤニヤしている。もっとしっかり笑えるように口を裂いて欲しいのか?」
真顔でこんなことを口走るあたり、彼女はネジが何本かトんでいる。
私は先生の常識外れの人柄が気に入って、刺激的な会話を求めて職員室にまできたりもしていた。
その都度、呆れ半分面白半分の顔をして私の話相手になってくれていたことを覚えている。
普段から白衣を着ているため、一見疲れた科学者だがその実、科学はからっきし。もちろん医学は専門外。保健教師を名乗っておきながら教科書通りの初歩的な授業しかできないのだ。
まったくもってあべこべである。
もう少し昔の記憶に浸っていたかったが、先生がポーカーフェイスのままハサミを机から取り出す前に本題に入らねばなるまい。
尋ねるべきことはわかっている。けどそれを口にしたらきっと現実を見ることになる。
今まで先のことなんて誰かに決めてもらってばっかりで、自分にすら興味を持てないまま生きてきたせいだ。
目の前の鎖付きの箱を開けてしまうのが、怖い。
「おい、人でも殺すような顔して黙り込むんじゃない。生憎だが、心中は専門外だぞ。」
でも、知らなければならないことだ。遅かれ早かれ現実と自分を擦り合わせていく上で通らなければならないんだ。一度決めたことを曲げることだけはしたくない。
小さくも重い覚悟を心に刺して、離れようとしない唇を引き離して言葉を紡ぐ。
「先生。私って今、何年生ですか?」
先生は少し面食らった顔をしたあと淡々と答えた。
「何年生でもないな。おまえはここの卒業生、それだけだ。」