若き日の力也の戦い
今回の番外編は、第二部から16年前が舞台になります。つまりタクヤとラウラはまだ1歳ということですね(笑)
蒼い髪の少年と赤毛の少女が、2人で草原へと歩いていく。その2人を遠くから見守りながら、俺はその2人組が誰なのだろうかと考え続けていた。
少年が身に纏っているのは、見慣れたデザインのコートだった。短いマントが追加され、アイテムを入れておくためのホルダーが増設されているが、あのコートは間違いなく俺がいつも身に纏っているモリガンの制服に違いない。そしてそのコートを纏っている少年は――――――俺の妻に瓜二つだった。
そうか、あいつは――――――タクヤの成長した姿なのか。
もしあの少年がタクヤならば、隣を歩く少女はラウラか?
あの2人は、子供たちが成長した姿なのか。
―――――――いってらっしゃい、2人とも。
現実味がない世界だというのに、俺はそう思いながら2人を見送ることにした。どうして見送ろうとしたのかは全く分からない。現実味がない上に、まだ俺の子供たちは1歳だ。今頃家にいるエミリアやエリスに絵本を読んでもらったり、一緒に昼寝をしている筈なのに。
子供たちの成長した姿を見てしまった俺は、微笑みながらあの2人に手を振る。
相変わらず現実味はなかったけれど――――――父親になったという実感を味わう事ができて、俺は安心した。
「おい、旦那。起きろ。起きろって、同志リキノフ」
「ん………?」
がっちりとしたでかい手に肩を揺すられ、俺は瞼を擦りながら起き上がる。眠気が薄れていくと同時に戻ってくる現実味と、やけに大きなヘリのローターの音。微かにオイルの臭いのする兵員室の中で目を覚ました俺は、愛用の懐中時計を取り出して時刻を確認する。
時刻は午前3時。そろそろ作戦が始まる時間だ。世界最強の傭兵ギルドの一員が、いつまでも寝ているわけにはいかない。
ちなみにこの懐中時計は、エミリアと初めて王都にデートに行った時に彼女がプレゼントしてくれた大切な物だ。だから依頼を受けて戦場に向かう時も、お守りとしていつも身に着けている。
『――――――そろそろ降下準備を』
「了解、同志シンヤスキー」
スピーカーから聞こえてきた信也の声を聞いて、俺は気流のせいで揺れる座席から立ち上がった。兵員室の反対側にあるドアを開き、今までドアが遮断してくれていた湿気と冷たい風と対面する。
まだ太陽が出てくる時間ではないため、ドアの向こうは真っ暗だった。兵員室の中を照らし出すランプ以外に光源は全く見当たらない。数分後に装備を身に着けた状態で、この真っ暗な森へと降下しなければならないのだ。
俺たちが引き受けている依頼は、普段のようなクライアントからの依頼ではなく、仲間であるフィオナからの依頼だった。隣国であるラトーニウス王国に侵入し、ダンジョンに指定されているメウンサルバ遺跡へと潜入して、その中に保管されているあるものを回収してきてほしいという大仕事だ。
しかも、他の冒険者が持ち去る前にそのあるものを回収しなければならない。
「――――――大昔の錬金術師が遺した実験体ねぇ………。フィオナちゃん、その実験体を使って何をするつもりなんだ?」
「さあ? 本格的にマッドサイエンティストになるつもりなんじゃないか?」
『な、なりませんよ!?』
座席に座りながら装備の点検をするギュンターと冗談を言っていると、いきなりコクピットの方の壁から反論する可愛らしい声が聞こえてきた。やがて殺風景なグレーに塗装された兵員室の内壁をすり抜けて、白髪の少女が壁の中から顔を出す。
彼女の名はフィオナ。モリガンの傭兵の1人であり、最近は本部の研究室の中で様々なアイテムや魔術の研究を続けている天才技術者である。俺たちが愛用している新型のエリクサーの開発者だ。
従来のエリクサーは不味い上に、瓶の中に入っている液体を全て飲み干さなければ傷口が塞がらないほど回復力が低かったんだが、彼女が開発した新型エリクサーは一口だけで傷口が塞がるし、オレンジジュースみたいな味がするから非常に美味い。
内壁をすり抜ける事が出来るのは、フィオナが幽霊だからである。
『もうっ。ちゃんとした研究のためなんですからねっ!』
「はははっ、すまん。そうだよな」
ちゃんとした研究か………。
俺たちが回収しようとしている代物は、確かに転生者に悪用される前に回収しなければならない危険な代物だ。
「――――――最古のホムンクルス………リディア・フランケンシュタインか………」
『はい………』
大昔の有名な錬金術師であるヴィクター・フランケンシュタインは、この異世界で始めてホムンクルスを生み出した人物であると言われている。それ以外にも、手に入れた者の願いを叶えるメサイアの天秤という魔法の天秤を作り上げたという噂があるんだが、天秤が実在するという資料は未だに発見されていないため、演劇やマンガの題材にされる程度だ。
大昔にホムンクルスを生み出したそのフランケンシュタインが、実験の際に一番最初に生み出したというホムンクルスの試作型が、なんとまだ彼の実験施設だったメウンサルバ遺跡の最深部で生きているというのである。
そのホムンクルスを回収するのが、俺とギュンターの仕事だ。
この作戦に参加するのは全員で6名だ。俺とギュンターが遺跡に潜入し、信也とミラがこのロシア製のヘリを操縦する。オペレーターはフィオナに担当してもらう予定だし、ドアの近くに装備してあるLMGのPKPによる射撃はガルちゃんに担当してもらう予定である。
エミリアとエリスにはまだ1歳の子供たちの世話をお願いしているため、この作戦には不参加という事になっている。カレンもドルレアン領の領主の仕事が忙しいらしく、参加することは出来なかったらしい。
それにしても、最古のホムンクルスか………。エミリアの大先輩ってわけだな。
俺の妻のエミリアはエリスの1つ年下の妹という事になっているが――――――正確に言うならば、エミリアは人間ではない。
エミリアは、かつてレリエルの心臓を貫いた魔剣を復活させるため、バラバラにされた魔剣の破片のうちの1つを心臓に埋め込んだ状態で生み出されたエリスのホムンクルスなのだ。
エリスの遺伝子を元に生み出された彼女は、生まれる前に死亡してしまった本当のエリスの妹に名付けられる筈だった名前を付けられ、エミリアとして生まれてきた。幼少期はそのことを知らないエリスと仲睦まじい姉妹だったのだが、騎士団に入団して魔剣を復活させるという計画とエミリアの正体をエリスが知ったことで、姉妹の間に大き過ぎる軋轢が生まれてしまった。
だが、今はその軋轢は完全に消滅し、仲の良い姉妹として子育てをしている。
今では人間という事になっているが、ホムンクルスとして生まれたエミリアから見れば、最古のホムンクルスであるリディア・フランケンシュタインは大先輩という事になる。
「無理をするでないぞ、力也。無茶をするのはお主の悪い癖じゃからのう」
「分かってる」
ドアガンナーを担当するガルちゃんが、赤毛の幼女の姿で俺に釘を刺す。
「2人の妻を未亡人にするつもりはないよ」
だからこそ、必ず生きて帰るのだ。
お守りの懐中時計を握りしめながら目を瞑っていると、俺たちの乗っているKa-60カサートカが高度を落とし始めた。漆黒の絨毯にも似た森の木々が近くなり、メインローターが吹き付ける風圧で怯えたように揺らめき始める。
「そろそろ出番だぜ、同志ギュンコフ」
「おう!」
武器の点検を終えたギュンターを呼びながらガルちゃんとフィオナに向かって頷くと、俺は風圧で揺らめく漆黒の絨毯へと向かって飛び込んでいった。
メインローターの音が後方へと置き去りにされ、身体が森の中へと吸い込まれていく。操縦を担当しているミラはかなり高度を落としてくれていたらしく、予想していたよりも地面に着地するタイミングは速かった。まるで発射された迫撃砲の砲弾が落下するかのように地面に着地した俺は、素早く移動しながら持ってきた武器を構える。
今回の装備は遺跡に潜入して実験体を回収する事が目的のため、かなりシンプルだ。まずメインアームはドイツ製SMGのMP5K。短い銃身にマガジンとグリップを取り付けたような形状の銃である。MP5の銃身を短くした小型のサブマシンガンで、非常に扱いやすい。使用する弾薬はハンドガンなどが使用する9mm弾だ。マガジンをジャングルスタイルに改造し、フォアグリップとチューブ型ドットサイトを装備している。
サイドアームは同じく9mm弾を使用するドイツ製ハンドガンのUSPだ。軽量である上にバランスの良いハンドガンだから、このような依頼にはうってつけだろう。こちらは隠密行動用にサプレッサーを銃口に装着し、ドットサイトとライトを装備している。
装備を確認し終えた直後、どん、と俺の後方に浅黒い巨躯が落下してくる。装備がぎっしりと詰まったコンテナでも落下してきたような音だ。もう少し静かに降下してくれよと顔をしかめながら振り向いてみると、やはりモリガンのメンバーの中で一番身体がでかいギュンターが降下を終え、あいつの身体から見ればハンドガンに見えてしまうMP5Kを構えながら俺の傍らへとやってきた。
「こちら『ジェド・マロース1』。2人とも降下に成功した」
『了解。では、そのまま目標地点へ進んでください。我々は上空を旋回します』
「了解」
今回の作戦ではコードネームを用意している。俺は『ジェド・マロース1』で、ギュンターは『ジェド・マロース2』だ。上空を飛行するカサートカは『スネグーラチカ』というコードネームになっている。
この世界には無線機は存在しないため、騎士団では伝令がまだ活躍している。だから無線を傍受される危険性はないんだが、俺たち以外に転生者はまだ存在するし、そいつらがこの依頼を受けた俺たちの無線を傍受しているかもしれない。だから今回は、信也がわざわざコードネームを用意してくれたのである。
カサートカのローターの音が遠ざかっていく。おそらく、遺跡の上空へと接近して魔物がいないか確認してくれるのだろう。
ここはダンジョンだから何体も危険な魔物が生息している。もしかしたら遺跡に潜入する前に遭遇する可能性がある。
堅牢な外殻を持たない魔物ならば9mm弾でも対抗できるだろう。だが、もしアラクネのように硬い外殻を持っている魔物が生息しているのならば、最低でも6.8mm弾でなければ外殻を貫通することは難しい。
魔物には遭遇したくないなと思いながら進んでいると、雨上がりのせいなのか木々の香りが濃くなっている森の中に、鉄の臭いにも似た異臭が混じり始めた。
この臭いは何度も嗅いでいる。重傷を負った兵士や殺された直後の死体が発する血の臭いだ――――――。
「………こりゃ魔物の血だな。人間の血じゃねえよ」
「さすがハーフエルフだな。お前の嗅覚が羨ましい」
後ろを歩いていたギュンターが、すぐに血の臭いの正体を見破った。ハーフエルフの聴覚や嗅覚は人間を上回っている。俺はもう人間ではなくキメラなんだが、身体能力が強化されているとはいえまだハーフエルフに敵わない部分も多い。
ライトで足元を照らしてみると、確かに草むらがところどころ赤く染まっていた。前方を照らしてみると草むらの中にちょっとした血の海が出来上がっており、その中で狼に似た動物が横たわっている。
シルエットは狼のようだが、身体の表面を覆っているのは毛皮ではなく茨だ。まるで何本も茨をかき集めてつなぎ合わせ、狼の形にしたかのような奇妙な魔物である。
「ローゼンヴォルフか………。絶命しているようだな」
ローゼンヴォルフは、森の中に生息する魔物の一種だ。習性は狼とあまり変わらないが、非常に獰猛でスピードが速い上に、身体を覆う茨から稀に毒を出す事がある厄介な魔物である。しかも単独行動はせずに群れで襲い掛かって来るため、大規模な群れと遭遇した場合は熟練の冒険者でも大人しく逃げるようにしているという。
その厄介な魔物が、草むらの上で絶命していた。茨で覆われた身体の表面には剣で斬られたような傷跡がある。
「冒険者が倒したみたいだな」
「まだ殺されたばかりのようだ………。遺跡に向かった冒険者がいるみたいだぜ、旦那」
「チッ………」
おそらく、偶然遺跡の調査に向かった冒険者たちだろう。あの遺跡に最古のホムンクルスが眠っているという情報は、モリガンのメンバーしか知らない。漏洩するわけがない情報なのだ。
面倒だな。冒険者の仕事はダンジョンの内部を調査する事だ。ダンジョンの中で別の冒険者と遭遇した際、成果を独り占めするために敵対するか、協力して調査し報酬を山分けするかは冒険者次第というルールになっている。
だが、いくらなんでも最古のホムンクルスは山分けするわけにはいかないし、その情報を公表させるわけにはいかない。
だから、他の冒険者がいるならば―――――――消えてもらう必要がある。
「ジェド・マロース1よりスネグーラチカへ。冒険者が遺跡に向かった形跡あり」
『………了解。消すしかないね』
「………容赦ねえな」
『それがモリガンだよ、同志リキノフ』
確かに、容赦がないのがモリガンだ。
俺は納得しながら、ギュンターを連れて遺跡へと向かった。
暗闇の中に鎮座するその遺跡は、まるでツタまみれの宮殿のようだった。街路樹のように整列した石柱や、奇妙な壁画が描かれた壁まで伸び続けた植物のツタに覆われ、まるで緑色の血管が浮かび上がったかのようなグロテスクな壁面に変貌している。
そんな壁面ばかりしか見当たらない遺跡へと向かっていく冒険者の人数は3人。鎧に身を包み、剣を手にした男性と、弓矢を装備した女性と、マントの付いたコートに身を包む魔術師の男性の3人だ。
基本的に、冒険者は夜間にダンジョンに挑む事を避けるようにしているという。夜行性の魔物が集まってくる可能性があるし、視界も悪くなる。彼らの目的は魔物の排除ではなくダンジョンの調査なのだから、魔物と戦わずに内部の調査だけ行い、逃げ帰ってきてもお咎めなしなのである。
それゆえに夜間の調査は忌避する。だが、あの冒険者たちは敢えて夜間に遺跡に足を踏み入れるつもりのようだった。どうせ夜間ならば他の冒険者はいないだろうから、調査の成果を独り占めしてしまおうという考えなんだろう。
その考えが、俺たちに消される原因となる。
匍匐前進で漆黒の草むらと同化しつつ、腰の鞘から漆黒のボウイナイフを引き抜く。刀身まで漆黒に塗装されているため、夜間の隠密行動の際でも目立つことはない。だから、モリガンで使用している刃物は一部を除き漆黒に塗装するように決めているのだ。
「俺が魔術師を消す。お前はここから弓矢を持ってる女を狙撃しろ」
「了解。気を付けろよ、旦那」
「おう」
死ぬわけにはいかないからな。俺が死んだら、エミリアとエリスが同時に未亡人になっちまう。
そっと立ち上がり、姿勢を低くしながら冒険者のパーティーへと接近していく。やはり夜間は昼間よりも非常に危険だという事を知っているらしく、かなり警戒しながら進んでいるようだ。
まず最初に狙うのは魔術師がいいだろう。魔術で援護されたら厄介だし、敵を索敵するレーダーの役割も兼ねているに違いない。それゆえに、敵のパーティーの中に魔術師がいたら真っ先に狙うことにしている。
姿勢を低くしながら接近して行くが、魔術師が俺に気付いた気配はない。かなり魔力を察知されないように気を配りながら接近しているんだが、一流の魔術師ならば違和感くらいは感じて背後をチェックしようとするだろう。
散々警戒していたせいで集中力が摩耗しているのか、それとも自分の索敵能力を過信しているのか。
気付いていないのならば、容赦なく消させてもらうまでだ。
左手を伸ばして魔術師の口を抑えつつ、逆手持ちにした漆黒のボウイナイフを喉へと突き立てる。切っ先が首へとめり込んで声帯をあっさりと貫き、呻き声を金属の刃で封じ込めてしまう。
だが、さすがに静かに仕留めるのは難しかった。今しがた仕留めた魔術師の男がじたばたと暴れたせいで、マントやコートが揺れる音に違和感を感じたらしく、前を歩いていた弓矢を持つ女性がこっちを振り返った。
「きゃあっ!? じょ、ジョンッ!?」
「なっ………!? 何だお前!? 盗賊か!?」
モリガンの傭兵だよ。
動かなくなった魔術師の喉からボウイナイフを無理矢理引き抜き、死体を横へと投げ捨てた俺は、血の臭いを纏ったナイフを手にしたまま、恐怖と鮮血を引き連れて左の草むらへと飛び込んだ。
「やれ、ギュンター!!」
「おう!」
荒々しい男性の返事が森の中に響き渡り―――――――その残響を、背後から響き渡った轟音が押し流すように突き抜けていく。
MP5Kのマズルフラッシュが森の中を照らし出し、その荒々しい殺戮の光の中で、彼のフルオート射撃の餌食となった2人の冒険者の身体が9mmに食い破られていく。
断末魔まで呑み込んでしまった銃声が残響へと変わり始め、静寂で希釈される。ナイフを鞘に戻しながら起き上がった俺は、コートに付着した草を払いながら、魔術師の死体の傍らに横たわる穴だらけの死体を見下ろし、目を瞑ってから踵を返した。
「クリアだ、ギュンター」
「はいよ」
絶対に、渡すわけにはいかない。
リディア・フランケンシュタインは俺たちが手に入れる。
久しぶりに若い頃の力也の戦いを書きました。何だか懐かしいです(笑)




