リキヤVSヴィクトル
かつてヴィクトルは、ラトーニウス騎士団がネイリンゲンに侵攻した際、レリエルたちと共にリキヤと共闘した事があった。
当時のヴィクトルは、見たこともない異世界の武器を手にして仲間と共に戦う17歳の少年を侮っていた。所詮は寿命も短く、制裁能力も持たない人間の1人。いくら異世界の強力な武器を持っていても、最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードを打ち倒すことは不可能だろうと思っていたのである。
しかし、今ではその少年が吸血鬼たちにとって最大の脅威となっている。レリエル・クロフォードとの一騎討ちに勝利し、世界を守り抜いたリキヤ・ハヤカワという魔王を倒さない限り、吸血鬼が再興することはないだろう。
ただでさえ数が少なかった吸血鬼に止めを刺すように、この男はレリエルを殺した。だからリキヤを殺しレリエルの仇を討たなければならない。
投げナイフの短い柄を片手で握りしめながら、ヴィクトルは目の前に無傷で立つスーツ姿の魔王を睨みつけた。防壁の外でこの一騎討ちが始まってからまだ5分程度しか経過していないというのに、ヴィクトルは早くも片腕の骨を折られ、胸骨や肋骨を粉砕されていた。筋肉の下で砕けた骨が再び結びつき合う感触の中で、ヴィクトルは息を呑む。
(これが………レリエル様を超えた男か………!)
皮膚の下で芋虫が這いずり回るかのような骨が再生する感触が消えてから、彼は冷や汗を拭い去る。
もちろん、ヴィクトルは戦いが始まってからすぐに全力を出した。あらゆる魔術で攻撃し、自分が最も得意とする得物である投げナイフを何本も放り投げ続けた。もしも相手が普通の人間だったのならば、跡形もなくなってしまうほどの猛烈な総攻撃である。
しかし―――――彼が対峙している男は、全く傷を負っていない。
(くっ………!)
「どうした? 俺はまだ得物すら出してないぞ?」
「黙れッ!」
リキヤはまだ、得物を使っていない。ヴィクトルに何度も致命傷を与えた彼の攻撃は、全て何の変哲もないパンチや蹴りだけだったのである。
その実力差に焦りつつ激昂したヴィクトルは、左手に持っていた投げナイフを力也に向かって投擲した。驚異的な腕力と瞬発力をフル活用して放り投げられたナイフの速度は弾丸と全く変わらなかったのだが、リキヤはそのナイフをあっさりと躱すと、かぶっていたシルクハットを片手で直しながら息を吐いた。
「しっかりしろ、吸血鬼。レリエルの眷族だったんだろ?」
「貴様………!」
もう1本ナイフを投擲してやろうかと思ったヴィクトルだったが、更に激昂すれば攻撃が単調になってしまうという事に気付き、膨れ上がりかけていた怒気を抑え込んだ。
吸血鬼はプライドが高い種族である。だから侮辱されればすぐに激昂してしまうのだ。リキヤの狙いは、ヴィクトルを更に激昂させて攻撃を単調にしてしまう事だったのだろう。
部下のユーリィならばとっくに激怒し、単調な攻撃を何度も彼に仕掛け、反撃されていたに違いない。反抗的な同族の事を思い出して苦笑いしたヴィクトルは、再生が終わった右腕で懐から投げナイフを取り出す。
(ほう………激昂しなかったか)
プライドの高い吸血鬼ならば、もう激昂していた事だろう。しかしリキヤの命を狙っていたこの古参の吸血鬼は、他の吸血鬼よりも冷静沈着だ。自分たちの種族の気質を熟知しているし、感情的になりかけてもそれをすぐに抑え込んでしまう。
彼に心理戦を仕掛けるならば、骨が折れる事だろう。
今では吸血鬼は激減しているが、このヴィクトルのように優秀な吸血鬼はまだまだ生き残っている。その吸血鬼たちを統括しているのは、レリエル・クロフォードの後継者である吸血鬼の女王だ。
彼女と出会ったことは何度もある。それに、レリエルとの一騎討ちの招待状を送ってきたのは、彼女であった。ヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントで戦い、ネイリンゲンで共闘したことのあるリキヤは、彼女が暗殺者を送り込んできたのは吸血鬼たちの戦力が増強されつつあるからだろうと見抜いていた。
いくら優秀な古参の吸血鬼とはいえ、単独で暗殺のために送り込むわけがない。もし返り討ちになれば、優秀な吸血鬼を失う事になるからだ。だから数が少ないうちはそんなリスクが大きな戦法を取るわけがない。しかし、そのリスクが大きな作戦を選んできたという事は戦力が増えているという事なのだろう。
レリエルとの戦いの後もリキヤは転生者を狩り続け、レベルを上げ続けていた。それに戦いの経験も積み続けていたため、既に戦闘力は11年前のレリエルを凌駕している事だろう。だが、生き残った彼の眷族たちも同じように強くなっているのは火を見るよりも明らかだ。だから迂闊に吸血鬼を殲滅するわけにはいかないのである。
懐から取り出した小さなナイフを続けざまに投擲するヴィクトル。やはり弾速は弾丸と変わらないほどだったが、リキヤは同じように容易く回避する。
彼もキメラであるため、サラマンダーの外殻を形成して硬化する事ができる。それに義足を移植した影響で変異してキメラになったせいなのか、彼の左腕だけは常に硬化され、外殻に覆われた状態のままなのだ。
元々は人間だったのだから、リキヤはタクヤやラウラのように純粋なキメラではないのである。
(不完全なキメラってところか………。キメラの始祖が不完全とはな……)
自嘲しつつ、次々に飛来するナイフを回避し続けるリキヤ。外殻を使って防御することは出来るが、彼が回避し続けているのはヴィクトルの攻撃を防御するまでもないと侮っているわけではなく、迂闊に防御するわけにはいかないという警戒心が原因であった。
吸血鬼は闇属性の攻撃を得意としている。闇属性の魔術は人間でも使う事ができるが、より強力な闇属性の魔力を持つ吸血鬼の攻撃は桁が違う。それに、濃度の高い汚染された闇属性は他の属性の魔力を阻害してしまうため、もしそのような攻撃を受けて傷を負った場合、ヒールやエリクサーでは傷を治療できない可能性があるのだ。
実際に、大切な友人がそれで命を落としているのである。
だからこそリキヤは攻撃を受け止めず、ひたすら回避していたのだ。
汚染された魔力のせいで治療する事が出来ず、家族の元に帰る事ができなかった友人の顔を思い出した彼は、歯を食いしばりながらナイフを回避し、地面に突き立てていた愛用の杖へと手を伸ばす。
かつてモリガンの仲間たちと共にこの王国の女王を救出する依頼を成功させた際、国王から報酬として受け取った杖である。強力なドラゴンであるサラマンダーの外殻や角を使った杖であり、柄の内部には鋭い刀身が仕込まれている仕込み杖なのだ。
その杖を、リキヤはフィオナに依頼して改造してもらっていた。
ナイフを回避しつつ柄を捻る。がちん、と柄がずれる音が聞こえると同時に杖を引っ張り、サラマンダーの頭を模した装飾がついている上部と長い柄の下部の2つに分離させる。
その分離された2つの中からスライドして姿を現したのは、短い刀身と長い刀身であった。装飾がついている上部から出現したのがダガーほどの長さの刀身で、柄の下部から出現したのがロングソードほどの長さの刀身である。
どちらもサラマンダーの角を素材に使った刀身であり、先端部は溶鉱炉の中で融解していく金属のように真っ赤になっている。根元の方は漆黒になっているが、刀身の中心部に埋め込まれた白い部分が、赤と黒のグラデーションの中で異彩を放っていた。
サラマンダーの角は金属のように見えるが、その白い部分には全く光沢がない。まるでそこにだけ魔物や動物の骨を埋め込んでいるかのようだ。
「やっと得物を使うのか?」
「長期戦はあまり好きじゃないんだよ。………だから、そろそろ終わらせる」
杖の中から出現したロングソードとダガーを構え、今度はリキヤがヴィクトルに向かって攻撃を開始する。先ほどまではヴィクトルの攻撃を受け流し、接近戦を仕掛けてきた彼をカウンターで返り討ちにする戦法を使っていたのだが、いつまでもそんな戦法を使っているわけにはいかない。相手は弱点で攻撃しない限り死ぬことのない吸血鬼なのだから。
ナイフを躱し、ダガーで弾きながらヴィクトルに急迫する。キメラとはいえ元々人間だったリキヤの身体能力は、レベルアップの恩恵で劇的に向上している。
予想以上のスピードで接近されたヴィクトルは、更にもう1本ナイフを投擲しようとしていたのを中断し、慌てて後ろに下がりながらそのナイフを振り下ろす。しかし、慌てながら振り下ろした攻撃が、急迫してきた者の攻撃に勝るわけがない。
バキン、と漆黒の破片が舞い散る。月の光の中で黒光りする破片の中を突き抜けていくのは、リキヤが右手に持っているソングソードだ。
攻撃を防ぐための得物を粉砕されたヴィクトルだったが、吸血鬼には再生能力がある。リキヤが持つ得物は強力なドラゴンの素材を使った業物なのかもしれないが、見たところ弱点の銀を使っている様子はない。それに、ヴィクトルは主人であるカーミラから度々血を与えられているため、銀だけで攻撃されてもすぐに再生する事が出来るのだ。
だからこの攻撃を喰らっても、再生してから反撃すればいいだろうと思い込んでいた。
得物をダガーで粉砕されたヴィクトルの右腕に、振り上げられたロングソードの刀身がめり込む。皮膚が切断され、侵入してきた漆黒の刀身が筋肉と骨を断ち切っていく。再生能力を持つために何度も経験してきた激痛である。
「ぐっ………!」
肘の裏に叩き込まれた刀身が、ヴィクトルの右腕を切断した。鮮血が月光の中に飛び散り、斬りおとされた右腕が草原の上に落下する。砕けた投げナイフの柄をまだ握っていた彼の右腕は、月明かりの中でまだ痙攣を続けていた。
左手でナイフを投擲しつつ更に後ろに下がるヴィクトル。リキヤは再生が終わる前に続けて剣戟をお見舞いするべく接近してくるが、いくら再生能力を持つとはいえ何度も斬り刻まれれば激痛で発狂してしまう。ナイフを投擲してリキヤの接近を阻害しつつ、ヴィクトルは右腕を再生させ始める。
弱点で攻撃されたわけではなかったらしく、再生速度はいつも通りであった。あっという間に筋肉繊維が伸び、その中で骨が生えていき、その2つを皮膚が覆っていく。
「………?」
しかし、違和感が残っていた。
再生はいつも通りだったのだが――――――腕を切断された瞬間の激痛が、消えないのである。
(なんだ………!?)
普段ならば再生が終わると同時にその痛みも消滅する。しかし、今しがたリキヤに切断された右腕の激痛は、もう指先まで再生が終わっているというのに全く消えないのである。
痛みが薄れる様子もない。まるで激痛を感じた瞬間が延々と続いているかのように、再生が終わったにもかかわらず痛みが消えないのだ。
「なんだ、これは………ッ!?」
再生能力に異常が発生したのだろうか?
「貴様、これは何だ!?」
「―――――これだよ」
無表情で、リキヤは漆黒と紅蓮のグラデーションの中で異彩を放つ刀身の白い部分をダガーで突いた。
サラマンダーの素材で作られているというのに、白いのである。サラマンダーの外殻は赤黒く、体内の骨も黒い。だから白い部位分などありえないのだ。
「それは………骨か………!?」
「ああ。俺の失った左足の骨だよ」
「なっ………!?」
21年前のネイリンゲンの戦いで、リキヤ・ハヤカワは左足を失っている。それが原因で彼はサラマンダーの義足を移植し、キメラの始祖となったのだ。
刀身に埋め込まれている白い骨のような部分は、その際に失った左足の骨だという。
「草原に放置されてた腐りかけの片足から骨を回収したんだよ。その後、フィオナにそれを武器に組み込んでもらったってわけさ」
「ば、バカな………! それは―――――禁術だろうがッ!!」
得物の正体を教えられたヴィクトルは、あまりにも禍々し過ぎる彼の得物を目を見開きながら見据えた。
魔術とは、基本的に魔力を用いて使用するものである。魔力を別の属性へと変換し、それを更に魔法陣で変換することによって複雑な攻撃を実現しているのだ。だが、中にはそういった魔術から逸脱した危険な術もあるのである。
それが、『禁術』と呼ばれる魔術である。呪いなどもこの禁術に分類される禍々しい術なのだが、リキヤが自分の足の骨を武器に組み込んでいるのは、その中でも強力で痛々しい術を発動するためであった。
「貴様―――――――幻肢痛の呪いのために骨を………!」
「その通り。………こいつで斬られると、傷口の治療は出来るが斬られた際の痛みだけは残る。どんなにヒールを使っても消えることはない。俺を殺すか、俺が意図的に解除しない限りこの痛みは続く」
例えば、指を斬り落とされれば斬られた際の痛みが延々と続くのだ。それを解除するには、リキヤを殺すか、リキヤが呪いを解除するしかない。
だからその杖で敵を斬りつけ、呪いを発動させたまま逃げ回るだけで相手を発狂させる事も可能なのだ。
自分の身体の一部を武器に組み込むと、この禍々しい呪術が使えるようになるのである。吸血鬼のように再生能力を持たない人間が、自らの身体の一部を失う代わりに手に入れた強力なこの禁術は、この術を研究するために自分の身体を切断する魔術師が後を絶たなかったことと、術自体が恐ろし過ぎることから、教会は禁術に指定し、研究や使用することを禁止している。
「そ、そんなものを使っていれば、教会に異端者扱いされる………! 教会に消されるぞ!?」
「ああ、そうだな。教会の騎士は手強い」
教会からの命令を無視し、この研究を続けたことによって、教会の騎士たちに消されていった魔術師たちは何人もいるのだ。
しかし、彼にとってそれは弱みになることはない。
「だが――――――俺の同志がいるのは、社内だけじゃないんだぜ?」
「………!」
彼の『同志』がいるのは、モリガン・カンパニーの内部だけではないのだ。彼の味方は今では世界中にいる。リキヤの同志は、殆ど労働者なのだから。
貴族が持つ強力な権力も、その命令を実行する者がいなければ機能しない。それゆえに、貴族は物理的な攻撃に脆い。そしてその命令に従う者は大概労働者や奴隷ばかりである。
リキヤは、その大勢の実際に行動する者たちを何人も味方につけているのである。その中には騎士団に所属する者もいるし、教会に所属する者もいるのだ。
この国中に、リキヤの同志が存在するといっても過言ではない。
(こいつ………教会に自分の工作員を潜伏させることによって、禁術を隠匿していやがるのか………!)
だから、禁術を使っても問題ない。口外しても教会にいる工作員がそれをもみ消すし、その口外しようとしている者を消せばいいのだから。
「だが、お前を殺すつもりはない」
「何だと?」
「今夜は妻たちと演劇を楽しむ予定だったんだよ。………暗殺者を血祭りにあげるための夜ではない。それに、俺はお前の弱点を持ち合わせていないのでね。殺す手段がないのだ」
転生者の端末で銀の弾丸を生産すれば、ヴィクトルを容易く殺してしまうだろう。彼のナイフを避けながら端末を操作するのは可能な筈だ。
リキヤは、ヴィクトルを見逃そうとしているのである。
ヴィクトルも、リキヤが彼を見逃そうとしていることをすぐに見抜いた。
このまま戦闘を続ければ、リキヤならばあの剣でヴィクトルを何度も斬りつける事ができるだろう。しかもあの仕込み杖で斬られれば、傷口は治療できても痛みを消すことは出来ない。何度も斬りつけられていれば、発狂するのも時間の問題である。
「………だから、今回は止めよう。それでいいだろう?」
肩をすくめながら刀身を収納し、元の杖に戻すリキヤ。それで呪いが解除されたのか、右腕の痛みが突然消滅する。
「―――――――覚えていろ、魔王」
元々暗殺するためにやってきたのだ。正面から戦う羽目になった時点で、勝ち目はなかった。それでも暗殺を断念せず、正面から戦った自分が愚かだったと悟ったヴィクトルは、かつての主君の仇を睨みつけてから、身体を無数の蝙蝠に変化させて、夜空へと舞い上がっていった。
彼の禍々しい闇属性の魔力も遠ざかっていく。逃げたように見せかけたのではなく、本当に逃げてくれたのだろう。
「やれやれ………」
早く戻らなければ、演劇が終わってしまう。早く観客席に残してきてしまった妻たちの元へと戻らなければならない。
肩を回しながらため息をついたリキヤは、後ろに鎮座する巨大な防壁へと向かって走り出した。
(暗殺者を送り込んでくるとは………。戦争を始めるつもりか? アリア………)
おそらく、吸血鬼たちもメサイアの天秤を狙っていることだろう。彼らが天秤で叶えようとしている願いは九分九厘レリエル・クロフォードの復活に違いない。
それに、タクヤたちも天秤を狙っている。彼らの願いは不明だが―――――――もし子供たちと戦う羽目になっても、絶対に天秤を手に入れなければならない。
彼の願いは、タクヤやラウラのためにも絶対に叶えなければならないのだ。
おまけ
歳のせい?
ラウラ「そういえば、パパってテンション下がったよね」
タクヤ「歳のせいだろ」
リキヤ「あぁ!?」
完
※リキヤさんは現時点で38歳です




