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争奪戦と復讐劇

 朝は、いつも静かで落ち着く時間帯の筈だった。旅の途中で野宿をした時は基本的に俺が眠らずに見張りをするんだが、猛烈な眠気を感じていてもあの落ち着く雰囲気は変わらない。


 前世でもそう思っていたし、この異世界に転生した後もそう思っていた。


 でも、このドナーバレグという隣国の街で、初めて俺は落ち着かない朝を体験する羽目になってしまった。


「あの………ラウラ、落ち着いて?」


「ごめんなさい! ごめんなさい、タクヤぁっ!」


 着替えを済ませてベッドの上に腰を下ろしている俺に向かって、土下座しながら必死に何度も謝り続ける腹違いの姉。宿泊していた部屋の床の上で土下座する彼女を先ほどから何度も慰めているんだが、全く落ち着いてくれない。


 ラウラがこんなに俺に向かって謝り続けている原因は、十中八九昨日の夜の出来事だろう。


 俺たちの種族は人間ではなくキメラである。人間の遺伝子とサラマンダーの遺伝子を持つキメラは、基本的には人間と同じだが、角や尻尾が生えているし、一部だけだがサラマンダーの習性も持っている。例えばラウラは史上初の雌のキメラなんだが、彼女は外殻を生成して硬化するのを苦手としている。その原因はサラマンダーの遺伝子で、基本的にサラマンダーの雌は堅い外殻を持たないのだ。


 巣や妻を守るのは雄のサラマンダーの仕事で、雌のサラマンダーは生まれた子供たちをひたすら温め続けなければならない。だから外敵に襲われる可能性はないし、熱を遮断してしまう外殻はむしろ子育てする際に邪魔になってしまうため、退化しているのである。


 その習性が反映されているのか、ラウラは俺よりも外殻を生成する速度が遅く、硬化できる面積も俺より狭い。


 このように、キメラは人間に近いけれどもサラマンダーの習性も持つ新しい種族なのである。


 彼女がこんなに謝る原因となったのは、その習性のうちの1つであった。


 サラマンダーには―――――――発情期があるのである。


 しかも、その衝動の強さはドラゴン並み。キメラはサラマンダーの遺伝子を持つとはいえあくまで精神力は人間と同じであるため、その衝動に耐えることは不可能だという。


 昨晩、その衝動のせいで彼女は俺に襲い掛かってきたのだ。俺もラウラの事が大好きだから拒むようなことはしなかったんだけど………かなり搾り取られました。


 ハヤカワ家の男は女に襲われ易い体質らしいが、かなり面倒な体質が親父から遺伝したものである。もし母さんから渡された薬を服用していなかったら、早くも親父たちに孫ができていたかもしれない。


「あんなに乱暴な事するつもりはなかったのっ! でも………我慢できなくてぇ……………!」


「全く気にしてないから……だ、大丈夫だよ。ね?」


「うぅ………」


 涙声で謝りながらまだ土下座を続けるラウラ。彼女の頭を撫でれば泣き止んでくれるだろうかと思いつつ立ち上がったんだが、昨晩の疲れのせいなのか、立ち上がった瞬間にまるで腰を下へと引っ張られるような感覚がしてよろめいてしまう。


 ベッドに縛られたままひたすら襲われていただけなのに、なぜ襲われた俺がこんなに消耗しているのだろうか。しかもラウラは全く疲れている様子がない。


 おかしいな。ラウラよりも俺の方がスタミナはある筈なんだが、どうして彼女は疲れてないの? 


「おっと………。ほら、ラウラ。泣かないで?」


「グスッ……タクヤに嫌われちゃうよぉ………」


「嫌ってないって。お姉ちゃんのことは大好きだから」


「やだやだ、お姉ちゃんのこと嫌いにならないで………!」


「分かってる。お姉ちゃんのことは嫌いにならない。ね?」


 土下座している彼女を何とか立たせて抱き締める。両手を俺よりも若干小さな彼女の背中に回すと、安心してくれたのか、少しずつラウラの嗚咽が小さくなり始める。


 やっぱり、このお姉ちゃんは甘えてくる時が一番可愛いよ。だから泣いて欲しくない。


 彼女が気に入っている黒いベレー帽をベッドの上から拾い上げ、抱き締めながらラウラの頭の上に乗せた。先ほどまでは彼女の赤毛に隠れていたキメラの角がいつの間にか伸びていて、黒いベレー帽に覆われてしまう。


「大丈夫だよ、ラウラ」


「………本当?」


「うん。ラウラとずっと一緒にいるから」


「………えへへっ」


 やっと泣き止んでくれたみたいだ。力を抜いて腕を離そうとしたんだけど、柔らかい鱗に覆われた尻尾が腰に巻きついてきて、今度は逆に彼女に抱き締められてしまう。


 もう少し甘えてたいのかな。


 それにしても、ラウラは性格が幼いから姉というよりは妹みたいな感じだな。今度ラウラに「一日だけ妹になってくれ」って頼んでみようか。もちろん俺を呼ぶ時は名前じゃなくてお兄ちゃんって呼んでもらおう。


 彼女は姉だけど、もしかしたらそっちの方が似合ってるかもしれない。


 ラウラの甘い香りに包まれながら彼女を抱き締めていると、俺の胸に顔を押し付けていた彼女が顔を上げ、唇を近づけてきた。ラウラを抱き締めたまま彼女の唇を奪い、いつものように舌を絡ませ合う。


 静かに唇を離すと、顔を赤くしながら微笑んでいたラウラが再び不安そうな顔になった。まだ昨日の夜の事を気にしているのかと思いながら慰める言葉を考えていると、それが思いつくよりも先に彼女が話し始める。


「あ、あのね………もし、また昨日の夜みたいになっちゃったら………どうしよう………?」


 昨日の夜みたいに、発情期の衝動が再び来るかもしれないと思って不安になったんだろう。


 母さんの話では、キメラの発情期は17歳から18歳までの間で、衝動は突発的に来るという。つまり、あの衝動が来るのは1回だけではないのだ。


 だから、再び彼女に襲われる可能性は高いだろう。だから母さんは多めにあの薬を俺に渡してくれたに違いない。


「言ったでしょ? お姉ちゃんのことは絶対に嫌いにならない。だから………心配しないで」


「ふにゅ………」


 人間の精神力では耐えられないほど強烈な衝動だなのだから、仕方がない。彼女が俺を襲おうとするならば受け入れるだけである。


 安心したラウラが再び俺の胸に顔を押し付けようとしていると、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。ノックの音の後に聞こえてきたのは、気の強そうな少女の小言である。


「2人とも、早く準備してよね。今日は出発するんでしょ?」


「「はーいっ」」


 昨日の夜に搾り取られたせいで俺はまだ疲れているけど、他の仲間たちは疲れを取る事ができたらしい。俺のこの疲労は我慢するしかないだろう。


 ナタリアに急かされた俺はラウラから手を離し、コートのポケットやポーチにアイテムが入っているか確認すると、財布や冒険者の銀色のバッジがポーチにあるか確認した。財布の中には闘技場の賞金が入っているし、バッジは証明書代わりになるから紛失するわけにはいかない。


 後ろではラウラも同じように持ち物を確認しているけど、まだ甘えていたかったのか唇を尖らせたままだ。


 また2人っきりになったら甘えさせてあげようと思いながら、彼女を見つめつつ肩をすくめる。するとラウラはにやりと笑ってから、嬉しそうにウインクしてきた。


 やっぱり甘えてくる時のお姉ちゃんが一番可愛い。








 俺たちの次の目的地は、このラトーニウス王国にあるメウンサルバ遺跡というダンジョンだ。前までは危険度の高いありふれたダンジョンだったらしいんだが、ここを調査していた教会の兵士たちが今まで実在するか不明だったメサイアの天秤の資料を発見したため、有名なダンジョンとなった。


 だが、現在はもう既に教会の兵士たちがダンジョン内の魔物を殆ど壊滅させてしまったため、そろそろメウンサルバ遺跡からダンジョンの指定が外されることだろう。内部も殆ど調査されているから、もう冒険者が危険な魔物と戦いながら調査する必要もなくなったというわけだ。


 そこに向かおうとしている俺たちは、他の冒険者から見れば食べ終わった焼き魚の骨にありつこうとする貧乏人にしか見えないだろう。全く旨味のない骨に喰らい付いても意味はないと思っているだろうが、そこに辿り着く事ができれば俺たちは天秤のヒントを手に入れる事ができるのである。


 メサイアの天秤が作られたのは、使われていた言語が古代語だった時代である。この世界の古代語は語感がスペイン語やロシア語に似ている独特の言語で、資料が少ない上に非常に複雑な言語でもあるため翻訳が難しく、解読するには非常に時間がかかるという。当然ながら教会が聖地に保管したという天秤の資料も古代語で書かれており、考古学者たちが必死に解読を進めているという。


 資料は教会の兵士がすべて回収したというが、壁などに刻まれている壁画にも古代語があったというから、その中に天秤のヒントが含まれている可能性もある。


 確かに資料のないその遺跡は他の冒険者からすれば焼き魚の残った骨だ。だが、俺たちからすればまさにご馳走である。


 翻訳の難しい古代語でも、その古代語を母語として使っていた人物が俺たちの仲間にはいるのだから。


 1200年間も封印されていたサキュバスのステラの母語は、その古代語だ。初めて出会った時はその言語で俺に話しかけてきたし、ドルレアン家の地下墓地でも複雑な古代語を容易く翻訳していた。


 使い慣れた言語なのだから、俺からすれば書いてある日本語の文章を読めと言われているようなものだ。今ではもう日本語を使う事はなくなったが、稀に親父と話をする時に日本語を使う事がある。


「次のダンジョンは簡単に侵入できそうですわね」


「油断すんなよ。教会の兵士が片付けてくれたとはいえ、まだ魔物は残ってるらしいからな」


 油断しているカノンを咎めつつ、俺は次の目的地で古代語を翻訳することになっているステラを見つめた。ドナーバレグから遺跡の近くにあるという『アグノバレグ』へと列車で移動を始めてから、ステラは出発前に露店でいくつも購入したメロンパンを頬張り、幸せそうに微笑みながら窓の外を見つめている。


 メウンサルバ遺跡に到着したら、是が非でも彼女を死守しなければならない。彼女がいなければ俺たちは古代語を翻訳する事ができず、メサイアの天秤のヒントを手に入れる事ができないのだから。


 天秤は実在するということが証明されたが、この情報を他の冒険者たちも手に入れる事だろう。願いを叶える事ができる伝説の天秤が実在するという情報を他の冒険者たちが知れば、冒険者同士の争奪戦が始まる事は想像に難くない。


 ダンジョンに残っている魔物も気になるが、俺が警戒しているのは魔物よりも他の冒険者の方だ。もしメウンサルバ遺跡で他の冒険者と遭遇した場合、基本的にその冒険者も俺たちと狙いは同じだと判断するべきだろう。


 残った骨に喰らい付こうとするのは、その情報を知っている奴らだけなのだ。


 隣国の景色でも眺めようと思って窓へと視線を向けた俺は、いつの間にか敵を狙撃するためにスコープを覗き込む時のように目つきが鋭くなっていた事に気付き、顔をしかめながら窓の外を見つめた。


 街を取り囲む防壁から外に出ると、親父たちの時代から全く変わらない草原や森が広がっているだけだ。防壁の中は産業革命のおかげで発展する事ができても、この草原は変わらない。


 目つきが鋭くなっていた原因は、これから他の冒険者たちと天秤の争奪戦が始まるかもしれないと思っていただけではないだろう。


 ガルゴニスが言っていた天秤の事が、ずっと気になっているのだ。


 なぜ、あれで願いを叶えても叶えられなかったのと同じなのか。そして、なぜガルゴニスは天秤を探し求める俺たちを止めたのか?


 もしかしたら、天秤は非常に危険な代物ではないのか? 伝説のように手に入れた者の願いを叶えてくれる天秤ではないから、ガルゴニスは俺たちを止めようとしたのかもしれない。


 このまま、天秤を探し求める旅を続けていいのか。浮かび上がってきた不安を消す事ができないまま、俺は再び目つきを鋭くした。









 時計塔の重々しい鐘の音は、彼が最も好きな音である。あの重々しい音が響き渡る度にストレスが希釈され、苛立ちも消えていく。


 オルトバルカ王国で始まった産業革命の影響で、新たな技術が様々な分野で普及し、世界中で巨大な建造物が建てられるようになった。今まではヴリシア帝国の帝都サン・クヴァントに鎮座するホワイト・クロックこそが世界で最も巨大な建造物だと言われていたが、その記録は産業革命の開幕と共に破られており、現在は最古の巨大な建造物という新しい記録に逃げ込んでいる。


 だが、最古という響きは嫌いではない。生み出されたばかりの新しい物よりも、大昔から存在し続ける古い物の方が彼は好みなのだ。


 時計塔の鐘の音が好きなのは、あのホワイト・クロックが好きだっただけなのかもしれない。


 全く違う新しい時計塔の鐘の音を聞き、安心していた彼は、口元についている真紅の液体を舌で舐め取ると、踵を返して後ろに倒れていた女性の屍を飛び越えた。


 彼の後ろで倒れていた女性が絶命したのは数分前の事だ。彼のように貴族出身の優雅な青年のような容姿を持つ男が、忌み嫌う人間たちに混じってポーカーに興じていたのを見たこの女性は、彼の事を夜遊びを楽しむ貴族の青年だと勘違いしていたのだろう。


 女性が彼に惚れていたとしても、青年は絶対に女性を受け入れることはなかったに違いない。なぜならば、彼にとって人間は忌み嫌う敵であり、主食でしかないのだ。

 

 食事を終えた彼はワイン倉庫の中から出ようとするが、倉庫の出口にスーツを身に着けた人影が立っていることに気付き、彼はため息をついてから近くにあったワインの箱の上に腰を下ろした。


「おう、ヴィクトルじゃねえか」


「―――――――また食事か、ユーリィ」


 倉庫の床の上に倒れている女性を見下ろしてうんざりしたヴィクトルは、白い手袋で女性の首筋に残っている噛みつかれたような傷跡に触れた。その傷痕は、彼らの同胞が食事をしたという印である。


 傍らに置いてあったワインの箱の中から瓶を取り出し、蓋を外してワインを飲み始めるユーリィを睨みつけたヴィクトルは、自分よりも遥かに若い同胞を咎めるべきかと思ったが、説教はせずに立ち上がった。


 ヴィクトルは、生き残っている吸血鬼の中でも古参の吸血鬼の1人である。かつてネイリンゲンがまだ街だった頃、最強の吸血鬼であるレリエル・クロフォードと共に戦った経験を持つヴィクトルは、吸血鬼の残党を纏める彼女の右腕でもあるのだ。


「――――――カーミラ様から命令だ。お前はこれからメウンサルバ遺跡に向かい、メサイアの天秤の情報を手に入れろ」


「メサイアの天秤だって? おいおい、我らの大将は天秤で叶えたい願いでもあるのか?」


「決まっているだろう。我らの宿願は―――――――」


「ああ、レリエルさんの復活だっけ」


 吸血鬼たちのリーダーであったレリエル・クロフォードは、11年前にあるキメラの男によって倒されている。彼らの目的はこの世界を支配する事だが、それよりも先に吸血鬼の王であるレリエルを復活させる必要がある。


 それに、レリエルを殺した男にも報復をしなければならない。


「ちょうど、あいつのガキ共が遺跡に向かっているらしい。ついでに始末しろ」


「ガキだと?」


「ああ、小娘ばかりだ」


「おいおい、俺はロリコンじゃねえぞ。カーミラ様みたいな美女が好みなんだが――――――――」


「だったら任務を成功させて求婚でもすることだな。だが、あのお方が貴様のような若造を夫にするのはありえないが」


 肩をすくめ、ワインを飲み尽くしたユーリィは空になった瓶を放り投げた。ワインの味も悪くはないが、やはり一番美味いのは美女の血である。


 吸血鬼の主食は血であるため、パンを食べたとしても空腹感は消えないし、水を飲んだとしても喉は乾いたままなのだ。だから吸血鬼たちは血にありつくために人々を襲うのだ。


「で、ヴィクトルおじさんはどうするんだよ? 早くも隠居の準備か?」


「ぶち殺すぞ、若造が。―――――――俺はカーミラ様の元に戻った後、あの男を始末しに行く」


「―――――――ああ、リキヤ・ハヤカワだな?」


 その男が、レリエルの仇なのだ。


 11年前にレリエル・クロフォードを葬った世界初のキメラ。モリガンの傭兵として戦い続けた彼は、今では2人の妻たちと共に会社を経営しながらラガヴァンビウスで暮らしているという。


 奴を倒さなければ、この世界を支配することは不可能だ。モリガンの傭兵たちは1人で騎士団の一個大隊並みの戦闘力があると言われているが、今の彼らは明らかにそれ以上の戦闘力を持っている事だろう。


 だから、ヴィクトルのような古参の吸血鬼が行かなければならない。


「さすがに魔王リキヤはヴィクトルかカーミラ様じゃないと殺せないな。頼んだぜ、ヴィクトルおじさん」


「ふん」


 少女の血はあまり好きではないのだが、魔王の娘たちならば楽しめるだろう。


 これから大仕事に向かう大先輩にワインの瓶を渡したユーリィは、あくびをしてから立ち上がると、ワイン倉庫を後にして大通りへと向かった。


 

 第四章 完


 第五章へ続く


次回から第五章です。よろしくお願いします!

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