狂戦士の襲来
殺意には、種類がある。
暗殺者や傭兵が相手へと向ける殺意は、私情が全く存在しない非常に冷たい殺意である。彼らの引き受けた仕事がその人物の暗殺であるならば、確かに私情は存在することはないだろう。それが彼らの生業で、報酬を受け取る手段ならば私情がある方が愚かしい。
そして猛烈な怨念を相手へと向けるものが持つ殺意は、非常に禍々しい。その人物への復讐心や憎しみが過程となり、結果が殺意になっているようなものだ。だから殺意の原因を知ろうとすればその人物の憎しみを知る羽目になる。
俺たちへと向けられている殺意は、後者の方だった。
この人物は、どんな事をされたのだろう。迎撃するためにG36Kを暗闇の中へと向け、この殺気を放つ人物がどんな仕打ちを受けてこのような憎悪を生み出すようになったのかと考え始めてしまう。
先ほどちらりと見えたのは、俺たちが生まれる前に採用されていたタイプのラトーニウス騎士団の制服だった。今の制服はあまり防具を取り付けられないようになっていて、防御は防具ではなく盾や魔術に依存する方式に変更されている。その方が騎士も動きやすいし、防具を作るコストも削減できる。産業革命によって科学だけでなく魔術も発達しているため、こちらの方式の方が合理的なのだ。
つまりあの制服は、産業革命以前にラトーニウスで採用されていた物という事になる。そういった古い装備品を愛用する人物だったのかもしれないが、おそらくあの人物はそのような趣味は持ち合わせていないのかもしれない。
憎悪を殺意へと変換するような人物が、自らの復讐に趣味を入れてくるとは思えないのだ。
復讐は恨みを晴らすための戦い。だから復讐する者は、怨敵を倒す事しか考えない。復讐劇に趣向など存在しないのである。
違和感を感じながらも、俺は先制攻撃を仕掛けることにした。ランタンの明かりのおかげで辛うじて襲撃者の位置は分かる。そこへ照準を合わせた俺は、回避された場合にすぐ射撃できるように準備しながらトリガーを引いた。
ランタンの優しい明かりを、物騒なマズルフラッシュの光が包み込む。森の中を一瞬だけ照らした光の中を駆け抜けて行った1発の6.8mm弾が命中する事を祈りながら、カーソルを引き続き睨みつけ続ける。
あんな憎悪を持つ人物が、簡単に倒れるだろうか。
この敵は、手強いかもしれない。
弾丸が命中し、その一撃で絶滅してくれたのならば続けざまに叩き込むことになる弾丸を消費することはないだろう。だが、その期待は暗闇から聞こえてきた跳弾の音のような金属音によって打ち崩され、俺は舌打ちしながら続けざまにトリガーを引く羽目になった。
今の一撃を剣で弾いたのか?
この異世界に銃は存在しない。銃を持っている人物がいるとすれば、そう言った武器を生み出せる転生者か、その転生者の武器を解析して複製できる天才技術者だけだろう。
だから銃がどのような武器なのか知っている人物は少ない筈なのだ。初めて目にして弾丸を弾くなど、ありえない。
おそらくあの襲撃者は、転生者と交戦した経験があるんだろう。勝敗はどうなのか分からないが、あの人物が生きているという事は交戦した転生者は死亡している可能性がある。
ステータスで身体能力を強化され、強力な武器や能力を手にしている転生者と戦って生き残っている襲撃者が手強いという事は、想像に難くない。
セレクターレバーをセミオート射撃から3点バースト射撃へと切り替え、3発の6.8mm弾を撃ちまくる。剣で弾丸を弾く相手ならば、手数を増やして風穴だらけにしてやるまでだ。先ほど見えたんだが、相手の得物は古びたロングソード1本のみ。しかも玉鋼を使用し、新しい技術で生産された新型のロングソードよりも遥かに切れ味の劣る従来の剣である。おそらく切れ味は、しっかりと砥がれた包丁と木の棒くらい差があるに違いない。
俺だけではなく、マークスマンライフルを手にするカノンと、LMGを構えたガルちゃんも射撃を開始する。かつて第二次世界大戦で活躍したドイツ製LMGと、高い性能を持つドイツ製マークスマンライフルが立て続けにマズルフラッシュを発する。
「ナタリア、今のうちに側面に回り込め!」
「了解ッ! 私は奇襲ね!」
敵はこっちに向かってきている。俺たちがあの襲撃者の相手をしていれば、ナタリアに気付くことはないだろう。敵が隙を見せたらナタリアにあのコンパウンドボウで仕留めてもらえばいい。
PDWで銃撃を始めようとしていたナタリアが、コンパウンドボウを準備しながら右側へと走っていく。彼女の得意とする戦い方は攪乱か奇襲だから、この森のように暗くて遮蔽物の多い場所ならば真価を発揮できるだろう。それに彼女の奇襲が外れても、その隙に俺たちが止めを刺せばいいのだ。
ガルちゃんのLMGが無数の7.92mm弾を放ち、その弾丸を回避している敵へとカノンが正確に7.62mm弾を叩き込む。剣で弾いたような音は聞こえなかったから、今の狙撃は命中したと思うんだが――――――まだ敵は接近を続けている。
「タクヤ、ステラも撃ちますか?」
「いや、ステラは魔術で援護を頼む」
あの敵は何かおかしいぞ。
今、確かに被弾した筈だ。命中した箇所までは分からなかったが、掠めただけだったのか? それとも激痛を無視して走り続けられるほど精神力の強い敵なのか?
ステラの持つガトリング砲の出番はまだ早いと思いながら、俺は射撃を続行した。掠めただけならば続けて何発も叩き込んでやればいいし、被弾した激痛に耐えたというのならば耐えきれないほどお見舞いしてやるだけだ。
規則的に3発分の薬莢がG36Kから排出され、湿った地面に落下する。いつもならば聞こえる筈の薬莢の落ちる音が聞こえないせいなのか、いつもよりも心細い気がする。
すると、背後で轟いた銃声が、その心細さを撃ち抜いた。俺たちが撃つアサルトライフルやマークスマンライフルとは比べ物にならないほど大きく、凄まじい銃声。その銃声を発したのは、俺たちの最後尾にいる赤毛の少女が持つ、巨大なライフルであった。
フランス製アンチマテリアルライフルの、ヘカートⅡだ。スコープを使わないラウラのためにアイアンサイトを装備した特注品が、まだ試し撃ちもしていないというのに火を噴いたのである。
銃声でズタズタにされていた静寂に、ヘカートⅡの銃声が止めを刺す。だが、まだ試し撃ちをしていなかったことが仇になったのか、いつもならばスコープを使わなくても百発百中だったラウラの狙撃が右へとずれ、接近してくる襲撃者を掠めた。
「ふにゃっ、外しちゃった!」
「落ち着け! 右にずれたんだ!」
試し撃ちをさせておけばよかった。試し撃ちをして微調整をしていれば、今の一撃で仕留められたかもしれないのに………!
「ごめん、修正するね!」
リアサイトに右手を伸ばし、早くも調整を開始するラウラ。調整が完了するまで彼女は狙撃が出来ないから、何とか俺たちがあいつを食い止めなければならない。
3点バースト射撃でマガジンの中の弾丸を撃ち尽くしてしまった事に気付いた俺は、舌打ちをしてからマガジンを取り外し、再装填を済ませてからライフルを腰の後ろへと戻した。そして腰の鞘から大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを引き抜き、銃撃を続ける仲間たちに「俺が引きつける!」と告げてから洞窟の入口から飛び出した。
「タクヤ、無茶をするでないぞ!」
「分かってる!」
無茶はしないさ。親父の悪い癖だったらしいからな。
俺は無茶をするつもりはない。無茶をするくらいならば卑怯な戦い方をして、必ず勝利する。
卑怯者だと罵倒したいなら、俺と戦って生き残ればいいだろう。
暗闇の中だし、敵は1人だけだ。しかもその敵はカノンとガルちゃんの銃撃を剣で弾いたり、回避している真っ最中である。どうやら俺が接近を赤い死したことに気付いているようだけど、下手に俺を迎え撃とうとすれば仲間の銃撃の餌食になるぜ?
仲間の射撃を剣で弾き、火花を散らし続ける敵へと急迫する。火花で照らされた襲撃者が身に着けているのは、確かに旧式の騎士団の制服だった。ラトーニウス騎士団の制服のようで、紺色の生地は薄汚れている。ところどころに錆のようなものが付着しているが、あの錆のようなものは何だ? 布は錆びない筈なんだが、布にも錆のようなものがついている。
火花と金属音の中で、襲撃者が笑う。やはりその笑みは楽しんでいるような笑みというよりは、やっと復讐したい怨敵を見つけたという嬉しそうな笑みだ。
「やっぱり、お前だぁぁぁぁぁぁぁ………!」
「はぁ?」
この女は誰だ? 俺はこいつと会った事はあっただろうか?
俺の知り合いにいるハーフエルフの女性はミラさんやノエルくらいだろう。でもあの2人はエルフのように肌が白いから、浅黒い肌のハーフエルフの女性の知り合いはいない。
人違いじゃないか?
「悪いな、お姉さん」
銃弾を弾くために剣を振り上げている最中に距離を詰め、大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーの切っ先を女性へと向ける。この大型ソードブレイカーもワスプナイフと同じく高圧ガスを噴射する仕組みを持つため、防御用の得物でありながら殺傷力は非常に高い。しかも―――――生まれつき殺傷力の高い武器をもう一つ所持している。
コートの中から尻尾を伸ばし、小さな穴の開いている先端部を女性へと向ける。いきなり目の前の少女のような少年の身体からドラゴンのような尻尾が伸びたのだから、この女性は驚いたことだろう。ナイフを構えながら顔を見てみると、やはり女性は目を見開きながら尻尾を凝視していた。
普通の人間は持たない、ドラゴンの尻尾。人の姿をしていながらその尻尾を持つのは、21年前に生誕したキメラという種族だけである。
しかも、その尻尾が殺傷力の高い武器になるのは――――――俺だけだ。
俺の尻尾には、親父やラウラとは違って小さな穴が開いている。これは体内から高圧の魔力を噴出するための穴で、この尻尾を敵に突き刺した状態で魔力を噴射すれば、ワスプナイフと同等の殺傷力を発揮する。
つまり、実質的にワスプナイフを3本も所持しているという事なんだよ!
襲撃者が目を見開いている隙に、俺はその尻尾を彼女の喉元へと突き立てた。跳弾の音の中から小さな呻き声が聞こえてきて、跳弾の音がぴたりと止まる。
更に、俺は両手の得物を彼女の腹へと突き立てた。胸元は防具で覆われているが、腹は制服だけだ。もし仮にそこまで防具で覆われていたら巨躯解体で貫通してやるところだったが、その必要はないだろう。
あっさりとナイフが突き刺さる。喉元と腹を串刺しにされれば絶命するだろうが、止めは刺しておくべきかもしれない。不意打ちで殺されるのはごめんだ。
俺は目を細めながら、両手のナイフのスイッチを押すと同時に尻尾の中へと魔力を送り込む。
女性の腹の中から、空気が漏れるような音が聞こえた。血で赤黒く染まりつつある制服が一瞬だけ膨れ上がり――――――体内で爆弾が爆発したかのように、弾け飛んだ。
体内に噴射されたナイフの高圧ガスと尻尾の魔力が、彼女の腹と喉元を突き破ったのである。ナイフで付けられた傷とは思えないほどの大穴を開けられた襲撃者は、首から上を砕かれ、腹に大穴を開けられた状態でよろめくと、右手から古びた剣を落とし、ゆっくりと崩れ落ちた。
血まみれになった得物を鞘に戻し、真っ赤になった尻尾を撫でてから服の中へと戻す。ナイフと尻尾で貫かれただけならば致命傷で済んだかもしれないが、ガスと魔力まで噴射されたのならば絶命するしかない。
このナイフは、最強のナイフなのだから。
「俺は、あんたに会ったことはないぜ」
無残な姿になった襲撃者に言い、俺は踵を返す。
あんたは俺たちを恨んでいたみたいだが、俺たちはあんたに会ったことはない。悪いな。
そういえば、今の戦いでレベルは上がっただろうか。強敵だったみたいだが、撃破したのだからレベルは上がる筈だろう。レベルが上がったのならばメッセージが表示される筈なんだが、目の前にはいつもの蒼白いメッセージは表示されていない。
もしかして、雑魚だったのか?
首を傾げてから仲間たちに手を振ろうとしていると――――――洞窟の入口でLMGの照準器を覗き込んでいたガルちゃんが、絶叫した。
「―――――馬鹿者ッ、まだ終わってないわッ!!」
「は?」
何言ってんだ? あの襲撃者は、ワスプナイフで粉々になったんだぜ? もう襲ってくるわけがないだろう――――――――。
勝利したという感覚が、背後で再び膨れ上がり始めた怨念と殺気で薄められていく。まだ戦いは終わっていないという仲間の警告と敵の殺気が俺を再び戦いに引きずり込もうとしていたかのように、終わった筈の戦いが再び始まろうとしていた。
ぞっとした俺は、ナイフではなくリボルバーへと手を伸ばした。近代化改修を済ませたレ・マット・リボルバーである。
ホルスターから引き抜くと同時に後ろを振り向き、照準器を覗き込まずにそのままトリガーを引く。本当に戦いが終わっていなかったのか半信半疑だったが、そのマズルフラッシュが今しがた粉々にした敵の顔を照らし出したのを見て、俺は銃声の中でぎょっとした。
「馬鹿な―――――――」
確かにワスプナイフで粉々にした筈だ。体内に高圧ガスと魔力を噴射され、首と腹を粉々にされて絶命した筈なのに、背後で起き上がって俺に殺意を向けていたのは――――――さっきの襲撃者だった。
驚愕する寸前に放った.44マグナム弾が、その女性の額を撃ち抜く。ぼさぼさになった銀髪と頭蓋骨をマグナム弾に粉砕されたハーフエルフの女性は再び後ろへと崩れ落ちるが、まるで誤って転んだ子供が起き上がるかのように、またしても起き上がったのである。
まさか、今の至近距離で外れたのか!? だが、血は出ていた。弾丸は命中した筈だし、早撃ちの訓練は何度もやった。親父から教わった早撃ちだぞ!?
撃鉄を元の位置に戻しながら目を見開いていると、その女性はマグナム弾に抉られた頭を片手で押さえながら笑い始めた。
「きゃははっ………! この武器………やっぱり、あの男の………!」
「て、てめえ………!」
血で真っ赤になった女性の手の下で、マグナム弾が抉った頭の傷が塞がり始める。抉られ、欠けた肉と骨が伸びて反対側の肉と結びつくと、徐々に塞がっていく肉と骨を皮膚が覆っていく。
傷口が再生した………!?
馬鹿な! こいつは何だ!? 本当にハーフエルフか!? それとも、こんな魔術があるのか!?
幼少の頃から魔術の本も読んでいたんだが、再生の魔術なんて聞いたことがない。ヒールやヒーリング・フレイムは治療用の魔術に分類されるが、さすがにマグナム弾で頭を抉られたり、ワスプナイフで砕け散った人体をすぐに再生させるのは不可能である。
ならば、こいつは何だ? 化け物か?
「速河……力也ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
「!?」
こいつ、親父の事を知っているのか!?
「お前のせいで、私はあの時死にかけたッ! そのせいで人を殺せなくなった!! よくも私の楽しみを………!!」
「ちょっと待て。お前、親父を――――――――」
「もうジョシュア様もいない! もう私はあんな男の奴隷じゃない! つまんない敵と戦わされ、犯される奴隷じゃないんだッ! 好き勝手に殺していいんだッ!! なのに、私から楽しみを奪った!!」
ジョシュアって、確か母さんの許婚だよな? 21年前にオルトバルカに侵攻し、親父たちに返り討ちにされたラトーニウスの貴族だ。しかも戦死した後はラトーニウスの貴族たちによってオルトバルカへの侵攻は彼の独断だったという事にされ、汚名を着せられた男である。
こいつはそのジョシュアの奴隷だったのか………。
「何をしておる、タクヤぁッ!!」
その時、俺の背後から幼い声が聞こえてきた。声は幼いというのに、その声が纏う威圧感はまるで数多の激戦を経験した傭兵のようである。そんなアンバランスな絶叫を上げながら襲撃者へと襲い掛かったのは、赤黒い杖を手にした赤毛の幼女だった。
ジャンプしながら杖を振り下ろし、柄頭にあるドラゴンの頭を模した装飾で襲撃者を殴りつける。狂ったように絶叫していた襲撃者の顔面にドラゴンの装飾がめり込んだかと思うと、まるで巨大な鉄球で殴りつけられたかのように、その襲撃者は暗い森の中へと吹っ飛んでいった。
「ガルちゃん、こいつは………!?」
「フランシスカじゃ………!」
「フラン……シスカ………?」
「うむ。エミリアを連れ戻すために、ジョシュアという男が送り込んだ追手の1人じゃな。じゃが、21年前に2人に殺された筈じゃ………」
「なに? あいつは死人なのか!?」
馬鹿な。ならば、あいつは幽霊なのか? ウィルヘルムのように、親父への憎しみのせいで成仏できていない霊だというのか?
驚愕していると、ガルちゃんは「いや、あいつは―――――霊ではない」と呟いた。
ウィルヘルムもあのような再生能力を持っていたが、彼とは違う存在なのか? ガルちゃんにそう問いかけようとしたが、形成されかけていたその疑問を、空から響いてきた大きな音がバラバラにしてしまう。
「………?」
これはヘリの音か?
空を見上げてみたが、湿った巨木の葉が邪魔で星空すら見えない森の中で、夜空を飛び回っている筈のヘリが見えるわけがなかった。
異世界の森の上空を、重装備の怪物が飛行していた。
円形のキャノピーを直列に取り付けたような特徴的なコクピットの下部には、センサーと圧倒的な破壊力を持つ機関砲が搭載されている。胴体の左右に装着されている翼のような部分には対戦車ミサイルとロケットランチャーがいくつも搭載されていて、先ほどの雨のせいで湿ったまま月明かりを浴びている。
凄まじい攻撃力と防御力を併せ持つというのに、その怪物は胴体に兵員室を持つため、武装した兵士を地上へと降下させることも可能であった。
夜の森の上空を旋回するのは、南アフリカで開発されたMi-24/35Mk-Ⅲスーパーハインドである。かつてソ連で開発されたハインドを改良した怪物の胴体はグレーと黒の迷彩模様で塗装されていて、胴体の左右には真紅の羽根とハンマーのエンブレムが描かれている。
『まもなく、目標地点です』
コクピットから聞こえた男性の声を聞き、兵員室の中で腕を組んでいた女性は目を開いた。既に得物の点検は済ませてあるし、これから自分が戦う敵の事も調べてある。作戦は立ててあるから、あとは得物を振るって敵を倒すだけだ。それは夫と初めて出会った21年前から全く変わっていない。
自分以外には誰も乗っていない兵員室の中で、エミリア・ハヤカワはゆっくりと立ち上がった。ハッチの近くへと移動すると、兵員室のハッチがゆっくりと開き始め、かつての祖国の冷たい風が彼女を包み込む。
もう、この区には自分の祖国などではない。自分は貴族の地位を欲する父の野望のためだけに生み出され、そのために死ぬ筈だったのだ。自分を利用し、殺すために生み出した国を祖国とは呼びたくはない。
『エミリアちゃん、気を付けるのよ』
「ああ、姉さん」
無線機から聞こえてきた姉の声を聞いて安心した彼女は、微笑みながら返答する。
今から戦うのは、21年前に死ぬ筈だったハーフエルフの女である。しかも、交戦する地域はかつてその女と戦った場所ではないか。死に物狂いで夫と共に逃げていた頃を思い出しながら漆黒の軍帽をかぶり直したエミリアは、森を睨みつけながら息を吐いた。
「では、出撃する」
『エミリアさん、まだ高度は―――――――』
高度を落とす必要はない。操縦を担当するヘンシェルに「必要ない」と言ったエミリアは、左手で軍帽を押さえながら――――――兵員室から森へと飛び降りた。
湿った突風に包まれながら、彼女は飛び去って行くスーパーハインドに手を振る。あのヘリには武装が搭載されているが、おそらく航空支援は必要ないだろう。鍛え上げてきた自分の剣術であの亡霊を討ち破るのみだ。
(最前線で戦うのは久しぶりだな………)
今まで社員の指導ばかりだったから、剣を振るって戦うのは久しぶりだ。
森へと急降下しながら、エミリアは笑った。




