冒険者がネイリンゲンに向かうとこうなる
六角形に削り出した蒼白いガラスを延々とつなぎ合わせたような空間は、単調な世界だからなのか殺風景で、まるで防壁に囲まれた王都の街並みのように閉鎖的に感じてしまう。
遮蔽物もないこの蒼白い世界は開放的に見えるが、ここが現実ではないせいなのか全く開放的とは思えない。無数の蒼白い六角形の結晶が支配する世界で目を覚ました俺は、久しぶりに味わった閉鎖的な感覚を受け流すと、目の前に表示されたメッセージを見てため息をついた。
《トレーニングモードの起動を確認しました。どのトレーニングを行いますか?》
これはトレーニングモードだ。俺が持つ能力の1つで、選択すると強烈な眠気で眠ってしまい、意識はこの空間へと転送される。そして、この閉鎖的で単調な夢の中でトレーニングができるというわけだ。
武器や能力を試すことも出来るし、今まで戦ってきた敵と戦う事も出来る。ここでいくら敵を倒してもレベルが上がることはないが、ここで戦えるボスのみ武器や能力をドロップする事があるらしい。
俺の目的は、あるボスからドロップする武器だった。
訓練の項目の中から『模擬戦』をタッチし、次に表示される『通常』と『ボス』の2つの項目からボスを選択する。
すると、今まで戦ったボスがずらりと表示された。ナギアラントで戦った転生者もいるし、あの地下墓地で戦ったウィルヘルムもいる。上の方にいるのは、フィエーニュの森で戦ったトロールだ。
だが、俺が戦おうとしているボスは、おそらくこの中で一番手強いに違いない。
そのボスの名前を見つけた瞬間、夢の中だというのに猛烈な威圧感が襲いかかってきた。このボスには敵意を向けるべきではないかもしれないという後悔が滲み出すが、俺が欲しいアイテムがドロップするのはこの強敵だけである。
それに、ここは現実ではないのだ。敗北して殺されてしまってもこのメニュー画面に戻されるだけで、特にペナルティはない。
つまり死ぬことはありえないんだが、このトレーニングモードは威圧感だけでなく痛みまで再現しているため、当たり前だが撃たれれば風穴を開けられた部位から激痛を感じる羽目になる。
死ぬことはないのだから、俺が恐れているのは痛みなのだろうか。この恐怖と無縁になるためにはマゾヒストにでもならなければならないなと思いながら息を呑み、俺はそのボスの名前をタッチする。
目の前に表示されていたメニューが消え―――――――目の前に広がっていた床の一部が、まるで砕け散ったかのように蒼白い粒子に変貌した。床を形成していた粒子たちは床から盛り上がると、徐々に人間のような姿を形成していく。
蒼白い雪のような無数の粒子の中から姿を現したのは、漆黒のスーツとシルクハットを身に着けた1人の紳士だった。シルクハットの下から覗くのは炎のような赤毛で、スーツの袖から見える左手はまるでドラゴンの外殻に覆われているかのように赤黒い。
そこに立っていた紳士は、俺とラウラの父親であるリキヤ・ハヤカワだった。俺とラウラに戦い方を教えた最強の傭兵であり、モリガンのメンバーの中で最強と言われている男。数多の転生者を狩り続け、『転生者ハンター』と『魔王』の2つの異名を持つ男は、標的に向けるべき威圧感を息子である俺へと向けながら、腰の鞘の中から2本のボウイナイフを引き抜いた。
「………久しぶりだな、親父」
だが、目の前に現れた親父は何も返事を返さない。まるで敵にこれから襲いかかろうとしているかのように俺を睨みつけているだけだ。
親父の威圧感や顔つきがしっかり再現されているから、まるで本物の親父と再会したような懐かしさを感じていたんだが、返事が返ってこないせいなのかその懐かしさは消え失せてしまう。
これから戦うのだから、そんなものを感じている場合ではないか。それにこの男は懐かしさを感じながら戦える相手ではない。
生産したばかりの大型ワスプナイフと大型ソードブレイカーを引き抜き、いつものように構える。この2つの得物は前に使っていた大型ソードブレイカーや大型トレンチナイフと全く同じ形状で、機能も高圧ガスを噴射できる以外は全く同じだ。ボウイナイフとサバイバルナイフを融合させたような形状の刀身を親父へと向けると、俺と親父の頭上にいきなり緑色のゲージのようなものが表示された。
どうやら、俺と親父のHPらしい。
そのゲージが出現したことに気付いた直後、ボウイナイフを構えていた親父が姿勢を低くした。はっとして親父を睨みつけつつナイフを構え、防御の準備をする。
既にカウンターには、初歩的な技だが『パリィ・アンド・ペイン』という技を装備している。一番最初に訓練をした時に装備していた技で、ガードした後に連続で反撃するカウンターである。複数の敵を攻撃できるほど攻撃範囲は広くはないが、敵が1人ならば連続攻撃で畳みかける事が出来る筈だ。
こっちから攻撃を仕掛けたとしても、受け流すか躱されて反撃されるだろう。この父親に先制攻撃を仕掛けるのは愚策でしかない。だから、何とか最初の一撃を受け止める事が出来れば――――――。
「!」
息を呑んだ直後、目の前の親父が消滅したような気がした。
トレーニングモードのバグかと思ってナイフの構えを止めようとしたが、もしそのままバグだと思い込んで両手を下ろしていたのならば、俺は模擬戦が始まってから1秒足らずで喉元をボウイナイフに貫かれ、またあのメニュー画面を凝視する羽目になっていた事だろう。
突然出現する威圧感と凄まじい衝撃。まるで巨大な鉄槌で叩き潰されたかのような衝撃が、俺の両腕を振るわせる。
それほどの一撃を放ってきたのは、やはり親父だった。目の前に俺に急接近した直後に、両手に持ったボウイナイフを振り下ろしただけだったんだろう。
これがボウイナイフの威力なのかよ………!?
当然ながら、訓練の時の親父は全く本気を出していなかった。あの時の剣戟の重さはよく覚えているが、今しがた受け止めたこの一撃はあの時の5倍以上重い。
この剣戟を受け止めて亀裂が入らない自分の得物の頑丈さにも驚きながら、何とか親父を押し返す。このままカウンターで反撃できるかと思ったが―――――押し返され、距離を取らざるを得なくなった親父が無造作にボウイナイフを放り投げたため、カウンターで畳みかけるわけにはいかなかった。
親父のレベルは既に900を超えている。おそらく、転生者の中でも最強クラスだろう。この男が転生者を狩り続けたせいで、一時期だけだが転生者の数が激減したこともあるという。
転生者にとって天敵という事は、俺にとっても天敵という事だ。この男も転生者だが、易々と狩れる相手ではない。
左手の大型ソードブレイカーを振り上げ、回転しながら急迫してきたボウイナイフを蒼白い空へと弾き飛ばす。距離は離れてしまったが、また接近してくることだろう。それに、今の投擲で親父のボウイナイフは1本のみ。もし仮にその1本を使った剣戟を俺に受け止められれば、俺の持つもう1本の得物には対処できまい!
そう思った直後、いきなり何かに俺の頭が突き飛ばされたような気がした。
「――――――え?」
頭が揺れる最中、頭上にあった自分のHPのゲージがゼロになっていることに気付く。いったい何が起きたのかと思いながら身体を動かそうとするが、手足には力が入らない。
得物を両手から落としながら崩れ落ちる最中に、ナイフを投擲したために空いた左手に巨大なリボルバーがあったことに気付いた俺は、親父が何をしたのか理解した。
ナイフを俺が弾いている隙に、片手でガンマンのように早撃ちしたんだ。しかも、手にしている得物は.600ニトロエクスプレス弾をぶっ放す、最強のリボルバーのプファイファー・ツェリスカ。
凄まじい反動の巨大なリボルバーで早撃ちをやりやがった。しかも、俺がナイフを弾くよりも先に一瞬で引き抜き、ヘッドショットしている。
勝てるわけねえだろ………!
これが………初代転生者ハンターか…………!
父親の強さに驚愕しながら、俺は蒼白いガラスのような床の上に崩れ落ちた。
「タクヤ、起きてー」
甘い香りの中で、聞き覚えのある声が聞こえてきた。声音は大人びているというのに、口調のせいで幼く聞こえてしまう特徴的な声。ベッドの上で目を覚ましたばかりのようなだるさを感じながら瞼を開けると、隣に座る赤毛の少女が微笑みながら俺の顔を覗き込んでいた。
「おはよう、ラウラ」
「えへへっ。おはよっ」
彼女が自分の姉だと気付いた俺は、先ほどからがたがたと聞こえてくる車輪の音で、自分がどこでトレーニングモードを始めたのか思い出す。
確か、エイナ・ドルレアンを後にして草原を進んでいた時に、近くを商人の荷馬車が通りかかった。そして、その商人に途中まで馬車に乗せてもらえることになったんだ。
御者台を見てみると、やはりそこには帽子をかぶった初老の男性が腰を下ろし、手綱を握っていた。俺たちが乗っている荷台の上には酒の入った樽やエリクサーの瓶が入った木箱が所狭しと積み込まれている。俺や仲間たちが腰を下ろしているのは、荷物の間にある隙間だった。
「訓練はどうだった?」
「親父に挑戦してみた」
「ふにゅ? パパに」
「ああ」
手も足も出なかった。俺と親父の戦いは、何秒くらいで終わっていたんだろうか。
「どうだった?」
「1発も攻撃を当てられなかった………」
レベルの差があり過ぎるからなぁ………。レベル48で900以上の転生者に勝てるわけがないよな。
落胆しながらメニュー画面を開き、武器の生産のメニューからナイフをタッチする。そのまま項目の下の方にあった武器の名称をタッチした俺は、表示された武器のパラメータと画像を見つめてため息をついた。
俺が生産しようとしていた武器は、ソ連で開発された『NRSナイフ形消音拳銃』と呼ばれる特殊なナイフである。ナイフのグリップの中から1発だけ特殊な弾丸を発射する事が出来るナイフで、銃声はしない。
俺もロシアの武器は好きだから作っておこうかと思ったんだが、この武器はトレーニングモードの模擬戦で戦う事の出来る親父からドロップする事になっているらしく、他の入手方法はないため、手に入れるにはレベル900以上の親父を倒さなければならない。
つまり、現時点では入手不可能ということだ………。
せめてラウラたちもトレーニングモードに連れて行く事が出来れば、もしかしたら善戦できるかもしれない。でもトレーニングモード中は眠っている状態と同じだし、眠っていると言っても疲労は消えないので、何度も使うわけにはいかない。
このトレーニングモードに夢中になって寝不足になったことを思い出して笑っていると、俺たちを乗せてくれた商人の馬車が少しずつスピードを落とし始めていることに気付いた。どうやらそろそろ商人のおじさんとはお別れらしい。
「ほら、ステラさん。起きて下さいな。そろそろ降りますわよ」
「ん………」
樽に寄りかかりながら眠っていたステラを、カノンが揺すって起こし始める。ステラが瞼を擦り始めたのを見た俺は、フードの上から頭を掻いてからため息をつく。
まだネイリンゲンには到着していないが、おそらく今夜くらいにはネイリンゲンに辿り着く事だろう。あそこはダンジョンに指定されている危険な場所だけど、まだ半壊した建物は残っているらしいし、モリガンが拠点に使っていたフィオナちゃんの屋敷も半壊したままらしい。
近くに管理局の施設はないけれど、半壊した建物を隠れ家代わりに出来るかもしれない。魔物を警戒するために誰かが見張りをする必要があるだろうから、それは俺がやっておこう。
「………ふにゅ? ナタリアちゃん、どうしたの?」
「えっ?」
馬車から下りる準備をしていたラウラが、荷台の後ろの方でぼんやりしていたナタリアに声をかけた。いつもならば真っ先に準備をしているようなしっかり者なんだが、今回は珍しくぼんやりしていたらしい。
「ナタリア、どうした?」
「いえ………懐かしいなって」
「ああ、そうか………」
俺たちにとって、ネイリンゲンは故郷だ。
ナタリアも3歳まであの街で生まれ育ったそうだし、俺とラウラもあそこの森で育った。ネイリンゲンの郊外にある森は、この異世界へと転生してきた俺が、リキヤ・ハヤカワとエミリア・ハヤカワの息子として産声を上げた場所なのだ。
今では転生者の攻撃で壊滅してしまったが、あそこは俺とラウラとナタリアの3人にとって大切な故郷なんだ。
「14年ぶりか………」
14年ぶりに、俺たちは変わり果てた故郷を訪れようとしていた。
親切な商人のおじさんにお礼を言ってから馬車を下り、そのまま南へと日が暮れるまで進み続けていると、赤黒く染まり始めた禍々しい空の下に、街と言うには不規則過ぎる影が見えてきた。
崩れ落ちた家や焼け落ちた小屋の残骸が乱立し、手入れをする人のいなくなった畑の畝は崩れ、魔物の足跡が刻み込まれている。おそらくもう二度とあの畑に野菜が植えられることはないだろう。
今や、この街は魔物たちの街なのだから。
「………久しぶりに来たな」
夕日に照らされる廃墟の群れを見つめながら、俺は呟いた。
転生者たちの攻撃によって壊滅したネイリンゲンの街並みを最後に目にしたのは、あの森の家から王都へと向かう馬車の中からだったような気がする。
遊びに行ったことのある見慣れた街が、まるで爆撃された廃墟のように変わり果てていたのを見てショックを受けたことを思い出した瞬間、少しだけ胸が痛んだような気がした。
この街は魔物に襲われることは稀だったから、他の街と違って防壁は建造されなかった。しかも街の中には傭兵ギルドがいくつもあったし、中には最強の傭兵ギルドであるモリガンもいたから、防壁をわざわざ作る必要はなかったんだろう。
21年前にはラトーニウス王国騎士団のジョシュアという男が侵攻してきたことがあったらしいが、その男も親父や母さんたちの活躍で返り討ちに遭っている。
傭兵たちの活躍で守られてきたネイリンゲンは、今では魔物に支配された廃墟でしかない。崩れかけの廃墟の真っ只中を駆け抜けて行く風が、まるでここで命を落とした人々の呪詛のように不気味な音を立てて去っていく。
「………こ、ここで野宿するの?」
「うーん……廃墟の中なら隠れ家代わりにできると思ったんだけど…………」
予想以上に不気味な場所だ。しかもここはただのダンジョンではなく、なんと怪奇現象が頻発するダンジョンでもあるらしい。中には魔物ではなく、この怪奇現象で命を落としたり、行方不明になった冒険者もいるという噂を聞いたことがある。
やっぱり、郊外で野宿した方が安全だろうか。妥協するべきか考えながら街の方をじっと見ていると、街の入口の近くにいつの間にか小さな人影が立っているのが見えた。
まさか、幽霊か!? 早くも怪奇現象が起きちまったのか!?
ぞっとしながら早撃ちでもするかのように素早くレ・マット・リボルバーを引き抜き、銃口をその小さな人影へと向ける。
すると、その小さな人影は手にしていた杖を振りながら、俺たちの方へと向かって歩いてきた。腰にぶら下げていた小さなランタンに明かりをつけたらしく、その人影の姿が薄暗い夕日の中であらわになる。
その人影は、8歳くらいの幼い少女だった。血のような紅と黒の2色で彩られた貴族のようなドレスを身に纏い、頭には真っ黒なヘッドドレスをつけている。そのヘッドドレスの下に広がるのは、まるで炎のように真っ赤な赤毛だ。
貴族のような服装の少女だが――――――背中に背負っている得物を目にした瞬間、俺はその人影がただの貴族のお嬢さんではないという事を理解する羽目になった。
小柄な少女の背中には槍のようなものが背負われているが、よく見るとその槍の柄には小さな細かい穴が規則的に開いているし、刃がついている部分も柄から少しだけずれている。本来ならばその刃がついているべき場所に居座っているのは、銃に装着されるマズルブレーキだ。
柄の脇にはドラムマガジンが装着されていて、そのマガジンの中から伸びた弾丸のベルトが、銃本体へと繋がっている。
おそらくあれは、ドイツ製LMGのMG34だろう。
第二次世界大戦で活躍したドイツのLMGで、恐ろしい連射速度と威力でアメリカ軍やソ連軍を圧倒したLMGの傑作の1つだ。目の前の少女は、それに銃剣を取り付けたものを背中に背負っているのである。
幼女が背負うにしては物騒過ぎる得物だが、俺たちに向かって杖を振り続けるその人影の顔を見た瞬間、俺は目を見開きながらゆっくりとリボルバーを下ろした。
「ガルちゃん………?」
俺たちに杖を振っていた幼女の正体は――――――家で一緒に暮らしていた、ガルちゃんだったのだ。




