フィオナの発明品
ナタリアのコンパウンドボウを受け取ったフィオナちゃんが向かったのは、俺たちが借りている部屋の隣の空き部屋だった。この信也叔父さんの屋敷はネイリンゲンにあったというモリガンの屋敷の構造と全く同じらしく、あの屋敷を知っているモリガンのメンバーならば案内は必要ないという。
隣の部屋から聞こえてくる金属音や、空気が抜けるような音を聞いてどんな改造をされるのか想像した俺は、買いそろえてきたアイテムをコートのホルダーに入れ、仲間たちが準備を終えるまで武器の点検でもすることにした。
親父は武器の口径はできるだけ大きい方が良いと言っていたが、ウィルヘルムには十分通用していたため、現時点で採用している6.8mm弾で十分だろう。7.62mm弾も使ってみようかなとは思ったんだけど、あの弾丸は反動が大き過ぎる。レベルが上がってステータスが強化された状態ならば使いこなせるかもしれないが、俺にはまだ早いかもしれない。
ベッドの上に腰を下ろし、サムホールストックに改造した愛用のG36Kに搭載されているスコープを調整していると、ラウラが鼻歌を歌いながら腰を下ろし、俺の尻尾を弄り始めた。今朝は彼女に手足を氷漬けにされて風邪をひくところだったけど、その後にキスをしたせいなのか、今日の彼女は機嫌が良いらしい。
「ねえ、タクヤ」
「ん?」
「もしメサイアの天秤を手に入れたら、誰の願いを叶えるの?」
「ああ、それは決めておかないとな」
メサイアの天秤は、手に入れた者の願いを叶えてくれるという。だが、叶えられる願いは1つだけだから、メンバーの中で誰の願いを叶えるべきなのか話し合って決めておかなければならない。
手に入れてから仲間割れを起こして全滅したら洒落にならないからな。
この話を始めた瞬間、服装をチェックしたり、持参した小説を読んで暇潰しをしていた仲間たちがこっちに視線を向けた。気が早いかもしれないけど、やはりこれは決めておくべきことだと思っているんだろう。
「この中で、何か願いがある奴はいるか?」
「私は………特に無いわね」
肩をすくめながらナタリアが言う。何か願いがあるんじゃないかと思っていたんだが、どうやら彼女には願いは特にないらしい。俺は「本当に?」と問いかけてみたけど、彼女は俺の目を見つめながらあっさりと首を縦に振った。
彼女の傍らで小説を読んでいたカノンも、同じように俺に目を合わせられてから首を横に振る。ドルレアン家の次期当主候補である彼女ならば、てっきり領内の民の平和を願いにするのかと思ってたんだが、どうやら彼女にも願いは無いようだ。
「ステラはどうする? お前の場合は………種族の再興だろう?」
この中で、最優先で願いを叶えるべきなのは間違いなくステラだろう。彼女の種族であるサキュバスは1200年前に全滅しており、生き残っている最後のサキュバスはステラのみ。彼女の目的は子供を作り、サキュバスを増やして再興する事だ。メサイアの天秤を手に入れるのは困難かもしれないが、手に入れる事ができれば、サキュバスは再興できる筈である。
だから、俺にも願いはあるけど、もしステラに願いがあるのならば彼女の願いを優先するつもりだった。彼女は首を縦に振るだろうと思いながらじっと見つめていると、以外にもステラは首を横に振った。
なぜだ? 天秤があれば、簡単に種族の再興が出来るのに………?
「確かに、ステラの目的はサキュバスの再興です。ですが………時間がかかりますが、ステラがたくさん子供を作って育てていけば、実現可能です」
「でも…………天秤を手に入れれば、種族は再興できるんだぞ?」
「はい。ですが、再興したとしても再び魔女狩りが始まるのが関の山でしょう。現代でもサキュバスは魔女だと決めつけられているようですし」
全く表情を変えないステラが淡々と言う。確かにサキュバスは、他の種族から魔力を奪っていく魔女として語り継がれている地域は多い。もし大昔に死んだ彼女の同胞がそっくりそのまま生き返ったとしても、サキュバスが魔女扱いされている以上、十中八九1200年前の魔女狩りの二の舞になるに違いない。
そうなれば、ステラの願いは水の泡になる。
つまり、サキュバスは魔女だという風潮を変えない限り、再興させたとしても再び魔女として狩られるだけなのだ。だから彼女は首を横に振ったんだろう。
下手をしたら、これは種族を再興させるよりも困難かもしれない。
「そういうタクヤは、願いはないのですか?」
「俺は――――――」
俺にも、願いはある。人々が虐げられることのない、平和な世界を作るという願いだ。
奴隷制度がある限り、奴隷は虐げられる。そしてサキュバスたちも復活したところで同じように虐げられるだろう。彼らがどんな苦痛を与えられているのかは想像に難くない。それに、前世で親父に散々暴力を振るわれてきたから、虐げられるのがどれだけ辛い事か理解している。
だから俺は、この願いを叶えたいと思っている。かなり困難な願いだけど、メサイアの天秤ならばこの願いを叶えてくれる筈だ。
「――――――人々が虐げられることのない、平和な世界を作りたいって願うつもりだ」
「悪くありません。その願いが叶えば、ステラの子供たちも安心して生きていけます」
「そうね。悪くないかも。………奴隷にされてる人たちも救われるし」
「ええ、良いですわね。まさにお母様の理想ですわ」
仲間たちは、俺の願いに賛成してくれるらしい。
メサイアの天秤が無ければ一番実現が難しいこの願いを聞いた仲間たちは、否定せずに肯定してくれた。この願いが叶えば、奴隷制度は廃止される。それにサキュバスは魔女だという風潮も消滅し、再びサキュバスたちも平和に生活できるようになるだろう。
隣を見てみると、ラウラも微笑みながら首を縦に振ってくれた。
「みんな、ありがとう。………ところで、ラウラには願いはないのか?」
「ふにゅ? 私? お願いはあるけど………私のお願いも実現は出来るよ」
きっと、こいつの願いは昔から何度も言っているあの夢なんだろうなぁ………。
でも、俺もラウラの事は大好きだし、彼女の願いを叶えてあげるのも悪くない。
小さい頃からラウラは、親の前で堂々と「タクヤのお嫁さんになる」って何度も言っている。エリスさんは応援してくれるみたいだけど、母さんはラウラが大きくなるにつれて顔を青くしながら説得しようとしていたし、親父はもう諦めたのかいつも新聞紙を読んで現実逃避していた。
昔の事を思い出し、思わず笑ってしまう。
親父たちは元気だろうか。旅に出てからまだ少ししか経っていないというのに家族の事を思い出した俺は、ラウラの頭を撫でながら窓の外を見つめた。
『完成しました!』
元気な声と共にフィオナちゃんが部屋の中へと戻ってきたのは、改造を始めてから僅か30分後の事だった。ちょっとした改造ならば数分で済むかもしれないんだけど、作業中に隣の部屋から聞こえてきた音は明らかに大規模な改造をされた音だ。30分だけで改造が済むわけがない。
予想以上に早かった作業の終了に驚いていると、ナタリアが預けたコンパウンドボウの他に、いくつか武器と思われる代物をいくつか手にしたフィオナちゃんが、それらをベッドの上に置き、まず彼女の得物であるコンパウンドボウからナタリアに差し出した。
「え………あの、博士………?」
『はい?』
「これって………弓ですよね…………?」
『はい、そうですよ?』
彼女からコンパウンドボウを受け取ったナタリアが、目を見開きながらフィオナに尋ねる。俺もフィオナの改造で変わり果ててしまったコンパウンドボウを見つめながら、ナタリアが驚愕するのも無理はないだろうと思った。
フィオナによって改造されたナタリアの得物には、まだ面影は残っていた。弓矢として機能するフォルムは当然ながら維持されていて、両端にある特徴的な滑車も健在だ。だが、その滑車は全く装飾がついていなかった無骨な滑車ではなく、まるで機械の中の歯車を思わせる形状の滑車に変更されている。
だが、滑車よりも目を引くのはグリップよりも下に取り付けられている無数の細い配管だろう。何に使うのか分からないが、弓矢に小指の5分の1くらいの細い配管が他の部品を包み込むかのように配置され、圧力計と小さなバルブのようなものまで用意されているのである。
照準器はまるでグレネードランチャーのような折り畳み式の照準器に変更されているようだ。
「えっと、この配管は………?」
『はい。このバルブを開けた状態でグリップに魔力を流し込むと、その魔力がこの配管を通って圧縮され、番えられた矢に伝達されるようになっているんです』
「魔力を圧縮するんですか?」
『そうです。そして矢に伝達された魔力は、矢が何かに着弾した瞬間に元の圧力に戻る仕組みになっているんですよ』
「つまり………矢が当たった標的はどうなるんです?」
すっかり変わってしまった得物を見つめていたナタリアが、この改造をしたフィオナに問い掛ける。するとフィオナはこの説明をすることを楽しみにしていたかのようににっこりと笑うと、いつもと変わらない口調で言った。
『はい、元の圧力に戻る魔力によって抉られます』
何だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?
ちょっと待て! 殺傷力が上がり過ぎじゃないか!? それって遠距離まで届くワスプナイフみたいな代物じゃねえか!!
今まで標的を射抜くだけだった彼女のコンパウンドボウが、フィオナの技術によってこんなに殺傷力を強化されるとは………。しかも、弓矢は元々銃と違って音がしないから、かなり恐ろしいぞ。
「………」
グリップを掴んだまま呆然とするナタリアは、ちらりと俺の方に視線を向けてきた。どうやら予想以上に殺傷力を上げられた自分の得物に驚いているらしいが、今の説明を聞いた仲間たちもみんな驚愕している事だろう。安心しろ、ナタリア。
『それで、この改造は予想外に早く終わった上に素材も余っちゃいましたので………』
「まだ作ったんですか!?」
『はい。だって素材が勿体ないじゃないですか』
楽しそうに言ったフィオナちゃんは、今度はベッドの上に置いていた武器らしき物体の片方を拾い上げた。腕に装着する武器らしいが、何故か銃身のようなものが取り付けられている。照準器まで取り付けられているから、近距離武器ではなく飛び道具だろう。
銃身の側面には腕時計よりも小さな小型の圧力計と、ガスボンベを小指くらいの大きさに小型化したボンベのような物が取り付けられている。
「これは?」
『余った素材で作った小型エアライフルです。皆さんが持っている銃のように火薬を使って撃ち出すのではなく、圧縮した空気でクロスボウ用の小型の矢を撃ち出します』
圧縮した空気で小型の矢を撃ち出すエアライフルか。ということは、あの小型の圧力計は空気の圧力を確認するための圧力計なんだろうか。
空気で矢を放つわけだから銃声はしないし、銃身も短いから服の袖の中に隠すことも出来るだろう。隠し持つ事が出来そうだし、暗殺にも使えそうだ。
『射程距離は8mくらいしかありませんし、プロトタイプですので殺傷力も低いですが、命中精度はクロスボウ以上です』
「連発できるんですか?」
『いえ、単発式です。発射したら側面にあるハッチから矢を装填して、脇にあるバルブを捻る必要があります』
単発式か。不意打ちや隠密行動が前提ならば問題ないな。
この代物は親父たちが使っている銃を参考にしたんだろうか。エアライフルという名称だけど、銃身の長さはおそらく6インチくらいだから、ライフルというよりはハンドガンのようなものだ。
実際に腕に装着し、装填用のハッチと照準器を確認するナタリア。その隙にフィオナちゃんは、もう1つの武器を拾い上げる。
彼女が最後にナタリアに渡したのは、刀身とグリップの境い目の部分に小型のカートリッジが取り付けられたククリナイフだった。やはり漆黒に塗装されていて、グリップにはフィンガーガードも用意されている。
あのカートリッジには圧縮されたガスが充填されていて、ワスプナイフのように突き刺した獲物をズタズタにするような代物なんじゃないだろうかと思っていたんだが、カートリッジの中に入っているのは紫色の液体だった。圧縮されたが図ではないらしい。
あれは何だ?
「こっちは………ククリナイフですか?」
『はい』
「このカートリッジは?」
ナタリアもそのカートリッジが気になったらしい。普通のククリナイフには決して取り付けられることのない奇妙な代物をまじまじと凝視しながら、ナタリアは尋ねた。
『毒です』
「毒ぅ!?」
あの中身は毒なのか。
『グリップにトリガーみたいなスイッチがついてますよね?』
「は、はい」
『それを押すと、カートリッジの中の毒が刀身にある小さな穴から滲み出す構造になってるんです。ですからその状態で敵を斬りつければ、敵は苦しむことになりますね』
たった30分で恐ろしい武器が3つも出来上がってしまった………。しかも、仕事ではなくフィオナちゃんの趣味だという。
彼女はもしかしたら、ただの技術者ではなくマッドサイエンティストなんじゃないだろうか。
『ちなみに、毒や矢はショップで売られている物ですので、無くなったらショップで購入できますよ』
「あ、ありがとうございます………」
この世界の冒険者向けのショップでは、毒が売られているのは当たり前である。用途は当然ながら凶暴な魔物に対抗するための毒で、剣や矢に塗って使ったり、これを使ってトラップを作って魔物を攻撃する冒険者も多い。
容易に手に入るため、暗殺者や傭兵も好んで使う事が多く、中には人間に対して使う冒険者もいると聞いている。
フィオナちゃんがショップで売られているアイテムで武器を使えるように設計したのは、毒や矢を容易に補充できるようにするためだろう。規格の違う矢を使わなければならないように設計したら、使い果たしてしまった場合はわざわざ彼女の所に戻って補充しなければならない。
消耗品には必要以上に気を付けなければならない冒険者にとっては、ショップで普通に購入できるのはかなりありがたい。
「あ、ありがとうございます、フィオナ博士………」
『いえいえ。何かあったら手紙を送ってください。すぐに発明品を送りますので』
なんだかすごい発明品が送られそうだな。たった30分でこんな恐ろしい武器を3つも作ってしまう天才技術者なのだから、本気を出して武器を作ったら現代兵器並みの性能を持つ武器を作ってしまいそうな気がする。
モリガンのメンバーって、化け物ばかりだ………。
『あ、そうだ。タクヤくん、力也さんからの伝言です』
「親父から?」
親父からの伝言? 何なんだろうか。
会社の経営と傭兵の2つの仕事をしている親父はかなり多忙だ。そんな親父が伝言を送ってきたという事は、かなり大切な事なんだろう。俺たちの事を心配しているだけというわけではなさそうだ。
『長旅に出ていたガルちゃんが、ネイリンゲンの近くにやってきているそうです』
「ふにゅ!? ガルちゃんが来てるの!?」
「本当ですか!?」
ガルちゃんか。懐かしいな。
俺たちが生まれる前から親父たちと一緒に生活していた、ラウラにそっくりの幼い少女だ。彼女もモリガンのメンバーの1人なんだが、実は彼女の正体は人間ではなく、この異世界で最も先に生まれたと言われている最古の竜『ガルゴニス』だという。
彼女の本当の姿を見たことは一度もないんだが、かつてガルちゃんと戦った親父たちは、ガルちゃんに無反動砲の対戦車榴弾やC4爆弾が全く通用しなかったため、挫けそうになったという。
小さい頃はよく遊び相手になってくれたし、俺たちに訓練もしてくれた。俺とラウラにとってはもう1人の家族だし、教官でもある。
そのガルちゃんが、ネイリンゲンの近くに来ているという。
『郊外で合流したいそうなので、ぜひガルちゃんと合流してあげてください』
「はーいっ!」
そういえば、ガルちゃんとは親父が朝早くから外出していた11年前のあの日から会う回数が減ってしまったな。成長した俺たちを見たら、ガルちゃんはびっくりするだろうか。
合流したら土産話でもしてやろう。
ガルちゃんと合流するのを楽しみにしながら、俺は早くもどんな土産話をするのか考え始めた。
次回で第三章は終わりの予定です。