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天才技術者がやってくるとこうなる


 花の香りと石鹸の匂いが混ざり合ったような甘い香りが、目を覚ましたばかりの俺を出迎えてくれた。これがいつも通りの目覚めだ。甘い匂いに包まれ、傍らで寝息を立てる姉の寝顔を愛でてからベッドから起き上がる。そんな朝が日常茶飯事になったのは、この異世界にタクヤ・ハヤカワという少年として転生し、同い年の姉と一緒に言葉を話せるようになった頃だろう。


 もう17歳になり、普通の姉ならばもっと弟と距離を置いて彼氏と交際を始めてもおかしくない年頃なんだが、ラウラは未だに俺に依存したままだ。何度かそろそろ俺から離れた方が良いんじゃないかと彼女に言ったことがあるんだが、その度に拒否され、更に依存されてしまう。


 それに、もしラウラが本当に俺から離れてしまったら大丈夫なんだろうかと思う事もある。彼女は料理が苦手だし、洗濯物を畳むといつも滅茶苦茶になるし、家の中を掃除しても必ずゴミが残っている。家事が苦手な不器用な少女である。


 だから俺が支えてあげなければならない。彼女が苦手な家事は俺の得意分野だし、俺もお姉ちゃんのことが好きになってしまったのだから。


 そう思いながら、今日も姉の寝顔を愛でようかと手を動かそうとした。だけど、いつもなら毛布の中から何事もなく出てくる筈の俺の腕は、寝相のせいなのか全く動かない。


 何とか動かそうとしたんだけど、まるでステラに魔力を吸われて疲れ果てている時のように全く動かなかった。しかも、何だか冷たくて硬いものが両腕と足首の辺りを覆っているような気がする。


 まるで、氷漬けにされているかのようだ。


 ん? 氷漬けだって?


 ゆっくり瞼を開けながら周囲を見渡す。俺が眠っていたのは広めの部屋の中に用意されたベッドのうちの1つで、隣のベッドではカノンとステラがパジャマ姿で抱き合いながら寝息を立てている。反対側のベッドではナタリアが、先ほどから解読不能な謎の寝言を連呼していた。まるで魔術や黒魔術の詠唱みたいだ。


 笑いそうになったけど、ナタリアの謎の寝言で笑っている場合ではない。手足が動かない原因を探らなくては。


 そう思って再び自分の身体の上を見てみると――――――そこに、赤毛の少女がいた。


 パジャマのボタンを外し、母親譲りの大きな胸を覗かせながら、うっとりした表情を浮かべて俺の身体の上に跨っているのである。彼女は俺が目を覚ましたことに気付くと、嬉しそうににっこりと笑ってから顔を近づけてきた。


「おはよう、タクヤ」


「お、おはよう………」


 原因は、十中八九ラウラだろう。


 ラウラは俺の頬にキスをすると、両手と両足を動かせない状態の俺の身体を抱き締め、更に尻尾まで巻き付けてきた。最近彼女は俺を抱き締める際、逃げられないようにするためなのか、尻尾まで巻き付けてくることが多い。


「ら、ラウラ」


「ふにゅ? どうしたのかな?」


「あのさ、手足が動かないんだけど………しかも冷たいし」


 すると、ラウラの目つきがゆっくりと虚ろになっていった。幼少の頃、一緒に遊んでいた女の子に抱き付かれた時にラウラが機嫌を悪くしたことがあったんだけど、この表情はあの時から何度も目にしている。


 女の関係で不満があるんだろう。下手をしたらこのまま殺されかねないので、いつも俺はこの表情のラウラを目にする度にぞっとしてしまう。


「あっ、ごめんね。タクヤに逃げて欲しくなかったから、ちょっと両手と両足を凍らせたの」


「え?」


 俺に見せてくれるつもりなのか、ラウラはそっと毛布を捲り始めた。少しずつあらわになっていくのは、毛布の下で氷漬けにされている俺の手足。しかもその手足を覆っているのは鮮血のように紅い禍々しい氷だ。


 普通の氷ならばあり得ない色の氷は、ラウラが生み出した氷である。


 氷属性の魔術を得意とし、『絶対零度』の異名を持つ母親から遺伝したからなのか、ラウラは炎を操るサラマンダーのキメラだというのに炎を使う事ができず、逆に氷属性の攻撃を得意としている。


 その母親譲りの能力で生み出した彼女の氷が、俺の手足を覆っていたんだ。


「えへへっ。これなら動けないでしょ?」


「うん、動けない」


 炎を使えば脱出できない事はない。でも、そんなことをすればベッドが燃えてしまうし、この屋敷が火事になってしまいかねない。だから炎を使うわけにはいかないのだ。きっとラウラはそれを利用しているんだろう。


「お姉ちゃん」


「どうしたの? 何かしてほしいことある?」


「風邪ひきそうなんだけど………。あの、出来れば氷を解除してくれない?」


「ダメ」


 胸板に頬ずりしながらうっとりしていた彼女の目つきが更に虚ろになる。ぴたりと頬ずりを止めて顔をあげた彼女は、虚ろな目つきの顔を近づけてくると、俺の頬に指を這わせた。


 氷を解除してもらえないと、風邪をひいてしまいそうなんだが………。


 俺もサラマンダーのキメラだけど、サラマンダーは元々火山に生息するドラゴンだ。耐熱性ではドラゴンの中で最高峰で、中にはエンシェントドラゴンに比肩するものもいるという。


 だが、逆に寒さに弱いのだ。


「だって、タクヤは私の弟だもん」


「風邪ひいちゃうからさ、こんな感じに動けなくしてもいいから、今度からは縄で縛るようにしてよ。氷は冷たいな」


「ふにゅ? 縄ならいいの?」


「うん」


 出来るなら縛らないでほしいんだけど、手足を氷漬けにされるよりは縄で縛られた方がマシだ。


「ふにゃっ、どうしよう……!? た、タクヤが風邪ひいちゃう! ごっ、ごめんね!? 今解除してあげるから―――――――」


 俺に風邪をひかせるわけにはいかないらしく、大慌てで氷を解除しようとするラウラ。俺の事をちゃんと考えてくれるお姉ちゃんの優しさに感激しながら、俺は解放されたばかりの冷たい右手で彼女の頭を優しく撫でた。


 ラウラは俺に頭を撫でられるのが大好きらしく、頭を撫でられると無意識に尻尾を横に振ってしまうらしい。まるで飼い主に遊んでもらって大喜びする子犬や子猫のように見えてしまう。


 やっと冷たい感覚から手足を解放してもらった俺は、体内の魔力を使って氷漬けにされていた手足を温め始めた。上に跨ったまま見守っているラウラは、申し訳なさそうに俺を見下ろしている。


 いつもは甘えてくることの方が多いので、申し訳なさそうにしている姉の姿は珍しい。


 朝っぱらからこんなことをしてきたという事は、きっと久しぶりにたくさん甘えたかったんだろうなぁ………。最近は甘える時間が減ってるみたいだし。


 じゃあ、今日は逆に俺が甘えてみよう。もしかしたら恥ずかしがるお姉ちゃんが見れるかもしれない。


「あ、あの………タクヤ、ごめんね? タクヤに甘えたかったから――――――ひゃんっ!?」


 彼女が話している間に手足を温め終えた俺は、右手を彼女の肩へと伸ばすと、ぐいっと引っ張って彼女を引き寄せた。彼女は幼少期から俺と一緒に訓練を受けているんだけど、当然ながら体重は俺よりも軽い。


 ラウラを引き寄せてから抱き締めた俺は、先ほど彼女が尻尾を巻きつけていたように彼女の身体に自分の尻尾を巻きつけて逃げられないようにすると、いきなり抱き締められて顔を赤くしているラウラの頬に指を這わせながら囁いた。


「俺も、お姉ちゃんに仕返ししないとな」


「し、仕返し………?」


「そう。いつも甘えてるからな。………だから、お姉ちゃんに仕返しするよ」


 もちろん、大切なお姉ちゃんを痛めつけるわけではない。逆に俺が甘えるだけだ。


 俺をシスコンにした原因だしな。


 顔を真っ赤にしている彼女の顔を数秒見つめた俺は、にやりと笑ってから彼女の唇を奪う。自分の舌と彼女の舌を絡ませながら、ラウラの身体をぎゅっと抱きしめた。







 

 ミラさんの朝食をご馳走になり、ショップでアイテムも買いそろえてきた俺たちは、借りていた部屋の整理と次の目的地の確認をしていた。


 まず最初に目指すのは、メサイアの天秤の資料が見つかったというラトーニウス王国の『メウンサルバ遺跡』。やはりここもダンジョンに指定されていて、危険な魔物が徘徊している場所だという。危険度はドルレアン家の地下墓地以上らしい。


 そこを目指すためには、まず国境を超えて隣国のラトーニウス王国に入らなければならない。エリスさんと母さんの祖国だ。だが、最近ではオルトバルカ王国とラトーニウス王国の関係は悪化し始めているらしいから、普通に入国するのは難しいかもしれない。いざとなったら、かつて親父と母さんがこの国に逃げ込んできた手段を参考にさせてもらうつもりだ。


 エイナ・ドルレアンを出たら、まずオルトバルカ王国の最南端にあるネイリンゲンを目指す。かつてモリガンの本部があり、俺たちの故郷でもあった街だ。今では転生者による攻撃で廃墟になったままで、魔物が住み着いてダンジョンに指定されている。


 ネイリンゲンを経由してラトーニウス王国を目指し、国境にあるクガルプール要塞を何とか越える。そうすれば、ラトーニウス王国に入国する事ができるだろう。


 片付けた部屋のベッドの上で地図を広げていると、ドアの方からノックする音が聞こえてきた。ミラさんかなと思ったんだけど、彼女は窓の外で洗濯物を干している。それに、信也叔父さんは朝早くから仕事に行っているらしい。


 ノックできる人物はノエルしか残っていないんだけど、彼女は基本的にベッドの上だ。もし彼女がここまで頑張って歩いてきたとしても、もっと弱々しいノックになる筈である。


 違和感を感じながらもドアの方を振り向いてみると、ゆっくりとドアが開き、廊下から白いワンピースに身を包んだ白髪の少女が、宙に浮いた状態で姿を現した。


 見た目は12歳くらいの幼い少女に見えるんだけど、見た目よりも遥かに大人びているような感じがする変わった少女だ。まるで母親のように優しい雰囲気を放つ蒼い瞳が、部屋の中にいる俺たちを見つめている。


『あら、タクヤくん。仲間がいっぱいできたんですね』


「フィオナちゃん……?」


 部屋を訪れたのは、この異世界で産業革命を引き起こした天才技術者のフィオナちゃんだった。100年前に病死し、強烈な未練でこの世界をさまよっていた彼女は、若き日の親父や母さんと出会ってモリガンの一員となり、傭兵として活躍した。現在ではモリガン・カンパニーの製薬分野を統括しつつ、個人的な趣味で様々な発明を続けているらしく、彼女の持つ特許は増加を続けているらしい。


 噂ではそろそろ1000件を突破しそうだという。


「え!? この子が……あの天才技術者の!?」


「ああ、そういえばナタリアは会った事ないんだよな」


 俺たちは小さい頃からモリガンのメンバーと過ごす事が多かったからあまり驚かないけど、ナタリアやステラはモリガンのメンバーと会ったことはあまりない。フィオナちゃんと話すのは初めてだ。


 天才技術者と呼ばれるのは恥ずかしいらしく、少しだけ顔を赤くしながら照れるフィオナちゃん。確か彼女は本社の研究室か、自分が所有する研究室の中で毎日何かの発明をしているらしいんだけど、どうしてエイナ・ドルレアンにいるんだろうか。出張か?


「えっと、何でフィオナちゃんはここに? 仕事は?」


『力也さんから休暇を貰ったんです。ですから、久しぶりに信也くんやノエルちゃんに会いに来たんですよ。それに、ちょうどタクヤくんたちもここにいるって聞きましたし』


 なるほどね。休暇か。


「ね、ねえ、タクヤ」


「ん?」


 フィオナちゃんと初めて出会ってまだ驚いているナタリアが、俺の耳元で囁いた。


「私、フィオナ博士って大人の女の人を想像してたんだけど………」


「ああ、見てのとおり幼女だ。しかも幽霊なんだぜ」


「ゆ、幽霊!?」


 でも、実年齢はもう100歳を超えている。精神年齢が見た目以上に大人びているのは、やはり100年間もずっとさまよっていたからなんだろうか。


 ナタリアにそう言っていると、いつの間にかフィオナちゃんが目の前までやってきて、ナタリアが肩のホルダーに着けているコンパウンドボウをまじまじと見つめていた。


 このコンパウンドボウは、モリガン・カンパニーで製造された武器で、現在では冒険者や騎士団に普及している遠距離武器の主役である。きっとフィオナちゃんも、生産や改良に携わっていたんだろう。製薬分野を統括しているらしいんだけど、製薬だけでなく武器の製造も兼任しているらしいし。


『あら、これは3年前のモデルですね』


「えっ?」


『使い易さの代わりに殺傷力を落としたタイプなんですよ。ですからこれの改良型では殺傷力をあげてるんです』


「そ、そうなんですか………?」


『はい。設計を行ったのは私ですから』


 やっぱり、フィオナちゃんも開発に携わってたのか。


 懐かしそうに自分の発明品を見つめていたフィオナちゃんは、顔をあげてナタリアの顔を見つめた。


『あの、これからもっと危険なダンジョンに行くんですよね?』


「は、はい」


 ネイリンゲンを経由してラトーニウスに行く予定なんだが、そのネイリンゲンもダンジョンに指定されているからな。それに、メサイアの天秤の資料があったというメウンサルバ遺跡はドルレアン家の地下墓地以上に危険だと聞いている。


『もしよろしければ、このコンパウンドボウを改造させてもらえませんか?』


「か、改造ですか!?」


「い、いいの?」


『はい。当然ながらお代はいりません。趣味ですから』


 趣味で武器を改造するのかよ。


 でも、設計した技術者が自ら改造してくれるのならば、ナタリアのコンパウンドボウの弱点である殺傷力の低さを補ってくれるかもしれない。もしかしたら、ライフル弾並みの殺傷力まで向上するかもしれないな。


 お代は取らないって言ってるし、カスタマイズをお願いした方が良いんじゃないだろうか。ナタリアのコンパウンドボウは俺が能力で作った武器じゃないから、カスタマイズするには鍛冶屋に行かなければならない。開発者に無償で改造してもらえるならば、そっちの方が良いのは明らかだ。


「どうする?」


「うーん………お願いしてみようかしら」


 彼女はホルダーからコンパウンドボウを取り外すと、フィオナちゃんに手渡した。


「お願いします、フィオナ博士」


『はい、お任せください!』


 胸を張りながらナタリアのコンパウンドボウを受け取るフィオナちゃん。でも、武器を改造するには道具や設備が必要なんじゃないのか? 


 それに、素材も必要になる筈だ。改造するのはいいんだけど、必要な物は持ってるんだろうか?


「フィオナちゃん、設備とか素材は? 持ってるの?」


『ご安心ください。素材は鍛冶屋さんから購入しますし、改造用の道具なら持っていますので』


「ふにゃっ!? か、鍛冶屋さんから素材を買うの!?」


『はい。よく実験で素材が足りない時は鍛冶屋さんから購入するようにしています。お値段は高くなっちゃいますけど』


「俺たちが取ってこようか? 冒険者だし………」


 無償で改造するのに費用が掛かるのは拙いだろ。いくら趣味でも、フィオナちゃんが損をすることになる。


 でも、フィオナちゃんは首を横に振った。


『いえ、問題ありませんよ。私の趣味ですし、お金の使い道は素材の費用くらいですから』


「そ、そうなの?」


『はい。そしてその素材で発明を繰り返してるので………減るどころか、増えてるんです』


 彼女は特許をいくつも持ってるからなぁ………。


 申し訳ないけど、彼女に無償で改造してもらった方が良いだろう。そう思った俺はナタリアに向かって頷くと、目の前の天才技術者を見つめた。


 やっぱり、フィオナちゃんは天才だった。趣味で発明した発明品で、更に特許を取ってしまうような技術者なのだから。


 

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