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カノンの試練

「お呼びですか、お母様」


「ええ」


 ドアがノックされた音を聞いて、私は羽ペンをケースへと戻した。言った通りに屋敷の執務室を訪れた愛娘の顔を見据え、私はギュンターと一緒に頷く。


 3歳の頃からマナーや政治についての教育を受けていたカノンは、他の貴族の子供と比べると遥かに大人びているように見える。誇らしいけれど、力也が言っていた通り教育を始めるのが少し早すぎたかもしれない。この子を見ると、もう少し子供として遊ぶ時間を残してあげればよかったと後悔してしまう。


 でも、彼女にはもう1つ試練を受けてもらわなければならない。これを乗り越えてもらわなければ、分家にいる他の次期当主候補に差を縮められてしまう。


「―――――カノン、あなたには試練を受けてもらうわ」


「試練ですか…………?」


 かつて、私も父上から受けさせられた試練。


 危険度の高いダンジョンの更に奥で発見された、我がドルレアン家の地下墓地に向かい、最深部の棺から祖先が愛用していた曲刀を回収するという厳し過ぎる試練を、若き日の私は夫と共に成し遂げ、こうしてドルレアン領の当主となった。


 仲間たちにAK-47の一斉射撃で祝ってもらった夜の事を思い出して微笑んだ私は、デスクの椅子に腰を下ろしたまま腕を組んだ。


「ええ。―――――これを乗り越えれば、あなたは確実に次期当主となる事ができる」


「………!」


 シルクハットを目深にかぶりながら壁に寄りかかっていたギュンターが、ポケットに手を入れたまま私の方を見上げた。


 試練を受けさせるにはまだ早い。私も、父上から試練を受けさせられたのは17歳の時だったのよね。


 でも、3年後まで待つわけにはいかない。だから今カノンにこの試練を受けてもらうしかなかった。


「お母様、試練の内容は?」


「ええ。―――――――オルエーニュ渓谷は知っているわよね?」


「はい、お母様」


 オルエーニュ渓谷は、エイナ・ドルレアンの東部に広がる渓谷。ドラゴンが数多く生息する渓谷で、20年以上前からずっとダンジョンに指定されたままになっている。


 あの渓谷にはドラゴンの巣がいくつもあるから、足を踏み入れれば冒険者たちはドラゴンの集中攻撃を受ける羽目になる。しかも足場が非常に狭いから、逃げるのも難しいし、攻撃してくるドラゴンに反撃するのも非常に困難よ。剣を振るえばバランスを崩して谷底に落下することになるし、ぐずぐずしてればドラゴンたちの餌になってしまう。


 そこを突破して奥へと進めば、今度は岩場に巣を作っているアラクネやアラクネの変異種の集中攻撃が待っているわ。ドラゴンの攻撃に比べれば危険度は低いけど、岩場の隙間から変幻自在に攻撃してくる彼らの奇襲は侮れない。


 でも、カノンに目指してもらう場所は更にその奥。だからこの2つの障害はただの前哨戦でしかない。


「あなたに目指してもらうのは―――――――オルエーニュ渓谷の奥にある、我がドルレアン家の地下墓地よ」


「地下墓地………? 確か、リゼット様が埋葬されたというダンジョンですわよね?」


「そう。私たちのご先祖様が眠る地下墓地よ」


「ですが、あそこからはもうお母様が曲刀を回収した筈では?」


 21年前、私はギュンターと共に地下墓地に向かい、最深部の棺からリゼットの曲刀を回収してきた。だからあそこは、ドルレアン家の歴史が記録された大昔の遺跡でしかない。


「――――――今回は回収してもらうために地下墓地に行ってもらうわけではないわ」


「?」


「討伐よ」


 もしかすると、これは私が受けた試練よりも辛い試練かもしれない。でも、まだ14歳の娘に受けさせるわけにはいかないと言って私が手を貸すわけにもいかなかった。


「討伐………?」


「ウィルヘルムは知ってるわよね?」


「ええ。リゼット様の家臣の1人で、忠実だったハーフエルフの戦士ですわよね?」


「そう。リゼットの家臣が彼女の曲刀を欲して次々と裏切る中、彼女に最後まで忠誠を誓い、裏切った家臣たちとの戦いで命を落とした英雄よ」


 リゼットの棺から曲刀を回収する時、私の目の前に現れたリゼットの魂が見せてくれた幻の中で、ギュンターにそっくりな顔つきの騎士が剣を振るっていた事を思い出しながら私は告げた。


 風の精霊から風を操る力を持つ曲刀を与えられたリゼットは、その曲刀を手に入れようとする家臣たちの裏切りが原因で死亡してしまう。でも、ウィルヘルムが時間を稼いでいる隙に彼の仲間たちがリゼットの遺体を曲刀と共に地下墓地に埋葬し、地下墓地のトラップを発動させたことで、リゼットの曲刀が家臣たちの手に渡ることはなかった。


「実は、最近あの地下墓地に新種の魔物が現れるようになったらしいの」


「新種ですか……?」


「ええ。血まみれになった傷だらけの黒い甲冑を身に纏い、雄叫びを上げながら襲い掛かって来る変わった魔物らしいわ。逃げ帰ってきた冒険者が何人もそう報告しているの」


「お母様、失礼ですがウィルヘルムとは何の関係もないのでは? ただのデュラハンかもしれませんし――――――――」


「いえ、関係はあるわ」


 なぜならば、ウィルヘルムが戦死したのはあの地下墓地の入口の前なのだから――――――。


「―――――――仮説だけど、その魔物は…………大昔に死亡したウィルヘルムかもしれないわ」


「!?」


 説明を聞いていたカノンが目を見開き、ギュンターの方を見た。ギュンターにもこの話はしてあるから、彼は驚くことなくカノンを見つめて頷く。


「ありえませんわ。ウィルヘルムが戦死したのは、もう1000年以上前ではありませんか!?」


「その通りよ。…………でも、何年経っても彷徨い続ける魂は存在するわ。彼らが彷徨う原因になった未練は、それほど強いものなのよ」


 それに、100年以上もネイリンゲンの屋敷に住み着いていた可愛らしい幽霊の女の子もいるし。あの子は今では数多の特許を持つ天才技術者だけどね。


 でも、彼女の未練も同じだった。12歳で死にたくないという強い未練が、彼女が幽霊として彷徨う原因となった。病で命を落としたとはいえ、平和な時代の死者が100年間も彷徨い続ける事ができるのだから、裏切った家臣たちとの戦いで、主君のために命を落とした騎士が更に強烈な未練で彷徨い続けていたとしてもおかしくはない。


「あなたに与える試練は、このウィルヘルムと思われる魔物の討伐よ。これを討伐し、他の冒険者たちの安全を確保する事。危険度が高いから、仲間を連れて行ってもいいわ。………どうする?」


「――――――受けるに決まっていますわ」


 問い掛けてから5秒足らずで、愛娘は返事を返してきた。自信満々なところは私の夫にそっくりね。


「立派な領主になって、奴隷制度の撤廃と平等な世界を作ると誓いましたもの」


「―――――見事ね」


 さすが私の娘。


 仲間は連れて行っていいと言ったから、きっとカノンはタクヤ君たちを連れて行く事でしょう。彼らは冒険者だからあの地下墓地も調査しに行くでしょうし、冒険者見習いのカノンもこれでダンジョンに立ち入る事ができる。


 紹介状には彼らに力を貸してやってくれって書いてたけど、力を貸してもらったのはこっちの方だったわ。もしかしたら力也は、カノンに助けが必要なことを見抜いていたのかしら?


 昔から単純な奴に見えて、信也くん並みに何かを企んでいるような男だったから、きっとそうに違いないわ。


 でも、彼には礼を言っておきましょう。


「――――――では、準備を始めますわ」


「ええ。武器はタクヤ君に作ってもらいなさい」


 あの子は、転生者の端末の機能に似た能力を生まれつき持っているわ。転生者と普通の人間の子供だからなのかしら?


「はい、お母様」


 スカートの裾をつまみ上げながら私に向かって頭を下げるカノン。教えたとおりにしっかりと挨拶した彼女は、ギュンターにも微笑みかけてからドアを開け、執務室を後にした。


 私は息を吐きながら再び羽ペンを拾い上げ、デスクの上の書類にサインを始める。


「…………やっぱり、早過ぎるんじゃねえか?」


「何言ってるの。私たちの娘よ? ――――――それに、あいつらの子供たちも一緒なんだから大丈夫よ」


 でも、私も心配になってきたわ。カノンは訓練や剣術の試合では優秀な成績を出しているけど、タクヤ君たちと比べると実戦を経験した回数は少ないのよね。


 それに対してタクヤ君とラウラちゃんは、幼少の頃から魔物を相手に実戦を経験しているし、最強の傭兵である親たちを相手に模擬戦をして育っているから、経験では圧倒的にあの2人が上だわ。


 もしかしたら、彼らに頼る羽目になるかもしれない。


「………大丈夫かなぁ」


「……大丈夫よ」


「だってさ、俺たちの可愛いカノンがついにダンジョンに行くんだぜ? …………し、心配だ。魔物がいっぱいいるし、地下墓地の中は真っ暗だし…………」


「あんたはカノンを甘やかし過ぎなのよ」


「何言ってんだ! 可愛いカノンが怪我したらどうすんだよッ!?」


「あのね、あんたは過保護すぎるの! ある程度実戦を経験させないと強くなれないでしょ!?」


「か、カノン………無事に帰って来いよぉ………。うう……………」


 心配し過ぎよ、ギュンター………。


 椅子から立ち上がり、ポケットからハンカチを取り出した私は、壁に寄りかかったまま泣き崩れてしまった大男の傍らへと歩み寄ると、ため息をつきながら彼の涙を拭い去った。


 







「………まだかな」


 屋敷の廊下で壁に寄りかかりながら、俺は吹き抜けの向こうに見える反対側の廊下を凝視していた。どうやら俺は退屈になると無意識のうちに尻尾を振ってしまう癖があるらしく、先ほどから俺の右側では蒼い外殻に覆われた尻尾がふらふらと揺れている。


 ステラも退屈らしく、まるで猫じゃらしを捕まえようとする子猫のように、背伸びしながら小さな手を俺の尻尾に向かって伸ばしていた。


「何で部屋から出されたのかしら?」


「さあ?」


 あの後、俺たちはミラさんに部屋まで案内してもらった。


 この屋敷はかつてネイリンゲンにあったモリガンの屋敷の内部を再現しているらしく、中の構造は全く同じだという。だから親父はこの屋敷の中を見て懐かしがってたのか。


 俺たちが使わせてもらう事になった部屋は3階にある一室で、部屋の中には既に大きめのベッドが2つも用意されていた。ギュンターさんのような大男でなければ、2人くらいは1つのベッドで眠れるくらいの大きさだ。俺たちの今の人数は4人だから丁度いいと思うんだが、さすがに俺は男だからソファを使わせてもらう予定である。


 シャワーを済ませてくつろがせてもらっていたんだが、ミラさんがニヤニヤしながらラウラを呼んで何かを話したかと思ったら、いきなりラウラ以外の3人は部屋の外で待っててと言われてしまったんだ。先ほどから部屋の中から恥ずかしそうなラウラの声と楽しそうなミラさんの声が聞こえてくるんだが、あの2人は部屋の中で何をやっているんだ?


「なあ、ステラ。あの2人は部屋の中で何をやってると思う?」


「分かりません」


 俺の尻尾に向かって手を伸ばしていたステラが、ついに俺の尻尾をキャッチする。そのまま尻尾を自分の目の前まで引っ張って行くと、蒼い外殻の表面を真っ白な手で撫で回し始めた。外殻の上を触られている筈なんだが、何だかむずむずしてしまう。


「………タクヤ」


「ん?」


「タクヤの尻尾の先に、小さな穴があります」


「危ないぞ」


 俺の尻尾の先端部はダガーのように鋭くなっているからな。だから武器の代わりにもなるし、その先端部の穴は更に危険な攻撃の時に使用する。さすがにラウラの目の前で使った事はないけどな。


 首を傾げながら見上げてくるステラに向かって肩をすくめると、静まり返った廊下にドアが開く音が静かに響き渡った。木製のドアの向こうから顔を出したミラさんが、にっこりと笑いながら手招きする。


(どうぞー)


「あの、ミラさん。ラウラと2人で何をしてたんです?」


(うふふっ。秘密だよっ)


 ニヤニヤと笑い始めるミラさんの笑い方は、何だかエリスさんにそっくりだった。


 いつまでも廊下にいるわけにもいかないので、嫌な予感を感じながらも言われた通りに部屋の中へと足を踏み入れる。


「ラウラ………?」


「ふにゃっ!?」


 聞き慣れた姉の声が聞こえたのは、部屋のベッドの上からだった。ミラさんの企みの犠牲になった姉がどうなっているのか心配になりながら、部屋に足を踏み入れた俺はベッドの上を凝視する。


 整理されたベッドの上には、先ほどまで部屋の中に残っていたラウラが腰を下ろしていた。何事もなかったのかと思って一瞬だけ安心してしまったが、すぐに先ほど部屋の中から彼女の恥ずかしそうな声が聞こえてきたことを思い出し、俺は息を呑みながら彼女の服装を確認する。


「………!?」


 楽しそうに笑っているのはミラさんだけだ。ベッドの上で顔を真っ赤にし、俺たちに背を向けながらこっちをちらちらと見てくるラウラの服装を目の当たりにした瞬間、俺とナタリアとステラは息を呑んでしまう。


 彼女が身に着けているのは、先ほどまで身に着けていた赤いパジャマではなくなっていたんだ。


 ふわふわした毛皮で覆われた暖かそうなパジャマでフードもついているみたいなんだけど、白と黒の2つの色の不規則な模様が描かれている。迷彩模様かなと思ったんだが、迷彩模様にしては模様が大き過ぎるし、正反対の色だけで模様を作ったとしても全く意味はない。まるでそのパジャマの模様は牛のようだ。


 ラウラが身に着けていたのは―――――牛と同じ模様のパジャマだった。


「は………? う、牛…………?」


「うぅ…………」


(ほら、ラウラちゃん。恥ずかしがっちゃダメだよ?)


「ふにゃあ………み、ミラさん、やっぱり恥ずかしい………」


(頑張って!)


「う………」


 もう一度ちらりとこっちを見たラウラは、瞳を瞑ってからくるりとこっちを向いた。そしてベッドの上に座ったまま、胸元のチャックを少しずつ下ろして、大きな胸を強調するために少し前かがみになる。


 チャックを開けられた牛と同じ模様のパジャマの隙間からは、彼女のお気に入りのピンクと白の縞々模様のブラジャーが見えていた。


「もっ……………モー…………っ」


「……………」


 恥ずかしそうに牛の鳴き声の物まねをするラウラ。左手を頭の上に伸ばして角が伸びていることを確認した俺は、息を呑みながら顔を紅潮させているラウラを凝視する。


 いつも抱き付いてきたり、一緒に風呂にはいる時は恥ずかしがらないんだが、恥ずかしがっているラウラもなかなか可愛らしい。


 ナタリアとステラは呆然としたままになっている。


 俺は息を吐いてからベッドの近くへと歩み寄ると、まだ恥ずかしそうにしているラウラの隣に腰を下ろした。


「お姉ちゃん」


「な、なに………?」


 まだ顔を紅潮させ、ぷるぷると震えているラウラ。俺は呼吸を整えてから片手を伸ばすと、牛の模様のパジャマに身を包んでいる姉を抱き寄せた。


「ふにゃっ………!?」


「可愛いよ、お姉ちゃん」


「ふにゃあっ!?」


 久しぶりに恥ずかしがるラウラを見る事ができた。俺は彼女を両手で抱きしめながら、ドアの近くでにっこりと笑っているミラさんに向かってぺこりと頭を下げる。


 すると彼女は笑ったままウインクし、呆然としている2人の肩を静かに叩いてから部屋を後にした。


「こ、これ………っ! み、ミラさんがくれたの…………」


「ミラさんが?」


「う、うん。タクヤが大喜びするからって…………。は、恥ずかしいけど」


 ラウラも俺の背中に両手を回し、パジャマから伸ばした尻尾を俺の体に巻き付けてくる。彼女は最近甘える時に、両手だけでなく尻尾まで絡みつかせて来るようになった。俺の尻尾よりも短いんだけど、満足するまで尻尾と両手を離してくれないため、一度甘えられるとなかなか離してくれない。


 でも、今は俺もお姉ちゃんから手を離すつもりはなかった。


「ど、どうかな………?」


「とっても可愛いよ、ラウラ」


「ふにゅ…………」


 もし今までシスコンにならないように耐え続けていたとしても、牛の模様のパジャマに身を包み、恥ずかしそうにしながら牛の真似をされたら今の一撃でシスコンにされてしまっていた事だろう。


 俺はラウラの唇を奪ってから、もう一度彼女を抱き締めた。




 


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