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メサイアの天秤


 人形やぬいぐるみに囲まれながらベッドで横になる少女の微笑は、以前に出会った時と変わらない。元気そうに見えるけど弱々しく、ベッドで横になっているせいなのか痛々しく見えてしまう。俺たちに心配をかけないように笑ってくれているのだろうか?


 肌はミラさんと同様に白いけど、ベッドの毛布から覗く彼女の手はやや痩せ気味だ。ちらりと見えた彼女の手を見て目を細めた俺は、ベッドの傍らへと向かってしゃがみ込むと、桜色の毛布をかぶりながら出迎えてくれた従妹に微笑みかけ、彼女の頭の上に静かに手を置いた。


 ノエルの頭の上に手を置いてみると、いつも俺の手が予想以上に小さいことに気付く。前世の自分の身体よりも身長が低くすらりとした今の身体は、母さんに似ているせいで女だと勘違いされても確かに仕方がない。


「やあ、ノエル。久しぶりだね」


「うんっ。お兄ちゃん、立派になったね」


「ありがとう。ノエルも可愛くなったよ。………身体の調子はどう?」


 立って歩くことは出来るだろう。だが、身体が弱いせいで走り出せばすぐに息が上がり、そのまま咳き込んだり吐血する可能性があるため、彼女はこうしてベッドの上で安静にするしかないのだ。だからノエルは、家の外に出たことは殆どない。他人を怖がってしまうほど気の弱い彼女にとっては最善なのかもしれないけど、ノエルはつまらなくないんだろうか?


 咳き込んでから「うん、元気だよ」と言うノエル。身体が頑丈と言われるハーフエルフの子供として生まれた彼女がなぜこのような体質なのかは、まだ不明だ。フィオナちゃんが検査したことがあるらしいんだが、原因は分かっていないという。


 黒髪の中から突き出たハーフエルフの長い耳をぴくぴくと動かしながら喜ぶノエルの頭を撫でていると、今度はラウラもベッドの近くへとやって来た。


「えへへっ。ノエルちゃん、元気そうだね!」


「うんっ! お姉ちゃんも立派になったね。お兄ちゃんとは喧嘩してない?」


「うんっ。いつもラブラブだから大丈夫なのっ!」


「あははははっ。2人とも仲が良いもんね」


 仲は良いんだけど、もうキスしてるんだよな………。


 彼女にダンジョンの土産話を聞かせてあげたいところだが、その前に仲間を紹介しなければならない。ちらりとドアの近くで待っているナタリアたちの方を見ると、ノエルは彼女たちに気付いたらしく、ぴくりと身体を振るわせ、先ほどまでぴくぴくと動かしていた長い耳の動きを止めながら、そっと俺の陰に隠れようとする。


 相変わらずノエルは気が弱いんだな。


「大丈夫だよ。俺たちの仲間だ。怖くないから」


「ほ、本当………?」


「ああ。みんな優しいよ」


 ナタリアはしっかり者だし、ステラは無表情だけど仲間想いだ。


 ドアの近くで待っている3人を手招きすると、ノエルに何度も会っているカノンはすぐにベッドの近くへとやって来た。初対面のナタリアとステラは、ちらりと俺の方を見てから気まずそうにやってくる。


「初めまして、ノエルちゃん。私はナタリア・ブラスベルグよ。よろしくね」


「初めまして。ステラ・クセルクセスです」


「は、は、初めまして………」


「ノエル。ナタリアの種族は人間なんだけど、ステラの種族は何だと思う?」


 ステラはエルフのように長い耳を持っているわけでもないし、キメラのように尻尾が生えているわけでもない。見た目は普通の人間の女の子にしか見えないだろう。


 いきなりそんな質問をされたノエルは、「え?」と首を傾げながらステラを凝視する。隣に立つナタリアがじっと俺を見下ろしてくるけど、ステラの正体がサキュバスだという事を知っても、ノエルはきっと拒まないだろう。むしろ喜ぶかもしれない。


 外に出る事ができないノエルは、今までずっと本を読むか、ベッドで眠るか、人形たちと遊んで暮らして来た筈だ。だからサキュバスが絶滅しているという話も知っている。


 もしその本に書かれていた話が間違っていたと知れば、本物のサキュバスに出会う事ができた彼女は大喜びするに違いない。


「えー? わかんないよぉ………」


「じゃあ、正解を教えてあげる。正解は―――――――なんとサキュバスなんだ」


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


 やはりびっくりしているようだ。ドアの近くで俺たちを見守っていたミラさんも、目を見開いて呆然としながらステラの後姿を見下ろしている。彼女もステラを人間だと思っていたんだろう。


 ステラは驚かずに、無表情のままぺこりと頭を下げた。


「ほ、本物………?」


「はい。ステラはサキュバスです」


 小さな唇から舌を伸ばし、舌に刻まれている刻印をノエルに見せるステラ。自分の舌を指差した彼女は舌を引っ込めると、「ここから魔力を吸収します」と説明し、くるりと俺の方を向いた。


 なぜ俺の方を向いたのかと思った直後、ステラの毛先が桜色になっている特徴的な銀髪が伸び始め、俺の身体に巻き付き始めた。呆然としながらこっちを見ているノエルを見たステラは、髪で捕まえた俺の身体を引き寄せながら「小腹がすいたので実演します」と言うと、一気に俺を引き寄せてから、従妹の目の前で俺の唇を奪いやがった。


「はむっ」


「んっ!? ………んっ……ん……………!」


 刻印が刻まれたステラの小さな舌に絡みつかれながら、俺は顔を真っ赤にして角を伸ばしてしまっていた。ラウラやナタリアの目の前で何度も魔力は吸われたんだが、ノエルとカノンの目の前でステラに魔力(ご飯)をあげるのは初めてだし、しかもミラさんまで見ている。


「お、お兄ちゃん!?」


「おっ、お兄様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」


 いきなり幼女にキスをされて驚愕するノエルとカノン。ノエルは驚いているだけのようだが、カノンは何故か顔を真っ赤にしている。


 ステラの小さな舌に絡みつかれ、小腹がすいたという割には魔力を予想以上に吸い取られてから、やっと舌を離してもらった。ステラはうっとりしたような表情で口元の唾液を舐め取りながら、お腹を両手でさすっている。


 ふらつきながらなんとかしゃがみ込んだ俺は、ベッドに掴まりながら何とか呼吸を整えた。


「はぁっ、はぁっ………。す、ステラは………本物のサキュバスなんだ…………」


「す、すごい………! でも、サキュバスはもう絶滅しちゃったって本に書いてあったよ!?」


「彼女は生き残りなんだ」


「はい。ですからステラは、最後のサキュバスなのです」


「すごい……! ステラちゃん、握手して!」


 やっぱり喜んでくれた。


 今まで嫌われていたサキュバスが身体の弱い少女に喜んでもらえると思っていなかったのか、ステラは少しだけ驚いて俺の顔を見上げてきた。頷くと、いつも無表情のステラは珍しく微笑むと、毛布の中から伸びるノエルの痩せ気味の手を小さな手で包み込む。


「ねえ、お兄ちゃん。もう冒険者になったんでしょ?」


「ああ。紹介状に書いてあったのか?」


「うんっ。ねえねえ、もうダンジョンに行った?」


「おう。じゃあダンジョンの話をしてあげようか」


「わーいっ!!」


 外に出る事ができないノエルにとっては、家の外の話を聞くのは楽しみなんだろう。特に一般の人間では立ち入る事ができないダンジョンの話は特に楽しみにしている筈だ。


 まだ冒険を始めたばかりだけど、もう土産話はたくさんある。


「まず、俺たちは最初にフィエーニュの森に行ったんだ。これはステラが仲間になる前だな。ナタリアとはここで出会ったんだ」


「ステラも聞いたことのない話です」


 そういえば、ステラにはトロールを倒したことしか話してなかったな。彼女にも教えてあげよう。


「ここで肩慣らしに、フィエーニュの森を調査していくことにしたんだ。危険度も低かったからな。それに銃もあるし楽勝だと思ってたんだ。――――――でも、危険度が低い筈の森には、なんとトロールがいたんだよ!」


「と、トロール!?」


「そう。本にも載ってる恐ろしいトロールさ。10mくらいの大きさのトロールが、森の中にいたんだ」


「や、やっつけたの!?」


「ああ。俺とナタリアとラウラが力を合わせてやっつけたんだ」


 グレネードランチャーでトロールの息子さんを吹っ飛ばした話はやめておこう。ラウラがその話をしないか心配だったが、彼女はその話をするつもりはないらしい。


「その骨を管理局に持って行ったら、窓口の人は驚いてたもんね」


「そうそう。しかも女の子に間違われちゃってさ」


「あははははっ! お兄ちゃんは声も高いし、エミリアさんにそっくりだからね」


 母さんに似ているだけなら声で男だと気付かれる筈なんだけど、声も高い方だからなぁ………。声を低めにして話しても勘違いされるから、もしかしたら一生女に勘違いされ続けるかもしれない。


 俺たちは笑いながら、今度はナギアラントでステラと出会った時の話をすることにした。








 まだ旅が始まったばかりだったから、土産話はすぐに話し終えてしまった。ナギアラントでステラと出会い、転生者を倒して街を解放し、そこで勇者扱いされた事を話したら、ノエルは「力也おじさんと逆だね」と言いながら笑っていた。


 親父は魔王と呼ばれている。魔王の息子たちが勇者と呼ばれていることを知ったら、親父はきっと苦笑いする事だろう。


「楽しかったよ、お兄ちゃん。ありがとっ」


「あははっ。良かった」


 いつもベッドの上で生活している彼女に楽しんでもらう事ができて安心した。ラウラも同じように安心したらしく、クマのぬいぐるみを抱えながらベッドの上にいるノエルの頭を撫で始める。


 ラウラは幼い性格なんだけど、年下の従妹の頭を撫でる姿はやけに大人びているように見えて、俺はどきりとしてしまった。


「じゃあ、ノエルもお返しに面白い話を聞かせてあげるね」


「面白い話?」


「うんっ。――――――お兄ちゃんたちは、『メサイアの天秤』って知ってる?」


「ああ、知ってるよ。絵本で読んだことがある」


 メサイアの天秤は、この世界に存在すると言われている伝説の天秤だ。大昔に大天使から功績を認められたある錬金術師が作り出したと言われている天秤で、なんと手に入れた者の願いを叶えてくれるという。


 だから大昔には、自分の願いを叶えてもらおうと冒険者や勇者たちが争奪戦を繰り広げたらしい。しかし、現在でも調査は続いているが実在するかは不明で、どこにあるのかも不明という事になっている。


「ふにゅ? メサイアの天秤って、手に入れた人の願いを叶えてくれる魔法の天秤だよね?」


「うん、そうだよ。………実はパパから聞いたんだけど、天秤についての古代の資料がラトーニウス王国で見つかったらしいの!」


「えっ!?」


 今まで実在するか分からなかった伝説の天秤についての資料だって? 信也叔父さんが言ってたって事は、叔父さんは調査しに行ったのか? 


「ということは…………もしかしたら、メサイアの天秤は実在するって事?」


 先ほどまで静かだったナタリアが楽しそうに聞く。願いを叶えてくれる天秤の伝説を絵本で目にした時は、よくラウラともし手に入れたらどんな願いを叶えてもらうかって話し合ったものだ。きっとナタリアもそんなことを考えているんだろう。


 ラウラは「タクヤのおよめさんになる!」って言ってたけど、それは天秤を使わなくても実現できるのではないだろうか?


 ちなみに俺は、今のところ願いが思いついていない。思いついたとしても実現可能な願いばかりで、天秤を使う必要のないものしか思いつかないんだ。


 ノエルの話を聞いて期待していると、さっき俺から魔力を吸収してずっとお腹をさすっていたステラの一言が、俺たちを更に高揚させた。


「―――――――メサイアの天秤は、実在します」


「え………?」


 相変わらず表情は変わっていない。だが、ステラの冷たい声とノエルを見据える蒼い瞳が、嘘をついていないという証拠になっている。


 そういえば、ステラが封印されたのは今から1200年前だ。レリエル・クロフォードが世界を支配したのが300年前だから、あの伝説の吸血鬼よりも前の時代で生きていたという事になる。


 古代語が使われていた時代で生きていたのだから、天秤についても現代の人間より詳しく知っている筈だ。


 実在すると言い切った理由について考えていると、ステラが話を始めた。


「―――――ナギアラントで最後の戦いを始める数ヵ月前に、激減したサキュバスたちは戦闘力の高い4人のサキュバスにメサイアの天秤を手に入れるように命じ、旅に送り出しました」


「願いは………サキュバスの再興?」


「はい。その頃はもう人間たちとも関係が悪化していましたし、魔力を吸収する体質を取り除いても他の種族との対立は続くため、再興して別の地でサキュバスの国を建国するという計画が立てられていたのです」


「そ、そうなの………!?」


「はい」


 ステラ以外のサキュバスは絶滅しているため、このような話はどんな本にも記録されていない。サキュバスについて記録されている本にあるのは、サキュバスの性質や彼女たちをナギアラントで滅ぼしたという事だけだ。自分たちの大昔の功績を記載するだけで、絶滅しないようにと必死に足掻いた彼女たちの事情は全く記録されていない。


「残ったサキュバスたちは、彼女たちが天秤を手に入れてくれると信じ、必死にナギアラントの街を守り続けました。………彼女たちが出発してから8ヶ月後、防壁の外からやっと天秤を手に入れるために送り出されたパーティーのうちの1人が帰還したのです」


「1人だけ?」


「はい。………しかもそのサキュバスは片腕と片目を失う重傷を負っていました」


 他のメンバーはどうなったんだ? それに、そのサキュバスに何が起きた………?


「仲間たちは必死にそのサキュバスを手当てしましたが…………彼女は、帰ってきてから三日後に息を引き取ってしまったのです」


「そんな………。天秤は手に入れられなかったの………?」


「その通りです。ですが彼女は、絶命する前に『天秤を見つけた』と言い残しています」


 天秤を見つけたという事は、天秤は実在するという事だ。だが、そのサキュバスのパーティーたちは天秤を手に入れることは出来ず、しかも生きて帰ってきたのは重傷を負った1人のサキュバスだけだという。


「実在するという事が分かったのは良いのですが、既に彼女が帰還した頃には多くのサキュバスが殺され、ナギアラントに立て籠もったサキュバスたちは玉砕寸前で、もう一度パーティーを派遣できる戦力は残っていなかったのです。………ステラを隠してくれたママは、きっと天秤を手に入れられなかったことを知った時点でステラを逃がそうとしてくれたのでしょう」


 その派遣されたサキュバスたちに何が起きたんだろうか? なぜ4人のパーティーで派遣されたのに、生きて帰ってきたのは1人だけだったのか?


 天秤が実在するのは凄い事だが――――――ステラの話で、演劇やマンガの題材にされる大人気の伝説が、禍々しく不気味な伝説へと変貌してしまった。


 だが、もし天秤を手に入れる事ができたのならば、本当に願いを叶える事ができるかもしれない。


 もし手に入れたら―――――――人々が虐げられないような平和な世界にしてもらおう。


 転生者や権力者に人々が苦しめられず、平和に過ごせるような世界になれば、もう種族で差別されたり奴隷にされることもなくなる。今までなかなか思いつかなかった俺の願いが、伝説を知ってから12年後にやっと決まった。


 天秤が実在するというのならば、俺たちがその天秤を手に入れてやろうじゃないか。


 俺たちは、冒険者なのだから。


 


 

やっと冒険の目的が決まった………(笑)

これからは、タクヤたちはこのメサイアの天秤を手に入れるために旅を続けることになります。お楽しみに!

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