タクヤたちが報酬を受け取るとこうなる
分厚い本と書類の束がずらりと並ぶカレンさんの部屋は、しっかりと整理整頓されていた。怠惰と無数の書類の物量が押し寄せてきても、いつも仕事が終わった後はしっかりと片付けているのだろう。書類はちゃんとまとめてあるし、机の上に並ぶ判子や羽ペンもちゃんとケースの中にきれいに並べられている。本棚に並んでいるのは辞書や政治学についての教本ばかりで、カノンの部屋のようにマンガやエロ本が混じっているようなことはない。
プライベートでも仕事をしているのではないかと思ってしまうほど殺風景で、堅苦しい分厚い本に囲まれた部屋だけど、休日ではここでカレンさんとギュンターさんが過ごしているとは思えない。
「無事に冒険者になったみたいね。おめでとう」
俺たちを部屋に招いたカレンさんは、俺とラウラとステラの3人の顔を眺めて微笑みながらそう言った。紹介状が書かれたのは俺とラウラが王都から出発する前だったようだから、ステラの事について書かれている筈はない。
きっとカレンさんは、ステラは道中で一緒になった仲間だと思っているんだろう。まだこの人には、ステラがサキュバスだという事は明かしていない。
仮に明かしたとしても、彼女はステラを拒むようなことはしないだろう。カレンさんの宿願は奴隷制度の廃止と、種族が差別されずに生活できる世界を作る事。それに、彼女は元々は奴隷だったギュンターさんと結婚し、カノンという愛娘を生んでいる。
明かしておいた方が良いだろうか?
「えへへっ。ありがとうございます、カレンさん」
「ふふっ。………それにしても、2人とも大きくなったわね。ラウラはエリスさんに似たのかしら?」
「確かに、雰囲気が似てるよな」
頭にかぶっていたシルクハットを傍らに置き、ソファに座りながらギュンターさんが言う。普段のラウラは確かにエリスさんに雰囲気は似ているんだけど、戦闘になると親父のように猛烈な威圧感を放つようになる。二重人格というわけではないんだが、戦闘中のラウラがいつも甘えてくる甘えん坊の姉とは思えない。
「転生者はもう倒したみたいだし」
「………それも、紹介状に?」
「ええ。ちゃんと書いてあるわよ。予想以上だってね」
そんなことまで紹介状に書いてやがったのか。てっきり俺たちがエイナ・ドルレアンに到着したら何か力を貸してやってくれという事を書いているのかと思っていたが、そんなことまで書きやがって。
だが、モリガンのメンバーたちからすれば、転生者を撃破することは当たり前なのだろう。全盛期の頃のモリガンは、メンバー1人分の戦力は騎士団の一個大隊並みだと言われていたほどだ。だからカレンさんたちからすれば、転生者を撃破するのはまだ序の口だという事になる。
「そういえば、そのコートは力也のやつでしょ?」
「あ、はい。フィオナちゃんが冒険者用に改造してくれたんです」
「へえ。旦那の血まみれのコートは、息子に引き継がれて更に血まみれになるってわけだな?」
禍々しいコートだなぁ………。
「何言ってるのよ、馬鹿。――――――でも、似合ってるわよ」
「あ、ありがとうございます」
親父の息子である俺がこのコートを受け継いだんだから、もしかすると俺の息子もこのコートを受け継ぐことになるかもしれないな。もし子供がいたら、俺たちみたいに冒険者になるんだろうか?
母親は誰になるんだろうかと考えた瞬間、俺は思わずちらりとラウラの方を見てしまった。
落ち着け。ラウラは腹違いとはいえ実の姉だぞ。
「ところで、今後の予定はどうするのかしら?」
「えっと、もう少しここに滞在してから国外のダンジョンの調査でもしてみようと思ってます。詳細は仲間たちと後日話し合いますが」
「国外ね………。気を付けるのよ? 最近のオルトバルカ王国は、隣国のラトーニウス王国との関係が徐々に悪化しているし、ヴリシア帝国とも睨み合いが始まっているから…………」
隣国のラトーニウス王国は、母さんとエリスさんの出身地だ。オルトバルカ王国よりも小さな国土を持つ国で、魔術の発展では隣国に先を越されてしまっているため、現在では他国から技術を盗みつつ、相変わらず剣術に力を入れて騎士団の増強を続けているらしい。
ちなみに俺たちが生まれる前に一度だけネイリンゲンに侵攻したことがあったらしいんだが、親父たちの活躍で侵攻部隊の隊長だったジョシュアという男が戦死し、部隊もそのまま壊滅している。その後のラトーニウス王国は、侵攻は国の判断ではなくジョシュアの独断であると言い放って知らんぷりをしていたそうだ。
モリガンに何度も痛い目に遭わされてきた国だからなのか、モリガンへの憎しみは強いらしい。
いずれはラトーニウスのダンジョンにも行こうと思ってたんだけどなぁ………。俺とラウラは東洋人とラトーニウス人の混血だから誤魔化せるかもしれないと思ったんだが、よく考えれば俺は母さんに似ているから、入国したら騎士団を離反した母さんだと勘違いされる羽目になるかもしれない。
「とりあえず、許可証を発行する準備をしておくわ。騎士団に見せればどこでも通してくれる筈だし、貴族しか立ち入る事ができない場所にも入れるようになるわよ」
「ありがとうございます! 助かります!」
「ふふっ。ただし、有効なのはドルレアン領内だけだからね? 他の領地で見せても意味はないから、ドルレアン領を出る時はちゃんと破棄する事。分かった?」
「はい」
「はーいっ!」
領主の許可証か。確かに助かるぞ。
騎士団に見せれば一般の冒険者でも立ち入る事ができないような場所に入ることも出来るようになるだろうし、貴族しか入れないような場所でも通してもらえるはずだ。冒険がしやすくなるから、許可証を用意してもらえるのはありがたい。
「そういえば、信也くんの家にも紹介状が行ってるんでしょう?」
「はい。叔父さんの所にも立ち寄る予定です」
その前に、管理局の施設にレポートを提出して報酬を貰わなければならない。危険度の低いダンジョンだったから報酬は安いかもしれないが、宿泊費やアイテム台の足しには十分だろう。
統治する領内だけとはいえ、領主の後ろ盾を得られるのは大き過ぎるメリットだ。両親の人脈に感謝しながら、俺とラウラはカレンさんたちに力を貸してもらう事にした。
許可証の発行には少し手続きが必要らしく、すぐに発行できるようなものではないらしい。それにまだ信也叔父さんの家を訪ねていないし、管理局から報酬も受け取っていないので、今のところはしばらくエイナ・ドルレアンに滞在する予定になっている。
エイナ・ドルレアンは治安がいいし、奴隷制度も領内のみだが禁止されているので、平和な街だ。それに南方で一番大きな都市でもあるので、大通りに行けば様々な物を販売している露店や店がある。暇潰しにはもってこいだ。
カレンさんたちにお礼を言ってからドルレアン邸を後にした俺たちは、何故かカノンまで連れて4人で屋敷の前に広がる広場の花壇の前で待機していた。この広場で別行動をしていたナタリアと合流することになっている。
「ふにゃー…………」
「お姉様……幸せそうですわぁ………やっぱり、お姉様は可愛らしいですわ………!」
待ち時間に退屈そうにちょっかいをかけてきたので、反撃という事でラウラの頭をベレー帽の上からひたすら撫で続けたり、頬を撫で回したりしているんだが、幸せそうにしている彼女の傍らでは、カノンが自分のハンカチで鼻血を拭き取りながら、ラウラの顔を見て彼女まで幸せそうにしている。
南方の都市とはいえ、ここは北国だ。暖かかった風もいつの間にか冷たくなり始めている。
「あ、タクヤー!」
ラウラの頭を撫でながら広場で待っていると、反対側の入口の方で金髪の少女が手を振っているのが見えた。自宅で髪型を変えたのか、髪型はロングヘア―からツインテールに変わっていたけど、強気そうな雰囲気と笑顔は変わっていない。
「おう、ナタリア」
「おかえりっ!」
「ただいまー。どうだった? 力を貸してもらえるって?」
「ああ。許可証を発行してくれるらしい。いろんな場所に入れるようになるぞ」
「本当!?」
「おう。領内限定だがな」
ダンジョンの調査が仕事の冒険者にはありがたい助力だ。
「ところで、その女の子は? 知り合い?」
「えっと、彼女は領主の娘のカノン。俺たちの妹分だ」
俺が紹介すると、カノンは鼻血を拭き取ったハンカチを素早くポケットの中に放り込み、いつものしっかりしたお嬢様のような雰囲気を一瞬で纏ってから、スカートの裾をつまんでぺこりと頭を下げた。やはり幼少の頃から母親から教育されているらしく、まさに立派な貴族のお嬢様のお辞儀だった。何度も貴族たちの前で披露してきたのだろう。
「初めまして。カノン・セラス・レ・ドルレアンですわ。お見知りおきを」
「は、初めまして………。ナタリア・ブラスベルグよ」
領主の娘に自己紹介されて緊張しているのか、いつも強気な彼女の言葉はぎこちないような気がした。
「とりあえず、レポートを提出してから叔父さんの家に行きたいんだが、いいか?」
「ええ、わたくしは構いませんわ」
「うんっ!」
いつまでもレポートを提出せずに持っているわけにはいかないからな。早く提出して報酬を受け取らないと、提出し忘れてしまうかもしれない。
基本的に冒険者の収入で一番大きいのはレポートを提出して受け取る報酬だ。ダンジョンの危険度にもよるが、魔物の素材を売るよりも遥かに報酬の方が高額であるため、実力のある冒険者はリスクは高いがダンジョンの調査を最優先する。
フィエーニュの森は危険度の低いダンジョンだったが、トロールがいたという事もレポートには書いてあるし、証拠にトロールの骨も持って来てある。上手くいけば報酬が増額されるかもしれない。
広場から管理局の施設まで歩き出そうとすると、すかさずラウラが俺の隣へとやってきて手を握った。最近はステラとよく手を繋いでいたから、こうやって手を繋ぎたかったんだろう。
俺よりも少しだけ背の低い彼女を見てみると、ラウラはステラを見下ろしてから頬を膨らませ、上目遣いでじっと俺の事を見上げていた。
たまには、お姉ちゃんも甘えさせてあげないとな。
ラウラと手を繋いで歩きだした俺たちは、合流したナタリアを連れて管理局の施設を目指す。管理局の施設があるのはエイナ・ドルレアンの東側だ。西側には工業地帯が広がっているため、騎士団の拠点や冒険者管理局の施設などは西側に集中している。
通りを走る馬車を利用しようかと思ったんだが、それほど施設が遠くにあるわけでもないし、財布の中の銀貨を節約したかったので、このまま歩くことにした。
「号外! 東のジャングオ民国、フランセン共和国に宣戦布告! ついに戦争が始まる!」
新聞を販売している若い男性の声を聞いて、俺は顔をしかめてしまう。
フランセン共和国は国土の大半が火山地帯になっている国で、かつてガルちゃんが封印されていた場所だ。最古の竜の伝説が残るその国と、東にある島国の近くに位置するジャングオ民国が、どうやらついに戦争をするらしい。
基本的に戦争に駆り出されるのは王国の騎士団だが、近年はモリガン・カンパニーも戦力を増強しているため、万が一オルトバルカ王国が戦争を始めた場合はモリガン・カンパニーも協力するべきだと貴族たちに言われているらしい。
親父はどうするつもりなんだろうか?
顔をしかめたまま考え事をしているうちに、もう新聞を売っていた男性の声は聞こえなくなっていた。
物騒な内容の新聞を販売していた男性の声の代わりに耳へと流れ込んできたのは、大通りの露店で買い物をする住民たちの大きな声だった。野菜を袋に入れてから銅貨を渡す客もいるし、値切ってもらおうとする客もいるようだ。
管理局はその大通りを通らずに、右へと曲がった先にある。
賑やかな大通りから目を逸らすように右へと曲がり、そのまま真っ直ぐ小さな通りを進む。馬車が走れないほど狭い小ぢんまりとした通りを抜けた先には、やはり目的地が鎮座していた。
冒険者管理局の、エイナ・ドルレアン支部。漆黒のレンガで建てられているという点以外は騎士団の拠点と雰囲気は変わらない。手続きやレポートの提出のために訪れる冒険者たちと共に正門を潜り、入口のドアを開けて中へと入る。
騒がしかった王都の管理局本部と比べると、エイナ・ドルレアンの支部は比較的優雅で、落ち着いていた。相変わらず大騒ぎする冒険者もいるし、仕留めた魔物の自慢をする奴もいるが、騒がしさは本部の3分の1くらいだろう。
「あ、そういえばステラも冒険者の手続きをやった方が良いんじゃない?」
「そうだな。確かにそっちの方が良い」
冒険者の手続きを済ませておけば、管理局の施設を利用する事ができる。これから一緒に俺たちと一緒に旅をするのだから、手続きをしておいた方が良いだろう。
幸いステラの容姿は幼い人間の少女と全く変わらない。魔力を吸収するための舌の刻印も、魔術だと言えば誤魔化せるだろう。
「はい、分かりました」
「えへへっ。ステラちゃんも冒険者だねっ」
そう言いながらステラの頭を撫で回すラウラ。まるで姉妹のように見えるが、ラウラの性格が幼くて、ステラが逆に大人びているせいでアンバランスな姉妹になっている。
「ようこそ、エイナ・ドルレアン支部へ」
窓口へと近付いて行くと、向こうで仕事をしていた女性が落ち着いた声で対応してくれた。
「どうも。レポートの提出に来ました。それと、彼女の手続きをお願いします」
「かしこまりました。では、手続きはあちらの窓口でどうぞ」
対応してくれている金髪の女性の耳は人間よりも長い。エルフかと思ったが、エルフよりも更に長い上にやや上に向かって伸びているため、おそらくこの女性はハイエルフなんだろう。
ハイエルフはエルフやハーフエルフの一種で、光属性の魔術の扱いに長ける種族だ。他の種族と比べて身体能力は低いものの、体内の魔力の量は他の種族と比べると非常に多い。また、鍛冶の技術はドワーフと肩を並べるほど高く、デリケートなレイピアや剣を作る技術は非常に高い。他のエルフたちと同様に頻繁に奴隷にされている種族でもあるが、エイナ・ドルレアンには奴隷制度は存在しないため、彼女のように就職して働くハイエルフも多いと聞く。
余談だが、ドワーフはハイエルフとは逆に斧や大剣のような荒々しい武器の製造を得意とするらしい。
「おいで、ステラちゃん」
「はい、ナタリア」
ハイエルフの女性に指示された窓口へと、ステラを連れて行くナタリア。2人が窓口へと向かっていくのを見送った俺は、早速コートのポケットの中に入っていた冒険者のバッジを提示し、女性に冒険者として登録されていることを確認してもらう。
それからレポートの用紙を広げ、傍らにトロールの骨を置いた。
「ええと、この骨は?」
「トロールの骨です。フィエーニュの森で撃破しましたので、持ってきました」
「とっ、トロール!?」
フィエーニュの森は、新人の冒険者にはもってこいのダンジョンだと言われるほど危険度が低い。主な魔物はハーピーやゴブリン程度で、危険度の高い魔物が現れたとしても稀にゴーレムが出現する程度だ。
彼女はそんな簡単なダンジョンにトロールが生息していた事に驚いているのだろうか? それとも、冒険者になったばかりの俺のような子供が、危険度の高いダンジョンに生息している筈のトロールを撃破したことに驚いているのだろうか?
冒険者のバッジには登録された日付が刻まれているし、一緒に刻まれている小さな魔法陣を照合することで持ち主を確認することも出来る。窓口の後ろの方にある装置でバッジをもう一度スキャンし、俺のレポート用紙を何度も確認した女性は、俺が置いたトロールの骨の破片を装置でスキャンすると、顔を青くしながら呟いた。
「し、信じられない………。一週間前に登録されたばかりの女の子が………!!」
俺は男です。ちゃんと息子を搭載しています。
すると、先ほどまで後ろの座席のほうで自慢話をしていた冒険者たちが、ざわつきながら俺たちの方をじろじろと見始めた。どうやらこの女性の呟いた声が聞こえていたらしい。
「嘘だろ……?」
「信じられん。あんな子がトロールを……?」
「俺でも倒したことなんてないぜ………? なんて奴だ………!」
「結構可愛いなぁ………。食事に誘ってみようかなぁ………」
隣でラウラは胸を張りながらニヤニヤしているが、トロールを撃破したという話を初めて聞いたカノンは、他の冒険者たちと同じように目を見開いてぎょっとしている。
「と、とりあえず、報酬をお願いします」
「は、はいっ! 申し訳ありませんっ!」
なぜか頭を下げてから、大慌てで窓口の奥へと早足で向かう女性。隣でニヤニヤする姉と、周囲でまだざわつく冒険者たちに囲まれながら気まずい状況で30秒ほど待っていると、奥の方から小さな袋を手にした女性がやっと戻ってきた。
「こちらが報酬ですね。銀貨40枚です」
「どうも」
銀貨40枚か。報酬を受け取る前の所持金が銀貨10枚だったから、5倍に増えたというわけだな。
「では、頑張ってくださいね」
「はい。ありがとうございました」
女性に礼を言ってから窓口から離れた俺たちは、さすがにこっちをじろじろ見てくる冒険者たちの近くに座りたくはないので、ステラたちが手続きを終えるまで出口の近くで待つことにした。




