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カレンたちが屋敷に戻ってくるとこうなる


 数日前までは暖かかった風がもう冷たくなり始めているのを感じながら、俺は車両の窓を開けて外に広がる草原を見据えていた。


 愛しい妻と結婚し、カノンという可愛らしい1人娘が生まれてからもう14年も経過する。かつて湿気に包まれた故郷で奴隷として働かされていた頃の俺では、異世界からやって来た奇妙な少年たちに救出され、彼らと共に世界最強の傭兵ギルドの1人として激戦を何度も経験し、そしてかつては憎んでいた人間の貴族の少女と結ばれるとは思わないだろう。間違いなく、俺のようにこんな数奇な運命を経験した同胞はいない筈だ。


 中には、俺の事を「貴族に屈したハーフエルフの恥さらし」と蔑む奴もいる。俺もかつては人間の貴族を毛嫌いしていたから、貴族と結ばれた同胞をそう言う奴の気持ちはよく分かる。


 だが、俺の妻は貴族でありながら奴隷を解放しようとしている強い女だ。奴隷が存在するのが当たり前なこの国に生まれた貴族たちからすれば、いきなり自分たちの隊列から離れて剣を抜き、襲い掛かって来る雑兵の1人にしか過ぎないだろう。


 しかし、そのたった1人の雑兵は、俺たちのように虐げられてきた者たちからすれば英雄に等しい。


 最初は、どうせこの女も俺の事を汚らしいハーフエルフだと思っているんだろうと決めつけていた。この世界の奴隷の人口で最も多いのはハーフエルフと言われているし、仕事で貴族の屋敷を訪れれば、身体中に痣が浮かび上がった痛々しい同胞たちの姿を何度も目にする。だから彼女も同じような貴族だと考えていた。


 だが、カレンは仲間だけでなく、俺と妹を見捨てなかった。自分が統治する領地で生きている大切な民だからと、奴隷だった俺たちまで受け入れてくれたんだ。


 あの時、俺は俺たちを救ってくれた傭兵と、この貴族の少女について行こうと思った。長年虐げられ続けた俺たちを受け入れてくれる貴族が存在しているという事実は、あの時からずっと各地の奴隷たちを救い続けている。


 もちろん彼女にばかり任せるわけにはいかない。ハーフエルフである俺が彼女の右腕として活躍すれば、世界中の人々がハーフエルフを見直してくれるだろう。


 長い間政治の面や戦場で戦い続けたせいで、浅黒い俺の両手はすっかり傷だらけになっていた。剣で切り裂かれた傷痕もあるし、矢に貫かれた痕もある。しかも俺の左目は、若い頃の激戦で失ってしまっているため、今では義眼を移植し、眼帯で覆って生活している。


 そのせいで、初対面の人達からは俺がどんな格好で彼らの元を訪れても、盗賊団のリーダーやギャングだと勘違いされてしまう。普通に用件を話しているだけで相手はぶるぶると震えだしてしまうため、まるで恐喝しているような気分になってしまうんだ。何とかしたいんだが、この無数の傷は一生消えないだろうし、今更筋肉だらけのこの身体も元には戻らないだろう。


「カノンの奴、大丈夫かな?」


「心配し過ぎよ、ギュンター」


 冷たくなり始めた風の中でつぶやいた俺にそう言い返して来たのは、車両の向かいの席で考え事をしながら微動だにしなかった俺の妻だった。


 王都の議会で話し合われた、東の島国に艦隊を派遣するという提案について考えているのだろう。以前から断片的に流れてくる情報によれば、東に広がる海を越えた向こうに、ダンジョンに指定されている海域に囲まれた島国が存在するという。ダンジョンのせいで長年列強国が小競り合いを続ける世界から隔離されていたその島国との技術の差はあまりにも大きく、このオルトバルカ王国や同盟国では列車が走っているというのに、その島国では未だに馬車での移動が主流らしい。


 種族は全て人間の東洋人だけで構成されているらしく、サムライと呼ばれる刀の使い手たちがその国を守っているという。


 その国を開国させ、同盟を結ぶというのがシャルロット女王の考えらしいが、他の貴族共は技術や戦力のレベルが遥かに格下だと知ると、早くも搾取する事ばかりを考え始めていた。私腹を肥やす事ばかり考える老害共と討論するのは、きっとカレンもうんざりしている筈だ。


 今の考え事もそれについて考えていたに違いない。屋敷に戻るまでの間くらいは家族の話でもして休んでもらおうと思った俺は、唇を尖らせながら座席に背中を押し付けた。


「だって、屋敷には使用人が今日は数人しかいないんだぜ? しかも俺たちまで留守だし、カノンはまだ14歳だぞ? 若旦那やラウラちゃんみたいにさらわれたらどうする?」


「救出するわ。それ以前に、カノンは私たちから訓練を受けているのよ?」


 すぐにそう返してくるカレンだが、少しだけ誇らしげにしているような気がした。自分の技術や思想を受け継いでくれる立派な愛娘の話になると、いつも彼女はこのように微笑むんだ。


 確かに、まだ幼いのならばさらわれる心配はあるが、もうカノンは14歳だ。俺たちから戦い方は学んでいるし、銃の扱い方もマスターしている。侵入者が屋敷の中に入り込んできたところで、すぐに気絶させてしまう事だろう。


 幼かった頃の愛娘を連れて王都まで出かけた時の事を思い出していると、向かいの席で外を眺めていたカレンが、唐突にこっちを振り向いた。


「そういえば、力也からの紹介状は読んだわよね?」


「おう。若旦那たちがエイナ・ドルレアンまで来るんだろ?」


 若旦那というのは、タクヤの事だ。彼の親父である力也は旦那と呼んでいる。旦那の息子でまだ若いから若旦那というニックネームを勝手につけさせてもらってるんだが、もし旦那の孫が生まれたら何と呼べばいいんだろうか? 


「2人とも、きっと立派になってるわよ」


「そうだろうな」


 立派になっているに違いない。


 かつて俺の故郷を転生者から救ってくれた、あの最強の傭兵の子供たちなんだから――――――。








 カノンがラウラから離れるまでステラと2人で雑談し、ついでにステラに魔力(ごはん)をあげてから数分経って、やっと俺たちは地下室を後にした。再びカノンの部屋に案内され、紅茶を飲みながら両手を動かして先ほどよりも力が入っていることを確認してから、皿の上のクッキーに手を伸ばし、隣で一心不乱にクッキーを齧り続けるステラを凝視して手を引っ込める。


 彼女の好物を奪うわけにはいかない。紳士的な理由を付けてクッキーから手を引いた俺は、普通の食べ物を口にする必要はないと公言していた筈のステラの頭を優しく撫でると、ティーカップを拾い上げた。


「このクッキー、美味しいです」


「あら、気に入りましたの? もっとたくさん作っておけばよかったですわね」


「ん? これって手作りだったのか?」


「ええ。お母様に教わりましたのよ」


 てっきり屋敷で雇っている料理人の人達が作ったのかと思ったぞ。そういえばカレンさんは前に王都に来た時に、母さんから料理を教えてもらっていたからな。元々料理は上手だったらしいけど。


 ちなみに、俺も料理は得意だ。前世の親父があんなクソ野郎だったせいで家事は殆ど俺がやっていたから、料理どころか家事は殆ど慣れている。


「ふにゅう………。すごいよ、カノンちゃん。私はこんな美味しいクッキー作れないよぉ………」


「あらあら。美味しい料理を作れるようになれば、お兄様もきっと喜んでくださいますわよ?」


「ふにゅ……」


 片っ端からステラの手に連れ去られて数が減っていくクッキーを見下ろしてから、ちらりと俺の方を見るラウラ。彼女の炎のように赤い瞳と目が合った瞬間、ラウラは頬を赤くしながら目を逸らしてしまう。


 実は、ラウラは料理がかなり下手なのだ。


 7歳の時、ラウラはエリスさんと一緒にホットケーキを焼いてくれたことがあった。あの日は親父と母さんも仕事が休みだったから、みんなでラウラの料理の恐ろしさを知る羽目になったんだ。


 最愛の愛娘が母親と一緒に頑張ってホットケーキを作ると言い出したので、エリスさんと一緒だと知った親父はひっそりと回復用のエリクサーを2箱ほど近所の売店で購入してから俺たちに配り、微笑みながらラウラが料理をするのを見守っていた。


 ホットケーキを焼いているならばバターの良い匂いがする筈なんだが、フライパンの出番がやって来てからキッチンの方から漂ってきたのは、まるで汚水の中に生ごみをどっさりと放り込んだような悪臭だった。親父は鼻をつまみながら端末を取り出してガスマスクを生産して配ってくれたんだが、ガスマスクを付けても悪臭は消えなかった。


 そして、ラウラがにこにこと笑いながら運んできたホットケーキを見た瞬間、親父はガスマスクをかぶったまま、皿の上に乗っている凄まじい外見のホットケーキを凝視していた。


 皿の上に乗っていたのは、紫色のホットケーキだったんだ。上に乗っている溶けかけのバターは何故かピンク色で、まるで酸で溶かされたかのように泡を立てながら溶け始めていた。生地の表面にかけられている血のように紅い液体は、きっとメープルシロップだったんだろう。


 親父が恐る恐るフォークでバターをつついたんだが、バターに触れた瞬間にどろりと溶けてしまったフォークを目にした親父は、ガスマスクをかぶりながら涙目になって俺の方をじっと見つめてきた。


 自分の愛娘が、人生で初めて料理を作ってくれたのだ。フォークを溶かしてしまうほどの恐ろしい料理でも、娘を悲しませるわけにはいかない。親父は頷いてからガスマスクをとると、紅いメープルシロップが生み出す毒ガスのような気体を吸い込んで何度も咽ながら、なんと自分と俺の分と母さんの分を完食し、大喜びするラウラに「おかわりをくれないか?」と言って、なんと彼女の料理を全て完食したんだ。


 その日の夜から親父は2日間の間、意識を失ってしまう羽目になったが、俺はあの時から更に親父を尊敬するようになった。


 そして、ラウラには絶対に料理をさせるべきではないという事も理解した。彼女に料理をさせたらパーティーが壊滅してしまう。


 回復用のエリクサーを何本も飲んで咳き込みながら、愛娘のためにと料理を完食した親父の姿を思い出していると、屋敷の玄関の方で呼び鈴が鳴ったのが聞こえた。ドアの向こうでは雇われているメイドや使用人の人達が、玄関の方へと向かっているようだ。


 お客さんだろうか? 


 ドルレアン家は南方のドルレアン領を統治する領主の屋敷だ。カレンさんやギュンターさんの友人が訪れてくることもあるだろうし、仕事のために訪れるお客さんもいる事だろう。だが、その呼び鈴と使用人たちの足音を聞いて立ち上がったカノンは、呼び鈴を鳴らした張本人が前者でも後者でもないことを理解したようだ。


「お父様とお母様ですわ」


「戻ってきたのか」


 カレン・ディーア・レ・ドルレアンとギュンター・ドルレアン。2人ともモリガンのメンバーであり、カノンの両親だ。


 王都から帰ってきたんだろう。2人とも奴隷制度を廃止するために庶民や労働者を味方につけ、貴族などの権力者と王都の議会で戦い続けている。


 俺たちも出迎えに行った方が良いだろう。親父が紹介状を送ったのはカレンさんだし、俺たちもカレンさんと話をするためにドルレアン邸を訪れているのだから。


 ソファから立ち上がり、メニュー画面を開く。目立たない内ポケットの中のMP412REXとナイフは解除しないが、それ以外の装備は解除しておこう。


 部屋のドアを開け、1階にある広間へと向かってみんなで階段を下りて行く。既に使用人やメイドたちが整列し、玄関の大きなドアを開けて屋敷の中へと戻ってきた自分たちの主人を出迎えているところだった。


 整列する使用人たちの奥にある玄関から歩いてきたのは、豪華な紅いドレスに身を包んだ金髪の女性と、漆黒のスーツとシルクハットを身に着けた、紳士の格好が全然似合わないがっちりした大男だ。


 女性の顔つきはカノンにそっくりだった。ややつり上がった蒼い瞳は娘であるカノンと全く同じだが、当然ながら彼女よりも遥かに大人びていて、議会で権力者たちを相手に何度も議論を続けてきたという威厳を纏っている。他の貴族に蔑まれても動じないほどの凛とした雰囲気は、まさに女傑と例えるべきだろう。


 その女性の隣を歩いているのは、隣を歩く妻とは対照的に荒々しい雰囲気を放つ男性だった。がっちりした身体にはいくつも傷痕が残っていて、左目に着けている黒い眼帯のせいで盗賊団のリーダーのように見えてしまう。そんな荒々しい姿をしているせいなのか、身に着けているスーツは全く似合っていない。


「お帰りなさいませ、お父様っ! お母様っ!」


 階段を駆け下りながら帰ってきた両親の元へと走っていくカノン。左右に整列するメイドと使用人たちは、両親を出迎えるお嬢様の姿を微笑みながら見守っている。


「ただいま、カノン」


「ガッハッハッハッ! 今帰ったぞ、カノン!」


 駆け寄ってきた愛娘を傷だらけの剛腕で抱きしめたのは、父親のギュンターさんだった。カレンさんは父親に抱き締められるカノンを微笑みながら見守っていたが、階段の近くで待っていた俺たちに気付くと、「あら?」と言ってからこっちへとやって来た。


「お久しぶりです、カレンさん」


「久しぶりね、タクヤ君。紹介状の件でしょ?」


「はい」


 紹介状は送ってもらっているんだが、どんな内容なのかは親父から教えてもらっていない。エイナ・ドルレアンにいるカレンと信也叔父さんが力になってくれる筈だから、その2人に会えと言われただけだ。


 どんな内容だったのか予測していると、カレンさんは俺の顔をまじまじと見つめ始めた。


「本当にエミリアにそっくりなのねぇ………。彼女が若返ったのかと思ったわ」


「よ、よく言われるんです………」


 母さんと俺の見分け方は、キメラの特徴である角と尻尾を隠した状態では胸の大きさと瞳の色くらいしかないらしい。それほど似ているんだろうか。


 家にいた頃に何度か洗面所の鏡の前で並んで立ったことがあったけど、本当に俺と母さんはそっくりだった。母さんがもう少し若ければ、双子の姉弟と勘違いされてしまうかもしれない。


「でも、雰囲気は力也にそっくりね」


「親父にですか?」


「ええ。なんだか無茶しそう」


 無茶をするのは親父の悪い癖だったらしい。何度も母さんとエリスさんを心配させた悪い癖だが、俺にもその悪い癖は遺伝しているんだろうか?


「とりあえず、応接室で待ってて。すぐに行くわ」


 カレンさんはそう言うと、カノンをまだ抱き締めていたギュンターさんのスーツを引っ張って階段を上がり始めた。


 


 

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