エイナ・ドルレアンのお嬢様
カノンは、俺たちよりも3歳年下の女の子だ。人間のカレンさんとハーフエルフのギュンターさんの間に生まれた子で、母親に似たせいなのか種族は人間という事になっている。
頻繁に王都を訪れていたカレンさんやギュンターさんと共によく俺たちの家に遊びに来ていたから、住んでいる街は遠く離れているというのに過ごした時間は長く、俺とラウラにとっては3歳年下の妹のような存在だった。家に遊びに来れば、親父や母さんたちが話をしている間に俺たちと人形で遊び始めたり、読み書きを覚えたラウラに絵本を読んでもらっていた。
ドルレアン領の領主の娘として生まれた彼女は、その頃からもう貴族としてのマナーを教え込まれていたらしく、段々と家を訪れてくる度に彼女の言葉遣いは幼い少女に似合わないほど丁寧になり、マナーも立派になっていった。さすがにまだマナーの教育をするのは早過ぎるのではないかと思ったんだが、彼女はいつか母親から領主の座を受け継ぎ、南方のドルレアン領を統治しなければならない。だから、マスターしなければならない科目は庶民として生まれた俺たちよりも遥かに多い。
母親の思想も学ばなければならないし、政治や政策についても学ばなければならない。更に、奴隷の廃止を目的としているのだから、下手をすれば奴隷制度廃止の反対派に命を狙われる可能性もある。護衛を引き連れればいい話だが、場合によっては護衛と一緒に行動できない場合もあるし、凄腕の暗殺者が襲ってくる可能性もある。
だから、カノンは幼少の頃からモリガンのメンバーだった両親から、剣術や魔術だけでなく、親父から支給される現代兵器についての扱い方も学んだという。
彼女が身に着けた無数の技術が、まるで凛とした雰囲気を強調しているかのようだ。微笑んでいるせいなのか素直そうな感じもするが、ややつり上がった蒼い瞳がただの素直な少女ではないと断言している。自分の民を傷つけるような輩が現れたのならば、両親から叩き込まれた戦闘技術を駆使して徹底的に蹂躙するという強い意志が具現化したような目つきだった。
「タクヤ、あの人は誰ですか?」
「彼女はカノン・セラス・レ・ドルレアン。このドルレアン領を治める領主の娘だよ」
ステラは1200年前からナギアラントの地下で眠り続けていた最後のサキュバスだから、彼女と面識があるわけがない。
最初は警戒をしていたようだが、俺たちの知り合いだと分かって少し安心したのか、ステラは静かに俺の陰から顔を出すと、見知らぬ少女を1人引き連れている俺たちを見つめていたカノンにぺこりと頭を下げた。
母親から差別はしないという思想を幼少期から教え込まれているから、彼女はステラの種族が人間ではなくサキュバスだと知っても避けるようなことはしないだろう。きっとステラも受け入れてくれる筈だ。
「えへへっ。カノンちゃん、久しぶりだねっ!」
久しぶりに妹分と再会したラウラも、出迎えてくれたカノンに向かって微笑みながらそう言う。幼い頃からカノンに「お姉様」と呼ばれていたラウラだが、性格のせいなのか、今ではしっかりとした教育を受けたカノンの方がラウラよりも大人びているように見えてしまう。
精神年齢では、間違いなくカノンの方が上だろう。姉と妹分が逆転してしまうのではないだろうか?
逆にラウラがカノンをお姉様と呼ぶところを想像してみようとしていると、なかなか想像し辛い光景を思い浮かべられずに苦戦している間に、カノンは銅像の近くにいるラウラの方を凝視していた。
「お、お姉様…………!」
顔を紅潮させながらぷるぷると震え始めるカノン。彼女が発した言葉からも先ほどの凛とした雰囲気は消滅していて、まるで俺にしがみついて甘え始める直前のラウラが発するような、甘えたがっているような雰囲気が取って代わっている。
そういえば昔から魔物の図鑑や魔術の教本を読んでいた俺の隣では、遊びに来ていた幼いカノンがラウラに甘えたり、一緒に昼寝をしていたものだが、俺と一緒に育ったラウラの甘え方が成長するにつれてエスカレートしていったように、まさか彼女の甘え方までエスカレートしているのではないだろうかと予想した頃には、もうその予想はカノンの身体を操り、結果をうっすらと実体化させつつラウラへと急接近していた。
モリガンのメンバーだった両親によって鍛え上げられたカノンのスピードは、貴族が身に纏うような派手なドレスを身に着けているとは思えないほどのスピードだった。肉食獣すら置き去りにしてしまうほどの凄まじい速度で目を丸くしながら慌てふためくラウラへと爆走したカノンは、目を輝かせながら両手を広げてラウラにタックルして彼女を押し倒すと、まるでラウラが俺に甘えて来るかのように彼女に向かって頬ずりを始めた。
「ふにゃあああっ!? か、カノンちゃんっ!?」
「お姉様、会いたかったですわ! こんなに立派なレディになりましたのね!? 相変わらず可愛らしいですわ! ―――――ああっ、良い匂いがしますわ、お姉様っ!」
「あっ、か、カノンちゃん………タクヤの目の前だよぉっ!?」
「お兄様は羨ましいですわ。こんなに可愛らしいお姉様と一緒に生活できるなんて…………ふふっ、お姉様ぁ……………!!」
ラウラの話と共通していたのは、お兄様という単語が登場していたことくらいだろうか。それ以外はあっさりと除外され、困惑するラウラの周囲を漂っているに違いない。
やっぱり、カノンも甘え方がエスカレートしていた。昔は頭を撫でてもらうと大喜びしていたし、外で鬼ごっこをして遊んで帰ってくると、読書をしている俺の隣でいつの間にか一緒に眠っていたものだ。
押し倒されたラウラの上で頬ずりを続行するカノンを見下ろして呆然とする俺の傍らに立っているステラも、目を丸くしてカノンを見下ろしていた。
「か、カノンちゃん…………ひゃんっ!?」
「ふふっ、お姉様ぁ………おっぱいも大きくなっていますわねぇ……。素敵ですわ、お姉様………!!」
「か、カノン。あまりお姉ちゃんに変なことをするなよ?」
「あら、ダメですの?」
「ダメだよ」
「残念ですわ。もっとお姉様に甘えていたかったのに…………」
ラウラの胸を揉んでいた両手を引っ込め、残念そうにしながら立ち上がるカノン。押し倒されていたラウラは地面に落ちていたベレー帽を拾い上げてから立ち上がると、よだれを拭いながらもう一度ラウラの方を見てにやりと笑うカノンを目の当たりにしてびくりと震えてから、まるで逃走する猫のように凄まじい速さで俺の傍らへと駆け寄ってきた。ミニスカートの下から尻尾を伸ばして俺の片手に絡みつかせ、背後に隠れながらカノンの方を凝視している。
お姉ちゃんはステラによく襲われてるんだが、もしかしたら彼女は女に襲われやすい体質なんだろうか? 親父から聞いたんだが、エミリアさんもなぜか女に襲われやすい体質だったらしく、依頼で敵対した吸血鬼の少女に襲われかけたり、若い頃のエリスさんによく押し倒されていたらしい。
「――――――冗談ですわ、お姉様。お兄様の大切なお姉様を横取りするつもりはございませんもの」
俺の背後でぶるぶると震えるラウラを見つめながら微笑むカノン。いつの間にか先ほどの変態のような表情は消え、出迎えてくれた時のように貴族らしい凛とした表情に戻ると、咳払いをしてから踵を返す。
「さあ、中へどうぞ。歓迎いたしますわよ、皆様」
もしこの場に親父がいて今のカノンの甘え方を目の当たりにしていたならば、きっと若き日のエリスさんのような変態だと言う事だろう。
誰のせいでこんな変態になってしまったのか。モリガンの女性陣の中で最もまともだったというカレンさんのせいとは思えないから、九分九厘ギュンターさんのせいだろう。あの人は頻繁に風呂場を覗いていたらしいし、何だか自分の娘を甘やかしそうな感じがする。
ギュンターさんのせいだろうなと思いながら、俺は未だにぶるぶると震えるラウラとステラを連れ、屋敷の中へと足を踏み入れることにした。
ドルレアン邸の中には、様々な絵画や派手な彫刻が飾られていた。カレンさんの祖父がこのような美術品を収集していたらしく、まるで屋敷の中には一般公開すればそのまま美術館になってしまいそうなほど絵画や彫刻があふれている。
そんな美術品だらけの廊下を眺めながら、俺たちはカノンの部屋まで案内された。絵画や彫刻で埋め尽くされていた廊下とは違って、部屋にはあまりそのような美術品は置かれていない。我が家のリビングの6倍以上も広い彼女の部屋の床には高級そうな赤い絨毯が敷かれていて、部屋の中央にはテーブルとソファが鎮座している。既にテーブルの上にはクッキーとティーセットが用意されていて、バターと香ばしい香りを部屋の中へとばら撒き始めていた。
部屋の奥には大きめのベッドが置かれていて、枕元には小さな時計とオルゴールが置かれている。
「さあ、どうぞ」
「悪いな」
ラウラたちと一緒に腰を下ろすと、テーブルの向かいにいたカノンも静かに腰を下ろした。貴族ではなく平民の子供として育った俺たちはあまり貴族のマナーは分からないんだが、妹分の前とはいえ可能な限り無礼な真似はしないように気を付けよう。
「それにしても、立派になったな」
「ふふっ。お兄様ったら」
変態であることを除けば、カノンは本当に立派なお嬢様に成長している。母親から徹底的にマナー等を教育されたおかげだろう。
でも、勉強や訓練ばかりではなかったんだろうか? あの後、ちゃんとカノンの生活に娯楽はあったのか? 心配になったが、彼女のベッドの近くに置かれている大きめの本棚には教科書や魔術の教本に混じってマンガの単行本も並んでいるのが見えて、俺は安心した。勉強や訓練ばかりの日常ではなかったらしい。
そんな生活を送っていたらストレスが滅茶苦茶溜まってしまうからな。ちゃんとカレンさんは彼女を休ませることも考えていたようだ。経済学や政治学の分厚い本の隣に並ぶマンガのタイトルを見てにやりと笑った俺は、そのまま並んでいるマンガのタイトルを眺め始める。
あのマンガは俺も持ってるぞ。騎士が復活したレリエルを倒すために旅に出るという内容のマンガだったな。その隣にあるのは恋愛のマンガだろうか。俺は全く読んだことはないが、ラウラがよく本屋で購入して読んでいた。
色んなジャンルのマンガを読んでいるんだなと思いながら本棚の方を見つめていると、一番下の段にずらりと並ぶマンガの背表紙に裸エプロン姿の少女の絵が描かれていたような気がして、俺は思わず目を見開きながらそれを凝視してしまう。
恋愛のマンガではない。背表紙の絵とタイトルが放つ雰囲気は、幼少の頃に両親の部屋で発見してしまったエリスさんのエロ本と全く同じだった。単行本の群れに紛れ込んでいるようだが、凝視してみると雰囲気の違いはすぐに分かる。
しかもその隣にはメイド服を身に着けた少女が背表紙に描かれているものもあるし、更に左側にはなんとBL系のマンガと思われるエロ本がびっしりと並び、男子である俺にだけ猛烈な威圧感を押し付け始めていた。
「か、カノンッ!?」
「あら、お兄様。どうしましたの?」
「何でエロ本が並んでるんだよッ!? しかもBLのやつまであるぞ!?」
「お兄様、あそこにあるのは氷山の一角ですわ。大半は隣の書庫に―――――」
「書庫にエロ本保管してんのかよッ!?」
え、エリスさんよりレベルが高いぞ………。しかも普通のマンガだけでなく、エロ本も色んなジャンルのやつが並んでいる。何でこんなに隙の無い性癖なんだよ………!?
「ふにゃあ…………!」
「タクヤ、あの本は何ですか?」
「み、見ない方が良いぞ、ステラ………」
「?」
なぜ俺が止めようとしているのか理解していないのだろう。ステラは立ち上がろうとした彼女の肩を掴んで必死に止めようとする俺の顔を見上げて首を傾げると、素直にソファに腰を下ろし、表情を変えずにテーブルの上のティーカップへと手を伸ばした。
「………ところで、その子は仲間なんですの?」
「ああ。ステラっていうんだ」
「初めまして」
ティーカップを見つめて首を傾げていたステラは、カップを皿の上に置いてから相変わらず感情のこもっていない声であいさつをすると、テーブルの上のクッキーを1つ手に取り、まじまじとクッキーを見つめてから首を傾げる。
もしかすると、ステラはクッキーを知らないのか? 紅茶にも口を付けずに、ティーカップを見つめて首を傾げるだけだった。どうやらステラは、見た事の無いものを目にすると首を傾げる癖があるらしい。可愛らしい癖だ。
今の彼女の仕草を目にして、カノンは違和感を覚えたらしい。口元に運びかけていたティーカップを止めると、目を細めながら訝しそうに彼女を見つめる。
カノンに、ステラの正体を話しておくべきだろうか? 彼女は既にステラを怪しみ始めているし、もう誤魔化すことは出来ないだろう。下手に誤魔化すよりはカノンがサキュバスを受け入れてくれると信じて彼女の正体を明かし、味方になってもらった方が良いと思う。
ちらりとラウラの方を見てみると、彼女も俺の方を見て頷いた。きっと彼女も同じことを考えていたんだろう。
ステラにも尋ねてみようと思って彼女の顔を見下ろそうとした瞬間だった。一足先に飛び出した彼女の冷たい声と、その声が形作った言葉が、カノンの部屋の中へと響いた。
「………ステラは、サキュバスの最後の生き残りなのです」
「!」
ステラは誤魔化すつもりではなかったんだろうか。俺が訪ねるよりも先に自分の正体を明かしたステラは、まるで全く心配していないかのようにティーカップを持ち上げると、少しだけ躊躇うように中に入っている紅茶を見下ろしてからカップを口元へと運ぶ。
様々な教育を受けたカノンならば、サキュバスと魔女狩りの事も知っているだろう。彼女を拒絶しないように祈りながらラウラと共にテーブルの向かいに座っているカノンの方を振り向く。かつてサキュバスは他者から魔力を奪い取る恐ろしい魔女と言われており、現在でもあらゆる伝承や物語にレリエルや恐ろしい魔物と並んで悪役として登場している。
その悪役と言われて大昔に絶滅した筈の種族の最後の生き残りだと言う小柄な少女が、目の前のソファに座っている。果たしてカノンは彼女をサキュバスだと信じるだろうか? それとも、幼い少女の幼稚な嘘だと決めつけて笑い飛ばすだろうか?
「…………本当ですの?」
目を丸くしながら、美味しそうに紅茶を飲むステラを凝視するカノン。ひやひやした表情で彼女を振り向いた俺たちの顔を見て、カノンはステラの言った事が事実だと察したのだろう。
元々彼女の正体は明かすつもりだったから、俺とラウラは否定しなかった。何も言わずに首を縦に振り、彼女と共にティーカップの中の紅茶を飲み干すサキュバスの最後の生き残りを見下ろす。
「サキュバスは絶滅したと聞きましたが…………」
「生き残りがいたんだよ。ナギアラントの地下にな」
「それからは、私たちの仲間なの」
「タクヤ、この飲み物は美味しいです。ステラはこれが気に入りました」
ステラは自分の正体を明かしたことを全く気にしていないようだ。空になったティーカップを両手で持ちながら、カップの底を見下ろしている。
「あら、おかわりならこちらにありますわよ」
「ありがとうございます、カノン」
「クッキーも美味しいですわよ。きっと気に入りますわ」
ポットを拾い上げてティーカップに再び紅茶を注いでくれるカノンに礼を言ったステラは、嬉しそうにカップを口元へと運び、紅茶を冷まし始める。
どうやらカノンは、ステラをサキュバスだからと拒むつもりはないらしい。
仲間の1人が妹分に拒まれなかったことに安心した俺は、隣で同じようにひやひやしていたラウラと目を合わせると、苦笑いしながら皿の上のクッキーへと手を伸ばす。
カノンが用意してくれたクッキーの歯応えと甘さが、不安をかき消していった。
変態パート2でございます。どうしてモリガンの関係者の変態はみんな女性なんでしょうか(笑)
カノンは、前作で言うところの『変態枠』です(笑)




