シュタージが戦車と戦うとこうなる
「停止せよ」
『はっ』
キューポラから顔を出し、廃墟が連なる帝都の一角を双眼鏡で見つめる指揮官の男は操縦士に無線で指示を出しつつ、敵の諜報部隊が潜伏していると思われる建物を確認していた。
諜報部隊を追っていたアレクセイが返り討ちに遭ったという報告を受けたとはいえ、さすがに最新型の戦車まで投入するのはやり過ぎなのではないかと思った車長であったが、アレクセイがただの人間たちにやられたという話はまだ信じられなかった。
人間と吸血鬼の戦闘力の差は、まさに雲泥の差である。更に再生能力も考慮すると、弱点を用意したうえで数人で挑まない限り、まず人間に勝ち目はない。それに下っ端とはいえ、アレクセイも実戦を経験したことのある吸血鬼の1人であり、簡単にやられる男ではなかった。
その男がやられたのだから、たかが諜報部隊ごときに戦車部隊を差し向けるのも間違った判断ではないという結論が出る。女王であるアリアは、どうやら確実に敵を叩き潰し、吸血鬼たちの力を見せつけることを望んでいるようだ。この命令を発した女王の考えを理解した車長は、双眼鏡から目を離して戦車の周囲に展開する数名の歩兵を見渡す。
こちらの戦力はこのレオパルト2A7+が1両と、10名の歩兵たち。武装はドイツ製アサルトライフルのG36Cで、中にはグレネードランチャーを装備したものを持っている兵士もいる。
第二次世界大戦の際のドイツ軍の軍服とヘルメットを彷彿とさせる装備に身を包んだ歩兵たちは、この街で徴兵した失業者たちだ。貴族の理不尽な待遇によって仕事についていけなくなった者や、工場から切り捨てられた哀れな失業者達。彼らを徴兵して訓練させ、銃という異世界の武器まで与えた即席の歩兵部隊である。
そして戦車を操るのも、同じく失業者だった者たち。彼らが吸血鬼の命令に従っているのは、殺されたくないからという理由と、自分たちを見捨てたこの国への復讐心が動力源となっていた。オルトバルカのようにリキヤ・ハヤカワ率いるモリガン・カンパニーの支配力がそれほど大きくはないヴリシア帝国の失業者たちがその復讐心をぶつける手段は、こうして吸血鬼に加勢することしかなかったのである。
ヴリシア帝国にも、モリガン・カンパニーの支社はある。そこにも失業者たちが集まっているのだが、オルトバルカのように全員受け入れることができているわけではなかったのだ。
敵の人数は不明であるが、こちらよりも数が少ない上に、”諜報部隊”という事を考えると、戦車に対抗するための対戦車兵器も限定される。転生者であるならばすぐに兵器を装備して反撃することは可能であるため油断はできないが、もし仮に転生者がここにいるわけではなく、転生者によって武器を渡された者たちがここに派遣されているだけなのだとしたら、こちらが圧倒的に有利になる。
それに、もし仮に敵がロケットランチャーのような対戦車兵器を装備していたとしても、レオパルト2の装甲は極めて分厚い。更に砲塔の上には高性能なセンサーと迎撃用の散弾を搭載した『アクティブ防御システム』が搭載されており、ミサイルやロケット弾が飛来しても瞬時に迎撃することが可能なのである。
圧倒的な攻撃力と防御力を兼ね備えたこの戦車ならば、舞台裏で動き回ることが前提の諜報部隊を捻り潰すことなど容易いのだ。もし仮にロケットランチャーを装備していたとしても、ただ単に撃てばアクティブ防御システムに撃墜されるのが関の山である上に、命中したとしてもレオパルト2A7+の装甲は極めて堅牢。そう簡単に撃破できる戦車ではない。
(人間どもめ…………こいつで粉砕してやる)
車長はキューポラのハッチを閉め、車内に戻りながらニヤリと笑った。
黴臭い廊下を突っ走り、壁に空いた大きな穴から飛び出して反対側の建物に着地する。今の足音が敵に聞こえていないかと心配になって外を見たが、たかが1人の人間が着地した音が戦車のエンジン音に勝るわけがない。案の定、こっちを見ている歩兵は1人もいなかったし、戦車の砲塔も先ほどまで俺たちが隠れていたセーフ・ハウスを睨みつけているだけだった。
息を呑み、再び走る。古びた木製のドアをそっと開けて廊下を突っ切り、階段を駆け下りて広い部屋へと出る。どうやらここが廃墟になる前は洋服店だったらしく、室内やショーウィンドーと思われる場所には、堀や泥まみれになった洋服が散らばっている。
猛烈な黴の臭いと泥の臭いに包まれながら、ちらりと窓の外を確認する。レオパルト2A7+は相変わらずもう無人となったセーフ・ハウスに照準を合わせながら、アサルトライフルを構える歩兵たちと共にじりじりと前進しているだけだ。あいつらはもうあの廃墟の中に敵がいないという事を知らない。
戦車の位置の確認を終えた俺は、反対側に見える露店の陰に隠れている仲間にハンドサインを送った。
「ふう……………」
人生初の、対戦車戦闘。平和な日本で大学生を続けている限りは絶対に経験することはありえない体験を、これからこの異世界で体験しようとしている。訓練したとはいえ、実際に敵の戦車に対戦車榴弾をぶち込むのは緊張してしまう。もし攻撃を外せば歩兵部隊がこっちに銃口を向けるだろうし、最悪の場合は戦車砲で肉片にされてしまうに違いない。だから確実に命中させ、せめてあの戦車は行動不能にする必要があった。
戦車と戦う場合、相手の戦車にもよるが、基本的に地位ばんそうこうの厚い正面装甲に攻撃を叩き込むのは愚の骨頂である。相手と同等の戦車砲を装備しているならばまだ問題はないが、ただでさえ戦車砲よりも非力な対戦車兵器で攻撃するのだから、確実に弱点を狙う必要がある。
目標はエンジンが搭載されている車体の後部や、砲塔の上部だ。せめて側面に攻撃を叩き込めれば、致命傷を与えることはできるだろう。
問題は、敵の砲塔の上に搭載されているターレットの存在だ。
おそらくあれはロケット弾や対戦車ミサイルを迎撃することで戦車を防御する、アクティブ防御システムの一種だろう。分厚い装甲を持つ上にそんな装備を持っている相手に、たった5人で挑むのは無謀としか言いようがないが、クランの作戦通りならばせめて行動不能にはできる筈である。
クランが立てた作戦は、要するに『異なる方向から複数の対戦車榴弾を同時に発射し、戦車を破壊する』という作戦である。いくら高性能なアクティブ防御システムとはいえ、複数の全く違う方向から同時に放たれる対戦車榴弾を全て撃墜するのは不可能だ。だから5人で同時に攻撃すれば、少なくとも1発か2発くらいは命中するに違いない。
できるならば破壊したいところだが、最低でも行動不能にはしてやりたいところだ。あくまで”反撃しつつ撤退する”のが俺たちの作戦であるため、予備の対戦車榴弾はない。こいつをぶっ放したらあとは一目散に逃げるしかないのだ。
『各員、攻撃用意』
クランの声が聞こえた瞬間、反射的に息を呑んでしまった。
俺はこの洋服店の廃墟から戦車の右側面を狙う。反対側の路地にある露店の陰から狙うのはクランで、俺から見て左側にあるゴミ箱の陰から照準を合わせているのは木村だ。そして木村が潜む建物の屋上にはパンツァーファウスト3を構えたノエルちゃんが戦車の斜め上の後方から照準を合わせ、戦車の斜め上の前方にあるアパートの屋上には、同じく坊やが照準を合わせている。
頼む、命中してくれ……………。
『10、9、8、7、6』
照準器を覗き込み、カーソルを戦車の右側面へと合わせる。灰色と黒の迷彩模様に塗装された戦車の側面には、シルクハットをかぶった吸血鬼のエンブレムが描かれているのが見えた。
そのエンブレムに照準を合わせる。無線機から聞こえてくるクランのドイツ語のカウントダウンを耳にする度、それ以外の音がどんどん小さくなっていく。
当たってくれ……………!
『5、4、3、2、1―――――――Feuer!!』
「ッ!」
トリガーを押した瞬間、ランチャーの先端部に取り付けられていた対戦車榴弾が飛び出した。まるで対戦車榴弾が解き放たれたことに驚いたかのように、ランチャーの後部から従来の無反動砲と比べるとはるかに目立たないバックブラストが噴射される。
他の仲間たちも同じように、クランの号令に合わせてパンツァーファウスト3をぶっ放したようだった。戦車の後方や斜め上から放たれた対戦車榴弾が白い煙を闇の中に残しながら駆け抜け、セーフ・ハウスへと進撃する戦車部隊に襲い掛かっていく。
いきなり対戦車榴弾を発射されたことに慌てふためく歩兵部隊。しかしそれよりも先に目を覚ましたのは、砲塔の上部に搭載されていたアクティブ防御システムだった。飛来する対戦車榴弾を瞬時に察知したらしく、ターレットを稼働させ、まず斜め上から飛来した対戦車榴弾を睨みつける。
次の瞬間、アパートの屋上から発射された坊やの対戦車榴弾が、戦車に到達する前に弾け飛んだ。アクティブ防御システムから放たれた散弾によって撃墜されたのだ。
続けてターレットが旋回し、今度はクランが放った対戦車榴弾を睨みつける。迎撃に失敗してくれと祈ったが、戦車をミサイルから守るために開発されたアクティブ防御システムの命中精度は極めて精密だった。戦車の車体の向こうで紅い光が煌き、反対側にいた俺にクランの対戦車榴弾も攻撃に失敗したという事を告げる。
そしてターレットが旋回し―――――――今度はノエルちゃんが放った対戦車榴弾が、命中するよりも先に砕け散った。
残ったのは、俺と木村がぶっ放した2発のみ。できるならばこのどちらかには命中してほしいと祈る俺の目の前でターレットが旋回し、今度は木村の放った対戦車榴弾を睨みつける。だが――――――――すでに撃墜されたとはいえ、アクティブ防御システムが対戦車榴弾を3発も撃墜するのに費やした時間は、残った2発が距離を詰めるには十分な時間だった。
アクティブ防御システムが木村の対戦車榴弾に照準を合わせた頃には、もう既に彼の対戦車榴弾は戦車の砲塔の陰に隠れ、迎撃できる角度にはいなかったのである。しかも俺の対戦車榴弾も距離を詰めており、迎撃が間に合わないのは火を見るよりも明らかだった。
そして――――――――2つの閃光が、暗い廃墟の中を照らし出した。
レオパルト2A7+の車体後部と右側面に、ついに迎撃を免れた2発の対戦車榴弾が喰らい付いたのである。最新式の堅牢な戦車にも致命傷を与えるために開発された2発の対戦車榴弾はレオパルト2A7+を守る装甲に激突すると、それを抉って突き破ろうと必死に足掻いた。
膨れ上がった爆風が周囲にいた哀れな数名の歩兵を巻き込んで、彼らの肉体を木っ端微塵にしてしまう。まだ照準器を退き込んだまま、せめて戦車がどうなったのかを確認しようと思ったけれど、早くも聞こえてきたG36Cの銃声を聞いた瞬間、俺は反射的に姿勢を低くしたまま移動を始めていた。
くそったれ、レオパルトはどうなった!? 撃破できたか!?
ランチャーを背負ったまま突っ走り、黴臭い廊下を駆け抜ける。地面に転がっている多や木箱の破片を飛び越え、階段を駆け上がってから壁の穴から建物の外へと飛び出すと、そのまま合流予定の場所へと走り続ける。
『レオパルトの擱座を確認! 繰り返す、レオパルトの擱座を確認!』
無線機から聞こえてきたのは、レオパルトから見て正面にあるアパートの屋上から、レオパルト2A7+の砲塔の上部を狙って対戦車榴弾をぶっ放した坊やの声だった。どうやら屋根の上を駆け回りながら逃げているらしく、ついでにレオパルトの状態も確認してくれたらしい。
完全に破壊することはできなかったようだが、せめて致命傷を与えることはできたようだ。路地を走っていると、建物の間から対戦車榴弾の攻撃によって黒煙を噴き上げるレオパルトの姿が一瞬だけ見えた。俺が命中させた側面の装甲には穴が開き、吸血鬼たちのエンブレムは滅茶苦茶になっているようだったけど、やはり擱座につながったのは木村がぶっ放した対戦車榴弾だろう。車体後部を抉った一撃はエンジンにも損傷を与えたらしく、動力源を損傷したレオパルトは誰もいないセーフ・ハウスを睨みつけたまま行動不能に陥っているようだった。
そして歩兵たちが対戦車榴弾の砲撃が飛来した地点に必死に銃撃しているが、もうそこには誰もいない。ブービートラップでも仕掛けてくればよかったと後悔したその時、後方から成人男性の怒声が聞こえてきた。
「貴様、止まれッ!」
「やべえっ!」
ちらりと後ろを振り向くと、第二次世界大戦中のドイツ軍の兵士が身につけていたような軍服を彷彿とさせる制服に身を包んだ兵士が、ライトとフォアグリップ付きのG36Cをこっちへと向けていた。俺は慌てて路地を右へと曲がって銃撃を回避しつつ端末を取り出し、グレネードランチャー付きのXM8を装備する。
とはいえ、今は逃げることを最優先にするべきだ。応戦はあくまでも二の次でいい。
その直後、俺が通過したばかりの建物の壁を銃弾が食い破った。後ろを振り向きつつ6.8mm弾をばら撒いて牽制しつつ敵を確認するが、いつの間にか俺を追いかけてきていた歩兵の数は3人に増えていた。
ちょっと待て、俺だけ狙われてんのか!?
懐から手榴弾を取り出し、素早く安全ピンを抜く。そして路地を左に曲がったところで、後方にある壁でバウンドするような角度で、それを放り投げた。
かつん、と手榴弾が壁に激突して金属音を奏で、俺が逃げてきた路地の方向へと飛び込んでいく。やがて向こうから「手榴弾だ!」と絶叫する敵の声が聞こえてきたが、すぐに手榴弾の爆音がその絶叫をかき消してしまった。
今ので追っ手が木っ端微塵になってくれればいいなと思ったけれど、すぐに別の角度から5.56mm弾が飛来したせいで、俺は再びランニングを継続する羽目になった。いたるところから聞こえてくる敵兵の怒声と銃声を耳にしつつ、仲間たちは無事なのだろうかと心配しつつ走る。
その時、俺の目の前にやけに大きな人影が現れた。180cm以上はあるでかい男で、私服に身を包んでいるというのに、ミスマッチとしか言いようがない軍用のガスマスクと、背中にやたらと大きなタンクのようなものを背負っているようだった。そのタンクからはホースが伸びていて、それは彼が両手に持つ筒の後端へと繋がっている。
第二次世界大戦でドイツ軍が運用した、火炎放射器のM35だ。そんな代物を好んで使うバカを目にした瞬間、俺は彼の隣を通り過ぎるとともに叫んでいた。
「ぶちかませ、木村ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「分かってます!!」
次の瞬間、俺の背後が紅蓮の光で真っ赤に染まった。
立ち止まって後ろを振り向くと、やはり路地は火の海と化していた。こんな路地で火炎放射器を装備して待ち構えているとは思わなかった哀れな敵兵は瞬く間に火炎放射器の炎に飲み込まれ、金切り声を上げながら火だるまになってのたうち回っている。
しかも炎が邪魔でまともに照準を合わせられないらしく、後続の歩兵はでたらめにアサルトライフルを乱射しているようである。そんな射撃ではこっちには当たらないし、銃声とマズルフラッシュの位置でどこにいるかがよく分かる。次々に木村の火炎放射器で火だるまにされ、他の仲間たちと同じく焼死体になっていくだけだった。
「ふう…………久々に使いましたね、これ」
「なあ、この敵って…………」
「どうしたんです?」
「再生してないぞ」
「え?」
黒焦げになって動かなくなった死体にライフルを向けながら、俺は目を見開いた。
さっきまで、てっきり俺は敵兵は全員吸血鬼だと思っていた。しかし木村の火炎放射器による攻撃では吸血鬼を殺すことはできない筈なのに、俺たちの目の前で黒焦げになっている焼死体の群れの中で起き上がろうとしている奴はいない。
まさか、こいつらは人間なのか…………?
「そんなバカな」
「人間が吸血鬼の味方を…………?」
考えられないことだ。人間にとって吸血鬼は天敵でしかないのに、なぜ味方をする?
さらに、俺はもう1つ違和感を感じていた。
「なあ、随伴歩兵の人数は何人だっけ?」
「確か10人くらいでしたね」
俺たちの目の前に転がっている焼死体の数は、明らかに10人以上。擱座したレオパルトの乗組員も参戦したとしても、明らかに多すぎる。
次の瞬間、何の前触れもなく路地の向こうにあった小さな建物が倒壊した。砲弾でも着弾したのかと思ったが、着弾したにしては爆炎は見あたらない。
しかし倒壊する建物の瓦礫の向こうから巨大な砲身が姿を現した瞬間、俺と木村は同時に絶句する羽目になった。
「お、おいおい……………!」
「容赦ないですねぇ……………」
その倒壊した建物の中から姿を現したのは――――――――吸血鬼のエンブレムが描かれた、2両目のレオパルト2A7+だったのである。
踵を返して逃げようとした直後、こちらに向けられていた戦車砲が火を噴いた。