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セーフ・ハウス陥落

※今回は後半がちょっとグロいかもしれません。ご注意を。


 木村が近くの川から汲み上げてきた汚い水を、顔を覆っていた袋から解放されたばかりの工場長の顔面にぶちまけた瞬間、俺たちの尋問は幕を開けた。


 元々は何だったのか分からないほど汚れたゴミやオイルが当たり前のように浮かび、周囲に強烈な悪臭をばらまいていた川の水は、もう殆ど汚水と化していた。いきなりこんな水をぶちまけられる気分は間違いなく最悪だろうが、クソ野郎にはこれがお似合いだろう。


 汚水をお見舞いされた工場長は、口の中に入ってしまった悪臭を発する汚水を必死に吐き出そうと足掻いていた。脂肪がたっぷりと張り付いた顔を必死に揺らしながら咳き込んでいた男は、やがていきなりこんなことをした男が自分が雇った労働者のうちの1人だという事に気付いたらしく、俺の顔を見上げながら目を見開いた。


「き、貴様は…………!」


「やあ、工場長。いつも安い賃金をありがとう」


「あの仕事、賃金安かったんですね」


「ああ。三食に使うと少ししか残らん程度だよ」


 だからこの街の労働者たちの中で、一日にちゃんと食事を3回摂ることができている者は少ない。ほとんどの物は少しでも金を貯めるために自分の食事を削り、貯金に費やしている。そうしなければいくら労働者向けの安いアパートとはいえ家賃を払えなくなるし、他にもいろいろと金は使うことになる。住む場所と一日の食事の回数のどちらが重いかを考えてみれば、当たり前の選択だ。


 そして現場で働く労働者たちが痩せ細っていく一方で、彼らに安い賃金を払っている資本家や工場長は大きな利益をほぼ独占している。だから立場が上に行けば行くほど、こんなデブが多い。


 俺はたった一週間しか働いてないが、この国の労働者がどれだけ苦労しているのかがよく分かった。前世の日本は本当に恵まれていたんだという事を痛感できたよ。そういう点ではいい経験だけど、こいつに礼を言いたいとは思わないな。


 こいつは、自分の利益のために人間を生贄にしていたのだから。


「な、何のつもりだ!? 貴様、私にこんな真似をしおって! あとでクビにしてやるからな!」


「できればいいですねぇ」


 そんなことができるのは、ここから無事に逃げ出すことができた場合のみ。逆に言えば、ここから逃げ出せない限りそんなことはできない。こいつの後釜が他の奴らの推薦で椅子に座るだけだ。


 それに俺からすれば、〝潜伏先”が1つ減る程度の痛手で済む。それほど本格的な入社試験が行われないこの国では、職を探すこと自体は難しい事じゃない。むしろ就職してから、労働者たちが最悪の労働環境の中で重労働を強いられていることの方が問題だ。


 だから俺はひるまなかった。見当違いの脅しをするこのデブの姿が滑稽だったからなのか、いつの間にか俺は笑みを浮かべていたらしい。汚水で濡れたデブの瞳に、獰猛な表情の自分の顔が映る。


「やり過ぎないでね、ケーター」


 後ろで腕を組みながら見ていたクランに言われた俺は、頷いてからポケットの中に突っ込み、護身用に所持していた『カランビットナイフ』と呼ばれるナイフを取り出した。


 カランビットナイフは、普通のナイフと比べると非常に小型のナイフである。一般的なサバイバルナイフの2分の1程度のサイズしかなく、刀身が普通のサーベルとは逆方向に大きく曲がっているのが特徴だ。リーチが非常に短く、相手の攻撃を受け止めるような真似はできないが、その切れ味はあらゆるナイフの中でも最高クラスと言える。


 俺のカランビットナイフは折り畳むことができるようになっており、グリップは漆黒に塗装されている。刃の部分のみ銀色になっているが、これは吸血鬼に有効なダメージを与えるためのカスタマイズだ。普通の刃ではいくら切れ味が鋭くても、奴らに大きなダメージを与えることはできない。


 とはいえこいつは人間だ。ほんの少し切っ先を皮膚に押し当てながら捻れば、簡単に皮膚は切り裂ける。


「お前は吸血鬼と取引していたんだな?」


「な、何のことだ? 私は何も知らんぞ…………!?」


 やっぱり口を割るつもりはないか…………。痛めつけてもいいんだが、俺はまだ実際に尋問したことがないから、下手したら加減を間違えて殺してしまいかねない。痛みを与えるよりも、恐怖で精神的に苦しめてやった方がいいかもしれない。


 カランビットナイフを折り畳んでポケットに戻した俺は、部屋の出入り口の辺りで待機していた坊や(ブービ)に目配せする。


 すると彼は一瞬だけぎょっとしたが、すぐに頷くと、一旦別の部屋の中へと消えていき、少ししてからピンク色の液体の入った試験管と生肉の切れ端を持って戻ってきた。


「もうこれを使うのかよ」


「確実だろ?」


 痛めつけるよりも、これを使った方が効果的だ。


「な、なんだそれは?」


「落ち着いて」


 坊や(ブービ)から受け取った生肉を床の上に置いた俺は、彼から受け取った試験管の栓を外した。中に封じ込められていた花の香りにも似た甘い匂いが一気にあふれ出し、先ほどこのデブにぶちまけた汚水の臭いすら駆逐してしまう。


 香水のようにも思えるが、この液体は決して香水などではない。


 その試験管をゆっくりと傾け、中に入っているピンク色の液体を一滴だけ床の上に置かれている生肉の上へと垂らす。花の匂いにも似たピンク色の液体は普通の水のように生肉の表面に付着すると、まるでしみ込んでしまったかのようにすぐに消えてしまう。


 そして――――――――何の前触れもなく、生肉の一部がどろりと溶け出した。


「……………!?」


 液体が付着した部分だけではない。ピンク色の雫が流れ落ちた場所を中心に、生肉の塊が溶け始めているのである。たった10秒足らずで床の上の生肉はピンク色のドロドロした液体へと変貌し、先ほどまでの甘い香りとは対照的な、腐臭にも似た悪臭を放ち始めた。


「な――――――――」


「俺たちの仲間のアルラウネが教えてくれた、強力な酸だ。たった一滴でも太った豚の半分を溶かせる」


 タンプル搭にある地下の畑でいつも野菜を栽培している、アルラウネのシルヴィアが教えてくれたものだ。心優しい彼女が何でこんな恐ろしい代物の調合方法を知っていたのかは不明だが、こういう得体の知れない薬品は相手に恐怖を与えるのに役立ってくれる。


 すっかりドロドロになってしまった生肉を見下ろしている工場長が、ぶるぶると震え始める。目を見開きながら俺の顔を見上げ、冷や汗を大量に浮かべ始めていた。


 ピンク色の酸が入った試験管を揺らしながら、俺はもう一度問いかける。


「吸血鬼と取引をしたんだな?」


 早くもこれが最後通告だ。まだ誤魔化そうとするならばこの液体を全部ぶちまけてやる。椅子に縛り付けられている工場長もこのままでは目の前の生肉と同じ運命を辿るという事を理解したらしく、震えたまま必死に首を縦に振った。


「そ、そうだ……………わっ、私は利益のために、何の罪もない人々を吸血鬼に売った!」


「下衆野郎ね」


「最悪ですね。死ぬべきです」


「まっ、待ってくれ! 私も必死だったんだ! 売り上げも落ち始めていたし、工場の閉鎖も時間の問題だった! 何かしらの利益が必要だったんだ!」


 必死に言う工場長だが、その〝何かしらの利益”のためだけに人々を吸血鬼に売ったという事実が浮き彫りになる。許しを請うつもりなのかもしれないが、むしろ俺たちはこいつが反省しているという印象を全く感じていなかった。むしろ醜悪な部分を見せつけられたような気分である。


 さすがにもう聞きたくなくなったのか、腕を組んだまま何故か俺のハンチング帽を目深にかぶり、俺が尋問する様子を黙って見守っていたクランが溜息をついた。腕を組むのをやめた彼女は微かな威圧感を纏いながら工場長の元へと歩いていく。


 そして彼女がポケットの中へと手を入れた直後、彼女の怒りを纏った漆黒のフォールディングナイフが、工場長の左の太腿へと突き立てられていた。


「――――――あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


「そんな豚の鳴き声みたいな言い訳は聞きたくないのよ。私たちが知りたいのは吸血鬼の情報だけ。あなたの苦しい生活の話よりも、まださっきぶちまけた汚水の方が価値があるわ」


 ひ、久々にこんなクランを見た……………。以前にこんなにキレたのは前世の大学だったな。いじめをやってた男子生徒の胸倉を掴んで壁に叩きつけて、ドイツ語で滅茶苦茶罵倒していたんだ。あの時は何て言ってるのか分からなかったけど、後で彼女に日本語に翻訳したものをそのまま日本語で教えてもらった時は本当にびっくりしたよ。


 今の彼女の表情は、あの時の表情にそっくりだ。なんだか懐かしい。


「ああ……………ッ! あ、足がぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


「正直に答えなさい。さもないとこのまま内臓を抉り出して、ゴミ箱の中に投げ捨てるわよ?」


「わ、分かったぁっ! い、痛いっ……………! なっ、なんっ、なんでも話すからやめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


 坊や(ブービ)がセーフ・ハウスで調合してくれたあの酸よりも、クランに任せた方がよかったかもしれない。こういう尋問っていうのはじわじわと追い詰めるのが普通なんだが、デブにナイフを突き立てた程度で情報が聞き出せるんだから問題ないだろう。


 それよりも、俺ももう少し尋問のやり方の練習をしないと。


 工場長の太腿にナイフを突き立てたまま尋問を始めるクランの後姿を見つめながら、俺はそう思った。













 もし敵の襲撃を受けた場合に備えて、あらかじめ複数のセーフ・ハウスを用意してある。モリガン・カンパニーの諜報部隊が用意したセーフ・ハウスは合計で6ヵ所で、全て距離が離れた別々の場所に用意されている。


 侵攻の際に部隊が上陸する予定の場所の確認や侵攻ルートの下見を終え、集めた情報を共有するためにセーフ・ハウスの1つへと戻ろうとしたブレンダン・ウォルコット率いる兵士たちが異変に気付いたのは、彼が引き連れていた兵士の中で一番若いエルフのキースが無線でセーフ・ハウスとの連絡を取ろうとした時だった。


 セーフ・ハウスで待っている筈のジョセフたちから、応答がないのである。


 仲間が待っている筈の拠点と連絡が取れないという事が明らかになった時点で、ブレンダンはセーフ・ハウスが襲撃を受けたという可能性を認めるよりも先に、部下たちを引き連れて確認に戻ることを選択していた。


 乗ってきた荷馬車を走らせ、ベテランと若い兵士が入り混じった部下たちを荷台に乗せたまま、極力目立たないように工場の中のセーフ・ハウスへと急ぐ。前を走る馬車を追い越し、通行人を轢き殺さないように細心の注意を払いながら馬車を走らせるブレンダンは、セーフ・ハウスへと確認に戻ろうとしているにも関わらず、頭の中では襲撃を受けたという可能性を否定できるような可能性を必死に探し続けていた。


(バカな……………ジョセフの奴がやられるわけがない)


 セーフ・ハウスと連絡がつかないという事は、無線機が破損したか、その無線に答える仲間たちが死亡したという事を意味する。前者ならばまだ辛うじて逃げ延びてくれている可能性もあるが、もし後者だった場合は速やかにセーフ・ハウス内に残っている情報を回収し、証拠を隠滅してから別の拠点へと移動しなければならない。


 あそこで吸血鬼の尋問を任せていたジョセフとは、モリガン・カンパニーへと入社する前からの付き合いだった。


 かつてオルトバルカ王国騎士団へと入団し、立派な騎士になって世界を変えることを志していたブレンダンは、そこで命令違反を繰り返す問題児のジョセフと出会った。最初は何度も衝突していた2人であったが、魔物の討伐を繰り返すうちにいつの間にか憎たらしかった問題児は相棒になっており、向こうもブレンダンに背中を預けてくれるようになっていた。


 結局、任務中に味方を見捨てて離脱しようとした貴族出身の騎士を糾弾したことで濡れ衣を着せられ、強制的に除隊させられるという処分を受けた2人だったが、優秀な騎士が除隊させられたという噂を聞きつけて声をかけたのが、のちにモリガン・カンパニーという大企業を作り上げることになる若き日のリキヤ・ハヤカワだったのである。


 それほど長い付き合いだから、あの口の悪い男の腕は知っている。銃という異世界の武器の扱いにもすぐに慣れ、いつしか表舞台ではなく舞台裏での重要な仕事を任されるようになっていた彼らは、汚れ仕事の中で実力を磨いていった。


 もう既に、何人も転生者を舞台裏で葬っている。だからこそ彼を信頼し、セーフ・ハウスの守備と吸血鬼の尋問を任せたのである。


 そんな彼が、死んだという事をブレンダン・ウォルコットは信じようとしなかった。


 せめて無線機の故障で済んでいてほしいと、セーフ・ハウスに辿り着くまで祈り続けていた。あの錆臭いセーフ・ハウスの中に戻れば、相変わらず口の悪い相棒が悪態をつきながら故障した無線機を睨みつけている筈だと祈りながら、彼らがまだ生きているという可能性を信じ続けていた。


 やがて夕焼けに照らされた古い工場が姿を現す。今では閉鎖されてしまった工場の詰所の中に、仲間たちがいる。そして無線機が故障したせいで困っているに違いないと思いながら、彼は荷馬車を工場の外に停車させ、木箱の中に入っていたフォアグリップ付きのXM177E2を手にしながら工場の入り口のドアへと向かった。


 仲間たちの安否を確認したいところだが、もし彼らが襲撃を受けて全員死亡していた場合、襲撃者が何かしらのブービートラップを仕掛けている可能性もある。魔術で残したトラップや、トラバサミのような物理的なトラップに引っかかるのは愚の骨頂だ。だからこそ焦燥の中から冷静さを絞り出し、訓練で身につけたとおりに警戒しながら入らなければならない。


 呼吸を整え、素早く入り口のドアを開けて工場の中へと入る。放置された巨大な旧式のフィオナ機関が鎮座する工場の中には人がいる気配はなく、トラップが仕掛けられている可能性もない。銃口と視線を物陰や暗闇の中へと向けて警戒し、敵が潜んでいないことを確認してから、部下たちに合図を送って詰所へと急ぐ。


 折れ曲がったキャットウォークの近くにある扉へと差し掛かった瞬間、先頭を走っていたブレンダンは息を呑んだ。


「バカな……………」


 セーフ・ハウスへと急行した彼らを待っていたのは―――――――弾丸と思われる飛び道具で穴だらけにされた錆だらけのドアと、その奥から溢れ出る血の臭いだった。


 恐る恐るドアへと手を近づけ、穴だらけのドアを開けようとする。しかし元々老朽化していたドアは無慈悲な銃弾らしき飛び道具の追い討ちで既に力尽きていたらしく、彼がドアノブに触れた瞬間に詰所の中へと倒れていった。


 セーフ・ハウスの中はもう既に血の海だった。薄汚れていた床にはびっしりと血飛沫が飛び散っており、真っ赤になった床の上に見覚えのある仲間たちが倒れている。この諜報部隊の中では一番若かったカーンがドアの近くで倒れていて、その奥では上顎から上を吹っ飛ばされた男が、自分の頭だった肉片で断面を隠すかのように倒れている。


(ダリルか……………?)

 

 ダリルもまだ若い兵士だった。カーンよりも2年ほど先輩の隊員で、高い給料の半分以上を故郷の村に仕送りしている優しい男だった。「親孝行がしたい」と常々言っていた仲間の無残な亡骸が、それを目にしたブレンダンたちの心を砕いていく。


 その奥では――――――――ここにいた筈のもう1人の男が、やはり血まみれになって倒れていた。


 がっちりした体格とスキンヘッドが特徴的な、ブレンダンの相棒である。


「ジョセフ!」


「う……………」


 名前を呼ぶと、彼の手がぴくりと動いた。カーンとダリルは明らかに死亡しているが、ジョセフはもしかしたら助けることができるかもしれない。


 せめて彼だけでも助けようと、ヒーリング・エリクサーの瓶を取り出しつつ駆け寄ろうとするブレンダン。しかし力を振り絞りながら持ち上げられたジョセフの大きな手が、駆け寄ろうとするブレンダンに「来るな」と告げていた。


「ジョセフ…………?」


「やめ…………ておけ………」


 口から血を吐きながら、彼がゆっくりと上着のボタンを外す。


 血まみれの上着の下にあったのは、銃弾のようなものに貫かれた傷跡。しかしその傷跡よりも、ブレンダンは彼の胸板に生じた異変を注視していた。


 がっちりしている彼の胸板が―――――――崩れているのである。


 肉が崩れ落ちて胸骨があらわになっているのだ。しかも肉体の崩壊は胸板だけでなく、他の部位でも起こっているようだった。耳が零れ落ち、額の肉が皮膚ごと床に落ちていく。


「きゅ、吸血鬼のやつに…………や、やられた…………みたい……だ……………」


「待ってろ、今助ける!」


「ハッ……………や、やめ……ろ………バカ」


 やがて、彼の腕の肉も崩れ落ち始めた。身体中の骨があらわになっていくのを目にしたブレンダンは、騎士団にいた頃から何度も相手にした魔物のスケルトンを連想していた。錆だらけの防具とボロボロの剣を持ち、ふらつきながら襲い掛かってくる魔物である。


「あいつらの………血………を………飲まされた……………。このままじゃ、魔…………物に…………なっちまう」


 ジョセフの肉体は腐敗しているのではない。骨を覆う肉と皮膚を脱ぎ捨て、臓器まで全て放棄し、スケルトンに変貌しようとしているのだ。


 吸血鬼の血には特別な力があるという言い伝えがある。人に飲ませることで普通の人間を吸血鬼にしたり、ゾンビやスケルトンに変えてしまうという。


 真面目だったブレンダンは図鑑や教本で目にしたことはあるが、犠牲者を目にしたことはない。だから最高の相棒が魔物になりつつあるという事を信じることはできなかった。


 もしかしたら、ヒーリング・エリクサーで治療できるかもしれない。そうすれば彼をオルトバルカへと連れ帰って、彼の家にいる妻と幼い息子に再会させてやることができる。しかしそう思って近付こうとしても、ジョセフは必死に手を伸ばして「来るな」と拒み続けた。


 もう元の姿には戻れないと悟っているのだ。このままではスケルトンと化し、戦友たちに襲い掛かってしまう。だからその前に何とかする必要がある。


 元の姿に戻れないのであれば――――――――殺すしかない。


 手にした銃で頭を撃ち抜き、付き合いの長い戦友を眠らせてやるのだ。


「……………ブレ……ン……ダン………終わら………せてくれ……………」


 グリップを思い切り握りしめ、XM177E2の銃口をジョセフの頭へと向ける。フォアグリップを握る左手が震えているせいなのか、アイアンサイトが揺れる。そして覗き込んでいる筈のアイアンサイトが段々と歪んでいく。


 無表情のまま銃を構えるブレンダンだったが、彼の左手はまるで戦友の命を奪うことを拒むかのように、必死に震えていた。まるで、まだ彼を救えるかもしれないから殺すなと訴えかけるかのように、仲間を撃とうとしているブレンダンを制止している。


 トリガーを引けば、彼の妻と幼い息子から父親を奪うことになる。モリガン・カンパニーで働く立派な父親は戦場で勇ましく戦って散ったのではなく、魔物と化すことを拒み、仲間に撃ち殺されるのだ。


(お前はそれでいいのか……………?)


 頬の肉が、徐々に崩れていく。左目の眼球も肉と一緒に崩れ、戦友の顔が段々と忌々しい髑髏に変貌していく。


「早く…………撃てよ」


「……………」


「ビビり……やが…………って……………」


 もう骨だけになった片手をポケットの中へと突っ込んだ彼は、最後の力を振り絞り、その中から一枚の白黒の写真を取り出した。


 それに写っているのは、微笑む美しいエルフの女性と、彼女に抱き上げられたハーフエルフの幼い子供。王都に住んでいるジョセフの家族である。


 仲間に撃ち殺される前に、家族の姿を焼き付けようとしているのだろう。もう顔の半分の肉が崩壊している戦友の姿を見てそれを理解したブレンダンは、やっとアイアンサイトが歪んで見える原因が自分の涙であることを悟った。


「…………キャサリン息子カイルに……………よろしくな……………」


「……………」


 彼の言葉を聞いた瞬間、腕が振るえるのをやめた。


「―――――――許せ」


 せめて、定年退職するまでは背中を守ってやるつもりだった。


 しっかりと子供を育てながら老いて、孫たちや家族たちに看取られて死ぬまで、この男を死なせるつもりはなかった。


 しかしその目標を守ることは、できなかった。今から自分が守ろうとした幸せな相棒の命を、自分が奪わなければならないのだから。


 だからブレンダンは、最後に謝った。


 そして、引き金を引いた。



 


 


 

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