ノエルが尾行するとこうなる
「お疲れ様でしたー」
「おう、お疲れー! 明日も頼むぞ!」
「はーい!」
汗で湿ったタオルを鞄の中に放り込み、ロッカールームで作業着から私服に着替える。石炭で真っ黒になっちまった作業着を見て顔をしかめながらロッカーの扉を閉めた俺は、ため息をついてからロッカールームを後にする。
一週間もこの仕事を続けつつ工場長の動きを見ているが、今のところ噂通りに姿を消したのは2回だ。しかもそういう時に限って大仕事が待っており、やたらと張り切る班長のせいで迂闊に動けない。
偶然なのか、それとも労働者に感付かれないように工場長が意図的に仕組んでいるのかは不明だが、何とかして吸血鬼たちの動きを調べたい俺たちからすればかなり面倒だ。
もし仮にあの工場長が吸血鬼とつながっていて、何かしらの見返りの代わりに〝餌”を提供しているのだとしたら、身柄を拘束できればそれで向こうの潜伏場所や戦力もある程度は聞き出せるだろう。問題はその工場長をどうやって拘束するかだが、そこは俺が動きを確認しつつ、潜伏している仲間の中では比較的自由に動き回れるノエルちゃんに頼むしかあるまい。
ノエルちゃんは新聞配達のバイトをしているから、街中を駆け回っていても怪しまれることはない。それに悔しい事だが、シュタージのメンバーの中で一番身軽なのは彼女だ。しかももし戦闘になった場合、彼女ならば相手を確実に消すことができる能力まで持っている。
とはいえ、その能力は迂闊に連発できるようなものではないけどな。
「それにしても……………賃金安いなぁ」
ため息をつきながら、今日の分の給料が入った袋の中身を見下ろす。
中に入っているのは銀貨20枚。三食をどこかの安いレストランやパブで摂った場合、僅かに残る程度である。
俺が働いている工場は月給制ではなく日給制。しかもあそこを牛耳っているのは貴族だ。労働者のことを第一に考えていると公言しているらしいが、どうせ自分の利益を優先しているんだろう。
まあいい。この作戦が終わったら、あんな職場とはおさらばだ。
工場の排煙の悪臭が薄れ始めた通りを歩き、鍛冶屋の看板が見える建物の前を左に曲がる。そのまままっすぐ進んだ先に、いつも俺が夕食を摂るために訪れる喫茶店があるのだ。やはりその通りの先には喫茶店の看板が置かれていて、防具を身に着けた冒険者が何故か顔を赤くしながら入っていくところだった。
息を吐いてから、俺もその喫茶店のドアを開けた。
「いらっしゃいませー♪」
「よう、クラン」
出迎えてくれたのは――――――――ウェイトレスの制服に身を包み、美しい金髪に黒いリボンを付けた最愛の彼女だった。元々大人びている彼女にはこういう制服が似合っていると思うし、黒いリボンもよく似合っている。やっぱりクランに一番似合う色は黒なんだろうか。
彼女はどうやら俺がそろそろこの店を訪れることを予測していたらしく、ドアを開けて店内に入ってきた俺を見て微笑んだ。
「お疲れさま、ケーターっ♪」
「おう。とりあえず今日もフィッシュアンドチップスと水で」
「たまには他のも食べたら?」
「気に入ってるんだよ」
「はーい。フィッシュアンドチップス1つお願いしまーす!」
元気な声で厨房にいる人に言う彼女が去る前に、俺は誰もこっちを見ていないことを確認してから素早く袖の中に隠していたメモ用紙を取り出すと、彼女の制服のポケットの中へとそれを滑り込ませた。
彼女はそれに気づいたらしく、ポケットを軽く叩いてから俺の元を離れる。
できるならあのようなメモ用紙ではなく口頭で詳細を伝えたかったんだが、それだと盗み聞きされるリスクがあるし、それにクランはこの喫茶店の看板娘になっているので、あまり俺と一緒にいると面倒なことになるらしい。
俺の職場でも、近所の喫茶店に綺麗な子がいるという噂になっている。
言っておくがクランは俺の彼女だからな。手を出すような男がいたらレオパルト2で轢き殺してやる。
「はい、水」
「どうも」
クランから受け取った水をすぐに飲み干し、窓の外を見つめる。
ここからでは労働者向けの安いアパートが乱立しているせいで工場は見えないが、俺が仕事をしている工場の煙はよく見える。工場に近づくにつれて石炭が燃え上がる臭いが漂うようになっているんだが、あの工場は何もしていないのだろうか。
まあ、それはもう慣れちまった。
とりあえず、クランが一刻も早くあのメモ用紙を読み、要件をノエルちゃんに伝えてくれるように祈ろう。
明日、俺や友人のウィルの班には大仕事がある。今まで工場長が2回も姿を消したのはその大仕事で残業になった日ばかり。もし俺の予測通りならば、工場長は明日も姿を消すに違いない。
俺は残業だから動けない。そこで、ノエルちゃんに新聞配達を装って工場で張り込んでもらうのだ。
「新聞でーす!」
「はーい。いつもありがとね」
アパートの部屋の前にあるポストの中に新聞を放り込み、そのまま階段を駆け下りる。アパートの外に飛び出してから懐中時計を取り出して時刻を確認した私は、ケーターさんが潜入している工場へと向かって走り始めた。
今朝、クランさんからケーターさんの工場長を見張るように命令されたの。いつも工場長が姿を消すのは午後4時から午後5時の間。どういうわけかは分からないけれど、必ず従業員が抜け出せないように彼らに大仕事を押し付けてから1人だけ姿を消してるみたい。
そしてその次の日には、住民が吸血鬼に襲われる事件。まだ仮説だけど、その工場長が吸血鬼とつながっている可能性がある。だから工場長を捕らえることができれば、色々と聞き出せるかもしれない。
ちょっと緊張するけれど、これは敵の情報を得るための大きなチャンス。常に舞台裏に潜んでいる吸血鬼たちの戦力や規模を暴くチャンスだ。
ケーターさんの職場は、南の区画にある大きな工場。屋根の上から工場の窓を見てみると、窓の向こうでは石炭がたくさん入ったバケツを運んでいる労働者や、その石炭をスコップで窯の中に放り込んでいる労働者が何人もいた。種族は人間が多いみたいだけど、よく見るとエルフやドワーフの従業員もいるみたい。ケーターさんもあんな仕事をしてるのかな?
そう思いながら灰色のハンチング帽をかぶり直し、工場の裏口と表の正門を見張り始める。従業員に仕事を押し付けてこっそりと姿を消すような男が、正門から堂々と抜け出すとは思えないから、多分裏口から出ていくのかな? そっちの方が目立たないし、その裏口も分かり辛いところにあるからこっそりと抜け出すには好都合ね。
そういえば、今日配達することになった新聞にはすごい記事が載ってたなぁ。
肩に下げているカバンの中から顔を出している新聞をちらりと見下ろすと、やっぱりその記事が一番大きく書かれていた。
≪オルトバルカ王国議会にて大粛清! 9割の貴族が議席から消える!!≫
どうやらリキヤ叔父さんが、議会の議席に腰を下ろしていた貴族たちのスキャンダルをほとんど公にしたみたい。中には何の罪もない人々の村を襲撃して奴隷にし、彼らを売って利益を得ていた貴族もいたみたいで、そういう腐敗した貴族には女王陛下から直接死刑が言い渡されたみたい。
前々から叔父さんは「貴族の奴らが面倒だ」って言ってたし、カレンさんと一緒に労働者のための法律を議会で提唱しても、その貴族たちに妨害されたり反対されて困ってたんだって。今まではちょっとした制裁とか、ちょっとした脅しで済ませてたみたいだけど、ついに邪魔な貴族の粛清に踏み切ったんだね、叔父さん。
クランさんは「まるでスターリンみたい」って言ってたけど、スターリンって誰なんだろう?
考え事をしているうちに、裏口のドアがゆっくりと開いた。普段はあまり使われていないのか、表面のペンキが剥がれ落ちた挙句錆び付いた小さなドアの向こうから姿を現したのは、やけに立派な黒いスーツに身を包み、シルクハットをかぶった小太りの男性だった。
あの人が工場長かな。ケーターさんが工場から持ってきてくれたパンフレットに乗っていた工場長の写真を確認してみたけど、きっとあの人が工場長だと思う。だって他の従業員はやせ細っているのに、あの人だけ太ってるんだもん。
「こちらチャーリー1。目標が家を出た」
『こちらHQ。了解、尾行して確認してくれ。隙があれば身柄の拘束を』
「了解」
無線機の向こうから聞こえてきたのは坊やくんの声だった。彼と木村君の2人はスラム付近にある建設途中のアパートの中で、私たちに指示を出す事になっている。
報告を終えた私は、屋根の上を走って工場長の後を追った。煙突を躱して隣の屋根の上へと飛び移り、そこからさらに別の屋根に飛び移る。タンプル搭に行く前にパパから受けた訓練でもこういう屋根の上を走る訓練や、壁をよじ登る訓練は散々やったから、もう慣れちゃった。
工場長が進んでいくのは、どうやら南の方にある公園みたい。うーん、あっちの方には高い建物はないし、そろそろ下に降りた方がいいのかな? 公園の中には茂みがいっぱいあるし、その中に逃げ込めば見つからずに済むかもしれない。
というわけで、私は窓の淵に掴まりながら下の道へと降りた。物音を立てないようにして着地し、とりあえず近くにあるゴミ箱の陰に隠れる。
この通りには人がほとんどいないし、同じ方向に歩いていたらすぐに怪しまれちゃうからね。
そこから移動し、今度は木箱の陰へ。そして工場長が角を曲がって公園の中へと入っていったのを確認した私は、新聞の入ったカバンを肩に下げたまま走った。そして公園の門の角に隠れつつ、今度は近くの茂みの中に移動する。
公園の中には誰もいないようだった。いつもならここで子供が遊んでいる筈なんだけど、今日は誰もいない。
工場長はちらりと後ろを見て後をつけられていないか確認すると、公園のベンチに腰を下ろして懐中時計を確認した。
誰かと待ち合わせているのかな?
私も見やすい位置に移動しつつ、工場長を見張る。しばらく待つことになるんじゃないかなと思いながら茂みの中で待機していると、やがて公園の別の入り口の方から、真っ黒なトレンチコートに身を包んだ男の人がやってきて、工場長の隣に腰を下ろした。
『時間通りだな』
『あ、ああ』
『それで、ちゃんと〝御馳走”が用意してあるんだろうな?』
『ああ』
御馳走……………?
何の話?
すると工場長は、懐の中から一枚の写真を取り出して隣の男に見せた。すると黒いトレンチコート姿の男は楽しそうにニヤリと笑い、その写真を懐へとしまう。
『ほう、女か。これはいい。女の血は美味いからな』
血って……………まさか、吸血鬼!?
あの工場長は、まさかこうやって吸血鬼に人間を売っていたの!?
何て事を……………! ケーターさんの仮説は正しかったってことなのね。従業員に残業を押し付けて姿を消し、こうやって吸血鬼と取引して利益を得ていたんだ……………!
そうか、ああいう人がクソ野郎なんだ。人々を虐げて苦しめる存在。私はああいうクズを排除するために訓練を受けた。
いっそのこと、ここから撃ち殺してやりたい。でも吸血鬼と繋がっていたことが明らかになった以上、殺すわけにはいかない。できるならばあの吸血鬼も一緒に拘束し、尋問して情報を聞き出す必要がある。
私は気配を殺しながら、そっと懐の中からテンプル騎士団で正式採用されているハンドガンのPL-14を取り出した。使用する弾薬は9mm弾だけど、対吸血鬼用に銀の弾薬に変更されているから、銀や聖水への耐性がある強力な吸血鬼じゃない限り、これを撃ち込めば普通の人間のように殺せる。
でも、殺さないように注意する必要がある。手足に弾丸を撃ち込んで動きを封じ、私の糸で拘束してから仲間に連絡して拘束する。こういう状況を想定した訓練はやったけど、実際にやるのは今回が初めてだから緊張してしまう。
あっちの工場長は普通に押さえつけるだけで無力化できそうだけど、吸血鬼は身体能力が非常に高い種族だから、押さえつけたとしてもあっさりと反撃されるのが関の山だから、こっちを優先的に無力化する必要がある。
息を吐き、落ち着いてから、私はハンドガンの照準を吸血鬼の足へと向けた。とりあえず両足を撃ち抜けば驚異的な脚力で逃げられることはないし、強力な吸血鬼でなければ傷口も再生しない。もしあの吸血鬼が強力な個体だった場合は――――――――あの能力を使って、強制的に排除するしかない。
もう一度息を吐いてから―――――――トリガーを引いた。
サプレッサーが装着されたハンドガンは、ほとんど銃声を発しなかった。少なくとも轟音とは呼べない程度の音を発しながら銀の弾丸を放ち、スライドがブローバックする。
その音に吸血鬼は反応したみたいだけど、慌てて立ち上がろうとする最中にがくんと体勢が崩れた。私の放った弾丸が、立ち上がる途中だった吸血鬼の膝に命中したらしく、見事に膝の骨を粉砕しちゃったみたい。
続けて、完全に倒れる前に今度は反対の足へと銀の弾丸をお見舞いする。こちらは太腿に命中し、同じく足の骨を粉砕。普通の人間ならば、もう立つことはできない。
「ギャアアアアアアッ!?」
「なっ、なんだ!?」
絶叫する吸血鬼と、驚愕する工場長。私は茂みの中で左手をキングアラクネの外殻で覆うと、指先からすぐに糸を生成して一気に伸ばし、その2人の身体に絡みつかせる。
キングアラクネが得意とする糸は触れたものを寸断してしまう鋭い糸なんだけど、私は間違って寸断してハムにしないように、普通の糸を生成した。これならば人体に絡みつかせてもバラバラにはならないし、いくら吸血鬼の筋力でも両足を撃ち抜かれた状態でこれから逃げるのは不可能だと思う。
茂みから飛び出した私は、糸で身体を拘束された2人が動けなくなっていることを確認すると、無線機のスイッチを入れた。
「こちらチャーリー1。目標の身柄を拘束した」
『了解。これより回収に向かう』
「き、貴様……………! 何者だ……………!?」
両足を撃ち抜かれて苦しむ吸血鬼が、私の顔を見上げながら問いかけてくる。
でも、私は答えなかった。仮にここで正体を明かしたら、この吸血鬼がもし逃走してしまった後に厄介なことになってしまう。
私はその吸血鬼の傷口が再生していないことを確認してから、PL-14を2人へと向け続けた。
その展望台からは、帝都サン・クヴァントが一望できる。
かつては観光客のほとんどはそこへと足を運んだものだが、21年前のレリエル・クロフォードとモリガンの激突の際に倒壊し、ホワイト・クロックと呼ばれる巨大な時計塔が復元されてからは閉鎖されたままになっている。
興味本位でこっそりと忍び込む者もいたが、好奇心に誘われて展望台へと戻ってきた者たちは1人も帰ってくることはなかった。
そう、そこには――――――――帝都の支配者がいるのだから。
展望台に用意された椅子に腰を下ろし、ティーカップに注がれた真っ赤な液体を見下ろしていた少女にも見える金髪の女性は、真っ白なドレスにも似た服に身を包みながら不快そうに帝都を見下ろしていた。ティーカップの中に注がれた鮮血の味が気に食わないというわけではない。今日中に明日の得物の報告へとやってくる同胞の1人が、いつまで経っても帰ってこないからである。
「……………アレクセイはまだ帰ってこないのかしら?」
「申し訳ありません、アリア様。部下たちに探させていますが……………」
「そう」
彼女の名は、『アリア・カーミラ・クロフォード』。かつてこの帝都でモリガンの傭兵たちと激戦を繰り広げたレリエル・クロフォードの眷属だった少女であり、レリエルの後継者となった吸血鬼の女性である。
彼女の目的はレリエルを殺した忌々しいハヤカワ家のキメラたちを根絶やしにし、メサイアの天秤を使ってレリエル・クロフォードを復活させること。そのために鍵を1つだけ手中に収め、残る2つの鍵を手にする彼らがここへと攻め込んでくる日を待っているのだ。
そしてこの帝都で、復讐を遂げる。
ティーカップの中に入っていた血を飲み干していると、展望台へともう1人の同胞が入ってきたのが分かった。正確に言うならば、その入ってきた人物は同胞というよりも、〝肉親”と言うべきだろうか。
「―――――――母上、私が探しに行きましょう」
「あら、ブラド」
後ろからやってきたのは、アリアにとって最愛の肉親であった。
年齢はまだ18歳。他の吸血鬼たちと比べるとまだまだ若く、レリエルの後継者になるにしては経験が浅すぎると危惧されているが、母であるアリアはこの少年こそが後継者に最もふさわしいと信じている。
前髪は母親と同じく金髪になっているが、それ以外は父と同じく黒髪だ。鮮血のように真っ赤な瞳は父親と同じく鋭く、彼と目を合わせていると、アリアは今は亡きレリエルのことを思い出してしまう。
そして口の中から覗いているのは、吸血鬼の象徴ともいえる鋭い牙である。
彼の名は『ブラド・ドラクル・クロフォード』。伝説の吸血鬼の血を受け継ぐ、若い吸血鬼だ。
「私にお任せを」
「大丈夫なの?」
「ええ」
ブラドはニヤリと笑いながら、母に向かって言った。
「帝都に入り込んだネズミも、ついでに排除して見せましょう」