ラウラの鎮圧
「社長、またです」
秘書を担当するハーフエルフのヘンシェルの報告を聞きながら、静かにティーカップを持ち上げる。最愛の妻が作ってくれたジャムを少しだけ入れた甘い紅茶を口に含みつつ、くるりと後ろを振り返って屈強なハーフエルフの部下を見上げる。
報告書を片手に持ちながら渋面を作る彼も、もう俺に向かってこの報告をすることにうんざりしているようだった。実際に俺もこの報告を聞くことにうんざりしている。だが、だからと言って部下を叱責するような真似はしない。ヘンシェルはよく仕事をしてくれているようだし、他の部下たちも同じだ。このモリガン・カンパニーの社員たちは皆、この国の貴族から捨てられた失業者や奴隷だった者たち。自分たちだって働くことで成果を残せるのだという事を見せてやる、という強い意志を動力源にして働いてくれている大切な同志たちである。だから俺は彼らを叱責するような真似はしたくないし、彼らの人権も尊重している。
おかげでこの国の平民や労働者からはよく支持してもらっている。逆に貴族などの身分の高い輩には敵が多く、頻繁に俺の失脚を狙ってちょっかいを出してくることが多いのだ。この一件も最初はその類かと思って対処していたが、さすがに1ヵ月も続くとうんざりしてしまうものである。
その問題は――――――――軍拡を進めるモリガン・カンパニーの前哨基地へと送り届けられるはずのAK-12の数が合わないという問題である。
モリガン・カンパニーでは様々な兵器や銃が採用されているが、基本的にはロシアをはじめとする東側の国の装備品が多くを占めている。特に一般的な歩兵に装備させるアサルトライフルは、使用する弾薬を7.62mm弾に変更したAK-12を全面的に採用しているため、各地にそれが輸送されているのだが―――――――ある前哨基地からの報告では、あらかじめ連絡されていた数よりも、実際に送られてきた銃の数が少ないらしいのだ。
調査の結果、社員に紛れ込んでいた工作員が横流ししようとしていたことが判明し、すぐにその工作員を拷問してクライアントを聞き出し、飼い犬と飼い主共々粛清して対処していた。しかしその後も同様のトラブルが連続で発生しているのである。
幸い流出したAK-12はすべて回収し、分析しようと試みていたと思われる技術者も消したし、書類もすべて焼き払った。第一この世界の技術では複製は不可能だろうから問題は小さくて済むかもしれないが、万が一のことも考えてこういった問題にはすぐに対処するべきだろう。
とはいえ、これの対処をしていた諜報部隊は殆どヴリシア帝国に潜伏している。諜報部隊が全員出払っているわけではないが、手元に残っている諜報部隊はまだ錬度が低いため、対処には時間がかかるだろう。
「おそらく、飼い主の後ろにもまだ黒幕がいるのかもしれません」
「うむ……………飼い主までは拷問していなかったな」
やれやれ。いつもならば呆れながらも対処しているところだが……………大事な作戦の準備をしている最中にこんなことをされては、さすがに腹が立つ。その1丁のAK-12に、いったいどれだけの同志たちが命を預けることになるのかと考えれば、その憤りも膨れ上がる。
「――――――――分かった、俺が調べてみよう」
「社長がですか?」
「ダメか?」
「いえ、しかし……………総大将が動くこともないでしょう。督戦隊を呼び出して対処させれば――――――――」
「ラウラもろともかね?」
督戦隊には、迂闊に俺が動けない場合の実働部隊として用意しておいたリディアがいる。もう既に数多の転生者を葬っている優秀な転生者ハンターの1人で、彼女にこの問題を任せれば明日のランチの時間には終わったという報告が届くには違いない。
それに今の彼女は、懲罰部隊の監視という任務もこなしている。正確に言うならばラウラの監視とサポートだ。転生者の元に赴き、葬るという任務を繰り返している彼女たちを呼び戻すという手も確かにあるかもしれない。
すでに国内の転生者は絶滅寸前。ラウラの転生者の討伐数は、確認戦果だけでももう既に全盛期の俺の戦果を追い抜いている。父親として、愛娘の実力を見てみるのも面白そうだ。
「同志、もう既に督戦隊からは『いつでも戻れる』という返事が返ってきております」
「ふん、相変わらず仕事の早い男だ」
「ありがとうございます、同志」
「――――――――いいだろう。督戦隊と懲罰部隊を呼び戻せ。工作員とクライアントを見つけ出し、全て聞き出してから粛清せよ」
「はい、同志」
右手で敬礼をしてから、報告書を持ったヘンシェルが踵を返して去っていく。
下手をしたら、この一件には数多くの貴族がかかわっているかもしれない。たった数人の兵士に持たせるだけで数多の騎士団を壊滅させることすら可能な力を持つ銃は、この世界の奴らから見れば喉から手が出るほど欲しい代物となる。
モリガンのリーダーとして世界中で戦っていた頃からそうだった。商人や貴族があのネイリンゲンの屋敷に押し掛け、あの手この手で銃を購入しようとする。時には実力行使に出た愚か者もいたが、彼らは銃の威力を身をもって知ることになった。
もしかしたら、この一件で多くの貴族が議会から消えることになるかもしれない。
なかなか好都合な話だ。奴らが何人も消えた暁には、俺の息のかかった労働者出身の議員を推薦して議会に送り出してやろう。そうすればこの国の政治も、少しは民主主義に近くなる。
「きっと大漁だな」
そう思いながら、俺は再び紅茶の入ったティーカップを拾い上げるのだった。
かつては王都に残された騎士団の旧本部が根城だったモリガン・カンパニーは、今ではオルトバルカ王国という大国だけでなく、世界中に支社や基地を持つ世界規模の超巨大企業へと成長した。世界中のあらゆる先進的な製品にはレンチとハンマーが交差している上で赤い星が輝いているマークが描かれているのは当たり前で、他の企業のほとんどはモリガン・カンパニーの後塵を拝している。
簡単に言うならば、モリガン・カンパニーという産業革命が産んだ巨人が独走している状態。他のどんな企業でも、瞬く間に置き去りにされてしまう。
だからこそ、人々は「実質的にこの国を支配しているのは、女王ではなくリキヤ・ハヤカワだ」と言う。もし私たちの父の機嫌を悪くさせれば、瞬く間にこの世界で普及しているあらゆる技術の供給を絶たれてしまう。だから彼には逆らえない。
けれどもまだ、パパにちょっかいを出すバカがいる。だからそれも〝懲罰”の一環として、そのバカを処分するようにと命令が下された。
乗り慣れたカサートカの兵員室の中で、マガジンの中の弾薬を確認する。数多の転生者を蜂の巣にしてきたPPK-12のベークライト製マガジンを装着した私は、カサートカが高度を下げ始めたことを悟ると、息を吐きながら兵員室のドアの近くへと移動した。
早く、仲間の所に戻りたい。あの子の所に戻って謝ってから、ぎゅっと抱きしめてあげたい。
あの子はあんなことをした私のことを嫌ってないかしら?
少し心配になりながら、私は兵員室のドアを開けた。
目の前に広がっているのは、オルトバルカ王国の東側に設立された前哨基地の一つだった。前哨基地とはいえ、鋼鉄の防壁でがっちりと防御され、更に城壁の上には大口径の対戦車砲がこれでもかというほど配置されているから、前哨基地と言うよりは「要塞」と呼ぶべきなのかもしれないわね。
実際にここは、社員や守備隊からは要塞と呼ばれているみたい。
やがてヘリが速度を落とし、地上の誘導灯と整備員の誘導を頼りにしてヘリポートへと降下し始めた。他にもいくつもヘリポートがあり、そちらの方ではモリガン・カンパニーで全面的に採用されているスーパーハインドが補給を受けているところだった。
カサートカが降り立ってから、私はヘリポートの上に降りた。予め「社長の娘が視察に来る」と知らされていたのか、すぐにこの前哨基地の責任者と思われる男が私の所に挨拶に来る。
「アグスト要塞へようこそ、同志ラウラ」
「お仕事お疲れ様。……………ところで、例のAK-12の数が合わないという件で話を聞きたいのだけど、いいかしら?」
「はい。実は、予定では400丁届く予定だったのですが、輸送部隊のコンテナに入っていたのはたったの300丁だったのです」
「その輸送部隊はどこに?」
「はい、こちらです」
「ああ、その前に輸送部隊の全員の顔写真と個人情報を用意してもらえるかしら?」
「かしこまりました」
この要塞に届いた段階で数が足りなかったのだとしたら、横流しされたと考えられるのは輸送の最中。そしてそれを実行に移したと言えるのは、輸送部隊の中の誰か。
何度もこんな事例があったみたいだけど、その際の犯人は前哨基地の司令官だったみたいなのよね。その前は会計担当。まだ輸送部隊が犯人と決まったわけじゃないけど、他の人たちも疑った方がいいかもしれない。
中年の指揮官の後に続き、私も前哨基地のテントの中へと進む。そして渡された紅茶を飲みながら、指揮官が部下に個人情報と顔写真が入ったファイルを準備させるのをずっと見守っていた。
それにしても、タクヤが淹れてくれる紅茶の方がずっと美味しいわね。あっちの方が適度な苦みもあるし、香りも強い。これはちょっと味が薄いわ。
「お待たせいたしました。こちらです、同志」
「ありがとう」
輸送任務に従事したのは3名。全員まだ入社してから3ヵ月程度しか経過していない新人ばかりで、履歴書に記載されていた個人情報によると全員以前に働いていた工場を退職しているみたい。その工場を運営していたのは……………貴族みたいね。
もしかしたら、彼らはまだその貴族とつながっていた可能性もあるわ。もしくは、その貴族に命令されて退職したのを装って、こちらの武器を横流ししたのかも。
さて、そろそろ彼らに実際に会って話を聞いてみようかしら。
銃の数が足りないことが判明したのは3日前だけど、念のため輸送部隊を含めて銃の輸送に従事した人員はこの要塞に留まるようにパパから命令が届いている筈だわ。だから輸送部隊はまだ、この要塞にいる。
「では、そろそろその輸送部隊のメンバーに会いたいのだけれど……………」
「ええ、彼らはこちらに――――――――」
指揮官が、私をその輸送部隊の隊員たちに元へと連れて行こうとした次の瞬間だった。
「指令、大変です!」
「何事だ!?」
慌ただしく走ってきた若い警備兵が、指揮官たちのテントの中へと飛び込んできた。真っ黒な制服と黒いウシャンカを身に着けた若いエルフの警備兵は慌てて敬礼すると、呼吸を整えるよりも先に報告を始める。
これほど慌ててやってきたのだから、きっといい報告ではない。彼の表情から瞬時にそう理解した私は、反射的に腰に下げているPPK-12の安全装置を解除していた。
「輸送部隊の奴らが、装甲車を奪って逃走しました!」
「馬鹿者、なぜ逃がした!?」
「奪われた装甲車はどっちに?」
こんな時に部下の失敗を責めている場合ではない。この企業はこの世界に存在しない兵器を扱っているのだから、そんな叱責で時間を無駄にするよりも、一刻も早く技術の漏洩を防ぐ手段を講じる必要がある。
だから指揮官は実戦を経験した猛者の方が向いている。少なくとも戦場で敵兵を相手にしてきたような猛者ではなく、デスクワークで書類を相手にしてきたような指揮官には上に立ってほしくはない。
私に尋ねられた若い警備兵は、西側の方にある門を指差した。
「西側のゲートです! 奪われたのはBTR-94!」
「ありがとう」
BTR-94という名前を聞いた瞬間、私はすぐにそれがどのような装甲車なのか、形状を思い浮かべていた。テンプル騎士団でも採用されているBTR-90と形状は似通っているけれど、こちらの方が車体に搭載されている砲塔は大型で、そこには2門の機関砲が搭載されていた筈。私の外殻ではあの機関砲を防ぐのは自殺行為だけど、もう既に走り出しているのならば狙撃ポイントを探している場合ではない。一刻も早く追いつき、無力化して彼らを引きずり出さなければ。
背中に背負っていたKSVKを取り出し、こちらも射撃準備をする。テントの支柱に長い銃身が当たらないようにしながら走り出そうとしたけれど、私が1人でその装甲車を止めようとしていることを察したのか、指揮官が慌てて私を止める。
「危険です! 相手は装甲車なのですよ、同志!?」
「大丈夫よ、私1人で」
確かに攻撃を喰らえばいくらキメラでも木っ端微塵にされちゃうけど、それは攻撃を全部躱すか、築かれない位置から仕留めればいいだけの話だから。
私は指揮官に向かって微笑んだ。
「それに、彼らを疑う手間が省けたじゃない」
アグスト要塞の守備隊は、まだ輸送部隊のメンバーが逃げ出したという事に気付いていない。それが騒ぎになっているのは指揮官のテントの中だけの話で、要塞の格納庫の中で眠る無数の戦車や装甲車は、黙って整備兵たちから整備を受けている。
その目の前を堂々と横切っていった装甲車の中に銃を横流しした犯人たちさえ乗っていなければ、平穏な夜と変わらなかっただろう。
「ほら、急げ!」
「分かってるって!」
いくらもう既にゲートに向かって走り出したとはいえ、ゲートの外に出たとしても城壁の上の対戦車砲に狙われれば木っ端微塵だ。いくら対戦車ミサイルや自走砲が発達して廃れた兵器とはいえ、あのように城壁の上に固定して要塞砲として運用するならば有効な兵器と言える。
装甲車とはいえ、防げるのはそれなりに口径の大きい機銃まで。装甲を追加すれば話は別だが、大口径の機関砲を喰らえば致命傷になる可能性があるのだから、旧式の物とは言え戦車を破壊するために開発された大口径の対戦車砲を叩き込まれば、どのような運命を辿るのかは想像に難くない。
それゆえに一刻も早くゲートを突破し、追っ手を振り切って合流ポイントへと向かい、後方の兵員室の中に満載してある異世界の兵器をクライアントに届けなければならない。
ついでにこの装甲車まで持ち帰れば、報酬の上乗せも期待できる。貴族からの報酬の金額を楽しみにしつつ、キューポラから外の様子を確認しようとしたその時だった。
いつの間にか――――――――キューポラのすぐ目の前に、〝足”が見えた。
(……………?)
ただの足だ。すらりとしたそれは真っ黒なニーソに包まれており、真っ黒なブーツを履いている。
キューポラのすぐ外に見えるわけだから、その足は装甲車の車体の上に乗っているという事だ。見間違えではないのかと思った車長が目を擦ってから再びキューポラから外を覗き込もうとした次の瞬間、頭上からがごん、とハッチが開く音が聞こえてきたかと思うと、微かに甘い香りを纏ったオルトバルカの冷たい風が、車内へと流れ込んできたのである。
恐る恐る顔を上げると――――――――砲塔の上に、赤毛の少女が立っていた。
年齢は17歳か18歳ほどだろうか。それ以上の年齢にも見える大人びた雰囲気と、この冷たい風よりもはるかに冷たそうな印象を身に纏った胸の大きな少女が、真っ黒なフードのついた漆黒の制服に身を包み、彼を見下ろしながらスコープを取り外した対物ライフルの銃口を向けていたのである。
炎か鮮血を思わせる瞳の色とは裏腹に、氷のように冷たい少女の瞳。虚ろな目つきにも見えるそれに恐怖を覚えた次の瞬間、右肩に押し付けられたアンチマテリアルライフルの銃口が轟音を発し――――――――車長の右肩から先を、しっかりともぎ取っていた。
「ぎゃああああああああああああっ!?」
易々と彼の肩を貫いた弾丸は後方にあったコンソールや機器を貫通し、ちょっとした電流を生じさせる。
少女はそのまま右肩から先を失った車長の顔面を蹴り飛ばして気絶させ、狭い車内へと入り込むと、運転席で装甲車を走らせる操縦士と、大きな砲塔の中で慌てふためいていた砲手の2人に、ナイフを思わせる銃剣が取り付けられたCz75SP-01の銃口を向けていた。
「動くな」
「お、女の子……………?」
「ただちに装甲車を停止させて投降しなさい」
「な、何だと…………!?」
自分たちよりも年下の少女にそう言われたことに腹が立ったのか、砲手が懐からハンドガンを引き抜こうとする。しかしラウラは彼が反撃しようとしたことに素早く反応すると、懐へと伸ばした砲手の手の甲へと、ハンドガンの銃剣を突き立てていた。
「う、うわ…………ああああああああああああああああああッ!? て、手がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
「私ね、友達のおかげでお料理が得意になったの」
「な、なに……………?」
砲手の手の甲から銃剣を引き抜き、冷たい目つきのまま微笑むラウラ。
クソ野郎を殺すのが、テンプル騎士団の理念。あの時はそれに背いてしまったからこそ、彼女は罰を受けることになった。
それゆえに今度は、殺す相手は間違えない。ただ、まだ殺さない。何とかして生け捕りにして情報を聞き出さなければならない。
だから彼女は、冷たい声で言った。生け捕りで済ませるという希望を全く与えず、本当に彼らを殺しかねないという可能性を孕むほど冷たい声で、逃走した男たちに告げる。
「――――――――前からハンバーグを作ってみたいと思ってたんだけど、もしよかったら協力してくれないかな?」
もしこのまま彼女のいう事に背けば、本当に殺されるかもしれない。あの銃剣で身体中の肉をズタズタにされ、ハンバーグにされる前の挽肉の塊と見分けがつかないほど無残に殺されてしまうかもしれない。
その恐怖が―――――――操縦士の男に、ブレーキを踏んで投降するという選択肢を選ばせていた。