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キングアラクネのキメラ


 血生臭いあの臭いは、よく覚えている。数秒前まで彼女は、その臭いの真っ只中にいた筈だ。


 なのに、目の前に広がっているのは見覚えのある光景だった。いつも目を覚ませば決まって目にする、自室の落ち着いた天井。そこからぶら下がる小さなシャンデリア。顔を左右へと動かしてみると、まるで彼女の寝顔を見守るかのようにお手製の人形たちが彼女の事を見つめている。


 いつも目を覚ませば広がっている光景。常人から見れば狭すぎるかもしれないが、これが身体の弱い彼女の世界の面積だ。立ち歩くことはできるが、長続きはしない。まともに歩く事ができないというだけで、その個人の世界は著しく狭くなる。人類からすれば地球儀に描かれた領域が〝世界”の定義かもしれないが、彼女からすればこの部屋の外は〝世界の外”だ。


 そして彼女は、その世界の外に出た。いつも彼女を包み込む部屋を出て、街の中のショッピングモールに買い物に行き…………そこで、怖い思いをした。


「…………!」


 振り下ろされる剣。怒鳴る男たち。怯える人質たち。


 死にかけた瞬間の光景がフラッシュバックし、ノエルは慌てて両手で頭を押さえた。今までベッドの上で人形たちと過ごし、家族以外の他人に会う事は殆どないような状態で育ってきたのだ。彼女にとっては他人ですら恐ろしいというのに、その他人の中でもひときわ恐ろしい人間に殺されそうになったのである。


「ノエル」


「あ…………パパ…………?」

 

 ぶるぶると震える彼女に最初に声をかけたのは、ベッドの近くに腰を下ろしていたメガネをかけた男性だった。震えるのを止め、信也の方をじっと見つめ始めたノエルを見て安心したのか、彼女の父親はにっこりと微笑むと、ノエルの頭を撫でてから椅子をベッドの近くに引き寄せる。


「大丈夫かい?」


「う、うん」


「よかった」


「ね、ねえ、パパ」


「ん?」


 自分の部屋の中にいて、すぐ傍らには父親もいる。だから今のノエルは安心していたが、あのショッピングモールでの出来事はどうなったのだろうか。


 いきなり傭兵の男たちが入り込んできて、ワンピースの試着をしようとしていたノエルを連れ去って人質にし、広場でノエルを殺すと宣言した彼らに、ノエルは殺されかけた。彼女はそこまではっきり覚えている。


 しかし、信じがたい事なのだが、小さな無数の喋る蜘蛛を見た直後から全く覚えていないのである。それに、その小さな喋る蜘蛛を本当に目にしていたのかもわからない。もしかしたら極限状態の只中に目にした幻覚かもしれないし、その声も幻聴かもしれない。


 〝殺さなければ殺される”という事を理解した直後から、何も覚えていないのである。例えるならば、物語のクライマックスだけ抜け落ちている状態だ。だからノエルは、その事件の結末(クライマックス)がどうなったのかを聞くことにした。


「あの人たち、どうなったの?」


「え?」


「ノエルに酷いことした、あのおじさんたち」


「あ、ああ…………あの人たちは…………」


 本当の事を言うべきだろうか。


 娘に見上げられながらそんな質問をされ、シンヤは悩んでいた。ただでさえ気の弱い娘に「お前があの人たちを殺した」と告げるべきなのだろうか。告げれば十中八九ノエルは錯乱するか、大きなショックを受けてしまうに違いない。


 告げない方が良い。その結末を黙っておこうと思いかけていたシンヤだが、部屋の中を訪れていたもう1人の男が、彼の答えを遮った。


「――――――――俺が説明する」


「兄さん…………」


「あれ? リキヤおじさん…………?」


 シンヤの後ろにあった椅子に腰を下ろしていたのは、シンヤよりも体格のいい赤毛の男だった。お気に入りのシルクハットをかぶったまま、護身用に持ち歩いているボウイナイフを弄っていたリキヤは、剃ったばかりだというのにまた生え始めた真っ赤な顎鬚を指で弄りながら立ち上がると、シンヤの隣に立つ。


 元々シンヤよりもリキヤの方が体格ががっちりしているからなのか、転生の影響で同い年になったとはいえ、リキヤの方がより大柄に見える。自分の父が予想よりも小さく見えることにびっくりしているノエルを見下ろしながら、リキヤは告げた。


「ノエル、あの人たちはね…………君がやっつけたんだ」


「私が…………?」


「兄さん、よすんだ。ノエルはまだ―――――――」


「14歳だろう? 同い年のカノンは、タクヤたちと一緒に戦ってるんだぞ?」


 止めようとするシンヤに向かって、リキヤはそう言った。家もそれなりに近く同い年のカノンは、幼少の頃から両親によって訓練され、現在ではタクヤの率いるテンプル騎士団の1人として活躍している。


 しかし、それは生まれつきカノンが元気だったからだ。彼女の種族は人間だが、父であるギュンター・ドルレアンはハーフエルフである。人類の中でもトップクラスの屈強さを持つハーフエルフの血が混じっているのだから、身体が頑丈になるのは当たり前だ。


「それにな、この子はもう病弱じゃない。…………ノエル」


「な、なに?」


「ちょっと、ベッドから出て立ってみなさい」


「え?」


 今まで、ベッドから出るのはシャワーを浴びる時かトイレに向かう時だけだった。必要な物はベッドの上からでも手に取れるような位置に置いてあるため、ベッドから出て歩くのはそういう場合だけだったのである。


 戸惑ったが、リキヤに「大丈夫だ」と微笑みながら励まされたノエルは、シンヤの顔を見つめてからそっとベッドから足を出し、スリッパを履いてから立ち上がった。


 いつもなら、立ち上がった瞬間に両足が重く感じる。まるで両足のあらゆる場所に金属の重りを取り付けられているかのような感覚がしてしまう筈なのだ。ショッピングモールではしゃぎながら走る事ができたのは、普段では信じられない。


 しかし――――――――立ち上がった瞬間、ノエルは目を見開いた。


 いつもと感触が違うのである。あの両足にまとわりつく重い感覚は全くせず、まるでまだベッドで横になったままなのではないかと思ってしまうほど両足が軽いのだ。


「な、何これ…………? あ、足が………軽い…………?」


 試しに軽くジャンプしてみる。普段は足が重いため、ジャンプしようとすら思えないのだが、今ならば窓の外でいつも遊んでいる子供たちのように飛び回り、走り回る事ができるような気がする。


「すごい…………パパ、見て見て! 私ジャンプできるよ!」


「…………兄さん、やっぱり、ノエルは…………」


「ああ……………素晴らしい、彼女は覚醒したんだ」


 いつもはやろうと思えなかったジャンプを繰り返す少女の手を握ると、リキヤはきょとんとするノエルの顔を見下ろした。


 遺伝子は全く違うし、自分という原点から派生した存在でもない。けれど、〝同胞”が増えたことは喜ばしい。もう既に人間ではなくなってから21年が経過する彼は、まるで久しぶりに自分の事を訪れてくれた親友を出迎えるかのように微笑んだ。


「おめでとう、ノエル。君はキメラになったんだ」


「キメラ……………?」


「ああ、そうだ。身体の中に魔物の遺伝子を持つ、新しい種族だよ。おじさんとおなじさ」


「私、キメラになったの?」


「そうだ。キメラは身体能力が高いから、身体をすごく動かせるんだよ。君はあの時、殺される寸前にキメラとして覚醒した。そして、あの悪者をみんなやっつけたんだ」


「あの人たち、私がやっつけたの?」


「ああ。君がみんなを守ったんだ、ノエル。君はヒーローだ」


 頭を撫でられたノエルは、笑いながら耳をぴくぴくと動かす。もう既に彼女の種族はハーフエルフからキメラになっているが、あくまでハーフエルフがベースになっているため、覚醒前の特徴がそのまま残っているのだ。


 それを見ていたシンヤは、少しだけ安心した。まだ、自分の知っているノエルが残っている。彼女の中に潜んでいた怪物が目を覚ましてしまっても、まだ彼女ノエルは可愛い愛娘ノエルのままだった。すっかり怪物になったわけではないらしい。


「よし、ママに自慢してきなさい。おじさんはお父さんとお話があるから」


「はーいっ! パパ、ママの所に行ってくるねっ♪」


「あ、ああ。転ぶなよ」


 耳を動かしながら走っていくノエルを見送ったシンヤは、息を吐いてからリキヤを見つめる。

 

 彼がこれからする話の内容が、予想できる。おそらくリキヤはノエルに戦い方を教え、冒険者に育てろと言い出すに違いない。シンヤやリキヤが若い頃は傭兵と冒険者がこの世界で重要な職業とされてきたが、近年は魔物が街を襲撃する件数も減り、本格的なダンジョンの調査に国家予算を割く余裕も出てきたため、冒険者がこの世界で最も重要な役割となっている。


 ノエルを冒険者に育てれば、両親の元からすぐに巣立ってしまう。今まで家に帰れば娘が待っていてくれたシンヤからすれば、それは寂しい事だ。それに娘を危険にさらすことになる。


 だが、それがベストなのかもしれない。自分たちが「娘のために」と思って彼女をこの部屋の中で保護していても、もう既に彼女の興味と好奇心は部屋から溢れ出し、外の世界へと手を伸ばしている。このまま部屋の中で彼女を育てても、彼女はそのまま壊死してしまうだけだ。


 子供を大切にすることは良い事だ。だが、過保護は子供の持つ力を発揮する機会を奪ってしまう。何もできないまま育ち、老い、死ぬ。過保護に育てられた子は、この世界ではそういう運命を辿る。


 危険なダンジョンに巣立たせるのと、そうして壊死させるのは果たしてどちらが残酷なのか。子供の事を考えるならば〝途中式”は不要だ。すぐにイコールの右側に答えを書き込まなければならない。


「シンヤ」


「分かってるよ。あの子に、戦闘訓練を」


「ああ。そして基礎を教えたら……………タクヤたちに預けろ」


「……………正気かい? タクヤ君たちは、まさに最前線にいるんだよ?」


 訓練を終えたばかりの新兵を、いきなり紛争地帯の真っ只中に放り込むようなものだ。実戦を経験したことのない新兵では、ベテランと違って作戦を立てることもできないし、臨機応変に動く事もできない。教わった訓練という形式パターンを飛び出し、自分なりの戦い方を確立する。それが新兵がベテランになる条件だ。彼女にはまだ、自分なりの戦い方を確立できる力がない。


「キメラの育成には、キメラが適任だ。それにあいつらと一緒の方が、ノエルも落ち着くさ」


「……………そうだね」


 ベッドの傍らに飾られている白黒の写真を見下ろしながら、シンヤは息を吐いた。ノエルのベッドの傍らには、シンヤとミラと幼少期のノエルが写った写真が飾られている。


 少しずつ、家族が変わっていく。


 昔に失った右腕を無意識のうちに抑えたシンヤは、苦笑いしながらリキヤを見つめた。


「……………幻肢痛ファントムペインか?」


「……………たまに痛むんだ。僕のはすぐに収まるけど」


「そうか。……………俺もまれに、足が痛む」


 機械の義手ではなく、魔物の素材を使った義手だ。だから血管もあるし、神経もある。ナイフが刺されば痛みも感じるし、スープを零せば熱さも感じる。元々の腕と変わらない感覚がするのに、唐突に感じる激痛がその腕が発するものではないというのはなんとなくわかるのだ。


 その痛みは、かつてそこにあった手足の痛み。義手という偽りの腕に、居場所を奪われた亡霊の叫びだった。


「これでキメラは4人だね」


「そうかな? すぐに〝5人目”が出来上がりそうな気がするが」


 にやりと笑いながら、リキヤは幻肢痛ファントムペインの苦痛を乗り越えたばかりのシンヤを見つめた。


 シンヤの義手は、キングアラクネの義手。転生者には魔物の血液による変異を食い止めるための免疫がない。そしてノエルは魔物の遺伝子の影響でキメラとして覚醒した。


 ここにいる実の弟も、条件は満たしているのである。












 木々の上を飛び回りながら、木の発する自然の匂いを思い切り吸い込む。部屋の匂いや本の匂いとは全然違う、自然が生み出した木々の匂い。あの部屋の中では味わうことのできない匂いを楽しみながら、飛び回る方向を変えて相手の背後を取ろうとする。


 左手で目深にかぶったフードを押さえつつ、右手でポケットの中から取り出したジャックナイフを展開する。木々の匂いに紛れているのは、ごくわずかな金属の匂い。今まで何度も得物を両断してきた、血の染み付いた刃物の臭いだ。


 その臭いが目印だった。ターゲットがどこにいるのか、その殺してきた形跡が教えてくれるのだから。


 大きな木の枝を踏みつけ、木の幹を蹴って飛翔する。そのままちらりと真下を見てみると、そこに標的が佇んでいた。


 真っ黒なスーツに身を包み、同じく真っ黒なシルクハットをかぶった紳士。腰には刀の鞘を下げていて、左手をもう鞘に沿えている。


 標的を発見した瞬間、私は両足の力を抜いた。その代わりに右手に力を込めたまま落下しつつ、頭の中で水をイメージする。


 水の中に落ちたペンキが、水を血のように少しずつ紅く染めていくイメージ。そのイメージが組み上がっていく度に、私の右手の皮膚に複雑な模様が浮かび上がり、まるでジョウロウグモのような外殻が形成されていく。


「!」


 標的が、私の奇襲に気付いた。シルクハットをかぶったままこちらを見上げ、いつでも居合斬りをする準備をする。


 ジャックナイフを握る右手を振り払い、ナイフを投擲する。その標的はナイフを睨みつけたまま硬直しているかに見えたけれど、次の瞬間、まるで金属が弾かれるような音と共に、私の放り投げたジャックナイフが弾かれていた。


 やっぱり、あの居合斬りは速い……………! 刀を抜いたのが見えなかった!


 でも―――――――それだけじゃないんだよ、私の攻撃は。


 指を少しだけ動かすと、弾かれて飛んでいくはずだった私のジャックナイフがぴくりと動いた。そのまま磁石に引き寄せられるかのように空中でUターンすると、先ほどナイフを弾いた標的に、今度は別の角度から襲い掛かっていく!


 ナイフのグリップに、指先から伸ばした糸を付けておいたの。だからナイフを投擲した後も変幻自在に操る事ができるの。


 接近してくる私を狙っていた標的は、その戻ってきたナイフへの対応が少しだけ遅れてしまったみたい。慌てて身体を逸らしてナイフを回避するけど、改めて刀を引き抜くために手を戻したころには、もう既に外殻で右腕を硬化させた私が、その標的の目の前まで迫っていた。


 そして、外殻で覆った右腕を思い切り突き出し――――――――顔面に命中する寸前で、ぴたりと止める。


 そのまま突き出したら、彼女の顔面を砕いちゃうからね。それに、この模擬戦は引き分けみたい。


 ちらりと下を見てみると、いつの間にか引き抜かれていた白銀の刀身が、私のお腹に突き付けられていた。もしこれが実戦だったら、私は彼女の顔面を砕く事と引き換えにお腹を貫かれて戦死していたでしょうね。


「ふう……………ありがとね、リディアちゃん」


「……………♪」


 訓練に付き合ってくれたリディアちゃんにお礼を言うと、2人で握手する。リディアちゃんは私よりも年上のお姉さんで、リキヤおじさんから訓練を受けた〝転生者ハンター”の1人なの。無口で全然喋らない人なんだけど、最近はよく一緒に買い物に行くこともあるんだ。


 パパやリキヤおじさんに訓練を受けてからそろそろ1週間くらい経過するのかな。前まではベッドの上で生活するのが当たり前だったのに、今ではもう木の上を飛び回ったり、全力疾走で列車を追い越す事ができるようになったの。


 こんな事ができるようになったのは、キメラになったおかげ。


 私はお兄ちゃんやお姉ちゃんみたいなサラマンダーのキメラじゃなくて、キングアラクネのキメラ。だからお兄ちゃんたちと比べると外殻の防御力は落ちるけど、自由に糸を出して獲物を絡めとったり、バラバラにする事ができる能力を身に着けてるみたい。


「2人とも、お疲れ様」


「あ、パパ!」


「あはははっ。ノエルも強くなったね」


「でも、リディアちゃんには勝てないよぉ。リディアちゃんの刀、速過ぎるもん」


「……………」


 恥ずかしいのか、リディアちゃんが顔を赤くしている。彼女は全然喋らないんだけど、とっても感情豊かなの。恥ずかしがり屋さんなんだね。


「さて、ノエル。十分強くなったし、そろそろタクヤくんたちの所に行ってみるかい?」


「うんっ!」


 えへへっ。お兄ちゃんたち、ノエルが合流したらびっくりするかな?


 よしっ、今のうちにいっぱいお人形さんを作ってあげようっ♪ そして、みんなにプレゼントしちゃうんだから♪


 待っててね、お兄ちゃん―――――――。



 番外編 完


 第十章に続く





 

エミリア=超弩級戦艦

エリス=超弩級戦艦

カレン=巡洋戦艦

ミラ=軽巡洋艦(15歳)→巡洋戦艦(18歳)

ラウラ=超弩級戦艦

ナタリア=重巡洋艦

カノン=軽巡洋艦

ノエル=駆逐艦

ステラ=駆逐艦or魚雷艇

クラン=巡洋戦艦

リディア=軽巡洋艦


ハヤカワ家系列がすごいwww


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