第5話:神話
アフリカ文学では「ムロイ」はたいてい「魔女」と訳されています。ハイエナの背に乗って魔術を使い、人の死肉を喰らうそうです。怖いです。
でもこの第5話で書いたムロイ像や、神話の部分は作者によるでっち上げです。適当です。すいません。
荒々しい獣の息づかいが村中に渦巻いた。
気配を察するに、群れの大半がハイエナで占められているのは疑いようもないが、私が扉の覗き穴から窺うかぎり、数頭のリカオンや、マーゲイ、オセロット、それにライオンなども混じっているようだった。
まるでこの山や草原一帯の、獲物を狩るあらゆる動物達が、縄張りを越え、この村に会しているような光景だった。
目の前を走り抜けるハイエナの一匹が突然こちらに向きを変え、私の鼻先に飛び掛かってきた。
とっさに首をのけ反らせて後ろに肘をつくと、茶色く濁った牙の並ぶ獰猛な顎が、眼前の木板の穴からにゅっと生えてきた。
それを見て初めてミビは異常な事態に気がついたらしかった。
「ヒッ」と息をのみ、崩れ落ちるようにその場にへたり込んでしまった。
私は手近にあった、ゆでたタロイモをつぶす木の棒をその顎に咬ませ、力任せに外へ押し出すと、うまい具合に顎は覗き穴の向こうに消えた。
すぐさま震えるミビの元へかけより肩をさすってやっていると、木の壁を隔てたすぐ傍から、聞き慣れた低い声が響いてきた。
一族の者どもよ・・・・・・・
そして俺達を束ねる一族の長オガよ・・・・・・・
モグウルの言葉は獣達の息遣いと交じり合いながら、地面を這って足元から迫って来るように私の体に届いた。
俺はお前達がこの獣の群れを恐れ、家々の奥に潜み、俺の前にその身を晒さないのを嘲りはしない・・・・・・・
俺は、恐れおののくお前達の姿を笑いはしない・・・・・・・
だが、そのままでいい・・・・・・・
俺の言葉を聴いてほしい・・・・・・・
獣の中に居るであろうモグウルは、今や私にとって恐れに満ちた存在だったが、その声にはこれまでの付き合いでただの一度も聞き覚えの無い、悲しみの色が滲んでいるように感じられた。
これより、俺達を苦しめ続けたむごいしきたりは、もはややらずともよい・・・・・・・・
つがいを得る女は、股の奥にある蕾を切り取られなくともよいのだ・・・・・・・・
ムロイがこの先、再びそれを望むことは無い・・・・・・・・
私は耳を疑った。
今、モグウルは確かに「ムロイ」と言ったのか・・・・・・。
私はモグウルの言葉、獣達の荒い息遣いの向こうにあるであろう、もう一つ特別な気配を汲むべく耳をそばだてた。
その気配は、探れば探るほどに遠のいて行き、かと言って、中途で引き返せばその分、等しい距離を保って手前に近づいてきた。
音の出所は一向に掴めないのだが、周囲のものとはかけ離れたある特別なリズムが、一定の広いエリアの中で強く弾んでいた。
これこそ、私達一族の父祖達が畏れてやまなかった魔女の声なのか・・・・・・・・
一族に伝わる、ある言い伝えがあった。
この地に降り立った、私達の最初の二人の父祖は兄弟の形をしていた。
兄は人の女と交わり、男の子を宿し、弟はハイエナの女と交わり、ムロイを宿した。
あるとき兄は、弟の子であるムロイの醜さを笑ったために、怒り狂う弟に喉をむしられてしまった。
そのため兄は、自分の子にすべての言葉を教え、育てることができなかったが、ムロイは弟の完全な喉からすべての言葉を注ぎ込まれ、育てられた。
それ以来、兄の子の子孫である人は、不完全な言葉を操るよりも、肌のふれあいによって互いを理解しあうようになり、弟の子であるムロイは、その完全な言葉を用いて人を惑わし、獣を操るという。
「モグウル!お前、何を言っている・・・・・・・・・・!」
私は思わず叫んでいた。・・・と言っても、私の声は家の壁に吸い込まれ、恐らく他の家に偲んでいる者たちには聞こえていなかっただろう。
しかしモグウルには十分届いたようだった。
ヴォルンか・・・・・・・
これでお前の思いは遂げられたろう・・・・・・・・
もうミビの泣き顔を見ずにすむ・・・・・・・・
「そうではない!俺はそんな事をいっているのではない!」
そんな事、とは・・・・・・・・?
俺はお前との約束を果たしたのだ・・・・・・・・・
なのにその言い草は何だ・・・・・・・・・
あのお前のミビへの思いは偽りだったと言うのか・・・・・・・・
「いや、そうではない。すまないモグウル。ミビへの思いは偽りではない。その事ではなく、お前の言う、『ムロイが望まぬ』とはどういう事なのかと訊いている・・・・・・!」
私の問いかけに対し、しばらくモグウルは無言のままだった。
この時私は、先ほどから辺りを覆っていたあの特殊なリズムが、徐々に薄れつつある事を感じていた。
そして気づかぬうちに、私の肩の力は取れ、緊張していた胸が、いつの間にか緩やかな呼吸を取り戻し始めているのを感じた。
「モグウル・・・・・・・・・」
私は長年の友の名を呼んだ。
私の中から、獣の群れに囲まれているという恐れの心が消え失せ、不思議と穏やかな気持ちが満たされてきた。
私は立ち上がり、外に出てモグウルの姿をこの目で確かめようと、扉に手をかけた。
ヴォルンよ・・・・・・・・・
そのとき不意にモグウルが言葉を発した。
俺は良い友を持った・・・・・・・・・
これからも俺とお前は良い友であり続けるだろう・・・・・・・・・
モグウルの声が一拍置かれると、私の背後でミビが一瞬身じろぎし、そしてまたモグウルの声が聞こえた。
ミビよ・・・・・・・・・
お前のトーテムは良い男を夫に選んだ・・・・・・・・・・
ヴォルンは妻を、他の男のように、決して女を召使いのようにはしない男だ・・・・・・
お前はヴォルンの元にいれば必ず幸せになれるだろう・・・・・・・・・
ヴォルンよ・・・・・・・・・・
俺はお前の友であり、兄となるわけだが・・・・・・・・
モグウルは、まるで、厚い木の扉一枚隔てた私の姿が見えてでもいるかのようにこう言った。
お前は今の私の姿を・・・・・知らずともよい・・・・・・・・・・
お前の中の私は、昨日までの私の姿でいさせてくれ・・・・・・・・・・
ムロイに差し出した私の姿など、記憶に留めぬうちに・・・・・・・・・・
そう言うが早いが、突如いっせいに獣達がうなり声を上げて地面を揺らし始めた。
その振動は立っていられない程のもので、私は思わず壁に手をかけ、体を支えるのが精一杯だった。
シュシュシュシュッ、シュシュッ、シュッ、と草の擦れる音が四方八方から聞こえ、やがて村の中から獣の息遣いが失われてゆくのを感じた。
揺れが少し弱まり、ようやくかろうじて2本足で立てる頃になって、私は気がつき、慌てて家を跳びだした。
そしてぐるりと周囲の暗闇を見回したが、もはや小さくなった数頭の獣の尾を見ることしかできなかった。
無数の獣の足音が生み出す轟音が、山肌を伝って暗闇の夜空に木霊する。
それはまるで、夜の森が、新たなムロイのつがいの誕生に喜びを隠し切れず、快哉を挙げているかのように感じられた。