第4話:ハイエナ
空を、コウモリと鴉の支配する時間が訪れた。
夕闇がおし迫る中、急ぎ、村を目指していると、ハシバミの木立に入る手前で、ちょうど木の実を採って戻ってきた女達と鉢合わせをした。
その中にミビも居、目が合うと、不安そうな顔を私に向けた。
私が仕留めたイタチを掲げてみせると、ミビの顔はようやくほころび、女達の間にも安堵の空気が流れた。
「あんた!」
と言って、女達の先頭にいたイザが私の胸を叩いた。
「花嫁をこんなに待たせて!イタチも獲れない男になんかミビをやれないねって、さっき皆で言い合ってたんだよ!」
イザは怒ってから、ニヤッと笑顔をつくり、大きな3枚の前歯を見せ、アッアッアッ、と豪快に笑った。
私はイザのような女がたいへん苦手なので、曖昧に笑って取り繕うしかなかった。
その隙をつくように、歯を虫に食われ、口の中を真っ黒にしたオブラが、私の手からイタチを奪うと、
「いい毛並みだね。これなら私でもいい頭巾が作れるよ」
と言い、勝手にみんなの手にまわし始めた。
手に取るたびに皆がしきりに褒めるので、私も徐々に悪い気はしなくなってきていたのだが、そのうち、長く垂れた乳を肩にかけ、背負った子供にしゃぶらせていたクナムが、
「おや、イタチにしちゃ、これまた随分長いしっぽだね。あんたの夫と、どっちが長いだろうねえ」
とミビをからかうのには辟易した。
当のミビは、恥ずかしそうに笑い、両手で顔を隠してはいたが。
ひとしきり皆の手に渡り、土や手垢にまみれて茶色味がかったイタチが私の元へ返ってくると、イザが、
「あんた、幸せにしてやんなきゃ駄目だよ!ミビはいい女だよ、あんたにはもったいないぐらいのね!・・・・・・まぁ、もっとも、この中で一番いい女はあたしだけどね!!」
と言い、また、アッアッアッアッ、と前歯の裏が見えるほど大きく口を開けて笑った。
私はそこから目を逸らし、ミビの顔を見つけて微笑んだ。
するとミビもにっこりと返してくれた。
オブラが、
「この男、女の前だと、いつもこう無口だよ」
と言い、首を振ったが、きっと私の耳には届いていないのだ。
村へ戻ると、ミビはその日からさっそく頭巾づくりに取り組んだ。
まず腹を裂き、内臓を取りだす。
これはピラニアやティラピアを釣るいい餌になる。
頭を落とし、皮を肉と丁寧に分けて水洗いをする。
それからハンゴウソウの茎をすり潰して皮の内側にすり込み、陰干しする。
ハンゴウソウは血と肉の生臭いニオイを消し去ってくれるのだ。
2日ほどたったら植物の汁を丁寧に洗い流し、乾かして私の頭に合わせる。
この時、腰の強い草の糸を、左右にあらかじめ幾つか開けておいた穴と、手足の先に開けておいた穴に通して後ろで結んで完成。
あとは、かぶる際にイタチの手の爪を糸に引っ掛けて、きつさを調整すればよい。
オガが言うには、オガの祖父の頃にはイタチの頭も残していたそうだが、今は頭は切り取り、背中にしっぽを垂らすようにしている。
既婚者の印。
一家の主の証。
ミビが手を尽くして、私の為に作ってくれたのだ。
この頭巾をかぶるに相応しい夫に、私はこれからならなければならないのだ。
私は皆で婚儀の準備をし、ミビが頭巾を作っている間、何度となくモグウルを捕まえては、
「大丈夫なのだろうな、本当に大丈夫なのだろうな」
と念を押し続けたが、モグウルは、
「すべて俺に任せていればよい」
と言うだけで、それ以上なにも語ろうとはしなかった。
そして不安を引きずったまま、いよいよ婚儀の前夜が訪れた。
村は夜の闇に包まれ、獣油のろうそくの燃えるニオイが辺りを漂っていた。
一族の者達が総出で、モグウルの家を遠巻きにした。
事情を知らない子供達が、きゃっ、きゃっ、と追いかけっこをはじめると、親達がたしなめ、大人しくするよう諭していた。
私は人の輪の中に目を走らせたが、いつも目印のように頭一つとび出ているモグウルを、なぜか見つけることができなかった。
儀式の準備を終えたオガが、オガの家から姿を現した。
どこかで誰かが、唾を飲み込む音が聞こえた。
重苦しい空気が、村の中を漂いはじめていた。
誰も、自ら望んでこの儀式を行おうと言うものはいないのだ。
もう一度周囲に視線を走らせる。
やはり、いない。
私達と一緒に家の外に出されているはずのモグウルの姿が見えない。
まさかここまで来ておいて、実は策が無く、姿を眩ませた訳ではあるまい。
研ぎ終わったイタチの牙を皿に乗せたオガは、特に皆の目を気にするでもないふうの足取りで、モグウルの家へ近づいていった。
私は気が気では無かった。
ここまで、まったくいつもの光景と変わらない。
このままでは儀式が始まってしまう・・・・・・・・・・・・・・・・・・
意を決し、私がオガを止めに駆け寄ろうとした時だった。
おーーーーーい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
オガよーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その時ようやく、私の待ち焦がれた低い声が、遠くの方から響いてきた。
何事かと、オガと皆の目が一斉に声のする方向を向いた。
皆の振り向いた先には、恐れと苦しみを煮詰めたような濃い森の闇が、厚く横たわっていた。
しかしオガの名を叫ぶ声は、確かにその闇の奥から聞こえてくるのだ。
オガよーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
待ってくれーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「この声はモグウルじゃないか?」
はじめにグルンが気づいた。
「そうだ、モグウルだ」
「モグウルに違いない」
待ってくれーーーーーーーーー・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「しかしなぜこんな、危険な夜の森の奥から声が聞こえるんだ?」
男達の表情には、疑いよりも、恐れの色が強い。
私も同感だった。
儀式をやめさせることが、なぜこういう行動につながるのか、理解できない事より前に、まずモグウルが森の中にいるという恐れに、私はおののいた。
やがて森の奥から伝わる強い震えが、地面を伝って村の者達の足を襲った。
地面の揺れは徐々に激しさを増し、女達は身をすくめるばかりだったが、男達にはそれが複数の獣の足音だとわかった。
しかしこの足音の量は何だ。
まるで草原を移動するバッファローの群れが、そのままこの森の中を駆け抜けているかのようだ。
シュッ、と草が擦れる音と共に、銀色の獣が姿を現し、頭を低くしてこちらに駆けて来た。
「・・・・・・あれは!ハイエナだ!」
誰かの声を皮切りに、村の者達はおおわらわに、それぞれ手近の家に駆け込んだ。
シュッ、シュッ、シュッ、と数限りないハイエナが森から現れ、なだれを打ってこの村を襲った。
私と数人の者たちはモグウルの家に滑り込み、木の戸を閉めて覗き穴から外を窺った。
背後から軽い足音がし、ミビが怪訝そうに言った。
「これは何の騒ぎ?ヴォルンたら、木の戸を閉めるなんて。私はこれから大事な儀式なのよ」