第3話:ミビ
第3話は、物語の舞台となっている小社会における陰部というか、部族に古来から伝わる悪習というものを書いてみようと思いました。そうした方が物語に現実味がでて面白いかな、とおもったからです。女性を卑しんだりとか、差別したりとか、そういったつもりは作者には決してないので、どうかご理解ください。
日が傾き、暑さが少し和らいだ頃。
私は首尾よく仕留めたイタチを腰からぶら下げ、ハシバミの木立を抜ける山道を家路についた。
途中、山肌が削れ、縦に大きく裂けた穴から流れている水を手で救い、土埃にやられた喉を癒した。
モグウルの言葉に迷いを捨て、ついにイタチを獲ってきてしまったが・・・・・・・・
口が冷えると、未だ心の奥に眠っていたわずかな不安が、もう一度頭をもたげるのを感じた。
ミビに怖い思いをさせたくはない。
私はミビの笑顔を想った。
ミビが一族の者たちに分け隔てなく向ける笑顔。
いさかいが起こったり、獲物の分配に不平が出たりしたときなど、一族のまとまりと平和の為に、ミビは皆への気遣いを惜しまず、自分に無用な火の粉が降りかかる事になるのも厭わなかった。
ミビはモグウルの妹であり、そのため顔立ちは決して美しいものではなかったが、男達はこぞって「一族で今一番いい女はミビだ」と言い合った。
いつしかミビの胸も膨らみ、ミビを前にした男達の逸る気持ちも手に取るようにわかってくると、徐々に族長のオガの元へ、ミビとの結婚を申し入れる男達が出てきた。
オガはミビに早く結婚することを勧めたが、ミビは結婚の申し入れをしている男達の名を聞くと、首を縦に振らなかった。
私のミビへの思いは、他の男達とも引けをとらないものだった。
しかし私の中には、結婚の申し入れをする事への、拒絶とためらいがあった。
それはモグウルとミビの姉エダリの、結婚前夜の儀式の、ある光景が忘れられない為だった。
私とモグウルが12、ミビが9つの時だった。
村中が、異種異様な雰囲気に包まれていた。
夜闇と、家々で焚かれる獣油のろうそくの火の、胸がむかつくようなニオイに包まれた村で、一族中の者達が、モグウルの家を遠巻きに取り囲み、息を呑んで事の成り行きを見守っていた。
モグウルたち家族は、オガの命令によって家の外に連れ出され、エダリだけが中に残り、変わりにオガと、他の家族の結婚済みの女達が家の中へ入った。
ミビは母に抱かれ、背中をさすられながら
「大丈夫よ。大丈夫。怖がらなくていい。皆、一度は通らなければいけない道なのよ」
とやさしく諭されていた。
暗闇の奥から、オガの息子で齢40にもなるオルグが、
「今回も、何事も無く終わればよいのだが・・・・・・・・・」
と、心配する声が聞こえた。
皆が注目する中、やがて家からすさまじい悲鳴が響いてきた。
エダリのその声は、羽を折られ、首を鷲づかみにされた雷鳥の鳴き声さながらだった。
エダリと同い年で、最も仲のよいフナムが、片手で目元を覆い、
「オォォ・・・・・・・・・・」
と嘆きの声をあげてしゃがみこんだ。
悲鳴とは別の、激しい物音が家の中から聞こえ、ただ事ではない様子が窺えてくると、突如家の入り口にかかっているキルトがひるがえり、何も身に着けていないエダリが、腰元の黒い影もあらわに外に飛び出してきた。
あまりの事態に、村の空気が凍りついた。
つづいて顔を真っ青に染め、息も絶え絶えの老齢のオガが家から出てき、
「・・・・・だれか!・・・・・その娘を押さえよ!・・・・・家の中に連れ戻すのじゃ!」
と叫んだ。
だが、その場にいる誰もがエダリから目を逸らし、当のエダリは地に座り込んで涙と声を流していた。
オガが家から出、エダリの元まで歩むと、エダリの腕を取り、
「さあ立て!家の中に戻るのじゃ!」
と恫喝した。
「淫らな蕾を取り、そなたの夫への従順の証を示すのじゃ!」
しかしエダリは首を振り、かたくなにオガの言葉を拒んだ。
オガは家のほうを振り返り、
「お前達も何をしているのじゃ!早ようこの娘を連れ戻さぬか!」
と女達を促したが、女達は目線を地に落とし、動こうする気配を示さなかった。
オガは青い額をますます青くし、今度は家を取り囲んでいる者たちを見、
「アムダ!グルン!ブラウド!それにオルグ!・・・そなたたち、この娘を運ぶのじゃ!」
と男達に命じた。
名を指された男達は一瞬ひるんだ様子を見せたが、オガには逆らえずにエダリの元へと近づいていった。
両手両足をつかまれ、体を持ち上げられたエダリは激しく抵抗したが、成すすべなく家の奥へと消えていった。
かすれたエダリの叫び声は、はじめほど大きくは響かなかったが、その事が一層痛々しさを増した。
私はそっと、母に抱かれたミビを盗み見た。
ミビは体を震わせ、声を押し殺し、涙を流していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
あのときの光景が目の前に焼きついて離れず、私は、ミビを思う気持ちとは裏腹に、13になり、すでに大人の血を流したミビと結ばれる事に、長く抵抗を感じていた。
しかし同時に、他の男がミビを望んでいる噂を聞くたび、なにやら落ち着かぬ気持ちを抱くのも感じていた。
そうしていつしか、雨季を過ぎ、乾季を迎え、一年の終わりと始まりのダンスを踏み、再び雨季を越え、乾季を通り、幾匹ものワニの鼻をふさぎ、みたび雨季を飲み、乾季を吐き出し、幾頭ものオリックスの頭を砕いた。
私は、ミビが私に向ける熱のある視線を背に受け、かたくなに気づかぬ振りをした。
私より年若い者達が結ばれてゆくのを見るのは、なんとも言えぬ苦い思いと、焦燥を味わうものだった。
エダリの件以降、花嫁達は儀式を従順に受け入れた。
ともすれば、私の憂慮は、ミビにとっても縁の無いものなのかもしれなかった。
しかしあの時の光景は、いつまでも私の決心を鈍らせ続けた。
オガや父や兄のコトルがそれとなく結婚を勧めても、
「まだ心に思う女性がいないんだ」
と言い、ゆるゆると先延べにしていった。
こんな、いつまでも煮え切らない情けない男を、私のトーテムは放っておいてはくれなかった。
ある夜、私の寝床にジャコウネコが入り込んだ。
私はキルトにくるまれながら、闖入者を追い払おうと「シッ!シッ!」と手を払ったが、ジャコウネコは反対に柱をよじ登って天井に吊ってある干し肉に飛びつき、まんまと咥えて床に着地した。
うかつな私はそこでようやく起き上がり、ジャコウネコを追いかけ外へ跳び出したが、闇に紛れたすばやいジャコウネコをすぐに見失ってしまった。
何もない暗闇を見つめ、家族に申し訳ない気持ちから呆然と自分を呪っていると、どこからか人の足音が近づいてきた。
不審に思い、私は音のするほうへ、星明りを頼りにじっと目を凝らした。
すると程なく、足音の主から思いがけない声が聞こえてきた。
「ヴォルン?そこにいるのはヴォルンなのね?」
私は言葉を失った。
その声は明らかに、ミビのものだとわかったからだ。
「よかった・・・・・・。ヴォルン」
軽い足音と共に、突然目の前に人影が現れて私の体にぶつかった。
影は私の体に巻きつき、熱いリズミカルな振動を私の皮膚に伝えた。
「ミビ、なぜ?」
ミビの家からは少し離れすぎていた。
トイレは反対方向だった。
力の弱い女が、この恐れに満ちた濃い夜の闇の中をたった一人で歩いてきたのだろうか。
ミビは言葉を繋いだ。
「わたしは、わたしのトーテムに導かれてここまできたの。わたしの結ばれるべき人のもとへ・・・・・・・・・・」
私は耳を疑った。
あのジャコウネコは、私のトーテムが、私をミビに引き合わせるために家に引き込んだのだという事を知った。
「ミビ・・・・・・・・・!!」
私は衝動的にミビを抱きしめた。
そして口をついてでる言葉を、自然のままに吐き出させた。
「あす、オガに結婚の申し入れをしよう」
ミビは私の胸につけた額を上下に擦った。