第2話:儀式
ひどく日差しの照りつける日だった。
私は地面の窪みに体を伏せ、太陽が背中を焼くのをじっと耐えていた。
長い時間、草陰から隙なく辺りに目を走らせ続けるが、獲物らしき影は一つも見当たらない。
時折吹く風が、砂埃に混じる様々な動物のフンのニオイを運び、いたずらに私の狩りの本能を刺激していった。
遠くの空ではガンの群れが横並びに列をなしていたが、石投げでは届かないほど高い場所を飛んでおり、私は手をこまねいて見ているしかなかった。
空は変わらぬ青い光を放ち、これから乾季に向かう準備を着実に整えているようだった。
不意に影が差した。
振り向くと巨大な黒い塔が地面からそびえ立っていた。
「アリクイの真似事かい?」
と黒い塔が低くて野太い声を発した。
私は苦笑いをして親友に言葉を返した。
「いーや、私がやっているのは火山だ。岩を遠くに投げる火山の真似をしているのさ」
「ほーお。しかし火山にしちゃ、岩がまったく飛んでこないように見えるが?」
モグウルは含み笑いを隠そうともしない。
「獲物がいないからな」
「獲物がいなけりゃ噴火しないのか」
「そうだ」
「つまらん火山だ」
憎まれ口はいつものことだった。
私とモグウルとでは狩りのスタイルがまるで違う。
私を含め、大抵の男がやるような、物陰から飛び道具を使い獲物を急襲する戦法をモグウルは卑下している。
自分よりも体が大きく、臆病で、逃げ足の速い獲物を、石や弓矢に頼らずに仕留めるのは至難だ。
しかしモグウルはそれをやってのけるのだ。
水面を走るトカゲのようなスピードで一気に差を詰め、獲物の首筋に飛び込む。
思わず目を見開き、見入ってしまうほどのスピードなのだ。
モグウルに近しい存在の私でさえ、滅多にお目にかかれるものではない。
グループを組むのさえ、彼には軽蔑の対象なのだ。
そして運良くモグウルの狩りを目撃したものは、モグウルのいない所で口々に噂し合う。
あいつはライオンの子に違いないと。
「ところで?」
私はモグウルがここへ来た理由を切り出させた。
「いやなに、他でもない。獲物は獲れたのかと・・・・・・・」
モグウルは私の腰周りを見、
「・・・・・・・おもってな」
「お前が人の心配をするとは思ってないよ。オガにでも言われてきたんだろう」
族長のオガは、一族の者達の様子に気を揉みすぎるきらいがある。
「ああ、実はまったくそのとおりなんだ。イタチ一匹捕まえる手伝いをだな、わざわざ俺がしに来てやったんだ」
「いらん」
「遠慮するな。親友のよしみだ。それと今回だけだ。以後は一切手を貸さん。恩を売るつもりも無い」
「いらんと言っている」
「しかし獲れんのだろう」
「獲れないことは無い。獲らないだけだ」
「なに?」
「獲ろうと思えば3日で10は獲れる」
「そんなものか。・・・・・・・・・いや、しかしお前はもう5日もイタチを持ち帰らないそうじゃないか。なぜだ」
「悪いか」
見も蓋もない私の返答にモグウルは眉をしかめた。
そして恐る恐るといった様子で低い声をさらに低くして問うた。
「・・・・・・・・・・・・・。ヴォルン、それじゃあお前、ミビとの事はどうなるんだ?」
「・・・・・・・・・・・・・」
私は黙していた。
モグウルの怪訝な表情が、みるみる怒気に変わっていくのを、静かな思いで眺めていた。
「ヴォルン!!」
はじめの衝撃は感じている暇さえなかった。
気がつくと頭が地面についていた。
視界が藍色や緑や紅に染まり、痛みは後からやってきた。
モグウルが馬乗りになり、私の両肩を押さえて何かを怒鳴り散らしているようだったが、耳鳴りがひどく聞き取る事がひどく困難だった。
「なぜだ!答えろヴォルン!返答によっては只ではおかんぞ!さあ言え、ヴォルン!」
徐々に意識がはっきりし、今度は吐き気のようなものを覚えたが、かろうじて言葉の意味を解せる程には回復した。
「なぜだヴォルン!ミビはお前との結婚を喜んでいたのだぞ!俺もお前とならと、妹の結婚を祝福していたのだ!それなのになぜこのときになってそのような事をいうのだ!気が変わったとでもいうのか!お前のミビへの気持ちはその程度だったのか!そのような事でミビを傷つけるようなら俺はお前を許さん!この場で絞め殺すが、よいか!」
「まて、まってくれ、モグウル、話を・・・・・・・」
激しい痛みと吐き気で言葉が途切れ途切れにしか出てこなかった。
「何だ!」
「結婚は、する、つもりだ。当たり前だ。私の方が、望んだこと、なのだから」
「ではイタチを持って帰れ!」
「それは、できん」
「なぜだ!」
「気掛かりが、ひとつ」
「気掛かり?」
モグウルの肩を持つ手が緩み、腰が浮いた。
私はひどく痛む肩を押えて横這いに転がり、少しの間咳き込んだ。
モグウルは私を睨みつけたままだったが、私が話し始めるまで待ってくれた。
「・・・・・・・モグウル、お前は、結婚をする女の事については、すべて知っているな?」
「何が言いたい」
「・・・・・・・儀式だ」
モグウルの視線の鋭さが、少し鈍ったように思えた。
私は言葉を繋いだ。
「婚約者の男は、女にイタチを贈る。女はイタチの毛皮で頭巾を作り、男に送る。男は一生その頭巾をかぶり続ける」
「そんなことはわかっている」
「女は結婚式の前夜、イタチの牙を研いだ刃物で、股の奥にあるという、蕾のようなものを、族長によって切り取られる」
「・・・・・・・・・・・・」
私は改めてモグウルの目をみた。
「お前とミビの姉さんが、ゾウドと結婚した時だ。お前の姉さんは儀式で暴れた。大人の男達に取り押さえられながら儀式は進んだ。姉の叫び声を聞きながら、家の裏手でミビも恐怖に震えて泣いていた」
「・・・・・・・・・・・・」
短くないあいだ、お互い無言の時を過ごした。
私は上半身を起こし、後ろ頭についた土ぼこりを払った。
できたコブを撫でるたびズキズキと痛んだ。
おもむろに、モグウルが口を開いた。
「すまん。お前にそのような思いがあったとは、俺の考えが及ばなかった。激情にかられ、つい手が出てしまった。許してくれ」
「お前の掌は正直きつかった。だが、わかってくれたなら、もうよい」
「そうか・・・・・・・・・・。ところで、俺によい案がある」
「なんだって?」
「お前は今日にでもイタチを持ち帰れ。お前がイタチを持ち帰らない事に、不安を感じていたのは俺だけではない。お前は早くミビを安心させてやってくれ。儀式については・・・・この俺がなんとかしてみよう」