かくれ蓑
病室に入るなり、しまった、と思った。
長く見舞いに来なかった自責の念なのか、思いがけない伯母の姿に、あまりにも無防備だったからか、自分でも分からない。
悪性の関節リウマチで入退院を繰り返す伯母の、今度の入院は、年をまたいで長引いていた。
中三になった私は、部活や受験勉強に気を取られ、半年以上も伯母を見舞っていなかった。
「なによ、ちっとも来ないで。」
恨みがましく言う伯母の眼は赤く充血し、それでいて薄い膜がかかったように濁っている。
手術を繰り返した手足の関節は溶けて縮んでしまったのか、目に見えて短くなった腕と脚が、力なく胴体につながっていた。
夏だった。
病室は冷房の効きが悪く、重だるい空気が肌に触れてくる。
ベッドに横たわる伯母は、大ぶりのバスタオルを一枚、かけているだけだった。
自分では動かせないその身体は、前に会った時より、ひと回りも、ふた回りも小さくなっていて、薬のせいで丸くむくんだ顔と痩せた身体の比率が不自然だった。
病室は4人部屋だが、伯母の他に患者はいなかった。
私は平静を装って曖昧に笑い、当たりさわりのない学校の話をした。
母は持ってきたリンゴを向くために、果物ナイフを持って病室を出た。
すると、母が出ていくのを見はからったように、伯母が声をひそめて言った。
「天井裏に人が隠れていてね。」
「ときどき降りてきて、おばさんをつねるのよ。」
眉間に皺をよせる伯母に、返す言葉がなかった。
「おばさんね、小説を書くの。」
「小説?」思わず聞き返すと、
「シッ!声が大きい!」
誰かに聞かれでもしたら大ごとだと言わんばかりに、鬼の形相で私をたしなめた。
そして、いっそうささやく声で
「題名はね、『かくれ蓑』っていうの。」
そう言ったとき、病室のドアが開いた。
母が戻ってきて、小説の話はそれきりになった。
夕暮れに蝉が鳴いていた。
「また来るね。」できるだけサラリと言うと、
「なによ、もう帰るの?」伯母は不満げな顔をして、
「『好き好き、チュッ』は、してくれないの?」と言った。
それは昔、親戚たちの間で定番だった、幼い子どもとの、ちょっとしたスキンシップのこと。
「好き好き」と言いながら、お互いの頬と頬をくっつけたあと、「チュッ」と言って、子どもが大人の頬にキスをする。子どもと言っても、3歳くらいまでの話だ。
戸惑いを見せないようにして、私は伯母に頬を寄せ、別れの挨拶をした。
「あんた、よくあんなこと出来るわね。」
病室のドアを閉めるとすぐ、母が不機嫌に言った。
私は急に身体が重くなり、砂のように地面に崩れていく気がした。
エレベーターを待つ間、母との沈黙を避けるように伯母の病室を振り返った。
病室のドアの前に、昔ばなしに出てくるような、蓑笠をつけた伯母を描いた。
かくれ蓑をまとった伯母は少しずつ透明になり、誰の目にも映らず、どこへでも好きな所へ行ける。
空想のなかの伯母は私と目が合うと、いたずらそうにウインクをして見せた。
それから3日して、伯母の急変を知らせる電話が鳴った。
あれが、伯母との最後となった。




